とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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Capter7 『Her beautiful smile tempted the young man into kissing her.』



第七章 「涙は、優しさの中で」

 

         ◇

 伸ばした手の先にあったのは――白い天井と、蛍光灯の光だった。

 頭には何か巻かれていて、皮膚と擦れて痒かった。

 

「あ……」

 

 見覚えのある場所だった。

 それもそのはず、恭也や美由希、蓮飛にフィアッセも何度も足を運んだ場所だ。

 

「病……室」

 

 上半身を起こしあたりを見まわすと――壁にかかった日めくりカレンダーが、あの花見の日の翌日をあらわしていた。当然その上にかかれた西暦も――

 

「帰って……来た?」

 

 いや、帰ってきたのなら、服が患者用に変わり、頭に包帯を巻かれて寝かされているのは変だ。

 

「まさか今までのは、夢……」

 

 言いかけて、そんなことは無いと自分に言い聞かせる。

 あの世界での感覚全てが明確に思い出せる。もしあれを夢だと言うのなら、自分はこれから現実と夢の区別がつかなくなる。

 

「あれ……」

 

 ふと、右手に何かを握り締めている事に気付いた。開くと――薫に渡された巾着を、汗が染み込むほど握り締めていた。

 

「……ちゃん、オレが……るから」

 

 廊下のほうから晶の声が聞こえて、はっとする。

 ガチャっとノブが回り、病室の扉が開かれた。

 

「美由希ちゃん……いいかげんに休んだほうが。丸一日寝てないんやで……」

「だって!だって恭ちゃんが目を覚ましてくれない……の、に……」

 

 眼の下にくまを作った美由希が、蓮飛と晶に付き添われて入ってきた。

 ところが入ったとたん恭也を見て、三人とも固まっている。

 どうするべきかわからず、恭也は

 

「……ああ」

 

 と言った。

 

「お、お師……」

「ししょ……」

 

 

「恭ちゃん!」

 

 

 美由希が、持っていたタオルを放り投げて、恭也に飛びついた。

 

「恭ちゃん、恭ちゃん、恭ちゃん……」

 

 起こした青年の上半身に、美由希はすがりつくように抱きしめる。

 

「うっく……ひく……」

 

 恭也は泣き止まない美由希を見下ろして、「ああ、俺は間違い無く戻ってきたんだ」と思った。

 珍しく仲良く手を取り合って喜んでいる蓮飛と晶を前にそうするのは、少し躊躇うが――

 

「ただいま、美由希……」

 

 そっと、彼女の肩を抱いた。

 

 

 

         ◇

 それからはてんやわんやだった。かわるがわる現れる家族とさざなみ寮の住人に、恭也は圧倒されっぱなしだったが、それも面会時間を過ぎれば静かになる。

 なのはは無事だった。

 恭也が完全にクッションになっていたおかげで、傷一つ無いらしい。

 それよりも、自分のせいで兄が目を覚ましてくれないんだと泣いて、それのほうが大変だったらしい。病室に現れたなのはを抱き上げて頭をなでてやると、彼女は笑ってくれた。

 担当医師のフィリスの言うところによると、怪我は十六夜によって癒されているのに意識を取り戻さないため、処置のしようが無かったとのことだ。俺はずっと病室で寝ていたのか、と聞くと、彼女は不思議そうな顔をして、「ええ」とだけ答えた。

 ちなみに、今回の騒動の原因についてだが、耕介と愛の話によると、ここ数年間で起こったいろいろな事件(ほんとうにいろいろあったらしいが)で、一度老朽化したベランダを補強修理したそうである。だが、そのとき頼んだ業者が手抜き工事をした事が原因で、今回の事故が起きたそうだ。真雪がその業者に木刀を持って乗り込み、そっちでも大騒ぎだったらしい。

 薫は、「お守りと言っておきながらすまない」と頭を下げたが、「結局無事に済んだのは、このお守りのおかげです」というと、少しだけうれしそうに笑った。

 「昔、俺と会ったことがありませんでしたか」と不自然じゃない程度に聞くと、彼女は「そういえば……子供の時に那美が君と会っていた頃、那美が会えない旨を伝えるために会ったことがあったっけ」と、答えた。

 確かに、それは正しい記憶だが、それはあのカードの話をしたときのことではない。

 つまりは、あの世界での薫が言った通り、あれが本当のことだったとしても薫はそのことを忘れていて、歴史はなにも変わっていない事になる。

 

 証拠は、なかった。

 

 ただ、リスティに気になることを一つ頼み、その日は大事を取って病院で過ごすことになる。

 翌日の検査で何事も無ければ、そのまま退院となるそうだ。

 その夜、恭也は全員の付き添いを断り、星が瞬く澄みきった空を見上げながら、あの世界で過ごした夜を思い出したりして――眠りについた。

 

 

 

         ◇

 朝、恭也の退院を迎えたのは、美由希とフィアッセと桃子だった。

 学生達はやるべきことのために、それぞれが自分たちの居場所にいるはずだ。

 美由希は……駄々をこねたらしい。

 普段はまじめな彼女のたっての我侭ということで、学校を休むことを承諾したそうだ。

 帰り道、真剣な顔のリスティが現れた。

 有無を言わさないような鋭い顔で、ちょっと付き合ってくれ、と恭也に言った。元からその気だった恭也は頷くと、俺はこの後一人で帰るから、と皆に別れを告げる……が、美由希だけは、絶対についていく、と言って聞かなかった。

 

「まあ、そんぐらい許してやんな。おまえが倒れた時一番泣いてたのはその子だ」

 

 と、リスティに言われ、恭也は何も言えなくなった。

 

 

 案内されたのは――特殊警察の鑑識の保管場所だった。

 ここからは、恭也一人で、と言われて、さすがの美由希も待合室で待たされている。

 

「さて……おまえに言われた通り、そのときその場所の事件を洗ってみたが……説明、してくれるんだろうな」

「……できる限りは」

 

 恭也は答えて、リスティは頷いた。

 読心の能力を持つ彼女だが、恭也のような者は、ある程度心のコントロールも鍛えているため、思考が読めないらしい。ようは、瞑想されてどうしようもなくなるのである。

 

「まず……事件当初、銃声を聞きつけた散歩中の市民の報告で、女性の死体が発見された。身分証明書を見ると、「柴村 夏織」とある。ただ、それは偽造だった。その後の調査で、それがあの『龍』の元構成員の一人であることが判っている。ただ、『龍』をハッキングして調べた資料によると、そいつはずいぶん前に除名されている」

 

 やはり――あの世界はあったのだ。そして恭也は、彼女がよりによって『龍』の一員だったという事実に愕然した。

 それに……彼女はおそらく『龍』に殺されたのだろう。助けられなかったという思いに力が抜けて、足元がふらつく。

 

「お、おい。大丈夫か?無理せず座れって」

「ええ、すいません……続きを」

 

 震える足を抑えつけて、恭也は先を促した。

 

「あ、ああ……それでだな。始めは殺人事件として捜査してたらしいんだが――結果、自殺と断定された」

「……え?」

「彼女の死因は銃によるものなんだが……その銃なんだが、どうも本人のものらしくてね。指紋も一種類だけだし、なにより弾丸の当たった服の部分に焦げ跡があった。それはつまり、銃口が服に押し付けられた状態で撃ったってことでね。自殺の典型的な跡なのさ。まあ、普通はこめかみに当てるんでひともんちゃくあったらしいんだが。ま、そんなことはいい。

 それに、彼女は重度のガンだったんだ。それももう末期で、生きていたのが不思議なぐらいだったらしい。理由も、十分だ」

 

 脂汗がにじみ出て、震えが止まらなかった。

 

「それで、……ボクが聞きたいのはこれだ。彼女の遺品なんだが――」

 

 小さなビニールの袋に包まれた、それは――

 

「これは……」

「ああ、薫が恭也に渡したあの石と同じものさ。内ポケットの中の布袋に、この紙と一緒に入っていた。……いったいどういうことだ?」

 

 すっとリスティが取り出したもう一つの袋に、小さな紙切れが入っていた。黒く染まっている斑点のようなものは、おそらくは彼女の血液だろう。

 そして、妙に達筆な字で、たった二つの漢字が書かれていた。

 

『恭也』と。

 

「おい……大丈夫か」

 

 リスティが不安そうに声をかける。恭也は、震えているだけで答えることが出来なかった。だが、しばらくリスティが黙っていると、彼は顔を見せないようにしながら、

 

「リスティさん……これ、紙のほうだけでも俺にもらえませんか?」

「なに?ちょ、ちょっとまて、さすがにそれはまずい……」

「お願いします!」

 

 恭也が、ただ頭を下げる。言えば、土下座でもなんでもしそうな勢いだった。リスティは驚いて目を丸くしていた。

 

「お願い……します……」

「~~!んー! コピーだ、コピーをとる!それで勘弁しろ!それだってまずいんだぞ、ほんとだぞ!……ちくしょう、ばれたら始末書で済むかなあ。もう何枚目かわからないけどさ」

 

 少し、自棄になったようにリスティは言った。

 

 

 

 

 美由希のところに現れた恭也は、終始無言だった。

 なぜか顔を見せないようにしながら、ただツカツカと歩いていく。

 リスティに、

 

「なんか知らないけど、恭也、思いつめてるみたいだった。とても聞きたかったことを聞くことも、心を読もうともできる雰囲気じゃ無かったよ。……付いていってあげな。恋人、なんだろ?」

 

 と言われ、美由希は顔を赤らめる。

 いつからか判らないが、読まれていたらしい。

 義兄の後を追い、いろいろ話しかけてみるが、彼は、何も返答をしなかった。ただ虚空を見るように、夢遊病者のように不安な足取りで歩き、時々道を間違えては、美由希に手を引かれていた。

 家に着くと、恭也の手を取って彼の部屋に連れていく。布団はしいてあるはずだから、とりあえず寝かせて休ませようと思ったのである。フィアッセと桃子は店に出ていて、寺子たちもまだ学校から戻ってはいないらしく、家はいつもが嘘のように静かだった。

 

「恭ちゃん、とりあえず今日はもう寝て、ゆっくり休んで……」

 

 布団を正そうと、屈んだとき――

 抱きしめられる。

 

「えっ?」

 

 恭也が、美由希を後から抱きしめていた。

 何事かと振り向こうとすると、唇を彼の唇で塞がれた。

 

「ん、んー……」

 

 力強く、奪われるような接吻け。舌が美由希の口内に入ってくる。情事の時の貪るようなそれに近かったが、そこに、恭也の思いのようなものが感じられなかった。例えるのなら、ただ無理やり口を押し付けられただけのように。

 数秒の間の後、やっと開放された。

 

「ぷはっ。ちょっと、恭ちゃん、どうしたの……きゃあ!」

 

 布団に押し倒される。胸に顔を埋められ、伸ばされた手が彼女を乱暴に愛撫していく。

 

「やだ!こんなのやだよ!恭ちゃん!やめて、やめてってば!」

 

 明らかに、いつもの恭也ではなかった。彼に体を預けることは嫌ではないが、こんな一方的な行為を理由も無くされたくはない。振りほどこうと、必死に体をひねる。だが、鍛錬で学んだそれも、師である恭也にかなうわけが無かった。

 

「お願い……恭ちゃん止めて……やめ……え?」

 

 いつのまにか、恭也の力が抜けていた。彼は、たしかに美由希を布団に押さえつける様に抱きしめてはいたが、強姦するようなそれではなく、ただ美由希の胸に顔を押し付けて――震えていた。

 暴れるのではなく、少女がゆっくり上半身を起こすと、恭也は全く抵抗をせずにそれに合わせる。

 ここまで無防備な恭也を、美由希は見たことが無かった。

 どうしたらいいのかわからずじっとしていると、彼女は自分の服にぽたぽたと雫が落ちるのを感じて、はっとした。

 

「恭ちゃん、もしかして……泣いてるの?」

 

 恭也は答えなかった。

 だが確かに、小さくくぐもった嗚咽が、彼の体の鼓動に合わせて存在していた。

 美由希は、初めて見た兄のその姿に戸惑いながらも、彼を包み込むように手を背中に回す。その手の感触を感じ取ったのか、恭也はビクンと体を跳ねさせた後、もう一度、彼女を強く抱きしめた。

 

「…美由…希……み…ゆきぃ……」

 

 彼の口からこぼれ落ちた少女の名。その声は儚く、何かを求める幼子のようで――。

 あやすように、美由希は彼の背中をなで続ける。いつも大きな存在だった兄が、今、壊れそうになりながら胸の中にいた。

 理由はわからないが、今、自分がなすべきことはきっと一つだと、美由希は思う。

 

「恭ちゃん……私は、ここに、いるよー……」

 

 ただ優しく、言葉をかける。

 髪を梳くように彼の頭に手を当てて、自分の胸に押し付ける。

 

「あ……うぁ……」

 

 恭也は、今まで誰にも見せまいとしていたことを。

 おそらく、今から流すのは、一生分のそれを――。

 自分の弱さの全てを、彼女にさらけ出して、

 

「…ぁぁ……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 ただ、大声で泣いた。

 

 

 

 

         ◇

         

 その夜に見た夢は、あの、いつもの悪夢だった。

 だが、一つだけ違ったことがあった。

 士郎を追う恭也の前に現れる、何人もの影達。そして入ってくる美由希。

 影達の同時攻撃に、美由希が窮地になる。そこで、恭也は――

 

「美由希……任せたぞ」

 

 一人の剣士として、そしてあらゆる意味で自分の支えとなるものとして、彼は彼女を認めた。

 

「う……うん!」

 

 美由希が輝くような笑顔を向けて、すぐに真剣な顔に戻る。

 後から、抜き放った剣の音が聞こえたが、恭也は振りかえらなかった。見捨てたのではない。ただ彼女を、信じた。

 そして、

 

「りゃああああ!」

 

 父の前の大きな影を切り裂く。

 照明が落ちるように影達が消えた後、いつのまにか、怪我一つ無い姿で精悍な顔をほこらばせて立つ士郎を見上げる。

 美由希が、息を切らせてやってきた。そして恭也の横に並び、同じように父を見上げた。

 

「……美由希は、強くなったよ。父さん」

 

 恭也が美由希の肩を抱き寄せて言うと、父は、にやっと親指を立てて笑ったのだ。

 

 

 


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