とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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    「剣士の想いは、刃で語れ」②

 

         ◇

 明けたばかりの空は、雀の声ですらまばらだった。今日一日の天気を保証するような太陽の日差しは、玄関から出てきた彼等の肌を突き刺すように照らしていた。

 庭の道場へ案内をする士郎の背中を追いながら、恭也は昨夜の決意を噛み締める。

 自分はこの選択をしたことで、父を見捨てた事に一生後悔の念に囚われるかもしれない。だが、違う世界と自分が生まれ、彼女を失ったことを、後悔すらできずにいるよりは――。

 道場に着く。

 そこで、一本の木刀を渡された。だが、恭也は首を振って、真剣での戦いを望むことを告げ、小太刀を二振り貸して欲しいと頼んだ。

 士郎は驚いていたが、にやりと笑い一度部屋に取りに戻る。帰ってきた時には、四振りの小太刀が握られていた。恭也の分と、自分の分である。

 

「どこで俺が二刀流だという事を知ったのか知らんが、それに合わせて戦う気か?自分の刀も持たずに剣士に剣で挑戦するとは……」

「……刀は、あります。だが、どうしてもそれをここに持ってくることがかなわなかった。ずうずうしいのを承知でお借りしますが……刀は、俺の一部です。そして、俺の流派も元から二刀流」

 

 刀を受け取り、脇に二本刺しをする。今ではもう絶滅してしまったと言っていい、侍のスタイル。

 

「ほう……抜刀の型も俺と同じか」

 

 恭也は無言で頷いた。

 

(そうです。俺はあなたの背を見て育ち、いつか肩を並べて戦うことを夢見ていた)

 

 すらぁ、と滑らかに抜刀する。今までに、何千、何万と繰り返してきた動作。

 それに合わせるように、士郎も抜く。

 刀を手にした時点で勝負は始まっている。だがお互い、もう少しだけ会話を楽しむことにする。

 

「そう言えば、まだ君の名も流派も聞いていなかったな」

「名は……明かせません。ですが流派は、あなたがよく知るものです」

 

 お互いに構える。同じ構え。

 

「……」

 

 士郎は、何も喋らなかった。驚きはあったのだろうが――この名も知らない剣士への興味が勝っていた。自分への殺意は無いが、青年の殺気は本物であると判断して――

 

「なら……俺ぐらいは語ろう。この勝負、御神流、高町……いや、『不破』士郎としてお受けする」

 

 士郎の目が、恭也が一度も見たことが無いほど鋭く、冷徹なものへと変わった。

 

 轟!

 

 風が、士郎の横を垂直に通り過ぎた。

 動いたのは、恭也が先だった。

 手加減一つ無い、恭也の正眼からの切りを、士郎は軽いステップで交わしていた。残った手が士郎の左脇腹に向かって繰り出されるが、士郎は「応!」と爆発するような勢いで息を吐き、刃で受け止める。

 しばらくギリギリと力比べが始まるが、士郎は恭也の下半身に蹴りを繰り出し、それを避けようとした彼のバックステップを利用して、自身も後ろに飛んで間合いを取った。

 

(……やはり、見よう見真似の二刀流ではない。だがなぜだ。あの動きは、御神流のそれとほとんど変わらん)

 

 士郎の驚きは、恭也にもわかった。

 

「はあああああぁぁぁぁ!」

「おおおおお!」

 

 再び距離が縮まり、高速の剣劇幕。

 刃の打ち合う音は、ガツンと言うような一撃の重い音ではなく、チチチチチ、という連続音。

 

「か!」

 

 そのさなかで恭也が繰り出したそれは――

 

(なに!)

 

『貫』

 

 微弱な筋肉の動きから、眼球の移動、呼吸の方法など、相手が自分に対して注意している全てを利用したフェイント。

 コンマレベルでの戦いにおいて行われる先読みを、全て裏切る形で出されるそれは、相手からすればまるで防御を全てすり抜けるように思わせる攻撃である。

 御神の――技だ。

 完全に不意をつかれ、無防備の士郎の胸目掛けて、恭也の刀が勢いを増す。ここから交わすことは不可能と、士郎は己の経験から悟った。

 士郎の視界が、瞬時に淡く白黒フィルムのように切り替わる。

 神速の領域である。

 左足を軸に、体を半回転させ、コマ送りのように動いている青年の刀をやり過ごし、そのまま背後に回ろうとした。

 

「――!」

 

 キチィン!

 

 刃が交差し、火花が散った。

 互いにバランスを崩し、距離が開く。

 

「…………」

 

 士郎の体に冷や汗が流れる。

 それは、相手の力を誤算した恐怖心からではない。ありえないことに直面した、驚愕からだった。

 青年が、口を開く。

 

「全力できてください。……あなたほどではないですが、俺も神速を使えます」

「な、に?」

 

 いいながら、自分の感覚に間違いが無かったことを、士郎は確信した。

 神速の領域についてくるだけならば、世界のどこかには御神と同じか別の方法で同様の効果をもたらす奥義があることは、ゼロではない。だが、青年は『神速』と御神流固有の名を出した。そして、先ほどからの彼の技一つ一つが、あることを決定づけている。

 

「御神流の使い手が、俺の知らないところにいるとはな……」

「……行きます」

 

 恭也は答えず、ただそれだけを口にした。

 彼は突進しながら、片方の腕を大きく後に開く。

 士郎は、それを迎え撃つ。青年の出そうとしている技は、看破できていた。士郎の妹の、もっとも得意とする技。

 

「りゃああああ!」

 

 御神流、裏・奥義の参、『射抜』

 『貫』の最終形であり、御神流の中で最大の射程と速度を誇る刺突技。

 それに迎え撃つは――

 

「はあぁぁぁぁ」

 

 御神流・奥義の弐、『虎乱』

 虎の牙のような鋭さで、二刀が交差する十文字切り。

 

 ヂイン!

 

 音がはぜた。

 剣圧に負けた恭也の体が、車に跳ねられたように吹き飛ばされ、木造の道場の扉にぶち当たる。その威力に耐えられなかった扉ごと、恭也は庭に転がり出た。

 だが、剣はまだ二振りとも手の中にある。御神流の勝負は、これだけでは終わらない。

 日光の下、恭也の刀がその光を反射して、彼の血液の沸騰を促す。体が、熱く燃える。

 士郎が、外からだとずいぶん暗く感じる道場の中から現れた。

 恭也の体は、まだ体制が崩れたままだった。それを正している間には、士郎の間合いに入られる。青年は小太刀の切っ先を地面に滑らせ、それにより跳ね上がった土が、士郎の顔に向かって飛んだ。

 士郎がその目潰しを避けるわずかの間に、恭也は構えなおす。

 互いに、自分の間合いから数歩離れた距離を保ち、二人は動きを止めた。

 

 恭也は、すぅっと深呼吸をして、気を引き締める。

 

「次に……俺の全ての力を込めます」

 

 士郎は、唇をきつく結んだまま、頷いた。

 

 士郎と恭也が動いた。

 お互いに、まだ神速には入らない。剣の間合いに入るのと同時に、二人とも神速に移る。さらに――

 

(――ここだ!)

 

 見切ったのではなく、単なるカンだと言っていいタイミングで、恭也はその神速の深度を増す。

 

 神速の二重がけ――

 

 肉体の速度は変わらずとも、空間を見切る感覚が圧倒的に強くなり、士郎の動きがさらに遅く感じられる。

 踏み込む。圧倒的な衝撃が、古傷の膝にかかった。その痛みをこらえて――

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 御神流・奥義之六、『薙旋』 

 

 父、士郎がもっとも得意とし、それゆえ恭也もまた己の切り札とした抜刀術。

 それに士郎が答えた技も、当然のように――

 

「おあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 二つの同じ奥義の衝撃が、爆発音のように、新緑の風薫る庭先に響き渡った。

 

 

 

         ◇

「気がついたか?」

 

 恭也が目を覚ますと、おそらく士郎が運び込んだのだろう、道場の冷たい床の上で寝転がっていることに気付いた。

 

「俺は……負けたんですね」

 

 悔いは無かった。そもそも、勝ち負けはどうでもよかったのだ。ただ、言葉では伝えられない思いを、一人の剣士として刃で語りたかったのだから。

 

「ま、怪我はしてないよ。地面に叩きつけられたショックで気絶してただけだから。真剣でやったっていうのに打ち身だけで切り傷一つなかったしな」

 

 にやり、と士郎は笑う。手には――なぜだか日本酒のビンが握られている。あぐらをかいて座っていて、横にはコップが二つ。

 

「酒ぐらい呑めるだろう?挑戦を受けてやった礼に、付き合え」

「はぁ……」

 

 上半身を起こして、コップを受け取る。なんだかよくはわからないが、父と酒を酌み交わすことは初めてだ、と思うと妙に緊張した。

 注がれた透明な液体をあおり、一気に飲み干す。あまり強くないが、少しだけ辛い酒だった。だが、下戸である恭也にとっても、悪い味ではなかった。

 

「良い呑みっぷりだ。じゃあ、俺も……」

 

 士郎も、同じように酒を注ぐ。

 そうしてしばらく静かな空間を楽しむ。

 

「それで……君はいったい誰から御神流を?」

「名前は言えませんが……尊敬する男から」

「ふむ……一臣か?いや、あいつはあのとき、まだ弟子は取っていなかったはず……まあ、誰でもいいか」 

 

 恭也の答えに、しばらく黙考していた士郎だが、感慨なさげに思考を止める。

 

「詳しくは聞かんが……君は、不破だな」

「……?」

「違うのか?君の剣を受けて思ったが、御神のようだが本質は不破よりだ。それも、おそらく天性の、な」

「確かに……とう……いや、俺の師は不破でしたが、御神の一派という以外に何かあるのですか?」

「聞いていないのか。……まあ、俺も息子に教える気は無かったから、君の師もそうなのかもしれんが……。歴史の裏にある御神流、その中でもさらに裏の仕事に不破があった事は、君も知っているだろう?」

 

 頷く。

 

 要人の警護や、暗殺が御神の主な仕事だったが、不破は組織の末端までの殲滅など、より血生臭い任務をしてきた一族だ。

 

「御神の技は虎乱、鳴神、薙旋などの『切る』技が多いが、不破は裏の奥義『射抜』などに代表される刺突技が多い。つまりな、殺人『剣術』としては御神流が本家だが、純粋な『殺し』にかけては不破は御神の上をいくんだ。君の薙旋は、確かに御神の技だが、その質は不破に寄っていた……俺と同じようにな」

「そういえば……あなたは、はじめ『不破士郎』として勝負を受ける、と言いましたが」

「なに、つまらんことさ。俺は、ボディガードを仕事としている。それは、言ってみれば御神の仕事だ。結婚して不破から高町に名を変えたのは、二つ理由があるのだが、その一つが、俺の子供達に不破の――人殺しだけの生き方をしてもらいたくなかったからだ。

 だが、君との勝負は俺個人の物だ。剣士として君の本気に向き合うのなら、俺も殺しの剣士として本気の俺に戻るべきだと、そう思ったのさ」

 

 空になった恭也と自分のコップに、再び酒を注ぐ。

 

「ま、そんなこといっても、俺の息子は結局不破よりの性質を持っていたがね。血は争えんらしい」

「美沙斗さんの娘……美由希……さんは?」

 

 恭也にそう言われて、今日は一生分驚かされる、と士郎は言った。

 

「……まあ、君には隠しても無駄なようだな。……あの子は御神だよ。血としても、剣士の質としても、な。しかも、飛びっきりの才能を秘めている。まったく恭也も美由希も……俺達の子供達は、本当に才能に恵まれている。俺が、嫉妬するほどのな」

「嫉妬……ですか?」

 

 恭也は心底驚いていた。正直、御神の天才児と言われた士郎が、そういう感情を持つとは到底思えなかったからだ。それも自分に対して、である。

 

「ああ。恭也は教えたことを、まるであらかじめ知っていたかのようなスピードで覚えていく。完全に自分のものにするためには、反復の鍛錬が必要かもしれないが……そうだな、恭也の脅威は、基礎さえ教えればどんな応用的なことでも独学できてしまう、ということだ。俺は、たくさんの師に囲まれて、技の一つ一つを体に染み込ませるしかなかったってのに。

 美由希にはまだ剣術を教えていないが、あの子は俺と恭也の打ち合いを見て――いわゆる見取り稽古で剣の型を学んでいた。あの子には、技の本質を見て取る能力が、飛躍的に高い。おそらく、師が優秀であればあるほど、強くなるタイプだよ。それも、その師匠以上にな」

 

 事実、この八年後には美由希は士郎さえも会得できなかった『閃』を、会得しかかっていた。その美由希を、父から「師が優秀だから」といわれて、恭也は深く感動する。

 

「だからだろうな。恭也が強くなっていくたびに、俺がどこまで守ってやれる立場でいるのかと、不安になるのは。自分の弟子であり、子供だからな。あいつの成長が楽しみだが、同時に少し寂しくなる。

 

 まったく、男ってのはどうしようもない。どんな言葉で繕ったって、大切なものほど自分の力で守りたくなるんだから」

 

 はっ、と――。

 恭也は驚いたようにその顔を上げた。

 父の言葉が、胸に痛かった。

 そして――ようやく、見つづけていた悪夢と、不意に襲う不安感の意味がわかった気がしたからだ。

 自分は……美由希が強くなるたび、寂しさ嫉妬とがあったのだろう。だが、自分はその事実を受け入れまいと、無意識に思っていたのだ。そしてそれが、父を救えなかった罪悪感と絡まりあのような夢を見ていたのだろう。

 だが今は、父も同じ思いを持っていたことを知り、素直にその事実を受け入れられた。

 吹っ切れたように、恭也は笑顔を父に向ける。

 それは、この世界で士郎に向けた、初めての笑みだった。

 

 

 

         ◇

 しばらくちびりちびりと酒を交わして――

 

「士郎さん……俺、そろそろ行きます」

「そうか……機会があれば、また会えると良いが。息子達にも君との仕合を見せてやりたい」

「そうですね……機会があれば」

 

 永久にそれはかなわない事。でも、そう願うことぐらいは許されるだろう。

 

「君は、強かったよ。君の膝の怪我がなければどうなっていたか……恭也の奴も、君ぐらいになれば嬉しいが」

「……大丈夫ですよ。息子さんは、あなたを尊敬しています。あなたの背を追って、あなたのようになれることを目指して」

 

 すうっと。

 恭也は、己の覚悟を、言葉に乗せて。

 

「どんな時でも強く……成れるかはわかりませんが、少なくともそう決意をして、家族のために生きていきますから」

 

 生前の父には照れくさくて言えなかった正直な思いを、今、ぶつける。

 士郎は、少し不思議そうな顔をした後、

 

「ふふ……そうだと良いが」

 

 微笑んだ。

 

 恭也は道場を出て門に向かうと、見送りはいりません、と士郎に言った。

 だが、彼に背を向けた途中で、ふと思い出したように、振りかえって、

 

「そういえば……結婚した時に名前を変えたのは二つ理由があるって言ってましたけど……もう一つは何か、聞いてもいいですか?」

 

 そこまで重要なことではないが、ここで聞けなかったら、二度と真実はわからないであろう質問をする。

 士郎は、少しばつの悪そうに頬をかいて、

 

「そのことか。夏織……ああ、昔の恋人で恭也の実の母なんだが、そいつが俺に恭也を預けて消えた時、『もし結婚するようなことがあれば、婿養子になって苗字を変えろ』と言ってやがったのさ。俺にもよくはわからないし、従う義理は無いんだが……まあ、さっきのもう一つの理由もあったしな」

「……そう、ですか」

 

 母のことは――生前の士郎から少しだけ聞いていたが、そう言えば、名前も知らなかったことに気付く。

 だが、恭也にとって母は桃子だった。

 だから、実の母を恨むとか、会いたいと思うことは、その話を聞いた今でもとくには思わなかった。

 

 

「では……失礼しました」

「ああ、気をつけて」

 

 結局門まで付き添われ、最後の――本当に最後となる言葉を交わす。

 下りの坂道に向かって、恭也は歩き出した。後で、ばたんと扉の閉まる音が聞こえる。

 

「さよなら……父さん」

 

 振りかえらずに呟いた彼の言葉は、暖かい日向の匂いのする空気に優しく溶けた。

 アスファルトに落ちた涙が、まるで幻だったように、すっ……と乾いていった。

 

 


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