とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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Chapter 3 『Peoples of the Sazanami dormitory.』




第三章 「さざなみは、優しさと激しさに満ちて」

 

「はっああああああ!」

「せぇぇぇぇ!」

 

 陽光に晒された二つの人影が、新緑の木々に囲まれたさざなみ寮の庭先で交差した。

 お互いが鈍く光る――片方は一本の太刀、もう一人は二本の小太刀を持っていた。

 本来の型より殺傷能力を抑えられ、それでもなお人を殺す力を秘める、その――刃落とし刀は、二人の体が重なると同時に鈍音を奏でる楽器となった。ガッガ、と小刻みに響くその音色は、徐々にリズムとその大きさを増して、周りで見守る観衆達のため息を誘った。

 

「おいおいおい……ありゃ神咲姉、マジだぜ」

 

 と、その観衆達の一人の仁村真雪が、火の付いていない煙草を咥えながら苦笑した。

 彼女は売れっ子の漫画家として多忙の日々を送っており、その不健康な生活を、見苦しくない程度に乱れたショートカットの髪といつでも眠そうな瞳が証明している。

 しかし一方、実家が剣の道場であり、彼女は会得している段位以上(剣道の段位は強さだけでなく、一定以上の剣道暦も必要なため)の剣道家でもある。

 今、目の前で行われているものは、剣道の試合などではなくより実戦的な、いわば「剣での戦い」であったが、それでもこの二人が超一流の剣士であることは、剣道家の彼女どころか、見守る他の素人達にも明白であった。

 

「まったく……むかしゃー剣道の試合でならあたしのほうに分があったのに、今のあいつじゃ勝てる気がしねぇ。しかもそれとタメ張る恭也もトンでもねえな……」

「これから年取るたびに体力の落ちる真雪じゃ一生勝てないのだ」

 

 真雪の呟きに、隣で立っていた陣内美緒が二本の尻尾と大きな猫耳――作り物ではなく自前である――を動かして「にへら」と波願した。

 

「はっはっは、真雪。痛い所を付かれたじゃないか」

 

 真雪と同じ銘柄の煙草を取り出しながら、白衣を着た銀髪の女性がシニカルに笑う。

 

「んだとー!猫に坊主……あたしゃまだ二十八だ!」

 

 七年前から変わらない呼び名で言われたリスティ――リスティ・槙原は、ふふん、と真雪そっくりな笑みを浮かべると、

 

「去年も一昨年もそう言ったよ」

「なのだ」

 

 美緒も同意する。

 どうやら真雪は、自分が三十代になってしまったことを否定し続けているらしい。

 

「ぐ……ちくしょー!愛!娘の躾がなってね―ぞ」

 

 腹いせとばかりに、宴会用の荷物を愛車の『ミニちゃん』から降ろしていたこの寮のオーナー、槙原愛に怒鳴る。

 おそらくは真雪とそう変わらない年齢なのだろうが、真雪と対照的に健康的な生活で保たれた肌と童顔のつくりが、彼女を遥かに若く感じさせる。実際、二十台前半と言われてもさほど不自然さは感じられないだろう。

 愛は、その顔相応の子供っぽい仕種で顔を膨らませた。

 

「なーにいってるんですか。素直だったうちの娘の性格を染め上げちゃったのは、真雪さんですよう」

 

 その通りである。

 リスティがこの寮に来た当初、彼女は非常に無口でクール……というより他人を信用しない無愛想な少女だった。高機動性遺伝子障害――通称HGSと呼ばれる病を持つ彼女は、病による苦しみの代わりに、念動や精神感応などのいわゆる超能力を使うことが出来た。だがその能力ですらリスティを苦しめる存在の一つであり、彼女はそれゆえ心を閉ざしていた。しかし寮生達と暮らし、そして同じ病を持つ真雪の妹、知佳との触れ合いにより徐々に普通の少女らしくなったのである。

 クローン技術から生み出された存在であり、身寄りが無かったリスティは、その後、愛の進めで彼女の養女となっていた。

 ただ問題なのは――彼女は真雪の影響が大きかったらしく、数年後の寮内不良ランキングで一、二を争う存在になってしまったことだろう。

 

「むむむむむ……」

 

 真雪もそのことを自覚しているのか、タバコを噛み締めて黙ってしまった。

 

 ガキイイイン!

 

 ひときわ大きな音が鳴り響き、彼女達がはっと振り向く。

 見ると、青年と女の剣がお互いの急所の直前で寸止めされている。

 

「……」

「……ふぅ、引き分け、かな?」

 

 呼吸を整え、少し汗で湿った長い前髪を後ろに回して女が言った。同時に殺気が消える。

 

「そう、ですね。良い勝負でした」

 

 剣を引き、青年――恭也が笑った。

 気配を読むまでは行かなくても、張り詰めていた緊張が解けたのは素人にも分かることだった。ほう、と辺りからため息をつくのがわかる。

 

「薫ちゃん、恭也さんもすごいです!」

 

 いまどき珍しい巫女服に身を包み、子狐を抱いている少女、神咲那美が感嘆の意を述べた。その声に恭也は照れくさそうに、女はたおやかに笑みを返す。

 那美の義姉で元さざなみ寮生でもある彼女――神咲薫は、実家の鹿児島から仕事で海鳴の近くに来たついでと、しばらく休暇に来ていた。彼女の仕事は、剣術道場である神咲家の裏の姿、退魔師である。霊剣という武器を主として霊障と戦う彼女は、剣術を学んだ者としての性(さが)であろうか、本日一緒に花見をする予定の青年で、実戦剣術を今に伝える御神流の剣士、恭也と手合わせを興じていたのだった。

 今、彼女の義妹が抱いている狐――妖孤である久遠に関わる事件において互いの実力を認め合い、手合わせをすることに興味を持っていたが、なかなか機会が無く今回まで実現していなかったのである。

 薫は那美の元に近づくと、大きく息を吐き出した。すると那美が、薄い黄色の液体の入ったコップを彼女に差し出した。

 

「薫ちゃん、喉が乾いたでしょ。耕介さんが二人にこれをって」

「義兄さんが……相変わらずよく気が付く人っちゃね」

 

 薫はコップを傾けて液体を口に含む。爽やかなレモンの甘味と酸味が、彼女の体に染み込んだ。

 目を瞑りその心地よい感覚に身を預けると、懐かしい風景が瞼に浮かぶ。

 今から数年前、薫がさざなみの寮生だった頃、鍛錬で疲れた彼女にさりげなく飲み物を用意してくれた青年、槙原――今では神咲の姓となった耕介の姿。

 代理管理人として突如女子寮に現れた大柄な青年に、始めは皆が警戒と畏怖を持っていたが、いつのまにかこの寮に無くてはならない存在となった人である。

 今では神咲家の養子となり、薫達の義兄、そして裏家業の正当伝承者として、退魔師とさざなみ寮管理人の二足の草鞋を踏んでいる。もっとも当代は、異例の薫・耕介、両名による正当伝承が行われて、薫が実家に戻り、海鳴で管理人を続けている彼は家事に勤しむ事が多いのだが。

 

「うちが大学を卒業して、この地を離れてずいぶん経っとるが、ここの雰囲気は変わっとらん」

 

 しみじみ思う。

 ここで暮らした者のほとんどが持つ感想だろう。たとえ住む人が、建物が変わったとしても、そこが自分の家だと胸を張って言える場所。そう思わせる魔力のようなものが、この家にはある。そして、その力の少なからずに、耕介や愛の存在があるのは間違い無いだろう。

 

「薫ちゃん、恭也さんどうだった?」

 

 感慨にふけっていたせいか那美の声に不意を付かれたように感じ、薫は少しだけどもって答えた。

 

「あ、……ああ。あの年で大した物……どころかとんでもない強さじゃ。手加減はしとらんのじゃろうが、おそらく殺し合いでなら、うちは勝てんじゃろ」

 

 今回の手合わせは、剣と素手による打撃系のみ、という形をとっていた。御神流にはさらに鋼糸と飛針の技があるそうだが、それだけの意味ではない、と薫は続けた。

 

「そんなに?」

「一つ一つが……人を殺す技じゃ。他のどんな生き物でもない、人だけを焦点においとる剣術。そう言う意味では、和真や父さんでも勝てんかもしれん。試合中、何度かうちの使える表の奥義を放ったが、恭也くんは恐らく基本の技だけで全て防いじょる。御架月で霊力を使って戦えばわからんが、それでも自信は無か」

 

 それに、彼はさらに上をいくとっておきの技を持っているような気がしてならないのだが。

 

(僅かに膝を庇った動きは、怪我でもしてたのか……それが無ければどれほどだったのか。まあ、それでも『本気』の義兄さんほどではなかったけんね)

 

 

「おい、堅物青年!たいしたもんだな」

 

 恭也が美由希から受け取ったジュースを飲んでいると、容赦無く背中をたたいて真雪が現れた。

 

「あの神咲と五分なんて……いやー、すっきりしたぜ!」

「っけほ。いや、俺も危なかったですよ」

 

 軽く咳き込み、恭也が苦笑する。

 

「薫さんの剣はすごく綺麗な型です。それでいて隙がほとんど無い。時間があれば、美由希ともやって欲しい相手だ」

 

 美由希も先ほどの戦いに興奮が冷めぬようで、鼻息を荒げて頷いた。

 真雪は煙草に火をつけると、一度大きく吸って横に吐き出す。

 

「まーな……一応この場にいる、さざなみ寮側メンバーじゃ二番目に強いやつだしな。変に深い意味じゃなくてな」

「二番目って……薫さんより強い人、いるんですか?」

 

 意外そうに、美由希がみつあみを揺らして聞いた。恭也も驚きを、少ない表情で表している。

 真雪はその反応に満足げに頷くと、もう一度煙草を大きく吸いこむ。

 

「ふ~。まあな。それこそ、あたし!って叫びたいとこだが――」

 

 視線を寮内の台所のほうに向ける。すると――

 

「すいません愛さん!魔法瓶の水筒ってまだありましたっけー?」

 

 ずいぶんほんわかした顔で表れた大きな青年――

 

「……え……耕介さんですか?」

「そうだ、嬢ちゃん。……まあ、キレた時っちゅー条件付だけどな」

 

 美由希に対し意味深に嘯く真雪。

 

「たしか……薫さんと同じく退魔師をなさってるんですよね。除霊とかそういうのはよくわかりませんけど、物理的な実戦なら薫さんを超えるほどとは到底……」

「確かにな。だが、今から七年くらい前にあたしと神咲と神咲・弟であいつ相手に本気で戦ったことがあったんだが、手も足も出なかった(前作の『十六夜想曲』参照)。神咲弟は本気も何も完全に殺す気だったし」

「!……殺すって……」

 

 美由希が息を呑む。

 

「知りたいだろ~。実は耕介と女と他の男でどろどろな愛憎劇が繰り広げられて――痛ぇ!」

 

 彼女は頭に割り箸を束ねてぶつけられ、その後に言葉を続けることが出来なかった。

 

「お姉ちゃん!何無茶苦茶言ってるの!」

 

 綺麗と言うよりはかわいいといったほうがしっくり来る、そんな雰囲気の女性が二階の窓から口を尖らせていた。真雪への呼称から推測される通り、彼女の実妹、仁村知佳である。

 

「知佳!姉に暴力振るうとは何事だ!」

「お姉ちゃんが美由希ちゃんたちにとんでもないこと吹き込んでいるからでしょ!」

 

 そう叫びながら、彼女は窓に足をかけて飛び降りた。薄手のシャツにジーパンという、動きやすいラフな姿だったが、それでも危険な行為である。

 一瞬、恭也と美由希が声を失うが、彼女は明らかに重力加速度に逆らったスピードで落ちて――いや、降りてくる。

 知佳の背中から生まれた白い羽が、太陽の光を透かして彼女の身に神々しさを纏わせた。

 HGS患者の持つ、外見的にもっとも顕著な特徴、フィンである。

 それは、持ち主の性格や心理状況によってそれぞれ異なった形、能力を持つ、肉体への苦しみの代価に得た特殊な存在である。能力の原動力は、例としては知佳はフィンに太陽光線を受けることで、リスティは食物の糖質を変換させエネルギーにしている。数百万人に一人という確率で発祥するこの病は、その発症者の少なさもあり、いまだに研究は進んでいない。

 もっとも――恭也の身近な関係者には、知佳、リスティ、その妹フィリス、そしてフィアッセと珍しくないほど居るのだが。

 

「なんだ、やっぱり冗談だったんですか」

 

 美由希が安堵の声を出す。真雪がそれに対し何か言おうとしているが、知佳の念動によりハンカチが姉の口にまとわりついてふさいでいた。

 

「いや……泥沼の愛憎劇はともかく、耕介さんの強さに関してはあながち嘘でもないんじゃないかな」

 

 それまで黙って彼女らのやり取りを見ていた恭也が、目線を耕介に止める。

 

「恭ちゃん、どういうこと?」

「俺は何度か耕介さんと鍛錬を付き合ったことがあったが――確かにかなりの腕だが薫さんほどではない。だが……どちらがより怖いか、と聞かれれば俺は耕介さんに票を投じる」

 

 まあ、そこに理由なんて無いのだが。と、恭也は肩をすくめた。

 

「なんと言うか……そうだな。薫さんを『狼』とするなら、耕介さんは『象』の怖さだ。速さも鋭さも狼のほうが上でも、敵に回すのなら象ほど恐ろしいものは無いだろう?」

 

 われながら良い表現だったと、恭也は満足げに言った。

 彼の言葉に目を丸くした知佳が一瞬気を抜いた隙に、真雪は口の拘束具から逃れ、彼女はこれ幸いと逃げて行った。

 

「知佳さん、本当なんですか?」

 

 兄の意見がかなり的をついていた為と思わせる知佳のその様子に、美由希は確認を取る。

 

「……うん。七年前に耕介お兄ちゃんが大変なことになって、薫さん達が戦ったのは本当。そのときのお兄ちゃん、妖怪さんに取り付かれて力を暴走させて……私達じゃ止められなかったんだ」

「妖怪ですか……それで、どうなったんですか?」

「お兄ちゃんの恋人が――今は奥さんだけど、やさしく語り掛けて、それでお兄ちゃんは正気に戻ったんだ」

 

 はて?と、恭也が首をかしげた。

 以前、那美に聞いた話で、彼が養子として神咲に入り、彼女らの義兄となったということは知っていたが、結婚したという話は覚えが無い。彼はここで寝起きしているのだから、その妻も寮に住んでいるというのが普通だろう。だが、那美意外に神咲の姓を持つ女性は寮生に居ないはずだ。実家に住む薫という可能性も、那美と同じく『義兄さん』と呼んでいるので、まず、ない。とすれば、夫婦別性にしているのだろうか。

 だが、彼の妹は納得したらしい。顔をほころばせ、そうなんですか、としきりに頷いていた。

 

「おい……美由希。耕介さんの奥さんって知っているのか?」

「うん。知らないの?ここに住んでるし、恭ちゃんも会ったことがあるよ?」

「……そうなのか?どの人なんだ?」

 

 庭に寮生全員が出ているわけではないが、とりあえず辺りを見まわしてみる。

 

「人じゃないよ」

「は?…………あ」

 

 かなり間抜けな声を出した後、ようやく一人の人物にたどり着く。

 

「十六夜さんか!」

「呼びましたか?」

「!?」

 

 青年の背後から音も無く気配が生まれ、透き通るような声がかけられる。

 戦う者としての性分か、驚愕による筋肉の収縮でひるむことは無く、大きく飛びのいて背面に体を変える。しかし、気配の正体を見据えて、恭也は力を抜いた。

 金色の髪がたなびいていた。風が強く吹いているわけではないが、繊細な髪は、それ自体が美しい生き物のように薄く流れている。

 羽衣のような着物を纏い、藍色の瞳を虚空に向けて宙に浮かぶその女性――十六夜。

 彼女は美しかった。

 だが、本来美しさというものは、非常に危ういものでもある。太陽が地平線へ沈む瞬間、ガラスの飾りが壊れる時、流星の一瞬の瞬き。それらは時として、涙を流すほど心揺さぶられる衝撃を与える。美しすぎる畏怖すべき美。儚いがゆえの、壊れる姿への美。

 つまり、もしある人を美しいと判断するなら、その人は同時に――嫌悪の対象にもなりうる。だが、

 

「どうなさいました?」

 

 彼女が微笑を浮かべた。

 ただそれだけの行為で、彼女の雰囲気が柔らかさと暖かさに満ちる。

 恐らく、本当の意味での美人というのは、こういう人のことだろうと恭也は思った。呼吸の仕方を忘れてしまったように、彼は呆けたように十六夜を見る。

 

「……いっつ~!~!~!~!」

 

 腕に激痛が走った。痛みには慣れているはずだが、裂傷や打撲とも違う脳天に突き刺さるような感覚に、恭也はうっすらと涙を浮かべて問題の個所を見やる。そこには細いながらも筋肉の張りついた腕から伸びた指先が、青年の二の腕を捻り上げていた。

 

「美由希……なんだ?」

 

 指の主である妹を見咎めるが、彼女は指を離しても不機嫌そうに恭也を睨むと、そっぽを向いた。

 

「どうか……なさいました?」

「な、何でも無いですよ」

 

 返事が無いことに困惑したのか、ハテナマークを浮かべて微笑んでいた十六夜に、美由希が慌てて手をパタパタさせた。

 

「私の名前が聞こえたので気になってしまったのですが……」

「耕介さんと十六夜さんの馴れ初めについて聞いていたんですよ」

「まあ……」

 

 十六夜は恥ずかしそうに、それでもうれしそうに頬を染めた。

 美由希と話す彼女だが、その顔は微小に美由希からずれていた。藍色の瞳も少女の姿を写しながらも、どこか遠くを見るように焦点が合っていない。

 それもそのはずである。彼女は盲目であった。

 神咲家に伝わる霊剣十六夜。それに宿る女性の魂の具現した姿、それが、今、恭也達の前にいる女の正体である。彼女は生まれついての盲目であるらしく、神咲家の始祖である灯真により、死して霊剣として魂だけの存在になった今でもそれは変わらなかった。

 霊剣十六夜は、退魔師として活躍する一灯流の裏の正式伝承者のみに渡される存在で、元々は薫が伝承していた。しかし彼女の寮生時代に十六夜は管理人の耕介と恋に落ち、彼は二人で共に生きるため十六夜の使用者となったのである。

 つまり、戸籍としては耕介は独身である。しかし、せっかくだからと身内だけで静かに式を挙げ、名実と共に契りを交わしたのであった(寮では寮で、三日に及ぶ大宴会があったが)。

 もちろん、それにともない神咲家の養子、一灯流の入門、退魔師としての修行と数々の問題もあったのだが、それはまた別の話である。

 ちなみに、共に一灯流を継いでいる薫は、十六夜の弟の魂が宿る霊剣御架月を使っている。

 

「そろそろ用意が出きるようですよ。桃子様達がお見え次第出発するそうです」

 

 告げて、十六夜が浮かび上がり、ガラス戸をすり抜けて寮に戻っていった。その姿を見送りながら、恭也は昨夜の家族達の姿を思い浮かべる。

 

「かーさん達……『デザートはまかせて』って張りきっていたからなあ。レンと晶も『打倒!耕介さん』ってギリギリまで仕込んでるし」

「なんか私達の周りって、凄腕の料理人ばっかりだね」

「まあ……食事に楽しみが持てるのはうれしいことだ」

 

 その反動のように、高町家にもさざなみ寮にも、料理が禁句になる者がいるのは置いておくとして――

 

 

 

 

「恭也君」

 

 薫が那美を携えて近づいてきた。

 

「はい。なんですか?」

「まずは、楽しかった。家族以外でここまで打ち合える人は久しぶりじゃった。できたら本気の君も見せてもらいたかったが――まあ、秘蔵の技があるのはうちも同じじゃけんね。我慢すると」

「……はい」

 

 御神流の奥義――その中でも異色を放ち、同時に御神流の御神流たる由縁でもある『神速』と呼ばれる歩法。二刀術とは本来何も関係無いこの技法は、それ単体では『威力』というものはない。それが他の技と絡むことで、防御としても攻撃としても効力を飛躍的に上昇させることができる奥義。

 

「あれは――本当に奥の手ですから。膝に負担がかかるので気軽に行えませんし……すいません」

「ふん……。それは妹さんも使えると?」

 

 言われた美由希は少し俯きながら照れたように頬を掻いて、

 

「一応はその領域にいるらしいんですけど……まだ使いこなすというレベルじゃないそうです。実際、三回に二回は失敗しますし」

「……まあ、俺もその位置に来てから、確実に使えるようになるまで三年かかっている。おまえはまだまださ」

 

 ぶっきらぼうに恭也が言う。きつい言い方であるが、彼の口から出た言葉としては賛辞に近い。それがわかっている美由希は、気づかれない程度に口元を緩めた。

 実際、彼女の成長は大したものである。技を覚える、ということに関しては苦手のようだが、技の本質を感覚的に身につける能力では天才的なものがあった。

 恭也は思う。おそらく、彼女は二年以内に現時点での自分に追いつくだろうと。鍛錬を続け、自分はもう少しは強くなれるだろうから、実際に超されるのはその先になるだろう。だが、きっとそれも時間の問題だ。

 

(その時は……俺が美由希を守るなんて言うのはおこがましいのかもな)

 

 自分が神速の領域に来て、三回に一回成功するまでに二年近くかかったことを、彼女は半年足らずでやってのけた。膝の怪我が自分にはあるとはいえ、その差が――そのまま美由希と自分の実力を埋めていくスピードだ。

 ドクン――

 と、脳髄に響くような感覚。胸の鼓動が早くなり、体中を襲う不安感。

 

(またか――なんだっていうんだ!)

 

 体を休めるときの呼吸法を使い、恭也は肉体を、そして脳を落ち着かせる。

 幸い、恭也のその変異に気付くものはいなかった。ふう、と息を吐いて心音が正常な速度に戻った時、薫が再び唇を開いた。

 

「そうか……あともう一つ、君に言いたいことがあったとね」

「……なんですか?」

 

 先ほどの事を悟られないよう、恭也はいつもよりゆっくりとした口調で返事をする。

 薫は特に気にした様子も無く、コホンと小さく咳払いをすると、改めて恭也に向き直り――頭を下げた。

 急な出来事に美由希と恭也が目を丸くする中、彼女はゆっくりと頭をあげる。恭也の瞳を薫が覗いた。

 

「すまなかった。そして、ありがとう。もし君が居なかったら、うちはこうして那美や久遠と仲ようできんかったじゃろ」

 

 少し間を置いて――恭也はその意味を理解した。

 久遠と那美との間に起きた、ある事件のことである。

 久遠は以前、多くの殺傷を繰り返した祟り付きの妖孤であった。那美とその弟は、両親をその時の久遠に殺され、以後神咲家に養子に迎えられていた。多大な犠牲を払い、薫と十六夜によりその力と怨念を封じられ、邪気の無い狐となった久遠。祟り付きとなった悲しい過去の経緯を知った那美は、いつしか敵である久遠を許し、共に暮らすようになる。

 だが、いつその祟りが封印を破るやも知れぬ状況で、薫は最悪の状況を避けるために、独断でその妖孤を殺してしまおうと考えたのである。己が罵られ、蔑まれ、心を罪悪感で壊れそうになることを覚悟して――。

 しかし、恭也が間一髪でそれを止め、その後、那美と久遠の思いの力によって、祟りのみを消滅させる事に成功したのであった。

 コンサートでの事件から数週間後の話である。

 

「そのことはもうすんだことですよ。……結局は、久遠と那美さんの絆の力です。それに、俺もなのはを悲しませたくはありませんでしたから」

 

 目を閉じて微笑みながら恭也が答えた。

 謙遜でもなんでもない。たとえ那美や久遠と関わっていなかったとしても、なのはの友達だということだけで、この小さい子狐を守ることに躊躇いはしなかっただろうから。

 

「く~ん」と下から声が聞こえたと思うと、ぽんっと音を立てて久遠が狐の姿から人型へと変化した。

「きょうや……」

 

 頭についた狐色の――狐なのだから当たり前だが――耳をピコピコと動かして、八歳程度の少女の姿となった久遠が青年の足に擦り寄った。

 薫はまどろみを見るように目を細め、

 

「ふふ……。それでも、きちんとした礼がしたかったと。あの時はばたばたしとったし……義兄さんにも散々叱られたし」

 

 言いながら、彼女は懐から小さな紺色の布巾着を取り出した。

 

「これはうちと、うちの一族からの礼の品だが……受け取ってもらえんね?」

「そんな……本当に、俺は何もしてないですよ」

 

 少し困ったように恭也。薫は表情を変えずにそれをさし伸ばした。

 

「遠慮、というのなら止めて欲しい。礼として贈呈しとるだけじゃなか。君に、うちらの感謝の気持ちを受け取って欲しかね」

 

 続くように、那美も「私からもお願いします」と言って、頭を下げた。

 

「……わかりました。大切にします」

 ここまで言われて断るのは、むしろ無礼になる。それに、誰かからの感謝の形が嬉しくないはずも無かった。

「開けても?」

 

 恭也の言葉に、薫が頷いた。

 両手で受け取ると、彼はその小さな巾着の紐口を緩めて指を指しこんだ。取り出された先に、青く輝く宝石のような滴型の珠がある。よく見ると、珠の表面に漢字を崩したような流線型の文字が刻まれている。

 

「これは……」

「ちょっとした霊力のこもった石。縁結びの効果があるそうじゃ」

 

「縁結び、ですか」

 

 苦笑して恭也。

 すぐ横に恋人が立っている状況で、迂闊な反応は出来ない。

 

「と、言うても別に恋人ができるとかいうたぐいのもんではなか。もともとは二つ一組のもので、この石を持つ者同士はどんなに離れていてもめぐり合わせてくれるという……そういう力をもっとるらしい。本来、親友や恋人や家族との一時的な別れに、無事な再会を願うために使われたと聞いとる。まあ、そういう使い方よりは、単に安全祈願のお守りと考えてくれればよかよ」

「では……もう一つは誰が?」

「残念ながら、うちに伝わるのはその片方だけ。けど、片方だけでも簡単な護符くらいの効果は保証すると。会いたい人にまたあえる、という意味で効力を発揮するけんね」

 

 薫の言葉に、興味深そうに恭也の手中の石を見ていた美由希が聞いた。

 

「じゃあ、その誰かわからない、もう片方を持つ人といつか会えたりとか?」

「いや……さっきも言った通り、自分と知人の相互の安全と再会を願うものだから――まったく面識の無い者同士に効果を及ぼすほど、力は強くはなかね。まあ、所有者の望む相手と会える確率を増やすくらいは、出きるかも知れなかが」

 

 なるほどと恭也は頷き、丁重にもとの巾着にしまうと、折角だからとさっそく腰のベルトに――暗器の飛針をしまうホルスターの邪魔にならない部分に――紐を縛り付けた。すると――

 

「恭也、薫……今の石、ボクにも見せてくれないか?」

 

 リスティがひょっこりと、好奇心というより不可解そうな顔をして現れた。恭也が思わず薫のほうを振り向くと、彼女は無言で頷く。元の持ち主に一応の了解を取ると、恭也はもう一度あの石を取り出した。しげしげとそれを見つめるリスティに、薫が訝しそうに問う。

 

「どしたんね、リスティ。宝石と言うわけではなかね。鉱石としてはたいした価値はなかよ」

「いや……これどっかで見たような気がするんだよ。仕事関係だと思うんだけど……」

 

 彼女の言葉に薫は思わず息を飲んだ。 

 リスティの仕事関係と言えば――警察関連である。いったいどのような経緯であろうか。

 

「……だめだ。思い出せない。気のせいかもしれないな」

 

 リスティが額に手を当てて首を振った。

 

「そうか……残念のような……ほっとしたような気分だ」

 

 恭也がため息を吐く。まあ、見知らぬ人と石の力で会ってもどうしようもない。

 今、そばにいない者で会いたい人がいないわけではないが、それがかなう事はありえなかった。なぜなら――彼はすでにこの世には存在していない。この霊玉にどれほどの力があるのか、その手の能力のない恭也にわかるはずも無いが、いかに強力だとしても死者と会わせることは不可能だろう。

 

「ん……そういえば、なのははどこにいったんだ」

「なのはちゃんなら、部屋で麗ちゃんと忍さんとゲームしてましたよ」

 

 ふと辺りを見まわした恭也に、那美は二階のベランダ脇の窓を見上げた。

 なんでも寮生の一人である麗は、来年から私立聖祥女子に推薦で入学することが決まっているIQ200を超える天才児で、自分で持ちこんだ巨大スクリーンを使って映画とゲームにいそしんでいるらしい。ゲーム好きの忍となのはが、それを見逃すはずが無かった。

 

「うみゅ~!」

 

 突如、気の抜けるような声。

 二階の窓にかかったカーテンに、万歳をするような腕のシルエットが浮かんでいる。

 

「へっへ~ん!これで十六勝目~♪」

 

 後者の声は、聞き覚えがあるものだった。

 

「月村……なにやってるんだ」

 

 恭也の呟きが聞こえたわけではないのだろうが、それを合図にしたようにカーテンと窓が開かれる。おそらくは空気の入れ替えをする気だったのだろう。

 

「あ、高町君。終わったの?」

「ああ……鳴り止んだ音で気付かなかったのか?」

「周りの音に気を取られて勝てる相手じゃなかったのよ」

 

 威張って言うことかどうかはわからないが。

 

「なのはは……そこにいるのか?」

「なのはちゃん?それなら今、一息入れるって言ってベランダに行ったわよ」

 

 ヒッチハイクをするように親指でベランダを指差した。

 その彼女の後ろで張りつくように、一人の少女が顔を出している。この子が麗なのだろう。

 

「う~忍さん。もう一回挑戦するです」

「はいはい、何回でもいいわよ~」

 

 座りなおしたのか、彼女達の頭が窓の下に沈んだ。

 

「あいつは……どこに行っても変わらんな」

 

 それが彼女の魅力と言えなくも無い。

 ベランダに視線を向け、なんとなく気になり妹の姿を探す。

 ガラっとガラス戸を引く音が聞こえて、見なれた栗色のツインテールがひょっこりと現れた。ちょこちょこと壁柵に近寄ると、なのはは足を浮かせてよりかかった。用があるわけではないのだが、恭也はとりあえず声をかけた。

 

「なのは」

「お兄ちゃん。終わったんだ。どうしたの?」

 

 話す時、笑顔になるのはこの子の癖なのかもしれない、と恭也は思った。

 

「ああ……かーさん達が着いたら出かけるそうだ。月村達にも伝えてくれ。言いそびれてしまった」

「はーい、わかりましたー」

 

 そのときだった。

 

 きしり――と。

 

 恭也はそんな音を聞いたような気がした。

 

 庭で談合している者達の声で、本来ならそんな小さな音など聞こえるはずが無い。

 だからその音の表現は、擬音語ではなく擬態語であるといえた。

 彼の視界が捕らえたあるモノの僅かな歪み。それを脳が直感で表現した言葉。「軋む」とは――よく言ったものだ。

 

 きしり――。

 

 再び、音。

 今度は気のせいなどではなく、はっきりと。

 その音は、皮肉にも擬態語で表現したものと同じだった。

 

 

         ◇

 さざなみ寮から少し離れた公道で――

 赤いワーゲンが、春の暖かさに喜ぶでもなく、どちらかというとけだるそうなエンジン音を立てて走っていた。

 助手席に座するフィアッセが、なんとなしに口ずさんでいた鼻歌を止めて、

 

「桃子~、これならみんな喜んでくれるね」

「うん!今回も耕介さんを唸らせるわよ~」

 

 後ろに乗せた大き目のクーラーボックスをバックミラーでちらりと見て、桃子は満足げに頷いた。

 

「うちらも、負けてませんで~」

「おう!」

 

 後部座席に座る二人の少女達、蓮飛と晶は、その体の小ささが幸いしてか、数々の料理が入った重箱と、デザートの入ったクーラーボックスに押されながらも、なんとかその場に納まっていた。

 フロントガラス越しに、大きな白地の建物が見えてくる。

 フィアッセはそれを直に見ようと、対向車が無いことを確認してから窓ガラスを開けて顔を出した。

 強く吹きつけながらも暖かい風が、彼女の長い髪を揺らした。

 

「あれ……」

 

 唐突に、彼女が真顔になる。

 桃子が横目でフィアッセを見た。

 

「どうしたの?フィアッセ」

「うん……なんだか、さざなみ寮のほうから……」

 

 いやな予感がするの、と。

 

 声に出したら、なぜかそれが本当に起こってしまいそうで、彼女は言葉を口の奥に押し込んだ。

 

 

 

         ◇

「えっ」

 

 なのはの呟きは、驚きからというより、ただ漏れた、という方が正しかったのかもしれない。

 だが、それが驚きの意味と同化するのに時間はかからなかった。

 もたれかかっていた柵格子が、みしみしと聞きなれない音を立てて歪み、一瞬それが止まった時――

 

 バキィン!

 

 鉄製の柵格子が、悲鳴のような音を立ててその根元から砕け散った。その衝撃のせいか、土台となっていたコンクリート部分にひびが入る。折れた鉄柵は、一度無事なままの柵に絡まり動きを遅くするが、なのはの体がその重さの支えを無くして、それよりも先に前へ飛び出た。

 恭也が動いたのは――なのはの悲鳴が上がるよりも早かった。もしくは、彼女の声が空気中を伝わり青年の耳に届くのよりも速かったのか。いずれにせよ、全ての神経が一点に集中し、ある領域に入った彼にそれが聞こえることは無かった。

 脳の中でスイッチが切り替わるように――恭也の視界が淡くなる。ちょうどモノクロームのような白黒の景色は、この状況下に色の識別は無意味だと告げたためか。

 

 ドクン――

 

 心臓の鼓動が一つ。

 それが、合図だった。

 

『神速』

 

 御神流奥義の歩法。

 極度に集中することで、空間の流れをスローモーションのように認識する。普通の人でも死に接する瞬間などに垣間見る、人間の持つ驚異的な状況認識能力。一流のスポーツマンなども、ある程度は任意により発動させることができるという。

 それを、御神流では確実に発動させることを求められる。そして、そのときの処理機能がある一定の領域を越えると、脳が、自身が認識する感覚と実際に動こうとする感覚に矛盾を感じ、それを埋めようと、自己防衛のため無意識にかけられている肉体のリミッターをはずす。

 それが故の驚異的な加速術。それが――『神速』である。

 

 時が遅く流れているような不思議な空間。その中を生ぬるいゼリー上の中を動いているように、恭也の体は駆け出した。

 一歩を踏み込む。

 それだけで、常人歩幅の数倍の距離を飛んだ。

 目測を見間違わないために、顔を上方に傾けてなのはの体を追う。

 恐怖に染まったなのはの顔が、崩れた鉄格子の破片と重なっていた。

 

(この距離――間に合う!)

 

 重力によりその加速度を増しつつも、彼女が地面に叩きつけられるより早く、その落下地点にたどり着ける自信が恭也にはあった。そして、それは決しておごりなどではなかったはずだ。

 地面を蹴り、最後の跳躍。伸ばした腕に妹の体が触れ、それを抱え込む。彼の大切な宝物は、確かに胸の中へと納まった。

 全てが、青年の思い描いた形に収縮する。 

 

 それでも彼は――一つの誤算をしていた。

 

 ぞっとするような感覚が、上方からざわめいていた。神速の領域から戻りつつある意識の中、彼が顔を上に向けられたのは、奇跡に近かったかもしれない。

 

「!」

 

 青空への視界を塞いだのは――根元が砕けて、鋭利な槍のように連なった矛先を向けた鉄柵と、人の頭ほどの大きさのいくつかのコンクリート片。なのはが落ちた後、ひびの入った部分が自身の重さに耐え切れず崩壊したものに違いなかった。

 色が着き掛けた風景から、再び色あせた世界へ。神速を――引き伸ばす。

 間違い無く、それは彼の限界を超えた行動だった。だが、それ以外に選択肢は無い。

 腕の中のなのはに覆い被さるような前傾姿勢をとり、その場から飛びのこうとする。が、おそらくは、コンマ秒の境で――間に合わない。

 それは、先の自信と同程度の確信だった。

 

 美由希が、跳ねた。

 恭也が駆け出した位置よりも数歩離れた場所から、彼女が動く。

 神速領域の彼の感覚の中でもそう見えるということは、彼女もまた、神速を発動させたということだ。

 彼女の手には、恭也が預けていた二振りの刃落とし刀が、抜き身で納まっていた。

 そして彼女は、一瞬で恭也までの距離をゼロにする。

 

(あの距離を――詰めた!?)

 

 恭也は驚愕する。

 彼がギリギリで届いた距離より離れているにもかかわらず、彼女は、より少ない時間でそれを可能にした。

 薫との仕合で疲労があったとはいえ――彼女はこの時、明らかに青年を超えていたのである。

 そして、神速の中での奥義への繋ぎ。それは、恭也が思わず見とれるほど滑らかだった。

 

 

『薙旋』

 

 鈍い破壊音。

 高速の連撃は、まずもっとも危険な鉄柵を吹き飛ばし、ついでくる石片を砕いていく。

 

 

 間に合った、と美由希は思った。

 間に合わない、と恭也は確信した。

 

 

 そして、それは恭也の判断が正しい。

 砕けた破片は幾分か小さくなっていたが、その分だけ数を増し、人を殺める能力を十分に保ち降り注ぐ。

 殺傷力こそ下がったが、それでもなお、子供一人の命を消し去るには十分な死神の礫。

 

 そして彼は――

 

 ためらわず、なのはに覆い被さり、地面に抱え込んだ。

 その時、恭也がとった行動が、父、士郎の最後の行動と同じだったのは――皮肉であると言う意外、喩えようもない。

 

 

 背中に激突する瓦礫の痛みが脳髄に響く。

 神速による肉体の酷使に膝も痛む。

 悲鳴じみた、美由希の自分と妹を呼ぶ声が、手の届きそうな場所にいながら妙に遠く感じた。

 青年の上に破片が積もり、埋め尽くされて彼の視界が真っ暗になる。頭にも打ち付けたのか、ぬるりと鉄の匂いのする液体が額を流れている。

 うすれゆく意識の中、最後までわかったのが妹の無事であったことは――彼にとっての幸いであったに違いない。

 

 震えながらも、元気に泣き声を挙げる、なのはの暖かさを感じて――

 恭也は意識を失った。

 

 


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