失敗したと言わざるを得ない。
予想を外された最初の出来事はガゼフ・ストロノーフの凱旋だ。五宝物を取り上げられ死地へと出立した戦士長が生きて戻って来るとは想像していなかった。
詳しくは王以外知るところではないが、南方から訪れた傭兵団と共闘して戦果を挙げたという事。捕えた者たちはエ・ランテルに置いてきたが、とてつもない力を秘めた水晶を手土産に……いや証拠にと王へ献上している。
二つ目はその捕らえた連中がことごとく逃亡した事件の裏にあった出来事。余罪が多数あると思われる冒険者殺しの女を筆頭に、複数の犯罪者が冒険者組合の軒先に
何故ここまで連れてこなかったのだと物理的に不可能なことで叱責する上の兄や貴族たちには呆れてしまうが、数日後に同様の事件が城の城門で起こり、王族や貴族の権威を失墜させることになっている。が、それはまだいい。
王派閥が割れたままであった方が都合が良かったが他の道が無い訳ではないのだ。
問題なのは私が衝動的に殺させようと思った人物が、一連の事件の裏にいる者達であることがわかってしまったからだ。
「ラナー? どうしたの顔色が悪いわよ?」
「ううん、なんでもないの。恐ろしい話だったからかしら」
前々日遅く帰城したクライムは翌日のあの事件のせいで他の騎士や戦士長総出の対処に追われ、今日の朝になってやっとその報告を受けたのだが、とある高貴なお方が例の裏娼館を瞬く間に潰してしまったというのだ。
とにかくもっと情報が欲しいと思っていたところやはりと言うべきか、早朝からのラキュースの登城はそれほどの事態ということで、自室で詳細を聞いているのだがすべてが滅茶苦茶といっても過言ではなかった。
曰く遠方からの転移による娼館襲撃。末っ子はお友達の家で就寝するらしいなどのいらない情報もあったけれど八人の
蒼の薔薇やクライムが手伝えたのは娼婦をカルネ村まで運ぶために抱えたことと、双子忍者が上の兄たちを含む客や従業員に落書きをしたことくらいで、実質正体が露見することが無かったのはありがたいが何もできなかったと。
「彼らの素性については不明……というより何を問えばいいのか分からないわ。往復した私が言うのもなんだけれど辺境の村まで何百キロもあるのよ。何でも教えてくれるような全てはぐらかされるような……でも一人の冒険者の姉を救いたい一心での行動を止める気はさらさらなかったの。今は宿を出てストロノーフ様の住居に行くと言っていたけれど。そうそう、彼ら戦士団とも共闘したんですって」
遅い……遅すぎるが全てが繋がってしまった。あの冒険者ご用達の宿で『美しい女性騎士』という情報だけでは関連性を窺い知ることなどできたはずも無いのだが迂闊すぎたと。
「イビルアイ様が酷く怯えていらっしゃいましたが、あの光景を見せつけられたならわかるというものです」
「多分あれでも一端なのよね。引き出しが多すぎて彼らが何が出来るのか見当もつかないわ。ねぇラナー会いたくなってきたでしょ?」
冗談ではない。この国で一番魔法に精通している蒼の薔薇のイビルアイが恐れる相手に会うなど御免被るというものだ。私が暗殺者を雇ったことはどんな経路を使っても知られるはずは無いのだが、万に一つの可能性が出てきてしまった。
「うふふ、ラキュースやクライムがそんなに瞳を輝かせているのだもの。もちろん私も会ってみたいわ。でも今の警備の物々しさを考えるとすぐにとはいかないでしょうね」
その転移という事象を考えると不可能ではないが正攻法では難しいだろう。なにせその彼らが貴族や王族を吊るした犯人なのだから。
そう、今の所その英雄たちは犯罪者扱いなのだ。縄が切れないとはいえ口をふさがれているわけではなく、自らの無実を訴える者ばかり。襲ってきた相手の顔を誰一人覚えてはいなかったが自分たちは被害者であると。
確かに裏娼館なる場所がどこにあるのかも、あるのならいるはずの娼婦の存在も確認できていないのだ。
ただ自らの足で歩くことも手を動かすことも出来ず、食事や排泄も介助が必要な状況。彼らも八方塞がりではあるのだが。
「あー……そういえばそんな状況だったのよね。よくも恥ずかしくなく無実だって言えるのかしら。ほんと、えっ!? メッセージ!?」
話の途中で驚いたように耳に手を当てるラキュース。どうやら私でも知っている<
「え、えぇ、それなら私が懇意にしているところを紹介しますよ。え? 今日ですか? 会うのは構わないのですけれど……ええ……うん……は!? あなたたちなにやっているのよ……わかったわ、ストロノーフ様の家まで行けばいいのね……」
しばらく頭を抱えていたラキュースだったが、こちらに瞳を向けはっきりとこう告げた。
「ベッドが欲しいから家具屋を紹介してほしいって……ついでに八本指奴隷売買の長コッコドールと六腕全員を捕縛したから殴りに来てくれって」
●
「これは……どういう状況なの?」
「ラキュースさんを待っている間に第二ラウンドが始まりまして……いや彼らも頑張っていたんですよ。ぶっちゃけ三女は瀕死でしたし」
「二時間近く
「でも瀕死になったらリジェネートとオートカウンターが発動してしまいまして……フルマラソンのゴールラインでぶん殴られた感じでしょうか」
「まあ起き上がれないよね」
「全然わからないんだけど!? それにあれってブレイン・アングラウスじゃないの!?」
その知らせが本当ならば、いや本当だからこそ急ぎ参じることは出来なかった。仲間は出先で合流は夜になるので不可能。ラナーの献策とそれに納得したからでもあるのだが、とある方々と一緒にストロノーフ宅へとやってきたのだ。
老齢な男性に『皆で訓練をしておるそうです』と裏庭を促され訪れてみると一人の女性騎士の周りで円を描くように倒れている人々が。あれが六腕かと思いきや一人見知った王国戦士長と互角の強さを誇る人物が含まれていたとなるとぼやきたくもなる。
「名前は知らん」
「ちょっと料理の味見に呼ばれて席を外してたんですが戻ってきたら加わってました」
なんでしたっけ? 野盗の用心棒でしたっけ? なんて話す様子から彼らも会った事はあるのだろう。庭の奥で腕を縛られ死んだふりをしているのがコッコドールですと言われたが、何から聴けばいいのか頭が働いてくれない。
「それでそちらの男性三人はラキュースさんの知り合いってことですか?」
「え、えぇ、まあ知り合ったのはさっきなんですけれど」
「んじゃそっちに隠れてるのは排除していいんだな?」
途端身の毛もよだつ感覚。二人の戦乙女がとある空間に詰め寄り、無機質な表情で今まで見せたことも無い長剣と槍をかまえる姿に戦慄する。至近距離で死の恐怖を感じ、否定の言葉を吐きたいのに口が動いてくれない。
「まっ!? まってくれ!!」
恐怖に慄き絶叫を上げることができたのは幸運だったのか、経験のたまものなのか。レエブン候配下の元オリハルコン級冒険者、ロックマイアーは脂汗をべったりと掻きながら姿を現すのだった。
●
「今夜はなんとアレでありんす!」
「以前お二方が絶賛していた『肉じゃが』を私たちで作ってみました。所謂リベンジでございますね!」
「あー確かンフィー君と一緒に食べた」
「以前はエンリちゃんがほとんど作ってしまったって言ってましたね。うわぁ! いい匂いだなあ!」
「ごめんなさいね家族の団欒にお邪魔しちゃって」
「良いのでありんすよ。正直食事に関しては第三者の意見も参考になるのでありんす」
「……嬉しいのですが美味しいしか言ってくれないものですから。ふふっ」
夕闇迫るストロノーフ邸リビングで楽し気に寛ぐ五人。すでに他のうるさい連中は天使たちも含めてここにはいない。
「それより事の経緯を話しておきたいのですが……聴いてないわね」
がっくりとしてしまうものの、自分の目の前に置かれた食事の優し気な匂いについ笑顔になってしまう。そういえば私も昨日から何も食べていなかったな、なんて。
この屋敷への到着が遅れたのは自身の考察とラナーの献策によるものだ。彼らは六腕たちをどうするのかという質問に、悩みながらも先日のようにするか衛兵に突き出すのではと答えたところ、ラナーに言われるまでも無く拙い状況かもしれないと察する。
つまりこの騒動が公になると危険を感じた八本指が潜伏してしまう可能性があるのだ。すぐにでも全拠点への一斉攻撃を始めたいが、まだその拠点の詳細が不確かな現状。それに頭数も足りていない。
衛兵に突き出された場合は現状維持だろう。すぐに解放されてしまう未来が見えてしまうのだ。それなら情報だけでも入手しなければならないがやつらを確保し続ける手立てがない。
ならばとラナーが白羽の矢を立てたのが蝙蝠とも揶揄されるレエブン候であった。
どんな経緯があったのかは定かではないが、一時エ・レエブルで保護することを約束してくれたレエブン候は護衛の五人の中から四人を貸し出し、どんな賄賂を使ったのか王城から護送用馬車を駆ってようやくここまで辿り着けたのだった。
その中の一人が不可視化して侵入したのは盗賊の性分であるのだろうが知らない。私は止めたのだから失禁していたのは私のせいじゃない。
ついでにブレイン・アングラウスもここにはいない。どこか路地裏にでも捨ててきてと言われ連れ去られるまでもなく逃げ出した彼は……なんか泣いていた。いやさすがに不法侵入だからとその哀愁漂う背中に心を痛めることはさらさら無かったが。
「えっ!? イモよね? すごい不思議な味で……うわあ、中までしみ込んでいるのね! すごい美味しいわ」
まあ今はそんなことより頂きましょうと『肉じゃが』なるものに手を伸ばす。要はイモと肉を煮た家庭料理の類だと思っていたのだが、その味付けと完成度に驚いてしまう。
「蓋を押さえ込むのが秘策です」
とか訳の分からないことを言うアルベドさんだったけれど、私も食べたことがある市場で売っている普通のイモがここまで柔らかくなるのは想像がつかない。
そのイモが肉や野菜の煮汁をたっぷり吸い、塩だけではない独特の調味料で豊かな旨味を生み出しているのだ。
「牛はどこかにいるのでありんすかねぇ? 鳥・豚・羊の中から一番癖のない鳥を使ってみましたがどうでありんすか?」
「鶏肉もありえないくらいトロトロで柔らかくて美味しいわ! 牛とは違うかもしれませんが聖王国に水牛がいるとは聞いたことがあるわよ」
「あら、素敵な情報をありがとうございます。モモンガ様、次は聖王……モモンガ様!?」
何故か無言で黙々と食べていた男性二人を改めて視界に収めると……号泣していた。
「旨い……ぐすっ……幸せだなあ」
「なんでか涙が止まらねーし、あ~旨いなあ。俺これを故郷の味ってことにするよ」
それは大絶賛の言葉なんだろう。その声に安堵し甲斐甲斐しく涙をぬぐう女性たちにこちらもほっこりと笑顔になってしまう。
もし叶うならお願いしたいことが多々あったラキュースではあったが、それを胸に押し込む度量はさすがアダマンタイト級冒険者チームのリーダーを務めるだけのことはあるのだろう。
その後は料理の話や楽しかった旅の話などに終始し、ラキュースの恋の話にまで飛び火してしまうのだが。
「なんででありんしょう? おんしと旦那様方を組ませるのは拙い気がするでありんす」
「空気感が似ているのよね……グヌヌ、モモンガ様はダメですからね!」
必殺技の話で男性陣と盛り上がってしまったのが拙かったのか、かなり怖い視線を向けられ慌てて否定したものの、ラキュースにとってここ数年で一番楽しかった時間だったなんてことは彼女の秘密だったりする。
水牛はモンスターだったかも。13巻で見た覚えがあるんだけど読み直す時間が無いわなw