マテリアル・シンカロン 作:始原菌
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高町なのは――シュテルの『姿』のオリジナル。
形を得たシュテルに対し、なのはがどう反応するのか。それによって今後の紫苑たちの行動はかなり変わる事になる。
何事もなくすんなりと、『姿』の使用許可を得られればそれが最善。そうなるようにと用意した、交渉材料もいくつかある。とはいえ無断で写し取ったシュテル側が不利なのは確か。
最悪の場合、今の協力関係が破綻して敵対関係に変化する。
なのはの性格からして即戦闘に入ることは考えにくい。だが数少ない魔導師が『味方でなくなる』事は、確実に今後の活動へ悪影響を与えるだろう。
シュテルと紫苑は事前に入念に打ち合わせを行って、いざ対面――!
「ふんふんふーん」
「ナノハ、やめてください」
「あっごめん、嫌だった?」
「いいえ。撫でるなら喉の下辺りでお願いします」
「はーい!」
(五分と経たずに打ち解けてしまった…………)
居間では上機嫌のなのはが、抱えたシュテル(ミニ)を愛でながらごろごろしている。
『自分を写した』と聞かされた時点ではそれなりに緊張していたのだが。いざ猫要素たんまりの手乗りマスコットが出てきたら――ご覧の有様である。
一方の紫苑はフルスイングの肩透かしを受けて若干無に入りかけていた。呆然としていると、ふいにシュテルと目が合う。
(見ている……ものすごく得意げな顔でこっちを見ている……!
ちなみにただの得意顔ではない。あくまでも無表情をベースとしつつ、別種の感情を混ぜているという器用なドヤだった。
普通にドヤればいいのではないだろうか。
「紫苑、どうかした?」
「いや姿形が似てるからか、あの組み合わせも割りとしっくりくるなって思っただけ」
「うん。そうだね。想像してたのと結構違ってて僕はちょっとびっくりした」
「元はたぶんユーノの想像通りな感じだったんだけどさ、色々あって縮んだんだよね」
「えっ」
台所の方のテーブルでは紫苑とユーノが向かい合って座っている。
こちらは向こうと違って少し真面目、例の黒騎士についての情報共有。
といっても紫苑達もあの黒騎士の正体や詳しい性能を把握している訳ではない。言えるのは『何かこんな感じのヤバイのがうろついてるから気を付けて』程度だ。それでもとっさの不意打ちへの対処や判断の助けにはなるだろう。
――後は、あの日何があったのか。
まず、黒騎士が襲ってきた。
緊急故にシュテルが実体化して、引き離した。
後から追い付いた紫苑が交戦して、一旦退けた。
駆体について事後報告になったのは緊急事態ゆえ。
紫苑を行動不能にしたのも仕方なく。
紫苑がろくに説明しなかったのは、ユーノ達を巻き込みたくなかったから。
「でも紫苑。気を付けたほうがいい」
「何が?」
「あの時の君の消耗具合は尋常じゃなかった。ううん、あれはもう『衰弱』だった。実体化の負担は、きっと君が思っているよりずっと大きなものだと思う。今後は慎重に判断した方がいい」
「そこまででもないけど」
「それは『今の姿』の話だよね。僕が言ってるのはこの前の――『戦うための姿』のシュテゅッ゛」
時が止まった。
正確にはそう思えるほどに静まり返った。
話の途中だったユーノも言葉を止めたし、聞いていた紫苑も固まったし、横で猫耳のモフ感を堪能していたなのはも手を止めたし、存分に撫でを堪能していたシュテルも止まった。
(噛んだ……)
(噛んだ……)
(噛んだ……)
「ん、んん゛ッ……!」
二人+1キャットによる視線の集中砲火。
フェレットフェイスがみるみるうちに赤面へと炎上していく。
「では」
誰も二の句が告げないじんわり気まずい沈黙。
その静寂を破ったのはシュテルであった。
「この姿を『シュテゆモード』と名付けましょう」
「さんせーい」
「さんせーい」
「ちょっとー!?」
シュテル(ゆ)を掲げて逃げ回る小学生二人。真っ赤な顔で追いかけ回すフェレットが一人。きゃあきゃあと騒ぐ声だけが、しばらく家の中に響いていた。
「もうシュテゆでいいですっ……!」
「ご、ごめんねユーノくん。つい……」
「ごめんてユーノ。ほらクッキーあるよ、食べて食べて」
「紫苑、それ私のです」
「ふんだっ!」
「紫苑、それ私のです」
紫苑が差し出したクッキーをふんだくったユーノは、二人に背を向けて猛然と齧り出した。完全なやけ食いである。ちなみに頭の上に陣取るシュテルが、ルシフェリオンの柄の打突で猛然と抗議を続けていたりした。
「痛い痛い地味に痛い。今度二倍にして買い足しとくから、今は我慢して」
「わかりました。それで手を打ちましょう。さすがは私の協力者です」
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そんな訳で。
マテリアル捜索チームとジュエルシード捜索チームは、これまでと同じような協力関係を維持している。
ただ相変わらず合流はしていない。互いに基本の目的は『捜索』だから、合流しないほうが都合がいいのも変わらない。
この週末も同様。紫苑達は遠く離れた街まで探索に出かけ、友人と約束があるというなのは達は海鳴に留まっている。
今後もこんな配置が多くなるだろう。ジュエルシードの落下の中心が海鳴近辺であるらしいから、どちらかは海鳴からあまり離れない方がいいのだ。
そうなると留まるのはジュエルシードの捜索をメインにし、あまり長時間家を空けられないなのは達の方が都合がいい。
家族の居ない紫苑は長時間家を空けても咎められない。加えて海鳴から離れるほどに『ジュエルシード以外』である可能性が上がることになるので、二重に都合がいい。
紫苑単独での探索における懸念点は魔法の精度だが、炎着が完全版になりシュテルがサポートに入った事で解消されている。
「到着っと」
「では、今日の飛行訓練はここまでにしましょう」
「なんとか飛べるようにはなったかな」
「ええ。基礎はもうしっかり出来ていますよ。筋も悪くありません。後は研ぎ澄ませていくのみです」
なのは達の側は『探索』と『回収』がメインなのは変わっていない。けれども紫苑とシュテルはそこに『戦闘』と『撃破』が加わっている。
そのため最近の日常にはシュテルによる魔法戦闘の講義と実習が追加されていた。今日の遠出も目的地までの移動に飛行魔法を使い、道中で空戦の実習を兼ねる。
まずは『飛ぶ』事に慣れることから始め、一通りの空戦における基礎やセオリーを短時間に濃縮して。真っ直ぐは飛べるだけのスタートから、最終的にはただ乗っているだけのシュテルを落とさないまま飛び回れる程度には上達した。
「今の所は普通の街だね」
「ええ。こちらでも今の所目立った異常は見つけられていません。いつものように直接見て回るとしましょう」
降りたのは適度な高さのビルの上。見下ろせるのは山に面したごく普通の街。初めて来た街だから、見渡す限り見知らぬ風景。持参した地図を広げて、実際の街と見比べて頭の中で地形を把握していく。
「ところでこの街、何か食べ物で名物などはありましたか」
「観光に来たんじゃないんですよシュテルさん」
「冗談ですよ」
当然、何の当ても無くこんな遠くまで来た訳ではない。
数日前の学校で、クラスメイトの一人から聞いた話。この街に住む兄が『怪物を見た』と興奮気味に語っていたらしい。当のクラスメイトはまるで信じていなかったが、紫苑達には心当たりが大分ある。
『怪物』という時点でジュエルシード案件の可能性が高いが、他にマテリアル案件の当てもない。それにもしジュエルシードの暴走体だったとしても、『魔法戦の経験』という利になるとはシュテルの談。
「ぱっと見で人気の少ない箇所が見抜けるようになってきたの、正直複雑です」
「成長しているのなら良い事ではありませんか」
範囲も時間もかかる山の方向は後に回し、街の中で人気のない箇所や朽ちた建物を回っていく。だが、まずそんな場所が少ない街であった。
定期的に頭の上のシュテルが探査を走らせているが、目立った反応はない。歩き回るほどに、普通の街だという印象が補強されていくだけ。
何もおかしい物は無い。
何かおかしい人も居ない。
「……街の方はたぶん歩き回っても無駄だ。山の方に行こう」
「何か気になることが?」
「あったっていうか、居ない。ここまで――」
紫苑が開きかけた口を止める。シュテルは一瞬怪訝に思うも、直ぐにその理由を察して追求をしなかった。
今の紫苑は、なのはやユーノの眼には『頭の上にぬいぐるみ(ゆ)を載せた小学生男子』に映る。だがそれ以外の人間には『ただの小学生男子』にしか映らない。
キキッと短く鳴るブレーキ音。寂れた廃屋へ視線を向けて『一人で立っている紫苑』の横に、自転車が停まった。
「君、どうかしたかい?」
「はい、俺ですか?」
まるで声をかけられて初めて気が付いた、という風で。
紫苑は声をかけてきた
「こんな何もない所で一人で立っているものだから、気になってね。見慣れない顔だけど、もしかして迷ったのかな?」
「いえ、大丈夫です。
見慣れなくて当然と思われる情報を混ぜる。
子供が言ってもおかしくない理由を使う。
今後の行動の目処が立っていると伝える。
それらを詰まらず、どもらず、自然に話す。
「そうかあ。最近の子には退屈な所かもしれないね。送っていかなくて大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です。帰り道はわかりますから」
「じゃあ気を付けて帰るんだよ、何もない街だけど、最近は少しだけ物騒だからね」
「はい。ありがとうございます。お仕事頑張ってください」
変に食いついて聞き返さない。僅かでも異変があると判ればそれでいい。最後は本当の本音の激励を足して。手を振って、走り去っていく警察官を見送った。
「――実体があるから油断してたけど俺ずっと独り言喋ってた事になるんだな。街中では俺の方からだけでも念話にしといた方がよさそうだ」
「前々から思っていたのですが。貴方は思いの外、口が回りますね。正直意外でした」
シュテルは黒騎士との戦闘を経て、紫宮紫苑の行動原理の特異性について認識を改めている。だがそれ以外では、本人が常々口にする通りに『まっとう』という認識のままである。
そんな常日頃を知っているからか、平気な顔で『嘘』を扱う事に意外性を覚えるのだ。
先程や、先日のジュエルシード探索組への説明の時も。自分の都合の良いように組み替えた内容を、さも事実のように気取られること無く話してみせる。
「んーと………………俺って境遇が境遇だから、何でもそのまま話すと
辛そうに語る『大丈夫』は逆の効果を生むのを、紫苑は理解していた。普通の顔で語る『大丈夫』は、『天涯孤独』という前提が付くと信じてもらえないのを実感している。
相手を陥れる、苦しめるといった方面の目的だったら上手くないし、なりたくなくもない。
でも関わった相手に
意図的に磨いた、という話ではなく。
やっていたら身に付いてしまったという話。
(………………あれ?)
話してから気が付いた――話す必要があったのかという事に。そもそも、まさにこういう時に話を
なのにどうして、あるがまま、全部話してしまったのだろう。
「なるほど。納得がいきました。付け焼き刃でなく、持ち札の一つでしたか」
「あんまり褒められたものじゃないけどね」
「私としては助かりますよ。下手な言い訳で余計な手間や時間を取られてはたまったものではありませんので」
シュテルは淡々と、紫苑の『技能』を肯定する。そこに気使いや思いやりは一切含まれない。単純な利害に基づいた判断だ。
マテリアルであるシュテルに行為の発端、過程、善悪などはどうでもよいのだ。要は自身の行動に都合がいいかどうか。その点で紫苑の行動はシュテルの望むべきものであったため、文句が出てくる訳もない。
一方で。悪印象を持たれたらどうしようと心配していた紫苑は、安堵する。
誤魔化さずに話してしまった時は失敗したと思った。でも結果として、偽らないままあるがままを感情論抜きで受け入れてもらえた事になる。話してしまったことはきっと正解だっ、
「いやしかし良いことを聞きました。今後の交渉の際には存分にその口車を回してもらうとしましょう」
「ちょっと」
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足りない。
足りない。
足りない。
もっと多くの■がいる。
だからもっとたくさん■らねばならない
ただでさえ
より多くを取らねばならない。
自然の中に、不自然なまでに同化している。
息を殺し、身を潜め、じっと機を待っている。
動かないのは肉体のみで、肥大化した思考は忙しく動き回っている。
そう、考えている。考えることが出来る。この生物はすでに多くを学習している。本能のままに貪ることをしない。後々の事まで思考を伸ばした行動を選べる。
更に幾つかの経験を潜り抜けたことで、
――『獲物』が狩場に迷い込む。
テリトリーに侵入された事に反応し、音もなく身を起こして移動する。
まずは観察。歩き方等の挙動を始めとした一挙手一投足から、相手の『種類』を推測する。
あれは『普通』の生き物だ。
ごくごく稀に混じっている『特別』ではない。
つまり――生物に対抗する術を持たないという事だ。
街中ならば、時間帯もあって別の判断をしたかもしれない。それでもそろそろ限界だった。自身はともかく■■■の飢えが限界に来ている。
ならば、まずは眼下の個体から。
「待ってたよ」
完全な不意打ちのはずだった。
眼球の可動範囲外のはずだった。
葉の一枚だって揺らしていなかった。
だというのに獲物は当然のように狩人に向き直り――――
狩られる側から、
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ざっくり一言で表すのなら、それが最も相応しい。
鱗に覆われた身体、大人の男よりも一回り高い背丈。細長い四肢の先端に鋭く尖った爪を持っている。
絶対に現代日本では自然発生しないであろう生物だが、それは確かに存在しているのだ。なにせ樹上より今まさに降ってくる真っ最中である。
音、気配――様々な痕跡を可能な限り消して行われた奇襲だった。テリトリーであるがゆえに、この周囲では臭いも紛れている。
けれども紫苑の察知は、相手の初動とほぼ同じ。襲撃者の位置はすでに死角ではなく真正面。戦闘準備も――
「
整った。
色彩の変化を伴う内側の性質変化と、武装の構成を一括で完了。
発射された炎弾が飛翔、着弾、炸裂。炎が鱗を吹き飛ばして肉を焼く。間髪入れずに次弾――外れ。すでにその場には何も居なかった。
羽根を持たないリザードマンは、伸ばした尾で枝を叩いての方向転換をしてのける。自動で追った炎弾は周囲の木々に阻まれて、幹の表面を焼き削るのみ。
巨体は炎弾から逃れながら、木の陰にするりと潜り込む。その場に留まっているはずもないが、移動しているような音は聞こえない。木々も風に揺られるばかりで、さっきの怪物なんて居ないかのように、周囲は酷く静まり返っている。
【………………気配が薄い。探査魔法に引っかからない訳です。いやまず、紫苑。貴方は何故あれが居ると気付けたのです?】
「街の端々になんか獣っぽい臭いがしてたから」
【は?】
「あとここに来るまで――いやここに来てからでも、人間以外の
【そういえば、見ていませんか】
「野良犬や野良猫が居ない街なら珍しいけどおかしくない。でも野鳥一匹居ないのは何かおかしい。極めつけに、ここまで
【はあ。なるほど……なるほど?】
どの方向にも銃口を向けられるよう構えながら、紫苑はその場に留まっている。だが周囲はしんと静まり返り。何かが襲ってくる兆候どころか、生き物の気配すら無かった。
とっくに逃げてしまったと判断してもいいような状況。
けれども紫苑は
――あの怪物は、相手を選んでいる。
あれがただの怪物なら、動物から先に食い尽くされるなんて事態には絶対にならない。ならば意図的に人間以外のみを襲っていた事になる。
もし好き放題に人も食い散らかしていたら、あっという間に怪物の存在は知れ渡っただろう。そして人間は即座に出現した外敵の排除に乗り出す。そうなれば怪物は何をするにも追われ続ける。狙われ続ける。それは人間が居なくなるまで続く。
だが存在を気付かれなければ――それはすべて、発生しない。
噂話程度の超常存在を、人間は信じない。
無論隠れ住むにも限界はあるだろう。その後の事まで怪物が考えていたかまでは、判らない。だが現時点で『隠れ住む』という選択をしているのは確か。
ならばこのまま紫苑を逃すはずがない。逃した紫苑が仲間を呼ぶ、怪物の存在を周知させる――そこに思い至るだけの
【とにかく戦闘開始です。戦い方は教えたとおりに。油断はしないよう】
「わかってる。ちゃんと倒すよ」
あの怪物は人間を
でなければ、出てこなかったはずなのだ。
いくら紫苑が『一人迷い込んだ子供』を装っても。本当に人間を襲わないのなら、姿を見せるはずがない。だが出てきた。躊躇なく、狩りに来た。それは
がさり、と草が揺れた。野生動物が恐らく全滅しているであろうこの周囲において、音を出せるほどの大型の生命体は二つ。紫苑が動いていないのだから、答えは一つ。
紫苑が振り向いた瞬間に。正確には振り向こうと体を動かし始めた瞬間に。
「ヴォルカニック――――」
紫苑は振り向く動作を止めない。
足の先で炎が灯った。ごう、と噴射によって身体の回転が急加速する。炎は一瞬だけ羽の形に、けれどもそこで止まらず覆うように膨れ上がり。
「シュートッ!!」
背後を正面に戻すついで、放った蹴りがリザードマンをぶっ叩く。
炎が爆ぜて、打撃と同時に焼き焦がす。
吹き飛んだ巨体は今度は単純に宙を舞い、幹をぶち折って停止した。
立ち上がる前に追撃。ルシフェリオンの銃口を向け――装填、
立ち上がるよりも早くうねった長い尾が、炎弾を叩き落とそうと繰り出される。
だが直進しか出来ない分、貫通力を優先した炎弾は叩き落されない。進路を阻む尾を貫いて直進する。小気味よい音と共にリザードマンの身体に幾つか穴が空いた。
痛みからくる悲鳴か、それとも怒りか。
リザードマンの絶叫が、周囲をびりびりと震わせる。紫苑は特に気にしないでそのまま撃った。化物にはもう大分慣れているのだ。
今度は回避を選んだリザードマンが、その場から飛び退いた。ただの跳躍、けれども巨体が飛翔のごとき勢い。
リザードマンは着地と同時にまた更に吠えて、そして、
めきめきばきばき音を立てて、その身体が盛り上がっていく。
身体のあちこちから角のような突起が生え、四肢先端の爪は長さと太さが倍ほどに。
極めつけは体の中央、胴体の真ん中の肉を押しのけるように現れた、光を放つ
戦闘準備を終えた獣が跳ぶ。宝石と同じ、青い光をその目に宿らせて。
その疾走は先程までのように、森に溶け込む巧みなものではない。だが単純にただただ、速く。鋭く。暴力的だった。
引き金を引くよりも爪が届くほうが速い。銃身に振り下ろされた爪を、魔力盾で受け止める。
【魔法……いやもっと単純な、魔力を宿した強化程度ですか。使ってくるのは想定外ですが、性能は想定内なので問題ないでしょう】
人も獣も残った方の腕を敵めがけて突き出す。
人の腕どころか胴に匹敵しかねない太さの爪。迎え撃つ腕はそれに比べて余りにも細い。丸太と小枝ほどの差がある。しかし細いながらも幾重にも炎を巻きつけている。衝突と同時に爆発した拳は巨大な爪による必殺を容易く相殺する。
今度は脚。紫苑は蹴り合いを避け、僅かに退く。伸び切ったリザードマンの脚を踏んで跳躍。頭上を飛び越す最中にルシフェリオンが炎弾を放つ。身を捩って躱される。
追うように跳んだリザードマンが、紫苑の身体を引き裂かんと四肢を振るう。一呼吸の間に数十と放たれる四肢、爪、牙、尾。
ルシフェリオンが宙へと放られた。
弾き飛ばされたのではなく、紫苑が自ら手放した。
足先に灯った炎が輝きを増しながら羽ばたいて――加速、前へ。
渦のように繰り出される攻撃の中に、紫苑は自分から飛び込んだ。掠めた爪が髪やジャケットの端を刻む。だがそれだけ。身体に届く軌道の爪は左右の炎拳で叩き落とし、逸らし、弾き飛ばす。
肉薄、そして――
「パイロシューター」
銃口ではなく紫苑の周囲に無数の炎弾が発生する。生じた傍から炎弾は宙にあるリザードマンの身体目掛けて殺到する。
炎弾の一発一発は、表面の鱗や肉を焼く程度。だが無数の炎弾が一発当たる事に、リザードマンの身体が
足場になりうる木よりも、ずっと高い位置。四肢を伸ばそうとも尾を伸ばそうとも、何にも届かない。だからもう――動けない。
――砲撃形態《ブラストバレル》》
放られて、宙を舞っていたルシフェリオンが重々しい音を伴って拳銃から小銃へ。重力に引かれたデバイスが紫苑の手の中に落ちてくるのと、変形の完了は同時だった。
銃口が空を向く。炎弾に炙られて、空中に磔になったリザードマンへと。
照準は更にその中心――輝く宝石へ。
「ブラストファイアッ!!」
ごう、と火柱が立った。
ほんの一瞬。しかし盛る炎はこれまでの炎弾の比ではない。
申し訳程度に翳された爪を腕ごと焼滅させ、周囲を鎧う肉を焼滅させ、その中核たるジュエルシードを撃ち抜いた。
身体に穴を開けたリザードマンが落ちていく。すれ違うように紫苑は飛び上がり、宙に取り残されたジュエルシードを掴み取った。
「封印」
「お見事です」
ぽんっとやたら軽い音と共に、引っ込んでいたシュテルが実体化する。すっかりお馴染みのシュテゆモード。そのまま浮遊して、紫苑の頭の上に陣取った。
飛べばいいのではないだろうか。
「強かったね」
「ええ。ジュエルシード絡みでは確実に最強でしょう」
確かに強かった。
決して弱くはなかった。
けれども紫苑もシュテルも、
だからこの程度の相手には引けを取らないし、取っていられない。
「ただ、強かったのもあるけど……なんていうか、
「ジュエルシードを内燃機関として上手く使っていた、と。そう考えれば魔力運用めいた動作をしていたのも納得ですが。通常の生物にそんな芸当が出来るとは思えません】
「多分だけど、魔法の才能があったんじゃないかな。宿主になった生き物が」
「無い…………とも言い切れません、か?」
「もしくは、時間経過で自然に馴染んだのかもしれない。どちらにせよ、身体がもうジュエルシードありきな構造に完全に変わってるんだと思う。だから
「なるほど。それは確かに、あるかもしれません」
視線の先では、胸に穴を開けたリザードマンが転がっている――そう、
これまではジュエルシードを封印すれば、取り憑かれた生き物に戻っていた。この姿が元の姿ということは絶対にない。ここは現代日本だ。その巨体が魔法の力によって得た物なのは確か。
だが要のジュエルシードを引き抜かれたにも関わらず、元に戻る気配がない。つまりはこの異形の姿こそが自然な状態に、
「何にせよ、ジュエルシードは回収しました。これ以上用はありません」
頭の上のシュテルが、手綱を引くようにくいくいと紫苑の髪を引っ張る。
同時、ノーモーション、無音、跳ね起きたリザードマン、前のめりに跳躍、飛びかかる、襲いかかる、狙いは弱い方、頭の上の小さなマテリアル、到達まで瞬き一つもかからな、
「させる訳ないだろうが」
それよりも、更に早く。
先程無数に放たれた後に、消えずに
力の源を抜かれたからか。先程までは弾けていた攻撃に、鱗も肉もあっさりと屈した。リザードマンの腕は炎弾の直撃であっさりと千切れ飛ぶ。衝撃で吹き飛ぶように転がり回る――が、即座に体勢を立て直し、その場から猛然と逃げ出した。
「…………あの状態でまだ息があったとは」
「うん。あそこまで動けるとは思わなかった。シューターを残しといて良かったな」
「生きているの自体は解っていたと?」
「生きてるかどうかは見れば何となく判るじゃないか」
「は?」
紫苑も駆け出した。数秒遅れだが、先程までに比べてリザードマンの速度は遅い。すでにただの生き物に成り下がったからだ。移動の痕跡も音も気配も、何もかも隠せていない。
「追うのですか? このまま放っておいても、長くは保たないと思いますが」
「ジュエルシードは確かに封印した。でもこの周囲がまだ何か
街に向かっていたら、地形を変えてでも最大威力の砲撃で一気に消し飛ばすつもりだった。人の多い方向に行くのなら、それはきっと『食べて補う』ためだろうから。
だが怪物だった生き物はそうしなかった。
既に生き物を食い尽くしたであろう森の奥へと向かっている。独特な気配を未だ残す周囲に合わせて、それがどうにも引っかかる。
本気を出せば今直ぐに追いつける。だが紫苑はそうしない。逆に速度を犠牲にしてでも、潜むように駆ける。
察知能力も落ちているのか、それともすでに紫苑を気にする余裕がなかったのか。だんだんと速度を落としながらも生物はそのまま進み続ける。紫苑も追い続ける。
数分ほど移動した後に。
生物が足を止めた。
潜む理由が無くなったと判断して、急加速。からの跳躍。
手頃な枝を全力で踏み抜いて、更に高く跳躍。意図的に空けていた距離を一気に詰める。鬱蒼と茂る木々を邪魔な箇所だけ焼き払いながら――
「………………………………ああ、そういう、事か」
既に立って歩く力が残っていないのか。四足を地に付けた、怪物だった生き物がそこに居る。紫苑が接近したのに、振り返るどころかぴくりとも動かない。
怪物の目と鼻の先に――
球とはとても呼べない、ぼこぼことした歪な物体だった。
てっぺんの辺りに開いた穴が、催促するかのように蠢いている。定期的に脈打って震える、肉の塊のようなものが無数に並んでいる。
それは、きっと
隠れ住んでいたのも。
人間以外を狩り尽くしたのも。
敵わないと悟っても紫苑から逃げなかったのも。
全部、子を生かすためだったのだろう。
この生物は怪物だったけど――親でもあった。
歪で、異形で、自然の摂理から外れた生命の群れなのは間違いがなくとも。
「……………………………………」
母体の怪物はジュエルシードを取り込む事で、あり得ない生命として成立していた。だがこの卵にはそれが無い。歪な生命を支えて維持するために、一番必要な物が最初から欠けている。だから卵の段階で、こんなにも
卵に穴が開いているのは――『口』だ。足りない何もかもを、外からの供給で補うための。今日まで形を保っていられた理由。
でもそれも今日で途絶えた。
無理な生命を支える外的要因はもう残っていない。
このまま放置しておいても、孵ること無く朽ちる可能性の方がずっと高い。
だが、そうならなかったらどうなる?
万が一
歪な生命を埋めるために、直ぐ側に居る同族を貪るかもしれない。もしくは他の生命を喰らいに行く
根本的に歪んだ生命だから、きっと強くもないし長くも保たない。それでも生命である以上、一秒でも長く生きるために動き続けるのは間違いがない。
紫苑にはそれが判る。
ここで紫苑が見逃せば可能性が残る事も、判る。
他の誰かが、よりまっとうに生きている誰かが被害を被る可能性が、一欠片でも残る。
――独りの紫宮紫苑は、きっと
それでも、だからこそ、逃げることは許されない。誰かがやらねばならない事なのだ。やりたくないから、嫌だから、資格が無いからと、逃げることは紫苑自身が許さない。
「どうします?」
「殺す」
炎弾が無数に出現する。
直接卵に向かって飛ぶのではなく、怪物だった生物を含めて円形にぐるりと取り囲むように配置。高速で周回を始める。炎弾が瞬く間に連なって燃え上がり、巨大な炎の渦と化す。
環境の変化を、命の危機を感じ取ったのか、僅かに震えるだけだった卵が一層激しく蠢き出した。それどころか、ばぢゅばぢゅと音を立てて
でも手足のなり損ないで這おうとも、四方は炎の壁である。辿り着いた傍から、辿り着く前から為す術もなく焼滅していく。一部の個体は手足でなく頭部と思しき場所だけ生やし、傍にあった死体に――親だった生物に食いついた。その間にも炎は容赦なく燃え広がり、補った傍から焼滅させていく。極端に成長の早い個体は、災禍の原因たる紫苑を排除せんと向かって来た。が、辿り着く前に燃え尽きた。
使っている術式はそこまで複雑ではない。ただし可能な限り魔力を込めている。全身の装飾が赤く光るどころか、炎を噴き出して、まるで紫苑自身が燃え上がって見えるほどに。
リンカーコアが悲鳴を上げていた。
火力はかつて黒騎士に叩き込んだ全力に匹敵するどころか、更に上回る。生じた負担を無視して、苦痛を封じ込めて、もっと強く、熱く。
確かに生きていた全ての生命を、細胞一片残さず焼き尽くす。
ここまで歪んでしまったら、もう地にも還せない。
災厄と呼ぶべき勢いの炎は、魔法のように綺麗さっぱり消えている。
円形の黒焦げの跡と、僅かに積もった塵芥だけが残っている。
「ふむ。魔力の炎熱変換をかなり扱えるようになりましたね。この分ならば、もう少し複雑な術式も扱いこなせるでしょう」
襲いかかってきた時点で、あの生物をシュテルは『敵』に分類している。
故に相手にいかなる事情があろうと、その一切を砕いて進むことに躊躇はない。無論その中には、直接の脅威ではない卵も含まれている。
この世界の文化には、魔法が浸透していないからだ。
半端とはいえ魔力に汚染された案件を処理出来る機関がない。技術がない。放置しておいて万が一に事態が悪化した場合、再度魔法を扱える人間が出向かねばならなくなる。
故に。跡形もなく焼き払うのは『理』に適っていると判断している。ならば
ただ、
「…………」
「紫苑? どうかしましたか?」
すでに火は消え、事態は収束した。
だというのに紫苑は、動くこと無くその場に佇んでいる。深刻なダメージを負っているはずもないし、魔力だってまだ十分に残っている。しかし、動かない。
怪訝に思ったシュテルが、小首を傾げて尻尾を揺らす。考えていても埒が明かないので、顔の見える位置に移動しようかと思った辺りで。
紫苑が突然、自分で自分の両頬をぱちん! と叩く。
いきなりの音にびっくりしたシュテルは、耳と尻尾の毛を逆立てながら硬直した。飛び上がる直前で固まったせいで、頭の上から転げ落ち――る前に。慌てて紫苑がキャッチ。
「うわわ、っと。どうしたのシュテル」
「…………………………それはこちらのセリフですが、何なのですさっきから」
「あっ怖いごめんなさい」
ジト目で睨めつけられて、たじろいだ紫苑はそそくさとシュテルを
「それで、どうしたのです。何か問題でも起こりましたか」
「どうかはしてる。でも大丈夫、進めるよ」
「では行きましょう」
「うん。行こう」
理由はいくつもある。御託はいくらでもある。
けれども結局は自身の都合のために一方的に奪った事に代わりはない。
だからこそ、歩き出すのだ。
止まっていたら、それこそ奪った事が無駄になる。
他の生命を押し退けてでも生きる
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コンビニに入ってレジに行くまでの僅か数分間の出来事である。会話の中に巧妙にあんまんを捻じ込み続けるという理論的ゴリ押しに紫苑は容易く屈した。
そこまでは良いのだ。良くない気もするが、今はおいておく。ご所望のあんまんを渡してから、シュテルが一言も発していない。怪訝に思って呼びかけても返事がない。
「な、」
突いても反応がないのはいよいよおかしい。
なのでもう、頭の上から降ろして見る事にした。
口にあんまんがすっぽり嵌まって目を回しているシュテゆ・ザ・キャットがそこに居た。
「なんで一口でいけると思っちゃったの!?」
思わず出た絶叫に返事はない。
虚空に向かって叫ぶ紫苑の姿に、周囲から奇異の視線が向けられるのみである。全力ダッシュでその場から離れつつ、シュテルの口からあんまんを引っこ抜く。
取れない。地味にジャストフィットしている。四苦八苦しつつ何とか半分ほど取れたというか千切れた辺りで、シュテルの耳(猫の方)が規則正しく振動を始めた。
念話の着信である。
「ああっこんな時にとりあえず炎着っ!」
路地裏に飛び込みながら変化して、シュテルの代わりに念話に出る。手元では質量が半分に減ったからか、復活したシュテルが猛然と咀嚼を開始し、
「あひゅい…………」
餡が熱かったらしく涙目になっている。
とはいえ、もう大丈夫だろうと判断して念話の方に専念することにする。元々念話を飛ばしてくる時点で相手はユーノかなのはの二択。
今回はユーノの方だった。予定にない連絡という事は、またジュエルシードが湧いたとかそんなのであろう。
「え?」
「む」
が、話の内容は予期せぬ方向に展開する。いやジュエルシード自体は湧いていたのだが、続きがあった。その内容が完全に予期せぬ物だったから、紫苑だけでなくシュテルも反応する。そして、二人同時に聞き返した。
「「…………魔法少女が、増えた?」」
歪んだ生命にやたら縁のある紫ボーイ。
本当は二話分の予定だったんですけど、切りどころが上手く出来なくて溶接しました。
次はもうちょっと短い予定なので、その分もう少し早く組み上げたいところです。