マテリアル・シンカロン   作:始原菌

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 暗い夜道を、小さな影が駆けている。

 一匹のフェレットに見えるそれは、一人のユーノ・スクライア。

 

 そばになのはの姿は無い。ユーノが一人で向かう先は、協力関係にある魔導師(仮)の紫宮紫苑の家だ。会う約束をしていた訳ではないし、緊急の要件がある訳でもない。

 とはいえ向かう理由が一切無いわけもなく。ジュエルシードの騒動が収まった辺りで紫苑が姿を消している事に気付いたからだった。一言も無くいつの間にか居なくなっている上に、念話や電話も一切通じない。

 何か変だと考えるには十分である。

 ただ紫苑が向かう先や起こった事に心当たりなどある訳もなく。まずはユーノが紫宮家に様子を見に行く。時刻がすでに夜であるため、なのはの方は一度家に帰っておかないと不審がられる可能性がある。明確に何か起きているようなら改めて合流する取り決めだった。

 

「紫苑! 紫苑ってば! しっかりして!!」

 

 結果として家まで行く必要は無かった。

 今ではそれなりに通り慣れた林道の途中にて、ユーノは地面に転がる黒い塊――倒れ伏す黒い衣服の人間を見つける。

 

「そんな、一体何が……!」

 

 フェレットの小さな身体では、さほど大きくない紫苑といえども揺さぶったりは出来ない。精々顔をつついたり、身体の上を走り回るくらいである。それらの挙動、加えて降り注ぐユーノの呼びかけにも紫苑は答えない。ただ静かに――

 

「寝てる! 完全に熟睡だ……! 何でこんなところで……!?」

 

 焦燥よりかは困惑を主としたその叫びに、返事はない。

 異常事態なのは確かだが緊急事態とも判断し難く。ならば自分はどうすればいいのかと混乱して、おろおろと周囲を回るユーノ。一方の紫苑は地面にうつ伏せのまま、器用に寝息を立てている。

 

 

 ▲▼▲

 

 音もなく。炎だけを揺らめかせて。

 周囲から一際高いビルの上にシュテルは降りた。

 

 両足の傍らに発現していた飛行魔法(炎の羽)が解けて消える。

 次いで四肢を軽く動かし、駆体に異常が無い事を確かめる。慣らしも兼ねてそれなりの距離を移動してみたが、目立った異常は見られない。

 それでも念入りにチェックをしていく。なにせ急ピッチで組み上げた駆体だ。思わぬ不具合が出ないとも限らない。

 『高町なのは』のデータをベースに造り上げた駆体は、概ねシュテルの想定通りに仕上がっている。ただ少しだけ魔力の回りが悪い。それと魔力の消費は想定通りだが、回復がやや滞っている。万全に使うにはもう少し慣らしが必要、といったところ。

 

「一歩。これでようやく自ら一歩を。随分と時間がかかってしまいました。遅れを取り戻さねば。私が、私しか居ないのだから――」

 

 今のシュテルには身体がある。

 単純な意思のみ表出していただけの時とは訳が違う。大本の感情の震えは、声帯を震わせる指示も微妙に震わせて、発せられた言葉まで伝わってしまう。

 『急いでいる』、『焦っている』――誰が聞いてもわかるほどにわかりやすく。口から出る呟きは揺れていた。今のシュテルは()()()()()から。自身のデータ、記録、そして本来近くに在るべきもの達がごっそりと。

 

 けれども、決して鈍っている訳ではなく。

 

 僅かに上げられた右手の杖が、かちゃりと音を立てる。

 外装の形状こそ高町なのはのレイジングハートそのままだが、中身はシュテル自身の杖――『ルシフェリオン』。

 

「パイロシューター」

 

 そして放つ魔法もまたシュテル自身の術式から紡がれたもの。

 ルシフェリオンのコア部が僅かに明滅。直後に魔力で生成された赤い火球が暗闇と大気を裂いて飛翔。シュテルの死角から迫る『影』に直撃し、小規模な爆発を引き起こす。

 

「ようやく心置きなく目的に専念できると思った矢先に」

 

 声量は大きくない。でも明確に苛立ちと敵意が含ませて。

 ルシフェリオンの穂先を構えて、シュテルは『影』の方に向き直る。

 

「どちら様ですか。貴方のような形状の知り合いを持った覚えはありませんが」

 

 返答は無く、声ではなく音が鳴る。

 がしゃん、がしゃん、と金属が擦れる――足音。それだけでもまともな相手と判断するには十二分。さらに加わり爆煙の向こうに見えるシルエットは『人型』であるが『人間』とは言い難い。

 

 煙を引き裂くように振り払い、『影』が姿を表した。

 

 簡単に例えるのならば、『鎧を着込んだ騎士』である。

 全長は平均的な成人男性よりやや大きいくらい。大人が鎧や大量の装甲を着込んで一回り膨れ上がった辺りのサイズ。つま先から頭頂部まで、全てが金属。他の材質は見当たらない。

 よく見れば本体の人型部分はむしろ細身な印象を受ける。男性的というには細すぎるが、女性的なシルエットかというとそうでもなく。

 人型であるだけで、きっと人ではない。

 胴体と四肢の接続部、腕や脚の一部は、中に人間をしまうには細すぎる。関節の位置や構造からも、内部に肉体を格納することを前提にしていない。

 頭部も口や耳どころか目にあたる部分に穴やスリット等は見受けられない。頭部と兜の中間のような造形の金属の塊が、首の上に乗っているだけである。

 左腕には『剣』を握っている。

 刀身は長くも短くもなく、真っすぐな両刃剣。分厚い刃に美麗という感想を抱く事は絶対になく。破壊力や殺傷力という印象が滲み出るかのような無骨な剣――武器。

 反して右腕には何も握っていなかった。

 何も無いどころか()()()()()。腕そのものは健在だが、表面の装甲が爆発を受けたかのようにひしゃげているのだ。シュテルが攻撃を当てたのは胴体だった。右腕はおそらく最初から破損していたのだろう。

 

 色は、すべてただ黒一色。

 不自然なまでに光を反射しない、濃い黒。

 

(人間ではない。私達のような存在とも違う。ジュエルシード……でもない。とはいえ完全な人工物にしては、何か妙な……)

 

 黒い鎧騎士は一歩、また一歩とシュテルへと確実に近付いてくる。

 先程放ったシューターは直撃したはずだが、鎧に損傷した様子は無い。見た目どおりかそれ以上の防御能力を持っている。

 ならば、

 

「より高い火力で、焼き尽くすのみ――!」

 

 未だ相手から言語他の返答は無いが、既に意思疎通は諦めている。そもそも武器を握って死角から近付いてきた時点で、シュテルはこの黒騎士を『敵』と認識している。

 シュテルの足元を赤い光が走り抜けながら魔法陣を描き、ごう、と炎が渦巻いた。

 応えるように重々しい駆動音を伴って、ルシフェリオンが姿を変える。先端部が杖のような形(ヒートヘッド)から、槍のような形(ブラストヘッド)へ。

 変形した穂先を覆うように発生する数個の環状魔法陣。術式に流された魔力は加速増幅され、より熱く、より強大な炎へと練り上げられる。

 

「ブラストファイヤーッ!」

 

 魔力を束ねて撃ち出す、砲撃魔法と呼ばれる術式。炎熱変換が加わるシュテルの砲撃は、より攻撃力に特化する。解き放たれた炎の渦が一直線に黒騎士へと向かう。炎弾ではとても収まらない規模、炎の噴流。

 黒騎士は今度も避けなかった。ただ受けもしなかった。左腕の黒い剣でもって炎の渦を切り裂くように振り払う。

 

「どうせなら、戦闘機能の慣らしとさせていただきましょう」

 

 シュテルに攻撃を防がれたことによる動揺は無い。『防いだ』のならば、相手は攻撃を受けることを嫌がったという事。通じる可能性は十分にあるという事だ。

 次弾術式装填。パイロシューター。シュテルの周囲に、意のままに操作可能な炎弾が8つ生成される。

 今度は先に黒騎士が動いた。一瞬だけ身体を沈ませ――その金属の体を弾かせるように駆け出す。疾走しつつ左腕の剣を翳し、シュテルへ斬りかかる。

 打って変わって明確な攻撃態勢。先程の砲撃で黒騎士もシュテルを脅威と認識したのか、それとも別の理由があるのか。

 

「パイロシューター」

 

 シュテルにとって理由など、どうでもよいのだ。

 眼前の相手がどう動くにしろ、何を思うにしろ関係がない。視界に入り続ける限り、邪魔者である限り――倒して進むという決定に変わりはない。

 複数の炎弾が黒騎士目掛けて直進する。黒騎士は迎撃しない。振り下ろした剣がシュテルに届く位置への移動を優先する。あの炎弾では装甲が抜かれないことを知っているためか。

 

「通らないのは、()()()()だけですよ」

 

 炎弾が直撃する寸前で、下に落ちる。爆裂した炎弾が地面を吹き飛ばす、黒騎士が今まさに脚を下ろす地点をえぐり取る。急な地形の変化のため、一瞬だけ黒騎士の勢いが緩み、巨体がぐらりと傾く。

 追撃。残りの炎弾が剣を握る左腕の指へと殺到する。着弾、爆発する炎弾。黒騎士の傾きに合わせた攻撃は、武器を弾き飛ばすのと、体勢を崩すためのもの。

 が、足りない。関節を的確に狙い撃ったにも関わらず、黒い腕は黒い剣を手放さず。黒い巨体は逆に勢いをつけて倒れ込み、一瞬だけ中で横回転した後に万全の体勢で着地。

 シュテルもすでに、動いている。

 場所は屋上でなく空中。足元に発生させた炎の羽根で夜空へと飛び上がっていた。構えたルシフェリオンは環状魔法陣を伴い、次の砲撃準備が整っている事を告げている。

 

「ディザスター」

 

 即座に黒騎士が跳び上がって追撃に移る。バガッ、と踏み込みの余波で砕かれた地面は、驚くことに屋上全体に亀裂を走らせる。得た勢いは尋常なものでなく、常人ならな目で追うのも難しい高速。

 

「ヒート!!」

 

 炎の渦が黒騎士に迫る。跳躍しつつ振るわれた剣が炎を切り裂き――きる前に、()()()()()が到達した。振り切った直後の狙い撃ち。黒騎士は腕を無理やり引き戻して返す刃で二発目を切り払――()()()

 今度こそ防ぎきれず、炎の渦が黒い鎧を飲み込んだ。爆炎が咲き、爆音が響き、爆煙が広がっていく。シュテルは中心地点に更に砲撃を放つ。爆煙を突き破って現れた黒騎士は砲撃を掻い潜り夜空を()()する。

 驚かない。動揺もしない。事前に出しておいたパイロシューターを進路上に飛ばす。シューターで牽制しつつ砲撃を差し込んでいき、距離を詰めさせないように立ち回る。

 黒い鎧には砲撃の直撃によって鎧に焦げや黒煙が見て取れる。が、その程度だ。動きに衰えはない。相当に頑強であるらしい。

 

(飛行魔法は使っている……射撃魔法を使う様子はない。完全に近接型と判断するにはやや早計ですか)

 

 均衡している。

 シュテルの攻撃は黒騎士の装甲を抜けない。黒騎士の剣はシュテルを捉えられない。

 あの装甲を抜ける攻撃をシュテルは撃てる。だが足を止めて準備が必要だ。黒騎士の攻撃は近接戦闘のみだが、単純なそれに専念しているためか隙がない。

 

(…………あまり、よくない)

 

 このままでは埒が明かない。

 更に、気にかかることが発生している。

 戦闘によって短時間で魔力を大量消費したからこそ気付いたトラブル。

 

 魔力の回復が、明らかに悪い。

 

 悪いどころか、()()のだ。消費が供給を上回っているのではなく、供給そのものが止まっている。リンカーコアに何かしらのトラブルが発生している可能性がある。

 今直ぐに空になるほど魔力に余裕が無いわけではないし、ジュエルシードという緊急の補給の目処もある。だがシュテルは今後長期で単独活動が必要になる。このトラブルは致命的だ。一刻も早く原因を調べ、可能ならば修復せねばならない。

 

「どうしたものですかね……!」

 

 意図せず漏れた呟きは、無意識での苛立ちを明確に反映したものだった。

 これ以上戦闘で魔力を消費すれば、利がないどころか明確に害になる。だが黒騎士はいかなる理由かシュテルを執拗に狙って攻撃を続けてくる。逃がすくらいなら最初から襲いかかっては来ないだろう。

 即座に浮かんだ選択肢は幾つかある。

 

(ここで、無理をしてでも倒しきるか)

 

 今後の憂いを断つという意味でも、シュテル自身の気質としてもこれが最も相応しい選択肢だ。だが問題も多い。相手の戦力が未だ不透明だ。シュテルにとってのジュエルシードのような切り札を相手が持っていないとも限らない。

 

(離脱に専念するか)

 

 ただシュテルの魔導は相手を倒す事に特化している。

 誤魔化しや隠匿の助けになる魔法は得手不得手以前に覚えがない。こちらも確実とは言い難く、手間取れば無駄に魔力を消費する。

 

(もしくは――)

 

 シュテルが移動すれば、恐らくこの黒騎士は追いかけてくる。そのまま移動して()()()どうなるか。考えるまでもない。生活圏内に出現したシュテルと黒騎士に気付いて魔導師が――タカマチ・ナノハが出てくる。

 タカマチ・ナノハの魔導は戦力になる。それは今使っている駆体が証明している。

 単独では上手く魔導を扱えない紫宮紫苑の方は論外だ。それにシュテルの駆体の生成に使用した魔力は全部紫苑から引っ張った。数日まともに動けないだろう。

 最も消費が少なく、確実な選択肢は。

 タカマチ・ナノハにこの黒騎士の相手を押し付けて、シュテル自身は離脱する方法だ。

 それは間違いない。

 ないが。

 

「それは、できない。信用が、できない、されない」

 

 シュテルの意図を察して、黒騎士共々シュテルの敵に回る可能性がある。タイミングも悪い。シュテルの側から関係を切った直後だ。紫宮紫苑の状態が知られていれば、有無を言わさず攻撃されるかもしれない。

 

 ――『マテリアル(シュテル)』を助ける事は『人間』に何の利ももたらさない。

 

 本来の『シュテル』なら、もっと柔軟な発想が出来たのかもしれない。単純にちょっと手を貸してくれませんか後で適当に返しますので、くらい言えたのかもしれない。

 けれどもここに居るシュテルは、欠けている。自身のデータも、記録も、そして何より共に在る仲間と切り離されて、たった独りに追い詰められたシュテルだ。

 

「出来る限り、いいえ。やらねばならない。一人でも、一人だからこそ、私が――!」

 

 攻防の合間を縫って、ねじ込むように砲撃を叩き込む。生じた僅かな空白。これまで次の牽制の用意や予備動作に回していた時間で、飛行魔法に回す魔力を引き上げた。

 両足の炎の羽根が一際大きく広がって、力強く羽撃いた。

 急加速――海鳴市とは反対側に。

 追ってこなければそれでよし。撃ってくるのならばそれを含めて戦術を組み直す。振り切れないなら切り札を使ってでも倒し切る。

 瞬く間に流れていく風景の中で、いつでもどこにでも向けられるようにルシフェリオンを構えて、シュテルは飛ぶ。

 黒騎士は予想通りに飛び去っていくシュテルを追ってきた。

 それまでと違い、一気に距離を離されたことで黒騎士の思考ルーチンに変化が生じる。理由は不明なれど、黒騎士はシュテルを狙っている。そのシュテルが速度を上げて離れていくのなら――黒騎士の側も()()()()()()

 

 

 

【Reading of the Material.】

 

 

 

 ()()()()()()()()黒騎士が、シュテルの直ぐ横を飛んでいた。

 

「――――ッ、」

 

 追い抜いた黒騎士が、シュテルの前に回り込む。

 振り上げた剣に。その身体に。移動の痕跡のように空に残る軌跡に。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「まさか、それは、()()()――――ッ!」

 

 上から下へ。動作としてはただの振り下ろし。剣技ではない基本動作。けれども込められた破壊力は落雷そのもの。

 動揺と混乱に支配された思考で、避けられる速度ではない。瞬間に魔力盾を出せただけでも十二分に優秀であろう。だが優秀では足りない。最適と最硬を用意できなかったのならば、最速に砕かれるのは必然なのだ。

 ほんの僅かな拮抗で赤い魔力盾は粉砕され、翳したルシフェリオンが発する軋みを聞きながら。シュテルは眼下の地面へと叩きつけられた。オリジナルと同じように結ばれていた髪の左側がリボンごと千切れ飛ぶ。

 

「ぁ、がっ――ぐ、ぅ……!」

 

 二度バウンドした時点で、足元の羽根が輝きを増して宙を舞う身体の制御を試みる。緩やかにもう数度転がってから、ようやくシュテルの身体が停止した。

 落雷の如きは剣戟だけでなく、本体の移動速度もであった。

 顔を上げたシュテルの視界が黒く染まる。他に何も見えないほどの近くに、既に黒騎士が迫っている。突き。身体が軋むのも構わず見を捻る。右側を通り過ぎた剣が髪の房を切り落としただけで空を切る。

 

「パイロシューターッ!」

 

 文字のとおりに四方八方から迫る炎弾。

 切り落とされる、撃ち落とされる。何倍にも引き上がった斬撃速度による迎撃は、全ての炎弾を一瞬で叩き落としたと錯覚するほど。

 逃走はもう選ばない。シュテルにとってこの黒騎士は逃げる相手から、()()()()()相手に変わっている。

 

「ディザスター……ヒ――トッ!!」

 

 一発目。高速移動によりかわされる、更にシュテルの背後に黒騎士が回る。読んでいた。くるりと砲身を回し、振り返らぬまま二発目。赤炎の砲撃が至近距離で青雷に切り裂かれて、消失。シュテルの脚で炎の羽根が爆発するかのように燃え上がる。得た加速のままに高速の回し蹴り。身体のサイズから想像もできない破壊力を持つ炎槌。

 

「か」

 

 轟音とともに直撃した蹴りは、ほんの僅かに黒騎士を傾かせる。三発目、崩した体勢に撃ち込む本命の砲撃。けれどもぎりぎりで翳された剣が雷を迸らせ、炎を相殺する。

 炎と雷が衝突し相殺して晴れるまでの一瞬、用意したのは炎弾(パイロシューター)でも砲撃(ブラストファイアー)でもない。

 

「え」

 

 打ち出されるは拳。ルシフェリオンを握らない左手に炎を灯し、拳自体を弾丸と化す。魔力を大量に込めて破壊力を高めた、決死の一撃――ヴォルカニックブロー。

 

「せえええぇぇぇッ!!」

 

 翳されたままの剣をくぐり、胴体へとねじ込むように。直撃すれば装甲を砕く威力の炎拳が――届いていない。黒騎士もまた空いた右手を持ち出して、炎弾と化したシュテルの腕を掴み取る。

 シュテルは砲撃型の魔導師だ。

 だが特に砲撃に長けているのであって、近接戦闘が不得手という訳ではない。近距離でも敵を打倒するのに十分な戦闘能力がある。当然腕を掴まれた程度では決め手にならないし、この距離この状況からの逆転は十二分に可能である。

 ただしそれは。

 今回だけは、この相手だけには当てはまらない。

 

「――え、ぁ」

 

 掴まれた腕が、()()()

 組まれていた駆体が、分解されている。

 

 実体化が維持できない、ただのデータに戻っていく。

 

 消えていく。

 

 

 

 

 

 

 ▲▼▲

 

 

「………………行かないと」

「うわぁっ」

 

 紫苑が何の前触れもなく突然起き上がったせいで、乗っていたユーノが転げ落ちる。とはいえ紫苑の動きは緩慢かつ上体を起こしただけ。高さも勢いもないから大事には至らない。

 

「目が覚めたんだね、良かっ、……?」

 

 ユーノはまだなのはに連絡を取っていない。紫苑がただ『寝ている』と思っていたから。異常事態ではあるが緊急事態ではないと判断していたから。

 間違いだった。

 うつ伏せだから、顔が見えなかったから勘違いした。

 紫苑の顔色は蒼白だった。悪い以外に例えようがない色だ。

 

 上体だけ起こしたのではなく。

 飛び起きて立ち上がる力が残っていなかった。

 

「よいしょっと」

「ちょ、ちょっと待って紫苑! 一体何があったんだ!」

 

 傍らのユーノの声に紫苑は答えない。ゆっくりと立ち上がって――ふらついた。倒れないまでも、立っているだけでぎりぎり。ぐーぱーと手を動かす。動くだけで、そこに力がほとんど込められない。

 

 身体能力が、かなり下がった状態で固定されている。

 

 なんとなくだが、わかる。それがわかるなら十分。下がっているのなら、引き上げてやればいい。これまでと違い、今の紫苑は方法を知っている。

 

「フィジカルエクステンド」

 

 ふらつきが消えた。確かめるように動かした四肢は普段通りの運動能力を発揮している。

 今の紫苑の動作だけ見たのなら、誰も弱っているなど気づかない。ただし一層悪化した顔色を見れば、弱っていると誰もが気付く。

 

「強化して強化前の普段どおりくらいか。動けるけど()()()()、これじゃ()()()()()()()()()()――」

「ちょ、無理しちゃだめだよ、動かない方がいい!」

 

 紫苑に何が起きたか、どういう状態であるかをユーノは詳しくは知らない。けれども酷い状態なのは見ていれば嫌でもわかる。ユーノの判断に間違いはなく、正しく妥当な制止である。

 止めるのは、ユーノにとっての必然。

 でも紫苑にとっての必然は、そうではなかったというだけ。

 

「ごめんユーノ。ちょっと急いでる。戻ってこれたらあとで説明するけど、()()()()()()()()()……まあ、気にしないで!」

 

 一度だけユーノに向き直って。でも言うだけ言って、返答は待たなかった。

 直ぐに身を翻して、目的の方向へと身体を向ける。

 

「フィジカルエクステンド()()()()ッ!!」

 

 足りないのなら、足りるまで足せばいい。一度の強化で元に戻るのならば、もう一度強化すれば元を上回るのは必然だ。重ねがけは、不思議と『できる』という確信があった。

 走り出す、という当たり前の動作。けれども込められた力が通常とは比較にならない。蹴った地面が吹き飛んで、余波として突風を巻き起こす。至近距離に居たユーノが吹き飛ばされるわ土を被るわで地味に散々である。

 

 風の如くよりも早く、風を置いていくつもりで走る。

 

 身体能力は引き上がっている。が、術式を重ねているせいか細かい制御が普段より効かない。枝や木を総て避けることは諦めて、小さい障害物は強化した身体で吹き飛ばして進む。

 

(だめだ、まだ、まだ遅い……!)

 

 今この瞬間も。動く(生きる)ために必要な()()が、目減りしている事を自覚している。紫苑の体はろくに動けないんじゃなくて、ろくに()()()()()()に設定が変わっている。

 何となくだけど、判る。解る。何故と言われても、わかるのだから仕方がない。

 元々これは()()()()()。自他共に()()に関しては何故か最初から知覚できていた。ただ昔から朧気ながらも『知っていた』感覚は、魔法を知ってからどんどん鮮明になっているけども。

 減っている。無くなっていない。

 残っているなら、無くなるまで――使()()()

 

「フィジ、カル、エクステンド――――もう、一回…………ッ!!」

 

 森を抜ける辺りで、強く、深く踏み込んで、そして跳ぶ。

 巨大な槌で地面を叩いたかの如き陥没、轟音。そして紫苑の体は更に更に爆発的かつ致命的な加速をする。風景は何が映っているか判別不可能になるほどの勢いで過ぎていく。

 ごうごうというのは風の音か耳鳴りか。身体全部がぎしぎしと軋みを上げている。明確な無茶に対して発生した反動が、当たり前のように身体を叩く。

 今まで生きてきた中で一番の痛みで、一番の辛さだった。でも今まで生きてきた中で一番急いでいて、一番必死だったから、そのまま走り続ける。

 

 僅かにしか残っていないのだから、使えば直ぐに無くなるのもわかってる。

 使い切ってしまえば()()()()のかも、何となくだけどわかってた。

 

 過ぎ去っていく街の景色はよく見えない。その中に混じっている、無数の明かりが朧気ながらも判別できる。そこに誰かが生きている証。紫苑と違って、()()()()な人たち――家族のいる人たち。

 

 ――紫宮紫苑には家族が居ない。

 

 本来あるべきものが、欠けている。

 食べるのに困っていない、身体も健康そのもので、暮らしに不自由もない。家族がいなければ生きていけない訳ではない。それに家族の居ない人間が、居る人間より何かが劣っているなんて事は決してない。

 それはただの事実だし、理解もしている。

 理屈ではそうだと、わかって、いる。

 けれども。それでも。街で見知らぬどこかの家庭を見るたびに、話し声を聞くたびに、誰も居ない家に帰るたびに、どうしても、どうしようもない気持ちになる。

 

 紫苑は自分のことを、無価値とまでは思っていない。

 ただ、他の無数のありふれた人たちより――価値が一つ下がるとは、思っている。

 

 だから、誰かの頼みを断らない。他の誰かの役に立った時、劣った自分が肯定されたと思えるから。すでに何かを頼まれた後なら断るのは、自分の限界を知っているからではない。万が一にも『果たせなかった』時が怖くて仕方ないから。

 できないお前に価値は無いと言われたことはないけど。

 できなくても価値があると、言ってもらったこともない。

 

 中でも『約束』は更に上位に分類されている。

 

 昔何かあったとか、その単語に因縁があるなんてことはなく。ただ子供心に単語に特別な響きを感じているというだけの話であるのだが。でもだからこそ、重いのだ。

 劣等感から始まった話なのだから、重要なのは実際そうであるかでなく、紫苑がどう感じるかになるのだし。

 他の人より一段劣っていると思っている。

 そこに『約束も守れない』というマイナスが加わる事が耐えられない。許容できない。だってそうしたら、あまり見出だせていない自身の価値が、今度こそ消えてしまうような気がするから。

 

 もう少し前だったら、ここまで思考が凝り固まっていなかったかもしれない。

 もう少し後だったら成長や出会いに助けられて改善されていたかもしれない。

 

 でもそれは『もしも』の話。

 今の紫苑は約束のために命を懸けられる思考回路のもとに、動いている。

 だから、こうして()()ながら走っている。

 

 生きている限りは、絶対に止まらない。

 

 

 

 ▲▼▲

 

 

 あれだけ燃え盛っていた炎は、すっかり鎮まっている。

 ルシフェリオンのコア部が力なく明滅し、やがて光を失った。

 

(まずい、まずい、迂闊だった、いけない、これはまずい、早く、早く離れないと、これは――ッ!!)

 

 シュテルはこの黒騎士を知らないが、黒騎士はマテリアルを()()()()()。何故どうしてを考えるのは後でいい。重要なのは、マテリアルの制御方法のような対抗策を、相手が持っているという事――!

 込められるだけの全力と、自爆覚悟の最大火力で。例え掴まれた腕を引き千切ってでも離脱を測る――意思とは裏腹に、力の抜けた駆体が自重を支えきれずに膝をついた。

 完全に解けているのはまだ腕だけ、けれども全体の輪郭がぼんやりと薄くなっている。すでに魔法を使うだけの余力が残っていなかった。

 

(…………………………消え、る?)

 

 崩壊が、思った以上に早い。外部から駆体の維持を放棄するようコマンドを打ち込まれている。残ったリソースを総て注いで、ぎりぎり維持だけが出来る。維持以外は何も出来ない。

 ただでさえ回復しない魔力が、維持に削られてどんどん減っている。

 完全な状態ならば、マテリアルは駆体が消えた程度では消滅しない。

 だが今のシュテルはシステムから切り離されてしまっている不完全で不安定な状態だ。消滅した後に再起動がかかる保証は一切ない。

 まずバックアップを残す場所をなくしている。

 再起動をかけてくれる、かけ方を知っている仲間も――なくしている。

 

(消える、消えてしまう、こんなところで、まだ私は何も、誰も、私が――消えてしまっては……)

 

 黒騎士が掴んでいたシュテルの腕を離す。駆体が音もなく地面に落ちる。まるで重さが消えてしまったかのよう。

 

誰か(レ■ィ)

 

 見逃されたのではない。物理的な接触の必要無くなったから離されただけだ。だから駆体の崩壊も止まらない。このまま消滅――するのだろうか。

 

誰か(デ■■■■■)

 

 消えるだけで、済むのか。

 思い出すまでもない、さっきの戦闘。黒い剣から奔っていたのは何だった。その内側に何が――()()()()()を、察せないシュテルではない。

 

誰か(■■■)

 

 助けを呼べない。呼ぶ声が出ない。誰にも手を伸ばせない。崩れかかった身体がすでに稼働しない。もうすでに、ほとんど()()()()()かけている。

 

(だれか、たすけて)

 

 残った欠片みたいな力で辛うじて顔と目が少しだけ動かして。視界に入るのは翳された黒い腕の形をした鎧。

 何も握っていなかった右腕が、手を開く。

 まるで、改めて本来の装備を握り直すように、だんだんと閉じられていく。

 その光景すらも、霞んでいき、消えていき、そして

 

――みー

 

【Capture】

 

――つー

 

【of the】

 

――けー

 

【Mater「たああああああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 衝突である。

 爆発ではない。そう錯覚するほどの爆音と衝撃波が発生したが、そうではないのだ。

 だいぶ硬い金属の塊に、無理やり恐ろしく硬くした肉体がおかしい速度で衝突しただけである。

 目の前にそびえ立っていた脅威が。黒騎士が、すっごい速さで横方向にスライドしていった光景が異様すぎてシュテルは単純に驚愕した。

 駆体が消えかかっていなかったらビクゥってなっていただろうし、心臓が嫌な跳ね方をしていたのは必死である。驚き切るだけの機能が損なわれていたのは不幸中の幸いだろうか。何か違う気がする。

 

「ぜー……ぜ、ひゅ――ぜひゅー……ま、うぇっふ……まにあっ、げぇっほッ!」

 

 黒を押しのけて現れた色もまた黒い。

 黒騎士よりは見慣れた黒の防護服。シュテルの魔導を失ったため、装飾部分は白く、瞳は黒い。髪も黒に――少し見ない間にそこに白が混じっている。

 

「シ、オン……?」

 

 出なかった声が、出るようになっている。黒騎士の介入が今度は停止したのか、駆体の崩壊が止まっていた。それでもここまでの維持に魔力を使いすぎている。大半の機能を閉じなければ直ぐに消滅するだろう。

 

「なぜ、ここに」

「何でって……っぇっほげふ……()()……助け、……ごめ、ちょっタイム……もうちょっうぇ゛ぇ……息整えさせ……」

「やく、そく……助ける……? 本気で言っているのですか……?」

 

 信じられない物を見る目のシュテルに、紫苑は返事をしなかった。

 代わりに大きく深い呼吸を繰り返す。きちんと答えるために一旦息を整える。あと酸素が足りなさすぎて返事する前に倒れそうだった。

 

「それだけ? たったそれだけで、そんな()()()でここまできたと!?」

「いいや。それだけでもたぶん、俺はここに来たけど。でもね、それだけじゃない、ないんだよシュテル」

 

 酷使した足が痛い。繋がっている胴が痛い。肺が痛い。何故胃も痛いんだ。心臓のペースが明らかに狂っている。頭痛がする。目眩がする。耳鳴りもする。汗びっしょりなのに、寒気が酷くて震えている。指先の感覚がまったくなくて、そこに指があることをうまく認識できない。

 死に体という文字のとおり、言葉のとおりに。

 このままいけば死ぬのだなと、今の紫苑はぼんやりと理解している。

 ()()はそうだ。でも心はまだ生きている。

 

「あの日、俺は君に命を救われたから」

 

 ――命を救われるという、最大級の恩を受けた。

 

 あの日。紫苑が普通でないと気が付かされたあの日。

 怪物から子供を助けた時に、抱いていたのは正義感でも何でもない。死ぬなら独り身の紫苑の方が損失が少ないと思っただけ。()()()()()()()()()()()()

 街へ行かせないよう怪物の前に立った時に、抱いていたのは勇気でもなんでもない。他の大多数よりも価値の劣る自分に、『逃げる』という選択肢が許されていないと思っただけ。()()()()()()()()()()()()

 自身の価値に、誰よりも紫苑自身が自信を持てていない。

 そんな紫苑の命を、シュテルは()()()くれたのだ。

 打算だったのかもしれない。ただ他に選ぶ道がなかったと言うだけなのかもしれない。でもそれは感謝しない理由にはならない。だって、事実として紫苑の命は救われている。

 その相手に、()()()()()()と頼まれた。

 

 ――ならばそれに報いるためにすべき事は、決まっているのだ。

 

 生まれて初めて無茶をして、身体というものはこんなにも脆かったのだと思い知る。

 生まれて初めて必死になって、心というものはこんなにも底がないのだと思い知る。

 

「私はマテリアルです、人間ではありませんよ」

「それは約束を守らなくていい理由にはならない」

 

「……私は、貴方を騙しているかもしれませんよ」

「命を救われたことは変わらない」

 

「…………来たせいで、今度こそ死ぬかもしれませんよ」

「君に返せないままになったら、どのみち申し訳なくて生きてられない」

 

 この場に来たら死ぬのかもしれない。

 けれど来なくても、紫宮紫苑は死ぬのだ。

 物理的ではない、精神的に。生きるために必要な心が死ぬ。もっと根本的な部分が死ぬ。ただでさえ見出だせていない価値が本当に消えてしまう。出来損ないですらいられなくなってしまう。のうのうと生きている事を、他の誰でもない紫苑自身が許せなくなる。

 

「だから、来るよ。どんな時にも、どんな場所へも」

 

 

 ――シュテル・ザ・デストラクターはマテリアルである。

 

 シュテルはおおよそ人間がどういうものかという知識がある。けれどもシュテル自身は人間ではない。自身とは違う存在を完全に理解しているかと問われれば、首を横に振る。

 推測自体が間違っていた訳ではない。ただ当てはめる前提が異なっていた。人間にとっての一般論としては無難な物だったが、目の前の『個体』には相応しくない。

 シュテルの中で『前提』が改められる。

 

(この人間は、たかだか口約束のためだけに――死すらいとわない、と)

 

 本気で言っている。本気でやっている。

 嘘をついてるようには見えないし、嘘を用いてまで行う理由がない。

 人体に理解の疎いシュテルが見ても解るほどに消耗している。無茶をしている。行動の果てに利を得るのはマテリアルのシュテルの方だけだというのに。それこそが利だと、言っている。

 口で言われただけなら、信じられなかったかもしれないが。

 すでに行動で大部分が証明されている――理に適っている。

 改められた前提を当てはめ直して、シュテルの思考が稼働する。

 そうして、弾き出されたのは。

 

(信じて、いい……?)

 

 ほとんど動かないシュテルの身体を抱え上げて、紫苑が跳躍する。一瞬遅れて振り下ろされた剣が地面を割った。

 雷撃の奔りのような追撃が来る。次いで振るわれた横薙ぎを黒銀の剣が迎え撃つ。一瞬の拮抗の後に紫苑側が吹き飛ばされる。受けきれないと判断して自ら退いたのだ。

 接触しているから、一撃どころか一挙手一投足で、紫苑の身体の内側が軋みを上げているのだと判った。長くは保たないのだなとも、わかった。

 

「シノミヤ・シオン」

 

 一撃受ける度に、状況が悪くなっている。

 想定以上に強化された身体能力だけで、ぎりぎり食らいついている。この強化が途切れた瞬間に互いに消える事になるだろう。()()()()、では。

 

「相手はマテリアルを()()()います。あの雷撃がその証。だから私は取り返したい。取り返さねばならない。逃げることは許されない。戦わなければならない。それに何より()()()()。けれどもこの身は動かない」

「返すよ、恩を」

 

 まともな人間なら到底受け入れがたい事を今から言おうとしている。普段のシュテルなら提案を持ちかける事自体を無駄と判断する内容の事を。

 

「貴方がすでに余力を残していない事を承知した上で、逃走を選択した方が互いの生存率が高いということを承知した上で、言います。その死に体で、私のために、」

「守るよ、約束を」

 

 人間とマテリアルは造りが違う。一度死ねば死ぬ生き物と、ただの消滅では消失しない存在。二つの前提は本来ならば噛み合わない。

 けれども。それでも。この相手にはもしかしたらと思ったから、言う、願う、頼る。

 『死んでくれ』とほぼ同じ意味の提案を、すがるように投げかける。

 

「本当に、本当に――戦って(たすけて)、くれますか」

「助けるよ、君を――命をかけて」

 

 ごお、と剣が振るわれる。雷を纏った斬撃、ではなく。雷そのものが放出された。咄嗟に眼前に突き立てたアーキアが紫苑に向かう雷撃を引き付ける。だが周囲一面を走り抜ける雷撃総てを防げるはずもなく。地形が雷撃に縦横無尽に蹂躙されていく。

 巻き上がる土煙や破片が視界を塞ぐ。けれども黒騎士に眼球はない。その程度では目標を見失わない。当然のように追撃のために走り出す、左手に握る剣から雷が奔る。

 突き立てられたままのアーキアを通り過ぎ、武器を失ったであろう紫苑へ、シュテルへ迫る。試したら紙も切れなかったペーパーナイフ以下の金属の板でも一応は武器である。いくら強化していても、生身の腕では黒騎士の雷剣を防ぐには心許ないのは確か。

 

「貴方に()()預けます。今度は総てを――!」

 

 ()()はその場で迎え撃つのではなく、打って出た。

 未だ晴れぬ土煙が、尋常でない威力と速度の跳躍に伴って無理やり散らされる。

 確かに、武器は失った。

 けれども、()()()()()ものがある。

 

「炎ッ!」

 

【Reading of the Material.】

 

「着ッ!!」

 

 今度は真なる、完全版。

 激突からの爆発。水色の雷を纏った斬撃を、赤い炎を着けた拳が真正面から弾き飛ばした。白髪交じりの黒髪に、色素の薄まった黒瞳はもうどこにもない。抱えたシュテルと同じ色の茶髪に蒼い瞳に変化している。身体にも白はどこにもない。装飾部分は総て赤色――吹き出し、燃え盛るは紅蓮の炎!

 

「う――おおおおおあああああああッ!!」

 

 ヴォルカニックブロー(ジャブ)ブラストファイア(右ストレート)ブラストファイア(右ストレート)ブラストファイア(右ストレート)ブラストファイア(右ストレート)!!

 爆発からの爆発、更に爆発。炎熱が周囲を覆い、収まりきらぬ内に次弾の砲撃。拳に乗せた砲撃を続けざまに打ち出した可能な限りの連続攻撃。

 『総て』という言葉に偽りはなく。読み込んだのは魔力変換資質等の基礎部分だけではない。シュテルの保有する戦闘術式、戦闘方法――その総て。不完全だった魔力運用は完全な形で解放されている。

 

(でもこっちの最終目的はマテリアルの奪還だ。普通に倒していいの?)

【構いません。むしろ可能な限り破壊して下さい。最低でも右腕と剣だけは確実に。恐らくあの剣が()()()なのです】

 

 肉声でもなく、念話でもない。節約のために一切の消費の無いやり取りを示し合わせることもなく、互いに自然に選ぶ。慣れ親しんだ、やり取り。

 

【とはいえ配分を考えてください! 本当に保ちませんよ!?】

(速さで負けてる。攻めに回したら逆転される! 無茶でも畳み掛けて短期決戦に持ち込むしかない!)

【いいえ。あれなら――】

 

 紫苑の言い分は事実。残りの燃料が僅かなのは事実なのだ。稼働が安定している内に勝負をつけなければならない。

 けれどもそれを許してくれる相手でもなかった。これまでの砲撃は黒騎士の動きこそ止めて防戦一方に持ち込めてはいる。だがそれだけ。黒騎士が剣でなく、身体全体から青雷を噴き出し――消えた。

 

【右後方、振り下ろし!】

「――――ふッ!!」

 

 回し蹴り。死角からの斬撃を受け止め――着火、加速、爆発。炎が雷を食い破るように飛び散って、鎧の巨体を押し返す。

 

【速度にしろ、威力にしろ。本来の使い手ならばこんなものではないのです。使いこなせていない。この程度なら読み切れる】

 

 紫苑はマテリアルの炎を使っている。

 黒騎士はマテリアルの雷を使っている。

 ここまでの条件は同じ。

 けれどもそこから先が違う。紫苑は炎を最も知り尽くした心と一緒に戦っている。黒騎士は雷を最も知り尽くした心と一緒に戦っていない。

 シュテル()■■■()を知っている。だから動きや術式が予測できる。それを伝えてもらえるから、紫苑は一手先を取れる。だから速さは問題にならない。

 黒騎士はそれが出来ない。力を()()()()()()使えない。

 赤い炎と青い雷が幾度となくぶつかり合い、喰らい付き合う。互いの身体から噴き出る炎と雷が、夜の闇の中に幾筋もの光を描く。

 

(それでも互角だ。こっちがどっちも弱ってるのもあるけど、基本的なスペックでは向こうのほうが上なんだな。ここから更に強化は――できなくもない。でも次こそ本当に動けなくなる。使う事に躊躇いはない。でも使い所を間違えたら詰む。もう一手こちらに流れを引き寄せる要素を足したい――シュテル)

【はい】

(全部使っていいんだよね)

【もちろんです】

 

 即答の承諾を受けて、紫苑の中で枷が外れた。無意識下にかけていたブレーキが、また一つ外れる。元々知っていたが、使わなかったから気付かなかった『機能』が目を覚ます。

 

【Reproduction......】

 

 身体能力のこれ以上の強化は本当に最後の一手。戦闘技能の瞬間的な向上は無理な話。ならば後は、使える魔法の質を引き上げるしか無い。

 近接攻撃用の術式を剣に乗せて使っている黒騎士と違い、紫苑が拳で『砲撃』をしている。射撃という形式に沿っていない。砲身がないから、収束と威力に無駄が出ている。練度上げればこのままで使えるのかもしれないが、今はそんな時間はない。

 

(今の俺にはシュテルと()()()()が出来る。だったら使えるはずなんだ、俺も()()()はずなんだ。見たときと同じことをすれば――)

 

 無数のパイロシューターが飛翔する。本命の砲撃への伏線と読んだか、面で放たれたパイロシューターを黒騎士は避けずに叩き落としながら向かってくる。

 その、無駄な動作が欲しかった。

 瞬間の間が欲しかった。

 

【Completed】

 

 必要なのは付け焼き刃。

 紫苑の未熟さを補ってくれる――代わりに適切な砲身となってくれる外部装置。紫苑は見たから知っている。シュテルの魔導に最もあった(砲身)がどういう形をしているのか、知っている。そして中身もさっき渡してもらった。

 握った拳を開く。

 その中で炎が灯る。最初は点だったそれは一瞬で燃え広がる。炎の中で、何かが形を成していく。渡されたデータの通りに生成されて、燃え出づる。

 

「バーンアップ――――()()()()()()()ッ!!」

 

 炎の中から、杖が出る。

 シュテル・ザ・デストラクターの魔導に寄り添うのに最も相応しい(デバイス)が。

 

【ルシフェリオン!? 私の――ではない、もう一本()()()のですか!? 貴方の魔導は本当にどういう――!?】

(あ、ちょっといじるね)

【えっ】

 

 ガガガガッと音を伴ってルシフェリオンが変形する。先端部分はブラストヘッドへの変形とほぼ同じ。取り回しやすいように柄は一気に縮む。そこから柄の形状が更に握りやすいように微調整されていく。

 『シュテルのルシフェリオン』から、シュテルの魔導を得た紫苑が扱いやすい――『紫苑のルシフェリオン』に変わっていく。

 

【えっえっ何ですかこれ怖い】

 

 データの改造という行為より、紫苑がここまでデータを弄れる能力があったという事実がシュテルの精神に大ダメージを与えている。

 紫苑はその気になりさえすれば、シュテルそのものを()()()()()勢いで弄くれたことになるからだ。

 紫苑が文字通り約束に死ぬほどこだわる性質だったから事無きを得た、だけで。

 盛大に紫苑を乗り捨てた(つもりだった)あの時に。思いっきりぶっ叩かれて消滅していた未来もあったのだ。というか普通ならそうなっていた。焦っていたとはいえ蜘蛛の糸の上を命綱無しで全力疾走していたようなものである。

 ちなみにこれでまた一つ『命がけ』の証明がシュテルの中でカウントされていたりもした。

 

(シュテル、次で決めよう)

【はい】

 

 伊達に理のマテリアルを名乗っていない。一瞬でシュテルは意識を整え直した。

 突っ込んでくる黒騎士に、紫苑達も突撃する。雷を纏った剣が振り下ろされる。合わせて紫苑の右腕に収まったルシフェリオンが炎を灯し、迎え――()()()()

 

「フィジカル――――エクステンドォォォォォッ!!」

 

 斬撃を、右腕だけで抱え込むように受け止める。ルシフェリオンでは受けない。貯めた魔力と回した術式に万一の事があっては困るから。

 身体能力の強化を防御能力に一点集中させて、身体そのものを盾とする。無理に無理を重ねた事で、内臓が、筋肉が、骨格が、血液までもが絶叫を激痛に変えて発する。

 肩口に剣がめり込む。肉と骨がすり潰されて、ごちゃりと音がした。奔る雷が紫苑の身体を駆け巡りながら焼き焦がす。

 

 でも、そこで止まる。斬撃が、何も切らないまま停止する。

 

 もう一撃喰らえば、きっと今度こそ紫苑は死ぬ。邪魔者が居なくなったから、シュテルも黒騎士の手に落ちるだろう。

 でもそれは、次があればの話で。

 

【待っていましたよ、この時を――!】

 

 ()()()()()のは紫苑だけでなく、シュテルもだ。合流した直後から、シュテルのリンカーコアは思い出したように魔力の生産を始めていた。駆体の機能の大部分をカットし、消費を極限に抑え、ただの荷物に成り下がっていた。

 

()()()()()

 

 黒騎士の四肢を赤い光輪が縛り付ける。

 ただの拘束魔法だ。けれども可能な限り力を込め、念入りに構成した、とっておき。数秒は確実に解けない拘束具。

 総てはこの魔法を通すため。

 超高速で動き回る黒騎士を『停止』させるため。

 

「全身、全霊、全命――ブラスト――」

 

 紫苑の砕けかけた右腕が、歪な音を立てながらも駆動する。激突の前からすでに起動した術式が唸りを上げている。

 可能な限り魔力を込めに込められ、更に増幅され、加速され――炎が猛る。

 振り下ろされたままで固まった剣先に、ルシフェリオンの穂先を密着させて、そして

 

「ファイアアアアアアァァァァァッ!!」

 

 その瞬間だけ、夜が明けた。

 炸裂した炎が雷剣を、握る黒騎士を、紫苑を、抱えられたシュテルを、そして夜の闇さえも飲み込んで膨れ上がっていく。

 

【あ、つい――私が、()()……? これだけの火力を、生身で――!?】

 

 炎を使い、炎を放つシュテルでも無視できない程の高熱が発生している。確かに相手の装甲を考慮すれば威力は高い方がいい。

 だが耐性のあるシュテルの魔導を用いているとは言え、マテリアルでない生身の人間がこの熱に果たして耐えられるのか。

 シュテルは反射的に紫苑を見上げ――拘束魔法の光が見えた。

 紫苑が自分で使ったルベライトだった。吹き飛んでしまわぬように、自身をその場に縛るためのものだった。最期まで、全うするのだと。その姿が告げている。

 

「砕け、散、れええええええええぇぇぇぇ――――――ッ!!」

 

 びしり、と破滅の音がした。

 それを皮切りにびしびしと音が連続していた。紫苑の手にあるルシフェリオンが、魔法の負荷に耐えられずに砕けていく。外装がぼとぼとと焼け落ちていく。内部機構が露出した傍から熱に焼かれて駄目になっていく。それでも魔法は止まらない。炎は燃える。くべられた命に相応しい輝きを放つ。

 音は二つだった。

 黒騎士の剣も、また先端から無数のヒビが根本へと伝搬している。

 互いの武器が立てる破砕音は段々その数と勢いを増していき、そして。

 

 ()()()

 

 一瞬の静寂を置いて、爆発。

 黒騎士と紫苑のルベライトも、その瞬間に散った。身体を固定した物が無くなり、黒騎士が吹き飛ぶ。紫苑が吹き飛ぶ。抱えられたままのシュテルも合わせて吹き飛ぶ。

 ()()()()が、その場から吹き飛ばされていく。

 大地を震わす轟音も、夜に溶けて消えていく。

 夜を覆い返さんばかりだった炎も、緩やかながらも鎮まっていく。

 

 ――そうして、総てがおさまった。

 

 

 

 

 

 

 

「逃げ、られた……!」

 

 被さった土砂を払い除けて、何とか起き上がったシュテルが口惜しげに呟いた。相手の武器が砕けるところまでは確認した。それでも本体部分は最後まで健在だった。周囲に残骸は無い、だが襲ってくる気配も無い。逃走したと推測するのが確実だろう。

 解き放たれたマテリアル(■■■)が、どうなったのかも確認できていない。同じようにどこかに吹き飛んで逃げおおせたのか、それともまた回収されてしまったのか、わからずじまい。

 

「進んだとも戻ったとも言い難い、けど、これ以上は、もう」

 

 敵が居ないという認識が、シュテルの身体に最後に残っていた意思の力を奪う。脱力に引き摺られるようにその場に座り込む。心底無念なのも確かだが、切り抜けられた事への安堵もあったからだ。

 

 がしゃり。

 

 後ろで音がする。足音だった。振り向いた先で――紫苑が、未だ立っていた。

 一歩、進む。また一歩。すでに目に光がない。意識があるか怪しい。真っ黒に焼け焦げた右腕に、ルシフェリオンだった残骸がぶら下がっている。

 

「口惜しいですが、今回は、ここまでとしましょう。これ以上の稼働は、お互い次が無くなります。その、貴方は……本当に、よくやってくれました、改めて感謝と先程の一方的な略奪のお詫び、を……?」

 

 語りかけるシュテルの横を、紫苑は通り過ぎて歩いて行く。

 それは黒騎士が吹き飛んだ方向なのだと、シュテルは察した。

 本当の、本当に。死ぬまで、止まらないと、言っているようだった。

 

「もう、いいです。それ以上はもう、――待って下さい、待って!」

 

 ぐちゃりと音がした。

 シュテルが駆け寄って制止するよりも早く、シオンの身体が崩れ落ちた。おおよそまともな倒れ方ではなかった。糸の切れた人形のような、最後の力すらも――失ってしまったような。

 

「シオン?」

 

 返事はない。

 

『シオン?』

 

 返事はない。

 

【シオン?】

 

 返事はない。

 

「そんな、まさか」

 

 返事は、ない。

 誰の声もしない。シュテルの呟きしか、声どころか音がない。

 

 ――でもこれは、シュテルが望んだ結果ではないか。

 

 死にかけている相手を戦いに駆り立てた。最後まで戦えと願った。相手はそれに応えた。ならば健闘を讃えるべきだ。感謝をするべきだ。

 こうならない選択肢などいくらでもあった。選ばなかったのはシュテルだ。信用がしきれないからと、最初に離れた所から間違え続けているのもシュテル自身の判断だ。

 

「そんな、そんな……」

 

 呆然としたまま、辺りを見回す。

 莫大な熱量に焼かれて周囲はすっかり見晴らしが良くなっている。

 

 ――誰もいない。何もない。

 

 独りに、戻ってしまった。

 ようやく信じられると思った相手は、もう動かない。他の誰でもなく、()()()()()()()でそうなった。

 ふらふらと、倒れた相手へ歩み寄る。燃え尽きたようにあちこちが白い、残骸のようになってしまった相手へ歩み寄る。

 シュテルに無事を願う資格も必要もない。解っている。分かっている。判っている。でもいざ独りに戻ると、耐えられない、耐えられなくなっている。一時でも、欠けた部分を埋めてもらった事で。どれだけ今の自己が不安定なのかを、きちんと自覚してしまったから。

 理性で理由を理解していても、

 それ以外の部分が、心細さで潰れてしまいそうだった。

 

「うそ、嘘でしょう。戦ってくれると言ったでしょう。まだ、まだ何も終わっていない、これから先もあるんですよ…………待って、待ってください、私を一人にしないで! シオン! シオン!! ――――()()ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅ……」

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………………寝ている」

 

 

 

 

 

 




お互いに、一番都合がいい(最悪な)時に出会ってしまったというおはなし。



ちなみに今回で好感度ゲージがたまったとかではなく、ゲージそのものが発生してここからたまり出すとかそんな感じです。


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