マテリアル・シンカロン 作:始原菌
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――紫宮紫苑くんは、今日は熱が出たのでお休みです
実際に出かけてわかったのだが、放課後の時間というのは思った以上に短い。初日の探索を終え、家にたどり着いたのは日付が変わってからになってしまった。
次の日、早速ズル休みを行使する。
遠くに行く訳ではない。緊急性がない限り、本格的な遠場は土日に回せばいい。
なので今日は準備だ。
平日の放課後に効率的に動き回るために、足りないものを調達する。
携帯用の水と食料。周辺の地図をいくつか。それと制服で動き回ると目立ちそうなので、着替えも。あとそれらを入れるための邪魔になりすぎないサイズの鞄。
完成した探索用セットは、学校近くのコインロッカーに入れておく。それと遠出に備えて、交通手段や経路の把握と確認。
【何か手慣れていませんか。いえ、こちらとしては滞りがないのは良いのですが】
「前に見た映画がこんな感じでやってたから」
大体終わったのが午前中。午後は候補の一つに出向いて、探索。
今日は二件目は行かずに早めに帰る。もう一件行くとまた深夜になってしまう。すぐ倒れるほど疲れているわけでもないが、始まったばかりで無茶するのも良くはない。明日から本格活動する事にして、今日の残りは休息に回す。
「まーた普通に怪物が居る……」
【私の方は空振りのようです。さっさと排除して戻りましょう】
それでシュテルも納得してくれた。きちんと理詰めした内容なら、ある程度の譲歩はしてくれるようだ。そこら辺、何となくわかってきた紫苑である。
そういうのが無ければ決して譲らない性質なのも――何となく、わかってきた。
「まさか連日で当たりを引くとは思わなかった――っていうか、この辺の心霊スポットはちょっと怪物わきすぎじゃないのか」
【完全に空振るよりは良いことですよ】
「そうなんだけどね! 何かもう多少の怪物出てきても動じなくなってきてる、価値観の変化が複雑っていうか……!」
【はあ。そういうものですか】
シュテルとは心の声的なもので意思疎通が出来る。
とはいえ実際に喋ったほうがやりやすい。しかしこれには、学校や町中では独りで虚空に話しかけている危険な画になるという致命的な欠点がある。
一方、紫宮家は山のそばにぽつんと立っている一軒家だ。必然家に近付けば近づくほど人気が少なくなる。というか人気があった例がない。
なので家の近くでは誰かに聞かれる心配もないだろう。
「…………」
「…………」
その思い込みが致命的だったというか。
見慣れた玄関先で立っている、見慣れない女子とばっちり目が合った。
めちゃくちゃ怪訝そうな瞳が向けられている。それが意味するのはつまり。
「――――ヒェッ」
――聞 か れ た。
滝のように吹き出る冷や汗。生き恥現在進行系。しかも相手は女子。小学生の男子にとっては精神的ダメージが絶大である。
「えっと、お休みだって聞いたからプリント持ってきたんだけど……」
「ア、ハイ、ドウモ」
差し出されたプリントを受け取る。うっかりしていた、休んだ場合はこういう届け物が来るのだった。しかも間の悪いことに時間が学校の下校時刻に重なって、鉢合わせだ。
目の前にいる相手に対し、精神的な距離が著しく開いているのを感じる。確実に引かれている。体調不良でなく精神不良で休んだのだと誤解されかねない。
何とか上手く誤魔化せないかと考えて――気がついた。
「ちょっと待って。何で
「そ、それは、その……ちょっと聞きたい事というか、お願いしたいことがありまして」
目の前に居るのは、見慣れない女子だ。普段親交が無いのだから、自分から願い出ることはありえない。それでもクラスが同じなら、たまたま先生に頼まれたという事もありうる。
けれども『高町なのは』は隣のクラスだ。
ここに居る理由が、無い。
極めつけに、彼女はこう言った。
「昨日かばんに付けてた青い石、もう一回見せてくれないかな?」
「……なんですと?」
怪しい。
おかしい。
昨日はただの石としか見ていなかったし、興味がある様子でもなかった。仮に急に興味が湧いたのだとしても、紫苑が学校に出てきてから頼めばいいだけのはず。わざわざ家に押しかけて来たのは、どう考えてもおかしい。
のだけども。
じゃあどう確かめるか、という話になる。
怪物相手なら初手炎着からの焼却パンチで済む、今日もそうだった。
だが今回相手は同学年の女子である。
とはいえどう説明を始めたものか。
これまでの状況から察するに――『高町なのは』は
大分怖い。
だってただでさえ一人で話している(ように見える)場面を見られているのだ。事情を説明するなら、怪物だの魔導だのちょっとアレなワードがふんだんに混ざってくる訳で。
とりあえず『一発芸:早着替え』とかして反応を見ようか。いやそれはそれで変人だ――なんて考えていたら、救いが己の内より現れた。
【私にいい考えがあります】
(シュテル!)
【まず左腕を上げてください】
(うん)
【左腕はそのまま。右拳を握って、前に出して】
(うん)
紫苑の左手は上げられたままだ。なのはの視線も、突然上がった手に釣られるようにこれまた上へと向いている。その状態で前へ出された右腕は、いわば意識の死角を通っているようなもの。ゆえに気付かれること無く、なのはの胸の中央辺りまでたどり着き、
【
音と閃光を伴って、火花が散る。
開いた手と、なのはの胸の間の辺りで発生した赤いスパークが周囲に迸っている。
「きゃあああああっ!?」
「え、なにこれ。シュテル? シュテルさん!? 何かものすごいバッチバチバチなってますけどシュテルさん!?」
【……………………
「なのは! 離れて!!」
「ちょっと待ってなんかもう一人居ない!?」
ばぁん、と弾けた。
音も光も一際大きく膨れ上がり。周囲に衝撃を伴って散っていく。混乱の極みに叩き落された紫苑が、身体を叩く衝撃波に備えられるわけもなく。
吹き飛ばされるままに宙に放られる。
けれども突然吹っ飛ばされるのには慣れ始めている。
反射的に空中で
「けほっけほっ……びっくりしたぁ」
「なのは、大丈夫――レイジングハートが起動してる!? パスワード無しで!?」
「うん。なんともない、大丈夫だよユーノくん」
「よ、良かった」
相手の方は、そもそも吹き飛んでいなかった。
まず目に入ったのは、衝撃波を防いだと思しき桜色の光の壁。それは直ぐに音もなく消えて――姿があらわれる。
白かった。
学校の制服とデザインが似ているような気がする、けれども確実に違う服。さっきまで着ていなかったはずの服。持っていたはずの鞄が無い。代わりに現れている物がある。
先端に赤い宝玉、周りを覆う金属のパーツから伸びる長い柄――杖だ。
根拠も理由もなく、ただ感覚で。『魔法の杖』という単語を連想した。
【どうやら当たりのようですよ、シオン。彼女は――魔導の使い手です】
「……この確かめ方、もし高町さんが一般人だったら俺が社会的に死んでた気がする」
【そこは私の管轄外ですので】
「ちょっと……いやそんな場合じゃないか」
変わった『高町なのは』に向き直る。
紫苑が動いたのに対し、けれどもなのはは杖をかざすことはなく。たじろぐ――足元になんか居る何だあれ。なんかこうネズミを細長くしたようなのが。というかさっき確実にもう一人分声が聞こえてたんだけど、そっちは何処に行ったのだろう。
手を離したアーキアが音もなく消えていき、合わせて黒い衣服も消えていく。
色々と気になることはあるが。
とに、かく。
今は。
「驚かせて、ごめんなさい! 本当に申し訳ない!!」
合掌か土下座か悩んだ結果。
ならば両方すればよかろうということで。
合掌しながら土下座するという複合全命謝罪――――!
▲▼▲
「高町なのはです」
「ユーノ・スクライアです」
「紫宮紫苑です」
三人(?)同時にぺこりと頭を下げて、改めて自己紹介。
そんな訳で紫宮家の居間に珍しく来客の姿がある。
人間の姿は二人分。テーブルの向こうにちょこんと座っている、隣のクラス女子にしてもう一人の早着替え能力者こと高町なのは。反対側に紫苑。
「…………ネズミが喋るくらいじゃ驚けなくなってるな、もう」
「あの、一応ネズミでなくフェレットです」
「えっ、そうなんですか。どうりで妙に細長いと、いやすいませんそれは大変失礼を……」
「あ、いえいえお気になさらず……」
けれども声は三人分。
何故かと言うと、姿形が『人』ではないから。テーブルの上に行儀よく座しているのは、すげえ流暢に人語を話す
ちなみに意思で言うと四人分あることになるが、
【私から直接の意思伝達は難しいので、二人には適当に説明しておいてください】
地味にハードルが高い。
どう言えと。
「じゅえるしーど」
「はい。それがこの石の名前です」
「チアシードの新種か何か?」
「違いますね」
机の上に並べた青い石は3つ。
鞄につけていた一つ。昨日引っこ抜いてきた一つ。あとさっき引っこ抜いてきた一つ。
それらを前にして、ユーノさん(?)が事情を説明してくれた。
「つまり――ユーノさん? は別の世界の魔法使いで、このジュエルシードを発掘した人。しかるべき施設に運んでる途中に船が事故に遭って、この世界に散らばってしまったのを回収に来た、と」
「はい」
「高町さんの方は、怪我をしたユーノさんをたまたま見つけて。そしたらたまたま魔法? の才能があって。ジュエルシードを探すのを手伝うことにした、と」
「うん。そうなんだ」
「はあ、すごい偶然だねそれは」
「それが全く偶然というわけでもなくて。僕は一か八かで念話で周囲に助けを求めたんです。そうしたらなのはがそれを拾ってくれて、それで」
「ねんわ」
「そうだよ。すごいよね、思っただけで遠くにいてもおはなしできるのって」
「なにそれ便利そうだね」
素直に感想を言ったら、何故だか二人から怪訝そうな視線を向けられた。
「貴方も使えるんじゃあ……あれ、魔導師の方ですよね?」
「俺って魔導士だったの?」
「えっ」
「でも紫宮くんもレイジングハートみたいなの、持ってたよね?」
「
「それです。デバイス――魔導師の杖」
右手に出てきた黒銀の剣を見て、二人共こくこくと頷く。
そういえば何故かアーキアを出すと必ず服も変わる。何故だろうか。
「でばいす」
「あとその服も
「ばりあじゃけっと」
「……あれ? もしかして、知らない……?」
「今はじめて聞いた。そんな名前なんですか、これ」
しんとその場が静まり返る。
三人揃って『?』って顔でしばらく首を傾げ合う。
「えーと。何か認識にずれがあるみたいですけど、俺は数日前まで魔法とか知りもしませんでしたよ」
「そ、そうだったんですか。魔法技術が珍しいこの世界では、デバイスは持ち込まれないかぎり存在しないはずなんです。だからデバイスを持ってる貴方のことを、てっきりこの世界に在住してる魔導師の方かとばかり」
「じゃあ高町さんのそれは――」
「うん。レイジングハートは最初ユーノくんが持ってたんだよ」
「へー」
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ貴方のデバイスは一体誰が!?」
「さあ……」
「すみません、貴方のデバイスをちょっと見せてもらってもいいですか」
「いいですよ」
ごとん、とテーブルの上に剣を置く。
突然目の前に置かれた長大な物体を前に、しばしユーノは困ったように周囲をぐるぐると回る。
「あの、申し訳ないんですけど待機状態に戻してもらってもいいですか? この体でこのサイズの物を調べるのはちょっと大変で」
「待機状態?」
「デバイスの収納状態のことです」
「こんな感じの」
そう言って高町さんが首から下げている赤い宝玉をこちらに見せる。
あれは先程の杖の別の姿、という事らしい。
「なるほど」
剣のアーキアを消す。
そうして身体のあちこちと服のポケットを探す。
「無いみたいですね」
「え?」
「え?」
しんとその場が静まり返る。
三人揃って『?』って顔でしばらく首を傾げ合う。
【……私が接触した時点で、すでに貴方はその剣を所有していましたよ。現れていない時にどうなっているかは――恐らく貴方そのものに
「あ、そうなんだ? 何か昔から持ってたらしい――溶け込んでる? 待ってあんな金属の塊が身体のどっかに入ってるって事? 怖すぎないそれ?」
【物理的ではなく情報的に、でしょう。あの剣は私のような『マテリアル』に近い存在なのかもしれません】
「待機状態のないデバイス? いや、そんなはずは……」
「紫宮くん、さっきから誰かとお話してない? 家の前でもそんな風だったよね?」
ぎくり。
高町さんがこれまでとは別種の怪訝さで、こちらをじっと見つめている。考えるまでもなくシュテルのことだ。結局上手い説明を思いつけていないが、何とか説明してみるしか無い。
「あー、うん。ここらで俺の事情、というかいきさつ話したほうがいいかな」
幸いに、高町さんもユーノさんも良い人そうだ。頭の中に誰かいると言っても、魔法的な方にシフトして精神異常を疑われはしないだろう。
しないだろう。しないでくれ。たのむ。ここまで善良な二人に疑われたらちょっとさすがに立ち直れないかもしれない。
(シュテル、どこまで話していい?)
【お任せします。貴方が知っている事で、知られて困る情報はありませんので】
(あ、はい)
意を決して、口を開く。
「事の発端は3日前に流れ星の直撃を受けたことから始まるんだけど――」
「えっ!?」
「えっ!?」
▲▼▲
――あまり、よくない流れだ。
シュテルにとっても、件の魔導具――『ジュエルシード』の情報はある程度プラスになる。
けれども色々と判りすぎてしまった、という気持ちがあった。
【ずいぶんと
一日を観察に当てたシュテルは紫宮紫苑を『善良な一般人』と判断した。
加えて約束事に対しての許容のハードルが低く、『言い方』や『頼み方』次第で行動のコントロールが可能とも判断した。事実それらは間違っておらず、ここまではほぼシュテルの思い描いた通りに上手く事を運べている。
今のシュテルは自身での行動が一切不可能だ。たとえ短い時間でも、目的のために動かせる駒があるのは随分と足しになる。
だが情報が増えたことで、変化が起きた。
今までは推測でしかなかった『複数存在する』、『危険度が高い』、『回収を急いでいる』が事実と証明されてしまったからだ。
シュテルと違い、仮宿の主である紫宮紫苑にとってこの土地は生活拠点である。この判明した事実から、ジュエルシードの対処への優先順位が上がる事は想像に難くない。
未だ当てのない『マテリアル』や『何か』の捜索は後回し、ジュエルシードの回収が終わってから――それは、十分に理に適っている。
なにせ存在のあやふやなシュテルと二つ返事で契約するような相手だ。情報体のシュテルの頼みを断れない人間が、『同じ人間』から危険を伝えられて無視できるとは思えない。
【さて、どうしたものですか】
(――シュテル、シュテルってば。おーい)
【何か】
「集めたジュエルシードはユーノさんに返そうと思うんだけど、いいかな」
【構いませんよ。すでに言いましたが、私の目的には不要な物です】
(わかった。ありがとう)
【必要のない礼は不要ですよ。こちらもすでに言っているはずです】
(な、なんか機嫌悪くない……?)
【気のせいでしょう】
思った通りに異世界から来た魔法使い――ユーノに対して、紫苑は協力的である。
このまま進めばシュテルにとって不利益な方向に進むだろう。最悪の場合を考慮して、少々無理な選択肢を実行に移すことも視野に入れておかねばならない。
そのために必要なピースは手に入れている、
「じゃあ、どうぞ」
「いいんですか!?」
「良いも何も、持ち主に返せるならそれが一番だよ。俺が持っててもキーホルダーくらいにしかならないし」
「あ、ありがとうございます!!」
「それと、俺もジュエルシード探します。というかどの道拾っていくつもりだったし。届ける先が出来てちょうど良かったというか」
【…………】
どうしたものかと、思考する。
全く手が無いわけではないが、リスクも大きい。具体的にはシュテルの魔導を貸さねばよいのだ。紫苑の戦闘能力はシュテルよりもたらされた『炎』に大きく依存している。
だが脅したところで、拒絶されればそれまで。加えて万が一シュテルの助力なしで危険に飛び込み、紫苑が生命活動の停止に追い込まれたとする。その場合は中のシュテルが無事で済む保証もない。
「でもごめんなさい! 今の最優先はシュテルとの約束なんだ! だから、何かあった時は手伝えない! 本当にごめんなさい! だけど、これは譲れない!」
その瞬間だけ。
思考を忘れなかったと言えば嘘になる。
【良かったのですか?】
時間が遅くなったので話の続きはまた後日。
そう言って解散し、高町なのはとユーノ・スクライアが去った直後にシュテルは問うた。
およそ自分にとって最上の事の運び方をした。
なのにわざわざ確認するような事をした理由は――わからなかったから。
紫苑が自分の予測とかけ離れた結論を出した事が。それと、都合が良いはずの結論に対してシュテル自身が僅かながらも動揺した事が。
それらの困惑や疑惑が混ざり合った結果として。
思わず、問うてしまったのだ。
「え、なにが?」
【具体的な当てのない私の要件よりも、ユーノ・スクライアへの助力を優先すべきだったのでは?】
「そうだね、そうかもしれない。そうなんだとも、思った。でも俺は――約束を守るよ。君を助ける。他の全部はそれからだ」
【はあ。そういうものですか】
「そういうものなんだよ、
判断を改める。
シュテルの思った以上に、紫苑は『約束』に対して律儀だ。けれどもあくまでそういう傾向があるだけだろう。絶対の保証にはなりえない。それは考えれば解る、当然の結論だ。
シュテルは『マテリアル』だ。
紫宮紫苑は『人間』だ。
共に在っても、別々の二であって決して一ではない。
それどころか二つでもないし、二人でもない。
一つと一人だ。
形態が違う。
生態が違う。
目的が違う。
何もかもが違う。
信用はしないのでなく、できない。
信頼はしないのでなく、できない。
わかりあえないのでなく、できない。
【駆体の構築率――――67%』
推測ではない。予想でもない。事実として、何時か必ず――破綻する。
「あれ? え、シュテル今喋らなかった?」
【まさか。気のせいでしょう】
そのための準備が。
今この瞬間にも進んでいるのだから。
フルボイス化の予感