黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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黒魔女はもうちょっと教えたい。

 

「うーん……?」

 

 二回目の講座が終え、小さな机が壁に沿って並ぶ司書室の一番奥で。ミーシャはふくれっ面になりながら、ぷらぷらと足をばたつかせていた。

 頬杖をつく手には赤ペンが握られており、少し機嫌の悪そうな目線の先には、採点が終わった十数枚のテスト用紙が机の上に広がっている。割とバツの多いテスト用紙を眺めながら、ミーシャははあ、とため息を一つこぼした。

 

「ミーシャちゃん、どう?」

「全然ダメね」

 

 後ろから覗き込むようにして問いかけるアイリスに、ミーシャは口を尖らせる。

 

「出来てる子はいるにはいるんだけど……思ったより出来てないわ。どうしてなのかしら」

 

 いつもよりも真剣な表情になりながら、ミーシャが呟く。今一度問題を確認するも、その内容はミーシャにとっては基本中の基本ばかり。黒魔女にとっては間違える方が難しい問題だらけだったが、それでもこの結果なのだ。

 といってもそれはミーシャの中の話であって、教師であるアイリスからすれば割と無茶な話なのだが。

 

「今日の講座もみんな分かってないみたいだったし……やっぱり、教えるのって難しいのね」

「あら」

 

 うつ伏せになって珍しく弱音を吐くミーシャに、アイリスが思わず声を漏らす。どうやら本当に参っているらしく、聞こえてきた声も気にせずにミーシャはアイリスの顔を見上げて問いかけた。

 

「どうしよ、アイリス」

「そうねえ……」

 

 生徒たちの身を案ずるアイリスも、他人事ではない。そう頬に手を当てながらアイリスは思考を巡らせるが、やはり黒魔法という事もあって中々思うように進まない。白魔女と黒魔女がこうして熟考するのは、なかなか珍しい光景でもあった。

 

「もう少し教える速度をゆっくりにしてみたら? さすがにあの課題は多すぎると思うの」

「うーん……そうなのかなぁ……?」

「その結果がそれだもの。生徒はミーシャちゃんじゃないのよ?」

 

 もっともな意見に、ミーシャが顎に手を当てて黙り込む。見つめるテスト用紙は基本が出来ていないものばかりで、これでは黒魔法の基本である召喚魔法すらロクに扱えないだろう。それでは、ミーシャが頑張って教えた意味がない。

 しばらくの沈黙が流れ、それをミーシャが断ち切る。

 

「そうだ、分からないなら実演すればいいのよ!」

 

 思い立ったようにミーシャが声を上げ、勢いよく立ち上がる。そうして驚いた様子のアイリスの方へと視線を向けると、そのまま立て続けにミーシャは口を開く。

 

「この学校で一番広い所って、どこ?」

「え? ええと……第二演習室かしらね」

「じゃあ次の講座の時、そこ借りれる?」

「それは問題ないと思うけど……」

「じゃあ明日そこでやるから、生徒たちに言っておいて」

 

 そう言って、ミーシャがそそくさとテスト用紙をまとめ始めてぶつぶつと何かを考え始めた。忙しなく手を動かすその横顔は、何かを思いついたように少しだけ微笑んでいる。

 妙に気張り始めたミーシャを横目に、アイリスが困ったように首を傾げた。

 

「ミーシャちゃん、本当に大丈夫?」

「大丈夫だって! 私に任せておきなさい!」

 

 かくして。

 

 

「それじゃ、今日も始めるわよ!」

 

 校舎が丸ごと一つ入りそうなほどに大きな演習室で、ミーシャの甲高い声が響く。天井は見上げるほどに高く、ミーシャと集められた生徒はその広大な室内の中心にぽつんと立たされていた。

 整えられた土の地面に、ミーシャが手の内に生成した杖を突き立てる。広がる魔方陣は大きく、みるみるうちに生徒とその後ろに立つアイリスまで覆い込む。

 広がり切った魔方陣を見て、よし、と確認すると、ミーシャは生徒たちに向けて口を開いた。

 

「昨日のテスト見たけど……そうねぇ。あんまり良くなかったわ」

 

 クソみたいに駄目だったわね! というのを何とか抑えて、ミーシャは残念そうに肩をすくめて見せる。そりゃ当然だろうという生徒たちの心の声を無視して、ミーシャは黒杖の周りを歩きながら続けた。

 

「ま、それはそれとして。今日の講座は、黒魔法を実際に見せながら進めて行くわよ」

 

 そのための魔方陣をとんとん、と足で示しながら、ミーシャが指を立てる。それに呼応するように魔方陣は淡く光を放ち始め、地面に刻まれた紋様はかちゃかちゃと音を立てながら虫が蠢くように踊る。

 突然のことに驚く生徒たちに、ミーシャは手を叩いて言った。

 

「じゃ、実際に始めましょう。今回行うのは、黒魔法の一つ、召喚術よ」

 

 黒杖の横に立ったミーシャは、宙に手のひらを差し出しながら口を動かす。

 

「召喚術のそもそもの構造は、黒魔法の基本の概念である『裏』を何らかの形で顕現させる、みたいな感じね。ここでいう『裏』っていうのは、この前言った影だったり、夜だったり、ほぼ全ての概念に通じているわ」

 

 突き出したミーシャの手のひらに、小さな魔方陣が生み出される。くるくると回転しながら浮かび上がったその魔方陣は、ふわりと浮かび上がって黒杖の周りをふよふよと漂い始めた。

 

「だから、召喚術っていうのは本を読めば大まかな悪魔を召喚できるの。面白いところは、この『悪魔』っていうのも『存在』における裏の概念っていう事ね」

 

 だからと言って、召喚されるのは悪魔的な物ではない。世界の裏で終焉と始動を司る神だって呼び寄せれるし、お互いが相反し、コインの裏のようになっている氷獄と炎獄の権化も召喚することができる。

 いつの間にか黒杖の周りを漂う魔方陣の数は増え、それを確認したミーシャがよし、と腰に手を当てる。

 

「それでは今から実際に召喚するわ。今回呼び寄せるのは、デュラハンっていう騎士の悪魔ね。はい、じゃあ早速だけど、ここで問題!」

 

 右手の人さし指を立てて、ミーシャは生徒たちへと視線を投げる。

 

「騎士って言われて、なんの『裏』がイメージできるでしょーか? はいそこ、メガネくん!」

「うえぇ、ボクですか!?」

 

 突然の問いかけに、メガネをかけた男子生徒が目を見開く。そうして急いで何かを考えるような素振りを見せたかと思うと、あれでもないこれでもないと呻きながら小さな声で呟く。

 

「は、『敗北』とか……」

「うん、悪くないわ。騎士ってのは戦って『勝利』と『敗北』のどちらかを決めるもの。そもそも裏には『負』のイメージがあるから、その場合の裏は『敗北』。じゃあ隣の金髪くん! 他には?」

 

 びし、とミーシャが隣の男子生徒へと指をさす。

 

「ええーっと、あー……敗北だから『死』と、か?」

「そうね。『死』という概念は割と広範に『裏』として扱えるわ。それに敗北から死につなげられたのは、中々イイ線行ってるわよ」

 

 感心したように顎に手を当てて頷き、ミーシャが答えた。その後ろでは、浮かんでいる魔方陣のうちの二つが紫色の光を放ち、黒杖の下に広がる魔方陣が、かちゃりかちゃりと形を変えた。

 それを少し見た後に、ミーシャが生徒たちへと再び指をさす。

 

「それじゃあ次にその後ろの黒髪くん! 何か思いつく?」

 

 背伸びしてミーシャが指をさした先で、気だるげな顔をした生徒がゆっくりと顔を上げる。その眠たげな目はどこを向いているわけでもなく、右手はぼさぼさに伸びた黒髪をいじり続けていた。

 妙な沈黙が流れ、ミーシャがあれ、と首をかしげる。

 

「思いつかない?」

「あー……」

 

 と、黒髪の生徒は何かを考えるように上へと視線を向ける。そしてまたしばらく黙ったかと思うと、突然ミーシャの方を向いて口を開いた。

 

「『復讐』、『失望』、えと、後は……『怨恨』」

「おお、すごい」

 

 すらすらと述べる男子生徒に、ミーシャが思わず声を上げる。

 

「ぜんぶ正解! ってことは、この前渡した魔導書、全部覚えてるの?」

「ええ、まあ……」

 

 怠そうに答える生徒に、ミーシャが感心したように首を振った。

 

「そういえばあなた、この前も正解答えたわね」

「そうでしたっけ」

「ほら、夜って答えてくれたでしょ? もしかするとあなた、中々才能あるかもよ」

「はあ」

 

 それじゃあ、と黒杖の魔方陣を見下ろして、ミーシャがとんとん、と足を鳴らす。

 

「これで全部概念は揃ったわ。『敗北』、『死』、『復讐』、『失望』、『怨恨』と、この五つね」

 

 一つ一つ口にするたびに、黒杖から低い音が鳴り響く。そうして全ての概念を灯した後に、ミーシャは魔力を込めてその言葉を紡ぐ。

 

「それじゃあ行くわよ! おいでませ、デュラハン!」

 

 魔方陣に魔力が宿る。周囲の空気は強張り、威圧するような魔力を放ちながら、漆黒の煙が立ち上がった。

 立ち込める黒煙はだんだんと人の形を成していく。それが晴れた後には銀色の鎧が輝き、蠢く煙は漆黒の外套へ。重工な鎧を纏い、ミーシャの隣へと膝をつくその騎士の首には、兜ではなく青色の炎が灯っていた。

 デュラハン。怨念の剣を降る、復讐の騎士である。

 

「黒の騎士、デュラハン。ミーシャ殿の呼びかけに応じ、参上致した」

「うん、ありがとね」

 

 低く重たいその声に、ミーシャが笑顔で応える。するとデュラハンは唐突に立ち上がり、その腰に吊った巨大な剣を抜き放つ。その刀身は漆黒に染まっており、鈍い輝きを放ちながら地面へと突き立てられる。

 

「して、ミーシャ殿。私はどうすれば」

「えーっと……ごめんデュラおじさん、そのままちょっと立ってて!」

「承知した」

 

 手を合わせて頭を下げるミーシャに、デュラハンは突き立てた剣の柄に両手を添える。そして振り向いたミーシャは、突然現れた騎士に驚いたままの生徒に対し、呼び掛ける。

 

「はい、これで召喚魔法の一連の動作は終わり! こんな風に、概念さえ揃っていれば召喚の構造自体は簡単なの」

 

 概念の集合による、対応した悪魔の召喚。いつもならそれを瞬時に終わらせているそれを、一から説明することによって理解を得ることが、今日のミーシャの講座の内容だった。

 しかしまあ、手順を分かりやすくしたところで、概念を理解できるかと言えばそれはまた別の話で。

 

「……あれ? わかんなかった?」

 

 首をかしげるミーシャに、生徒が顔を見合わせる。その表情は呆れたようで、中には首を振って肩をすくめている者の姿もあった。どうやら、ここまでやっても本当に理解できている者は少ないらしい。

 

「むぅ……結構分かりやすくやったつもりなんだけど……」

 

 顎に手を当てながら、ミーシャが不思議そうに呟く。そうしてむむむと考えた後に、何かお思いついたように手を叩くと、ミーシャは再び声を上げる。

 

「よし、分かった。とりあえずみんな、知識量を増やさないといけないみたいだから、もっかいテストします!」

 

 その声に、一瞬の間を置いて生徒たちからため息が漏れる。そんな事は露も気にせず、ミーシャは三角帽子の中から魔導書を開き、確かめるように目を走らせる。

 

「この前のはさすがに範囲が広すぎたから、今回は一つめの魔導書の、概念の話までね。詳しいページとかはまた後日アイリスに連絡してもらうから、みんな勉強してくるように!」

 

 ぱたん、と魔導書を閉じて、ミーシャが口を開く。

 その表情は、いつもよりもどこか曇っているようだった。

 

 

「ねー、デュラおじさん聞いてよぉー」

「承知した」

 

 ほどほどの時間が経ち、生徒たちがいなくなった演習室。ミーシャは呼び出したままのデュラハンの差し出した腕に腰かけて、ほっぺたを肩当てにむにむにと押し付けていた。

 

「なんでみんな黒魔法分かってくれないのぉー? こんな簡単にやったのにぃー」

 

 今回はもう死ぬほど分かりやすく説明した筈である。それなのに生徒たちの様子は、一回目と同じような疑問符を浮かべたような顔のまま。あれだけ考えたミーシャの努力は、惜しくも水の泡と化してしまった。

 

「せっかくデュラおじさんに来てくれたのに、ごめんね?」

「ミーシャ殿が謝る事ではない。私はそなたの駒なのだから」

 

 首無し騎士の優しい言葉が、ミーシャの胸に突き刺さる。それに耐えられなくなって、ミーシャは小さな腕を組み、黙りこくって顔を埋めてしまった。

 

「……私、先生向いてないのかなぁ」

 

 ぽつりとつぶやいた言葉に、低い声が重なる。

 

「思うに、ミーシャ殿の持つ力は特別な物だ。その力を他人に伝えるという事は、時間がかかると私は思う」

 

 デュラハンの言葉に、ミーシャは沈黙で返す。

 

「私は傍から見ている事しかできないが、端的に見ればまだミーシャ殿はそのような事を言うには早い。もう一度言うが、そなたの力は特別だ。それを伝えるのには、少しの時間がかかる」

「特別……そうなの?」

「然り」

 

 ミーシャ自身の魔力を引いて呼ばれているからこそ、デュラハンは応える。未だに地面へと突き刺さっている黒杖をデュラハンの腕から見下ろして、ミーシャは思いふけるような顔で呟く。

 

「私は特別でも、みんなに知ってほしいな」

「ならば、精進するとよい」

「……うん、頑張ってみる!」

 

 騎士の腕からぴょんと飛び降り、ミーシャが黒杖に手をかける。

 

「今日はありがとね、デュラおじさん!」

「問題ない。そなたに従うのが、私の役目である」

 

 そう言ってデュラハンは外套を翻し、黒い煙となって消えていく。それに手を振った後、ミーシャは地面に刺さった黒杖を魔法でしまう。地面に刻まれた魔方陣は、その中心に向かって収縮するように消えていった。

 演習室に静寂が戻る。それを見計らったように、遠くのドアが開いた。

 

「ミーシャちゃん? もういいかしら」

「あっ、アイリス。大丈夫よ」

 

 演習室の鍵を持ったアイリスに、ミーシャが笑顔で返す。

 

「今日もお疲れさまね、ミーシャちゃん」

「そうよ、疲れたわ。だから何か甘いものでも食べたくなるわね!」

「ふふ、それじゃあケインさんのところにでも行く?」

「もちろん!」

 

 先程の表情はどこかに消えて、ミーシャは明るい笑顔を浮かべる。

 まだまだ、道のりは長そうだった。

 

 




更新間隔開けすぎて殴られそう

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