黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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黒魔女は誘惑がしたい。

 

 ぱらり、とページを捲る音が、黒魔女の館のキッチンで響く。

 

「むむむ……やっぱりいくつか足りない……」

 

 大釜の前で唸る黒魔女の手には、錬金術と綴られた分厚い魔術書。やけに古ぼけたその本には、錬金術による材料の生成方法が記されていた。

 錬金術。万物を魔術的に解析し、流転させる術である。

 その中で黒魔法に関するものを見つけ、嬉々として作成に取り組むミーシャだったが、事前準備も無しにうまく行くはずもなし。材料が圧倒的に足りなく、ミーシャは外出することを余儀なくされていた。

 

「処女の血は……ま、カエルの血とかでいいかしら。別にいいわよね。ダメって書いてないし」

 

 明らかに無理がある解釈を呟きながら、ミーシャが魔術書に目を通していく。

 

「このよく分かんないキノコはこの前取ってきたので……うわ、何この石。私知らないし。そこらへんに落ちてるのでいいや。適当に魔力込めれば大丈夫でしょ」

 

 もうほとんど目的のものから離れているが、そうとも知らずミーシャが思考を巡らせる。そして半ば闇鍋のようになってきた材料の一番最後に、ふと見慣れないものがミーシャの目に入ってきた。

 

「男の、さ……さい、まる?」

 

 初めて見るその文字に、ミーシャが魔術書を読む手を止める。

 ミーシャも黒魔女以前に魔術師として色々な魔術書を読んできたつもりだ。そのミーシャが見たことがないという事は、よほどの貴重な素材で、なおかつ代用が効かないものらしい。それならば、確実に手に入れる以外に道はないようだ。

 だが、何度も言うようにミーシャはこの物体を見たことがない。かろうじて得られるヒントは、男が持っていて、おそらく球体のもの。

 

「……こればっかりは、取りに行くしかないわね」

 

 幸い、男なら王都に腐るほどいる。それなら別に一人や二人くらい頂いても構わないはずだ。後はどうやって男を捕まえるか。ふとミーシャは過去に読んだ魔術書の中から、とある一節を思い出した。

 

「ええと、確か誘惑すればいいんだったっけ」

 

 露出度の高い衣装を着ていけば男は簡単に釣れる。どこに書いてあったかは知らないが、まあ記憶にあるのなら間違いではないはず。むしろそれだけなら、思っていたよりも簡単だ。

 

 開いていた魔術書をぱたん、と閉じる。

 

「よし! それじゃあ早速男のさいまる、取りに行くわよ!」

 

 まるで他人には聞かせられないようなことを叫び、ミーシャが身に纏うローブを脱ぎ捨てる。

 

 かくして。

 

 

 小さな通りのそのまた路地裏。ミーシャはローブを念入りに羽織り、ちらちらと表の通りに顔を出していた。その白く柔らかい頬は、少しだけ朱色に染まっている。

 

「うう……実際に着てみると少し恥ずかしい……」

 

 路地裏に身を引っ込めて、ミーシャが恐る恐るローブを少し開ける。黒色の薄い布を挟んだ先には、紐と小さな布で最低限の部分を隠しているだけのミーシャの身体が覗いていた。

 なだらかな胸部から下腹部にかける曲線は大胆に露出していて、肉付きの薄い太ももと、幼さを感じさせる細い脚も全て丸見えである。思いのほか寒いので、帰ったら風呂に入ろうと思った。

 明らかにやりすぎた感が出ている服装に身を包んだ自分の体を見て、ミーシャが溜まらずローブを閉じる。その顔は、耳まで真っ赤になっていた。

 

「く、黒魔法のためだもん、仕方ないし……!」

 

 火照った顔をぶんぶんと振って、ミーシャが再び表の通りを覗く。すると、向こうの方から聞こえてくる足音に、ミーシャの眉がぴくりと動いた。

 三十代の半ばほどの、至って普通の顔をした男性。こうなりゃヤケだ、とミーシャはローブを握りしめ、勢いよくその男の元へと近づいた。

 

「お、おじさん!」

「ん? どうしたんだい、お嬢ちゃん」

 

 少し上ずった声で呼びかけると、その男性は微笑みながらミーシャの方へと振り向いた。

 

「わ、わた、私とちょっとイイことしない? ほら、そこの路地裏で……」

 

 ローブのつなぎ目をしっかし握りながら、ミーシャが恐る恐る自分が出てきた路地を指で示す。少し声が上ずってしまったが、もうここまで来てしまえばゴリ押していくしかない。顔を真っ赤にしながらミーシャが上目遣いで男の顔を見上げる。

 対する男の方はいきなり現れた奇妙な少女にきょとんと眼を見開くと、そのまま大口を開けて笑った。

 

「はっはっは、お嬢ちゃん、どこでそんなこと覚えてきたんだい?」

「あ、いや、えっと……」

「ほら、アメちゃんやるよ。おいしいから食べてみな」

 

 予想とは違う反応に困惑しながらも、ミーシャが差し出されたアメを口に放り込む。

 

「しゅわしゅわする……おいしい……!」

「だろ? もう一つあるから、帰ったら食べな」

 

 目をキラキラと輝かせ、ミーシャがもう一つ渡されたしゅわしゅわのアメを三角帽子の中へしまい込む。舌の上で泡がはじける不思議な感覚に、ミーシャはしばらく虜になっていた。

 そうしてはたとお礼を言っていない事に気づき、ミーシャが顔を上げて笑う。

 

「おじさん、ありがとう!」

「おう、もう変な遊びはやめとけよ!」

「うん、わかった!」

 

 ばいばーい! と元気に手を振りながら、ミーシャが路地裏へと帰っていく。るんるんとスキップをして元の位置に戻り、頬を押さえながらアメを味わっていると、はたとミーシャが叫んだ。

 

「って違うっ! おいしいけど違うっ!」

 

 地団駄を踏みながら、ミーシャがぷんすかと腕を振り回す。しかし貰った身としてアメを吐き出すわけにもいかず、ころころとほっぺたの裏側で転がしながら、ミーシャが腕を組む。実際にアメはおいしかった。

 急いで表の通りに赴いても、既に男の姿は見えない。騙された、とミーシャはアメを噛み潰さないように歯を食いしばり、路地裏へと顔を戻す。

 

「ま、まあいいわ。次の男に期待するとしましょう。男なんて腐るほどいるんだから」

 

 そうしてミーシャが再び路地裏から顔を出し、きょろきょろとあたりを見回した。しかし人の通りが少ないところを選んだせいで、表の小さな通りに人影は見られない。先ほどの男性が珍しいだけだったのか、からんとした通りにミーシャがため息をこぼす。

 

 後ろから声がかけられたのは、その時だった

 

「あら、ミーシャちゃん?」

「うわあぁ!?」

 

 唐突にかかる柔らかな声に、ミーシャが体を跳ねさせる。

 そうして勢いよく振り向くと、そこにはきょとんとしてミーシャの事を見下ろしているアイリスの姿があった。

 

「なんであんたがここに!?」

「ちょっとご飯を食べに行った帰りなんだけど……ミーシャちゃんは?」

「う、わ、私!?」

 

 ローブを握りしめながら、ミーシャが一歩後ずさる。舌の上の小さくなったアメを転がすのを忘れ、目をきょろきょろと泳がせながら、ミーシャは言葉を詰まらせた。

 何せ、黒魔法のために男をさらう真っ最中なのである。それを白魔女のアイリスに知られれば、絶対に止められてしまう。何とかしてこの状況を脱しなくては、とミーシャは足りない頭をフル回転させた。

 

「私は、ええっとぉ……そう、アメを買いに来たの! ほら、んべ」

 

 ミーシャが舌の上に乗ったしゅわしゅわのアメをアイリスに見せつける。

 

「あら、美味しそう」

「そうよ。あ、アイリスにもあげるわ」

 

 と、ミーシャが三角帽子に手を伸ばした次の瞬間。

 彼女の姿を包むローブが、ぱさり、と落ちた。

 

「…………」

「あら、ミーシャちゃんその格好」

「ぎゃあああああああああ!!」

 

 思わず身体を手で隠すも、その細い腕で隠れる面積は雀の涙ほど。ほぼすっぽんぽんの身体を見られたミーシャは、目をぐるぐる泳がせながらなんとかして口を動かす。

 

「ち、違うの! ホラちょっと今日暑いじゃない!? だから少し薄着でもしようかなって思って! 別にこれで誘惑とかしようとしてないし! ってかもう見ないでえええ!」

「あらあらあらあら」

 

 号泣寸前でしゃがみ込んだミーシャに、アイリスが困ったような視線を向ける。そうしてアイリスが腰を下ろして視線を合わせると、優しく微笑みながらミーシャに口を開いた。

 

「ミーシャちゃん、いくら暑いからって、こんなおへそが出るようなおめかししちゃダメよ? それじゃあまるで危ない人みたいだわ」

「危ない人ッ……!」

「そうよ? それに、そんなにお肌を見せたらカゼ引いちゃうわ。帰ったらちゃんとお風呂入りなさいね?」

 

 そうなろうとしていたのに、こう優しい言葉をかけられると途端に恥ずかしくなってくる。ミーシャは足元に落ちていたローブを急いで羽織り、目元に涙を溜めながら、そういえば、とアイリスに向き直る。

 

「アイリス、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ええ、いいわよ。どうしたの?」

 

 黒杖を取り出して、ミーシャが宙に例の文字を走らせる。アイリスの顔が少しだけしかめっ面になった。

 

「錬金術でみたんだけど、この素材がどうしても分かんなかったの。男のさいまる? って言うんだけど」

「あらあら……」

 

 ふよふよと漂う文字にアイリスが困ったような声を漏らす。ミーシャはその様子を見て、どうしたのだろうと首をかしげた。

 

「なるほどね……ミーシャちゃん、それが欲しかったのね……」

「ほ、欲しいなんて一度も言ってないでしょ!? それより、知ってるんなら早く教えなさいよ!」

 

 ずるいずるい! とばたばたするミーシャに、アイリスが考え込むような素振りを見せる。しかしまあ、ここまで来てしまえば戻るにも戻れないだろう。

 半ば諦めのような気持ちになりながら、アイリスがミーシャを手招きした

 

「ミーシャちゃん、ちょっとお耳貸して?」

「ん? 別にいいけど……」

 

 ごにょごにょごにょ。

 ……。

 ぼんっ。

 

「な、なななななな! あ、アンタいきなり何言ってるの!?」

「でもミーシャちゃん、知りたいって」

「うわあああ違う違う! 違うのおお!!」

 

 別に違わないが、ミーシャにはそう叫ぶしかできなかった。

 顔を真っ赤にして膝をつき、頭を抱えながら唸るミーシャ。あホントに知らなかったんだ、とアイリスは口に手を当てて、慰めるようにミーシャへ声をかける。

 

「大丈夫よ、ミーシャちゃん。そういうことって誰にでもあるもの。恥ずかしがることないわ」

「うわあああああああん!!」

 

 逆効果である。ミーシャは死にたくなった。

 一しきり騒いだ後、二つ目のアメを舐めてだいぶ落ち着いたミーシャは、ふと冷静になって考え込む。

 

「別に……別に、正体が分かったなら取りにいけばいいじゃない!」

「えっ」

 

 それこそ違う。そうではない。

 アイリスが呼び止める前に、ミーシャが立ち上がって表へとおどり出る。そうして都合よく歩いていた男性を見つけると、大声を張り上げて駆け出した。

 

「うおおおおおお!! そこの野郎、キンタマよこせええええ!!」

「待ってミーシャちゃん! 今まで伏せてきたのに!」

「一個でいいから! 片方だけでいいから!」

「落ち着いてミーシャちゃん! どっちもダメなの!」

 

 珍しくアイリスが叫び、ミーシャを後ろから羽交い締める。不審がって振り向いた男性にすいません! と頭を下げて、アイリスは急いで路地裏へと引っ込んだ。

 

「何するのよアイリス!」

「ダメなの……ミーシャちゃん、ダメなのよ……!」

 

 見ず知らずの男性にキンタマよこせなんて言う奴がどこにいるだろうか。目の前にいることにアイリスは気がつかなかった。

 ぜえはあと肩で息をして、アイリスが諭すように人差し指を立てる。

 

「いい? ミーシャちゃん、見ず知らずの人にそう言うことを言っちゃダメなの。分かってくれる?」

「じゃあケインのキンタマを……」

「それもダメね」

 

 危ねえ。

 

「むー、じゃあどうすればいいのよ! タマがないと錬金術ができないじゃない!」

「うーん、そうねえ……」

 

 このままでは被害が拡大してしまう。どうにかして食い止めなければ、とアイリスは思考を巡らせる。できるだけ彼女に嘘を吐きたくはなかった。

 

「カエルの卵とかで代用できるかもしれないわ。同じ性質を持ったものだし、試してみるといいかも」

「カエルの卵……それだわ! その方が簡単に手に入るし! 名案ね!」

 

 目をキラキラと輝かせ、ミーシャが笑顔を向ける。少しだけ心が痛くなったが、アイリスにはそうする事でしかこの街の男性を守ることができなかった。

 

「こうしちゃいられないわ! アイリス、ありがとう! 早速帰って実験してみる!」

「ええ、その前にお風呂に入っておくのよ?」

 

 バタバタと走って去るミーシャにそう言い残し、アイリスがほっと息を吐く。危うく黒魔法によってこの街の男性が地獄をみるところだったが、これで最悪の事態は回避できた。

 

「これで……これで、いいの」

 

 この街を邪悪から守ることが、白魔女であるアイリスの使命だ。そのためならば、どんな方法を使うことも厭わない。

 キンタマの代わりを提示しただけなのに寂しそうに呟いたアイリスは、静かにその場から去っていく。辺りに残ったのは、ただの静寂だった。

 

 なお、結局ミーシャの実験は失敗に終わり、王都では再びミーシャを羽交い締めにするアイリスの姿が見られた。

 

◼︎




 今回は誰にも被害が出てないので安心しました。

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