黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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『追憶』

 

 じめじめとした森の中。木漏れ日の光は地面まで届かず、溶けるようにして森を薄暗く照らしている。背の高い樹の枝では小さな鳥がさえずり、その様子を見上げているのは、一人の黒いローブを纏った少女だった。

 大木に手を添えながら、黒魔女が足元をとんとんと踏み鳴らす。すると集まっていた小さな虫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、露出した木の根が姿を現した。

 

「ん~、もう少し先ねえ」

 

 根本に流れる魔力を元に、ミーシャが呟く。そうして森の奥へと視線を向けると、そこに広がる暗闇へと歩いていく。湿気の多い雑草を踏みしめながら、黒魔女は森の奥へと進んでいく。

 彼女の今日の夕食は、キノコのスープだった。

 

「うう……なんでこんなジメジメしたところに……」

 

 目の前をふさぐ枝葉を掻き分けながら、ミーシャが忌々しそうに呟く。目的のキノコはもう少し魔力の濃い森の深くにあるので、まだまだ進まなければならない。しかし、ミーシャの精神は既に限界に達しそうだった。

 湖のほとりに立つミーシャの館の、北側に位置する魔法の森。うっそうとした魔力を含む木々が森を覆いつくし、深部に向かうにつれてその濃度は強くなっていく。ぴりぴりとした瘴気を感じながら、ミーシャは手元の地図をぐるぐると回していた。

 

「こっちがこうだから……あー、えっと……ん? こんな木あったっけ? ってか今どこ……?」

 

 森の地図というのは分かりにくい。だんだんと苛立ちを覚えてきたミーシャは手に持った地図をくるくると丸め、魔法でそれを黒杖へ変換すると、それを勢いよく地面へ突き立てた。

 彼女の足元に、召喚の魔方陣が浮かぶ。そうして彼女は口を開くと、その言葉を紡いだ。

 

「おいでませ! ベルゼビュート!」

 

 瞬間、空気が変動する。ミーシャの周囲を漂う瘴気が一層に濃くなり、魔方陣の周囲で小さな雷が弾けた。そして魔方陣から煙が立つように小さな蟲の大群が噴き出し、塊となって宙に浮き始める。

 深淵から響くような重たい悲鳴が鳴り響き、蟲の塊からその化身が姿を現す。ぎょろりとした巨大な赤い複眼。触れれば全てを引き裂く、六本の節足。濁り切った不透明な翅をばたばたと動かして、その怪物は瘴気の満ちる森へと降り立った。

 大魔王ベルゼビュート。魔界を統べる、蠅の化け物である。

 

「べルさん、おはよう」

 

 こちらを覗き込む赤い複眼に、ミーシャが両手を広げる。まるでガラスのような複眼へ映ったミーシャの姿を見て、その蠅の形をした王はミーシャへとすり寄った。

 

「ミーシャ、ミーシャだ。久しぶりだね」

「ん? そうだったっけ?」

「ずっと呼んでくれなかったから、捨てられたのかと思った。怖かった」

「そんなことするわけないでしょ! まったく、ベルさんは心配性なんだから」

 

 おぞましい蠅の姿に怯えることもなく、ミーシャが翅の付け根をぽんぽんと叩く。そうするとベルゼビュートはミーシャから距離を取り、宙に浮かびながら頭を傾けた。

 

「今日はどうしたの」

「ちょっと道に迷っちゃったのよ。だから蟲さんにお願いしてキノコのあるとこまで連れてって」

「わかった。ミーシャの頼みなら、従う」

 

 首を縦に振ったベルゼビュートは、六つあるうちの二本の脚を広げて魔力を放つ。するとどこからかやってきた蟲の大群が、ベルゼビュートとミーシャを囲むようにして現れた。

 そして周囲に浮かぶ黒い煙に対して、ベルゼビュートが片脚で宙に線を引く。その途端に、周囲を取り囲んでいた虫たちは煙が晴れるようにして飛んで行き、森の中へと消えていった。

 

「……見つけた。行こう、ミーシャ」

「うん、ありがとね」

 

 宙をふよふよと漂うベルゼビュートに続いて、ミーシャが歩み出す。鬱蒼とした森を進む蠅の怪物と少女という奇妙な光景はしばらく続き、やがて少し進んだ地点で二人は進む足を止めた。

 目の前に立ちはだかるのは、大きな岩。苔むしたその巨岩を見上げて、ミーシャが呟く。

 

「こんなのあったっけ?」

「分からない。でも、この先にミーシャの望むものがあると思う」

 

 岩の前に近づいたベルゼビュートが、その表面をかぎ爪で掻く。そうして何かの紋章を刻んだかと思うと、ベルゼビュートはその目の前の地面に降り立ち、再び両脚を広げて魔力を放った。

 大地が揺らぎ、木々がざわめく。ミーシャがおっと、とバランスを崩すと、それを支えるようにベルゼビュートが彼女のローブを掴んで飛び上がった。

 

「何これ」

「僕では無理だから、他の人にお願いした」

 

 そして大地からせりあがるように出現したのは、ベルゼビュートよりも大きな体躯を持ったサソリだった。体を覆う土を剥がしながら、そのサソリはミーシャ達の方を一瞥すると、腕のはさみをばちんと鳴らして苔むした岩へとそれを向ける。

 堅牢な岩石にサソリのはさみが突き刺さり、岩肌にヒビが走る。しばらく岩とはさみが打ち合う音が森の中に響き、ミーシャは洗濯物のようにベルゼビュートに吊るされながら、その光景を眺めていた。

 しばらくして岩が崩れ、ベルゼビュートが優しくミーシャを地面に下ろす。サソリがその場を退くと、崩れたがれきの向こうにミーシャの探していたキノコが見えた。

 

「これでいい?」

「ありがとう! 思ったより早く見つかったわ!」

 

 とたとたとキノコの近くに駆け寄り、ミーシャが一つをつまんで興奮気味に話す。ぼんやりと光を灯した傘に、少し細めで手に収まるほどの柄。三角帽子を脱いだミーシャはその場にしゃがみ込んで、手に持った一本目を帽子の中へ放り投げた。

 

「良い色してるわ。ベルさん、一個食べてみる?」

「それじゃあ貰おうかな」

 

 そう言ってミーシャがつまんだ一個を差し出すと、ベルゼビュートは歯のついた口をがばりと開いてキノコを齧る。そうして上を向きながら咀嚼を繰り返すと、口の端を脚で掻きながら満足気に頷いた。

 

「良い魔力が溜まってる。味もいい」

「そう? じゃあ良かった」

 

 半分ほどまでキノコが入った三角帽子を被り、ミーシャがスカートについた土を軽く払う。

 

「ミーシャ。他にも見つけたみたいだけど、どうする?」

「ほんと? それじゃあ行きましょ!」

 

 そう言ったミーシャの前に、ふと大きな影が迫る。驚いたミーシャが視線を降ろすと、そこには尻尾を犬のように左右に振り、はさみを小さくぱちぱちと鳴らしているサソリが上目遣いでミーシャの事を見上げていた。

 いきなりグイグイくるサソリに、ミーシャが少し狼狽える。それを見て、サソリの意志を汲み取ったベルゼビュートがミーシャに答えた。

 

「乗ってもいいんだって」

「乗る」

「ほら、背中」

 

 ベルゼビュートが足で示すと、サソリがふんすと胸を張ったような気がした。

 

「もっとミーシャに頼られたいんだって」

「えっ……じゃあ、お願いね」

 

 遠慮しがちにミーシャがはさみを伝ってサソリの背中へ飛び乗り、腰を下ろす。つるつるの甲殻にすわると、どういう訳か少しだけひんやりとしていた。

 

「それじゃあ、行こうか」

「うん、よろしく!」

 

 ベルゼビュートが動き出し、サソリもそれを追うようにして足を動かす。妙な安定感を発揮しながら、サソリと蠅の化け物に囲まれたミーシャは更に森を進んでいくのだった。

 

 

「いや~、まさかこんなに取れるとは思わなかったわ! 二人とも、ありがとね!」

 

 帽子から溢れそうなキノコの山を見て、ミーシャが笑顔で隣のベルゼビュートと足元のサソリに視線を向ける。既に三か所ほどキノコの生えている場所を回り、むこう一週間分のキノコを手に入れた。これでしばらく食料には困らないだろう。むしろキノコだけで飽きる心配が出てくるほどだ。

 そうしてベルゼビュートの導くまま、帰る足をサソリに任せてミーシャがうん、と伸びを一つ。既に日は頭の上よりも少し西に傾いていて、ミーシャの腹の虫はさっきからずっと鳴っていた。

 

「お家帰ったら、サソリさんもベルさんも一緒にご飯食べよっか」

「いいの?」

「大丈夫、大丈夫! 私がご馳走してあげるから!」

 

 胸を張って言うと、足元のサソリが嬉しそうにハサミを鳴らす。そういえばサソリって何食べるんだろう、とミーシャが疑問に思った時、ふと一行の目の前を横切るように、日差しが差し込んだ。

 

「……あれ?」

「うん」

 

 その光と共に伸びているのは、程よく整備された並木道。巨大なベルゼビュートの身体さえ入るその並木道に出ると、ミーシャとベルゼビュートはお互いに顔を見合わせて首を傾げた。

 

「ここはまだ、調べてないね」

「こんなところあったんだ……ちょっと、行ってみよっか」

 

 足元のサソリにそう呼び掛けると、ベルゼビュートとサソリが同じように歩みを進めて行く。だんだんと進むにつれて差し込む光は強くなり、辺りの瘴気が濃くなっていく。不思議な感覚に身を委ねながら、ミーシャたちは並木道を抜けた。

 

 そして。

 

「わあ……!」

 

 ミーシャの視界に入ってきたのは、一面の黄色い花畑だった。地平線の向こうまで続く黄色い絨毯が、青い空の下に広がっている。太陽の光を受けて、黄色い花は一様にきらきらと輝いていた。

 たまらずミーシャがサソリの上から飛び降りて、花畑の中を駆けだす。黄色の中に混じり入る黒色は、その場でくるくると回ると、とても嬉しそうな笑顔でベルゼビュートたちへ微笑んだ。

 

「すごいすごい! こんな綺麗な場所があったなんて驚きだわ!」

 

 そのままミーシャが両腕を広げて、花畑へと身をゆだねる。空は突き抜けるほどに高く、太陽はミーシャの真上でさんさんと輝いている。一面を黄色の花で包まれたミーシャは、ふと胸の奥に何か熱いものを感じた。

 

「あれ……?」

 

 不穏な心の変化に、ミーシャが言葉を漏らす。懐かしさにも、寂しさにも似たような、喪失感のようなもの。それが急激にミーシャの心を埋め尽くし、頭の中から離れなくなっていた。

 黄色い花畑の中で、そんな気持ちに包まれる。そのことが、ミーシャにはどうしても違うような気がした。

 悲しいのではない。悲しくなっては、いけない。信じなければ。いつまでも、ここで待たなければいけなかった。それなのに、私は。どうして私は、信じられなかったのだろう。

 

 さあ、と風が吹く。黄色い花の香りが、ミーシャを包み込んだ。

 

「ミーシャ。ここはダメだ」

 

 ベルゼビュートの言葉に、ミーシャがゆっくりと体を起こした。

 

「どうして?」

「変な魔力が流れている。ずっとここにいると、ミーシャがおかしくなる」

 

 地面に置いた手のひらに、黄色の花が絡みつく。まるでミーシャの手を取るようにして触れる花の色は、ミーシャの髪の色の同じような色だった。

 

「こんなに、素敵な色なのに」

「ミーシャ、どうして君はここを素敵だと思うの?」

「それは……」

 

 どうしてだろう。ミーシャの心の中に、そんな疑問が湧き上がる。

 

「とにかくここは危険だよ、ミーシャ。早くこっちへ」

「……わかった」

 

 渋々呟いて、ミーシャが立ち上がる。ローブについた花びらを落として、まるで花畑に入るのを躊躇うかのようにしているサソリの上へと飛び乗ると、ミーシャはもう一度だけ黄色の花畑を眺めた。

 風に揺れる花畑。おかしな感情が渦巻いて、ミーシャの口から消え入るような小さな言葉が漏れる。

 

 

「裏切られた……」

 

 

 しかしそれは森のざわめきによってかき消され黄色の花畑はミーシャの視界から外れていく。待って、という言葉は出なかった。その言葉は、一度だけ言ったような気がしたから。ミーシャの口は、動かなかった。

 光から逃げるように伸びる並木道を進み、ベルゼビュートは虚ろ気な表情を浮かべたミーシャに言葉をかける。

 

「ミーシャ、大丈夫」

「うん……大丈夫」

「たぶんお腹が空いてるんだよ。早くご飯にしよう」

「……そうよ! そういえばまだ昼ごはん食べてなかったわ!」

 

 手をぽんと叩き、ミーシャがはたと気づく。もしかするとさっきの感情も空腹によるものかもしれない。それほどまでに腹が空いてるとは、こうしてはいられない。

 

「早くご飯にしなきゃ! サソリさん、頑張ってね!」

 

 足元へ呼び掛けると、それに呼応するようにハサミが鳴る。その光景を、ベルゼビュートの複眼はただじっと見つめていた。

 

 

 黄色の花畑に包まれて、あなたは何を思い出す?


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