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『この事はアイリス以外、誰にも知らせないほうがいい。もし、他の魔女が彼の命を狙っていると知ったら、最悪の事態になってしまうから』
執務室の扉の前、ベルゼビュートから渡された言葉を反芻し、ミーシャがふぅ、と息を吐く。そうして意を決したようにふるふる、と首を振ると、古ぼけたドアノブへと手を掛けた。
「アルヴァニアさん……?」
「ああ、エリザベート嬢。戻ってきたのか」
恐る恐る声をかけると、机に向かっていたアルヴァニアは、明るい顔でミーシャの方へと視線を向けた。
「どうかしたのか? 用事があるのなら、仕事が終わるまで待ってもらうことになるが……」
「あ、うん! 大丈夫! その……ちょっと、アルヴァニアさんと一緒にいたいだけだから……」
途切れ途切れの口調になりながら、ミーシャがそう口にする。
「そうか、そう言ってくれるのは嬉しいな。すぐに仕事を終わらせる」
「うん……」
短く言葉を交わして、アルヴァニアは再び机へと向き直る。どうやら何も悟られることはなかったらしい。ほっ、と軽く息を吐いたミーシャは、扉をくぐってすぐ左にある、応接用のソファへちょこんと腰を下ろした。
膝の上で指を絡ませながら、むむむ、と思考する。
「(……まず確かなのは、アルヴァニアさんを、他の魔女の誰かが狙ってるってこと。それで、それは一人じゃなくて、何人かいる、ってこと。けど、何人かまではまだ分かんない)」
狙っているのが命なのか、その役割なのか。目的はまだ不明で、その手段も、動機も不明のまま。確かに言えることは、彼の周囲には複数の魔女がいるということ。そして、その事を知っているのは、ミーシャと、この事を伝える予定のアイリスだけ。
「(もし戦うことになっても、アイリスと私がいる……だから、今いちばんいけないのは、アルヴァニアさんを一人にすること。他の魔女に隙を見せちゃいけない)」
だからこそ、こうしてアルヴァニアの近くにいるのだ。彼の身が危険に晒されることは、ミーシャによってあまり良くないことである。黒魔法の実験材料でもあるし、そしてなにより、あれだけのプリンを作れる人間が失われることだけは、絶対に避けなければならない。
それに一応ではあるが、ベルゼビュートの配下がアルヴァニアの側にいる。たとえ一人になったとしても、その蟲を伝ってベルゼビュートから知らせがくるだろう。
だとしても、受け身の姿勢は変わらない。彼女らがアルヴァニアの何を狙っているのかすらも、掴めない。
「(……やっぱり、情報が少なすぎる。うかつに動いても駄目だし、かといって待っているだけなのも無茶があるし……)」
魔力を調査すればアルヴァニアを護る人員が減るし、かといって防衛に徹するのは相手に自由を与えてしまう。眷属に頼むという手もあるが、魔力がもつかどうかが怪しいところである。それに、眷属の力で魔女たちを抑えられるという確信も、今のところはない。
「(せめて、あともう一人味方がいてくれれば……)」
「考え事か?」
「うわぁ!?」
唐突に顔を覗き込んできたアルヴァニアに、思わずミーシャが叫ぶ。
「い、いきなり声かけないでよ……びっくりしたじゃん」
「すまない。でも、やけに真剣に悩んでいるようだったから……心配になった。邪魔をしたのなら、謝ろう」
「ああいや、大丈夫だよ。そんなに大事なことじゃないから」
手を振って否定するミーシャにそうか、と頷きながら、アルヴァニアが彼女の隣へ座る。手に持った書類を机の上で整えると、彼はまた振り向いて、言葉を続けた。
「まだ君もこちらに慣れていないだろう。困ったことがあったら、どんな些細な事でも頼ってくれ。夜会が始まったらそうもいかないが……今ならまあ、贔屓にはならないだろう」
そう軽く笑う彼へ、ふと思いついたミーシャが、目を合わせる。
「……なら、ちょっと聞いてもいい?」
「ああ、何でも」
「今回招待された人の中に、魔女っているの?」
真剣な表情で質してくる彼女に、アルヴァニアはふむ、と頷いた。
「どうしてだ?」
「んー、単純な疑問っていうか、興味があるっていうか……もし魔女がいてくれたら、お友達になれるかな、って。お願い、教えてくれない?」
「……そういうことか。少し待ってくれ」
両手を合わせて懇願する彼女に、アルヴァニアが手元の資料へと手をつける。少し騙しているような気がしてるが、彼の身を案じてのことなのだ。書類を漁る彼の横顔を見つめながら、ミーシャはそう心の中で謝った。
やがて書類をぱたりと閉じて、アルヴァニアがこちらへと向き直る。
「三人、かな」
「三人?」
「ああ。君を合わせれば、四人」
「……他に、どういった魔女か、ってのは?」
「どうしても声をかけた母数が多いからな。詳細はあまり分かっていない。それこそ、魔女ということだけだな。申し訳ない」
「ぜんっぜん大丈夫! ありがとね、アルヴァニアさん!」
頭を下げるアルヴァニアに、ミーシャが胸の前で手を振った。
これで少なくとも三人、魔女がこの宮殿を訪れるということが分かった。警戒する目星がついただけでも僥倖である。いまだに不明な魔力の解析や、アルヴァニアを襲う手段などは不明であるが、とりあえずはその三人の特定が先になるだろう。
「それにしても、意外だな」
「ん? なにが?」
「いや、エリザベート嬢のような人でも、友達ができるか不安になることがあるのかと。君は元気だし、人懐っこいからそういうものとは無縁だと思っていた」
「あー……うん、たしかにそうなのかも。私、アイリス以外にお友達、いないもん」
特に気にしていることでもないが、ミーシャは思い出すようにそう答えた。
といっても、アイリス以外に友人を作る余裕がなかったのだ。蘇った記憶には、子供のころの苦悩や、フリティラリアとしての意思が、まだ強く残っている。しかしながら、だからこそ今の自分があるのだ。ミーシャにとってそれは、もう二度と忘れてはいけないものだと信じられた。
なんてことを思い出していると、アルヴァニアが真剣な眼差しを向けていることに気づく。
「……奇遇だな。実は私も、アイリス以外に友と呼べる人はいないんだ」
「そうなの? アルヴァニアさん、人に好かれやすいと思うんだけど」
「私がどうかは分からないが、親に他人との交流を制限されていてね。自分で言うのも何だが、こんな身分だ。いつ狙われてもおかしくない。その考えも分かるが……まあ、少し寂しくはあるかな」
どうしようもなくて笑ってしまう彼に、ふとミーシャが呟く。
「じゃあ、私と友達になる?」
なんてことはない、彼女の口から放たれてもおかしくないその言葉に、けれどアルヴァニアは目を見開いた。
「……いいのかい?」
「いい、ってそりゃもちろん! 友達になるのが嫌な人なんて、そうそういないよ。ましてアルヴァニアさんみたいな人となれるなんて、私すっごく嬉しい!」
「そう、か……そういうものか」
「それにほら、最初は友達からっていうでしょ? それで次はお婿さんになってもらって、最終的には実験材料に……」
「そこを着地点にするのはやめてほしいな……」
なんだか、友人がアイリスだけな理由が分かった気がする。しかしながら、アルヴァニアにとっても、ミーシャとそういう関係を築くのは嬉しく思えることだった。
「それでは、これからもよろしく頼むよ。エリザベート嬢」
「あー、ダメダメ! そんなんじゃまだ友達じゃないよ!」
「……? それは、どういう……」
「ほら、友達だったらちゃんと名前で呼ばないと! それに私、そっちの名前で呼ばれるのあまり慣れてないし……」
?を膨らませて言うミーシャに、アルヴァニアすぐああ、と頷く。
「……では、よろしく頼むよ。ミーシャ」
「うん! よろしくね、アルヴァニアさん!」
差し出された左手を、ミーシャが強く握った。
「さて、仕事もひと段落したことだし、どうする? 私としてはすることもないから、ミーシャに付き合うつもりだが……」
「そうなの? それじゃあ、うーん……」
「なら、ミーシャのお部屋とか決めたらどうかしら?」
唐突に背後から聞こえてきた声に、ミーシャとアルヴァニアが振り向く。
開かれたドアを背に佇んでいたのは、二人のよく知る、白い衣装を身にまとった魔女であった。
「アイリス!」
「……来てたのなら言ってくれ。それなりの出迎えをする」
「ごめんなさいね。でも、二人とも仲良くお話してたみたいだし、邪魔しちゃわるいかなって」
頬に手を当て、笑みを浮かべながらアイリスがそう答える。
「それで、ミーシャのお部屋は?」
「部屋?」
唐突に出てきたそんな言葉に、ミーシャが首を傾げた。
「部屋ってどういうこと? あ、控え室ってこと?」
「……アイリス、説明してないのか?」
「あら、うっかりしてたわ。そもそもミーシャが来ると思っていなかったから」
にこにこと笑みを浮かべる彼女に対して、アルヴァナイが呆れたようにため息をひとつ。わけもわからなく二人を交互に見やるミーシャへ、彼は申し訳なさそうに告げた。
「今回の夜会は、五日間に分かれて行われる」
「えっ」
「まあ、君の言うようにお嫁さん決定戦みたいなものだからな……じっくり時間をかけて決めなければならない」
「私ひとりでほかの人を倒せるのに?」
「言っておくが魔法で参加者を消すとルール違反だからな?」
「そうなの!?」
意外そうに叫ぶミーシャに、アイリスはただ先ほどと同じ笑みを浮かべたまま。これがおそらくいつもの彼女なのだろう。割とバイオレンスな性格のミーシャに、アルヴァニアは今日何度目か分からない重い息を吐いた。
「五日間、全員とちゃんと話したのちに決めるんだ。自分でも恥ずかしい話だが、もう決定事項だからな……そのため、参加者は五日間、この宮殿に泊まることになる」
「……ってことは、その魔女たちもここに泊まるってこと?」
「当然そうなるな。それだけ長ければ、仲良くなれるかもしれない」
さも良いように言うアルヴァニアに、ミーシャは心の中で罵詈雑言を浴びせていた。いやふざけるなよお前マジで。危険以外の何物でもねえじゃねえか。
ともあれ、魔女がここに五日間も滞在するのは決定事項である。そのぶん、アルヴァニアの危険も増えるし、ミーシャが注意しなければいけない期間も長くなる。
「まあ、そうだな。それも踏まえて、ミーシャの部屋を決めないと……」
そのまま続けようとしたアルヴァニアに、ミーシャががばり、と迫り、
「アルヴァニアさん、私のお部屋、あなたの近くがいいの!」
「そ、それはどうして……」
「何かあったとき、すぐに駆け付けられるように! ほら、せっかくさっき友達になったんだから! 何かあったら私が守ってあげるから!」
「そうなのか? しかし、まだほかの参加者も来ていないし、ミーシャだけ先に決めるというのも……少し不公平な気が……」
「うっ……それもそうか……」
珍しく正論に屈し、ミーシャが言葉を詰まらせる。確かに友達だとはいえ、そこまで要求するとなると、アルヴァニアに多少の迷惑がかかってしまうかもしれない。
「じゃ、じゃあこれから来る魔女たちのちかくに! アルヴァニアさんの近くでなくても、それなら大丈夫でしょ?」
「確かに不自然ではないが……それでいいのか? なら、そうできるように手配しておこう」
「よっし! よろしくね、アルヴァニアさん! 絶対に!」
何度も念押しするようにミーシャがそう強く言うと、アルヴァニアはよくわからないまま、首を縦に振る。それを確認したミーシャは、ほっと肩の荷が下りたように、深い息を吐いた。
とにかくこれで、彼に怪しまれることはなくなっただろう。あとはこちらでゆっくり魔女たちを観察しながら、対策を練れば――
「そういえばアル、このあたりに残留していた魔力の話なんだけど……」
「オオオーーー!!!」
それはまずいぞ。
「あ、アイリス! 私あなたにちょっと用があるの思い出した!」
「えっ? ミーシャ? いま、大事な話を……」
「ごめんねアルヴァニアさん、アイリスと二人っきりでお話してくる! 二人だけで話したいことだから、絶対に盗み聞きとかしないでよ! いい!?」
抵抗するアイリスの手をぐいぐいと引きながら、ミーシャがもう片方の手で執務室の扉を掴む。戸惑いながらもつれてゆかれる白魔女の姿を、アルヴァニアは茫然とした顔で眺めることしかできなかった。
「ちょっ、ミーシャ本当に……!あなた、こんなに力強かったっけ……?」
「じゃあね、アルヴァニアさん! また晩御飯に!」
「あ、ああ……ゆっくり話してくれ……」
ばたん、と強く扉が閉められる。
ただ一人残された彼は、ドアの向こうを見つめながら、ふと呟いた。
「……本当に仲が良いのだな、彼女らは」
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「――なるほど。大体は理解したわ」
執務室を出てすこし進んだ小部屋、ミーシャから事の顛末を伝えられたアイリスは、真剣な表情になってうなずいた。
「つまり、アルのことを何人かの魔女が狙ってる、ってことね」
「そう。まだどんな魔女か、どんな魔法を使ってかはわからないけど……でも、アイリスが感じていた魔力ってのは、たぶんそれだと思う」
「……杞憂で終わってほしかったのだけど」
頬に手を添えながら、アイリスが深いため息を吐く。
「それとアルヴァニアさんから聞いたのは、この夜会に魔女が三人は参加するってこと。たぶん犯人はその中の誰かか、もしくは全員になると思うけど……」
「そっか。だから、アルに部屋をいろいろ工面してくれって言ってたのね」
「……ほんとは、アルヴァニアさんの近くにいるのがよかったんだ。けどまあ、不信感を抱かせるのもいけないし」
何かがあったら伝えられるし、たとえ夜襲があったとしても、すぐに守ることができる。しかしながらそんな都合のよい話はないようで、ミーシャは敵のど真ん中へと送り込まれてしまったのだ。
「それなら、アルには私がついておくわ。だからミーシャにはさっき決めた通り、夜会に来る魔女たちを見張ってほしいんだけど……」
「……私ひとりじゃ厳しいかも」
「そうよねえ」
不安そうにつぶやくミーシャに、アイリスも頬に手を当てて息を一つ。いくらミーシャに実力があるとはいえ、三人を相手にするのは厳しいだろう。
「でも、できる限りはやってみる。アルヴァニアさんの身に何かあったら大変だもん。全力で守ってみせるよ!」
自分を鼓舞するように叫びながら、ミーシャがぽん、と胸をたたく。そんな彼女の様子を前にして、アイリスはくすり、と小さく微笑んだ。
「ミーシャ、アルと仲良しになったのね」
「うん、まずはお友達から、って思ったの」
「……ミーシャのことだから、てっきり『ほかの魔女に奪われる前に、実験材料にしないと』って言うかと思ってたわ」
「私はまじめな魔女だからね。ほかの魔女みたいにズルいことはしないもん。ちゃんと自分の実力でお嫁さんになって、それから実験するの」
割と突っ込みどころは多いが、アイリスは笑みを浮かべるだけで、それ以上を言うことはやめておいた。それよりも今はほかの魔女への対策を練らなければ。
「とにかく、今の私たちにできることはその魔女たちの見極め。誰がどんな魔女で、アルを狙うならどんな手段を使うのかを予測すること。私はアルを守ることに専念するから……ミーシャ、よろしくね」
「うん、任せて。アイリスもアルヴァニアさんのこと、よろしく」
そう会話を切り上げたのちに、ドアの外から声が聞こえてくる。
「ミーシャ、アイリス? もういいか?」
「あ、アルヴァニアさん?! いつからそこに!?」
控えめに問いかける彼へ、ミーシャが驚いたように叫んだ。
「いや……今ここに来たんだ。仮ではあるが部屋割りが決まった。だから、それを伝えるついでにミーシャの部屋を案内しようと思って……」
「そういうことね、ならすぐに出るわ」
軽く返しながら扉を開き、アイリスとアルヴァニアが視線を合わせる。きょとんとしたままの彼の顔から察するに、どうやら本当に今までの話は聞いていないらしい。ミーシャもそれを理解しているようで、いつも通りの調子のまま彼へと声をかけた。
「それで、私の部屋は? 魔女たちの隣にしてくれた?」
「ああ、すぐに案内する。ついてきてくれ」
そうして、彼の後をついてゆくこと、しばらく。
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「おじゃましまーっす!」
ばん、と大きく音を立てて、扉が開かれる。
中程度の広さを持った、ゆったりとした部屋だった。正面には四人で囲めるほどの円卓が置かれており、それを挟むようにして、両側の壁にベッドが配置されている。窓はそれぞれのベッドの枕側に配置されており、その窓と窓の中心には、何も入っていない小さな棚が置かれていた。
「相部屋になる。少し、狭くなってしまうが」
「ううん、全然だいじょうぶ! これくらい近いほうが仲良くなれそうだし!」
「……これから来る彼女らが君のようだったら、私も気疲れしないんだが」
「別の意味で疲れるわよ、それ」
肩を落とす彼へ、アイリスがそう付け足した。
そもそも、この宮殿に泊まることすら厭に思う人間のほうが多いだろう。それに、皆侍女がいないのなら自分に連れてくる、という者の方が多い。そのため宮殿内の部屋割りも、アルヴァニアにとって頭の痛くなる問題であった。
「それで、他の魔女は?」
「調べてみて分かったが、こちらに来る魔女のうち一人は侍女付きで、もう一人がそもそも侍女のように主人へ仕えている者らしい。残った一人はミーシャのように一人で来るから、その彼女との相部屋になる」
「残った二人はどこに配置するの?」
「……いちおう、君の要望どおりこの階層に集めておいた。この部屋のすぐ右が侍女を連れてくる魔女で、左が侍女を務めている魔女と、その主人の部屋になる。後は他の客人と同じだ」
語るアルヴァニアに、アイリスが顎に手を当てて考える。
彼の部屋からは距離があるため、もし何かしらの魔法が発動しても、ミーシャがそれを予知して伝達してくれるだろう。
「では、ミーシャはこれからこの部屋を使ってくれ。もう明日からは夜会の参加者の受け入れを行おうと思っている」
「……あら? 予定だともう一日二日は後じゃなくて?」
「ミーシャが庭の掃除を手伝ってくれたから、少し早めに予定を組んだ。それに、彼女らを待たせるのも悪いだろう。早められるのなら、早めたほうがよいと思う」
「それはそうだけど……」
少し困ったように、アイリスがミーシャのほうへと視線を向ける。
しかしながら彼女は何か自信のあるように、こくりと頷くだけだった。
「では明日の準備をしてくる。夕食は……アイリス、すまないが頼めるか? 君ならいろいろと都合が効くだろう」
「ええ、問題ないけど……あなたも気張りすぎないでよ?」
「善処しよう」
弱音を吐くよりはマシだろうか。すでに疲れが見えている彼へ、アイリスは呆れながらもそう頷いた。
「それじゃあミーシャ、おやすみ。また明日に会おう」
「うん、アルヴァニアさんもおやすみ!」
まったねー、という彼女の言葉を背に受けながら、アルヴァニアが扉を閉める。そのまま足音が遠くなっていくのを確認すると、アイリスとミーシャは再び互いの視線を合わせた。
「何か策はあるの?」
「んー、まあ一応。相部屋の人は確実に止められるし、両隣の人も抑制できるって感じ。みんなが部屋にいてくれたなら、大丈夫」
あとは私の魔力次第かな、なんて言葉を付け足しながら、ミーシャが手の打ちに黒い杖を取り出して、目の前の床へと突き立てる。開かれたのは人ひとりほどの小さな魔法陣で、そこから現れたのは、小さな植木鉢に植えられた、一輪の黒い花であった。
しゃがみこんだミーシャがその植木鉢を持ち上げると、暗い花弁を指先で撫でる。
「……それが、役に立つの?」
「うん。だって、アイリスが一番わかると思うよ?」
その言葉が理解できず、白い魔女はただ首をかしげるだけであった。
それを持ったままミーシャはベッドの上へと飛び乗って、その窓際に植木鉢をことりと置いた。そうしてもう一度開いたままの魔法陣へと手を突っ込むと、中から手のひらサイズのジョウロを取り出して、夜闇を眺める花へと傾ける。
「ほーら、よく飲んでね? 明日から頼むよ!」
言葉をかけるミーシャの横顔に、少しの寂しさがあるのを、アイリスは見た。
「ミーシャ」
「ん? どうしたの?」
「…………いや、ごめんなさい。なんでもないわ」
それ以上に踏み込むのはどうしてか怖くて、思わず言葉を詰まらせてしまう。ただ感じるのは、何かに対する恐怖のみであった。
「とにかく、あなたのことだから信用してる。それでミーシャ、話は変わるけど、晩御飯はどうしたい? せっかくだから調理所を借りて、いろいろ作ってみても……」
「んーとね、それなんだけど、ちょっと私はいいかな」
遠慮するように笑うミーシャへ、アイリスが眉をひそめる。
「どうして?」
「明日まで時間がほしいの。ああいや、別に無理をするってわけじゃないから、心配しなくていいの。ただね、集中したいってだけ。明日の朝にいっぱい食べるから大丈夫!」
むん、と胸を張る彼女に、アイリスはきょとんとした顔で首を縦に振った。口ぶりからするに、無理とか自己犠牲とか、そういった雰囲気では本当にないらしい。
「じゃあ……」
「うん、今日はこのままちょっと集中。だからアイリス、おやすみ。また明日ね」
そう言われてしまうと、アイリスは部屋を出ていくことしかできなかった。
扉が占められて、かつかつと足音が遠のいていく。一度だけそれは止まったかと思うと、また少しだけ早くなって、やがて聞こえなくなった。
やがて静寂が訪れて、ミーシャが黒い花と目を合わす。
「じゃあ、一緒に始めよっか」
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