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プリンである。
「ほんもみもみむみんもみみーもめ!!」
「ちゃんと飲みこんでから喋りなさい」
一回にある大きな食堂、いわゆるお誕生日席に座るミーシャは、スプーンを握り締めながらそう声を上げた。机の角を挟むようにして座るアルヴァニアは溜め息をついて、何本もの瓶詰めにされたプリンへと目を落とす。
「しかし、謝礼というのがこんなものでいいのか?」
「いいのいいの! だって、このプリン本当においしいんだもん!」
空になった瓶を机の端に置いて、ミーシャが更にプリンの山へと手を伸ばす。累計六瓶目、そろそろ味に飽きてきそうな頃合いのはずだが、彼女の食指は止まるような様子を見せていない。
頬に手を当てながら舌鼓を打つ彼女に、アルヴァニアも自然と顔に笑みを浮かべていた。
「それにしてもアルヴァニアさん、こんなに美味しいお菓子つくれるんだね」
六瓶めを空にしたミーシャが、ふいにそんな言葉を口にする。
「気に入ってもらえたようで何よりだ。数少ない趣味の一つだが」
「ほんとに美味しいよ! この腕前なら、お店だって開いてもおかしくないもん!」
「誉めてもそれ以外は出てこないぞ」
「私からしたらそれでも充分! もう一個もらうね?」
にま、と口元にプリンのかけらをつけながら、ミーシャが笑う。そんな彼女につられて、アルヴァニアも口元を緩めて、語り始めた。
「昔、魔女がいたという話はしたと思うが」
「この宮殿の持ち主だったんだよね」
「ああ。彼女は私の母親のような存在だったんだ。実の母親は私が産まれた直後に体を弱くして死んでしまったらしくて。父は政で忙しいし、一人だった子供の私の面倒を彼女が見てくれたんだ。このプリンも、その時に作り方を教えて貰った」
ゆっくりとスプーンを口に運ぶと、ほんのりと甘い香りが喉の奥へと抜けていく。まろやかな舌触りと、しつこくない味わいが、先程からいくらか疲れているアルヴァニアの心を落ち着かせてくれた。
そんな間にも既にミーシャはプリンを食べ進めていて、にっこりとした笑みを浮かべてまま。初対面でも分かる気分の良さに、思わずアルヴァニアが口を開いた。
「そんなに美味しそうに食べてくれるのは、君が初めてだよ」
「えっ、そうなの?」
「というより、他人にこんなもてなしをすることが無かったからな……私の作ったものを食べて貰うことが、初めてのことだ」
「ええ、もったいない! こんなにおいしいお菓子作れるなら、もっと女のひとにモテそうなのに」
「それは……少し、困るな」
はは、と自嘲気味にアルヴァニアがそう呟く。やや顔に影を浮かべている彼に、ミーシャはスプーンを咥えながら、きょとんと首を傾げていた。
「なんで?」
「……エリザベート嬢。私は、女性があまり得意ではないんだ。言ってしまえば、嫌いだともいえる」
「そうなの?」
「ああ。この夜会も、私の女性嫌いに業を煮やした父親が開いたものだ。どうしても私を結婚させて、子を成してほしいらしい。まあ、私としてもこのひねくれた性格を直す機会だと思ってはいたが……やはり、少し気負ってしまう」
食べ終わった瓶へとスプーンを収めて、アルヴァニアは軽く溜め息を漏らす。しかしながらすぐに空瓶をミーシャと同じ様に机の端へと寄せると、また薄い笑みで彼女の方へと向き直った。
「けれど、君を見ていたら少し自信がついた。そうだな、こうした会話のきっかけを作れられる、これから来る彼女らとも上手いやり取りができるかもしれない」
「うん、きっと大丈夫だよ! それにほら、アルヴァニアさんってイケメンだし! きっとすぐに結婚相手も見つかるって! たとえば私とか?」
「そうだな、考えておく。こうして私の料理を喜んで食べてくれると、こちらも嬉しい気持ちになるから」
「ほんと!? じゃあ、一日一リットルくらいの血液も……」
「それは考えさせてくれ」
死んでしまう。言葉を続けようとしたミーシャに、アルヴァニアはたまらず答えた。
そうやって会話を交わしていると、ふいに扉の開く音がする。ミーシャとアルヴァニアの二人が同じように視線を投げると、果たしてそこに立っていたのは、神妙な顔つきをしているジークであった。
「どうした?」
「アル様、すこしお耳を」
つかつかと早足で主人の側へ寄りながら、ジークが片手を口に当てる。
「アイリス様からの伝言です」
「彼女から?」
「はい。何やら、この近辺で少し異質な魔力の反応があった、とのことで」
小さく囁かれた言葉に、アルヴァニアが眉間に皺を寄せる。
「……元々あるものではないのか? ここには彼女が住んでいたんだぞ」
「それも承知のうえで、それとはまた別の魔力だというそうです。しかしながら量自体は微力であり、もしかするとただの勘違いという可能性もありますが……一応、何か変なことがあったら報告するように、と」
「……エリザベート嬢のことは」
「そんなことは百も承知だ、と」
「ふむ……」
口元を手で覆いながら、小さく言葉を漏らす。確かにミーシャは先程大きな魔法を使っていたが、友人のアイリスがそれを危険視するはずがない。実際にミーシャが行ったのも規模は大きいがただの掃除であるし、となると他に魔女、もしくは魔力をもった何かがいる、ということになる。
「アイリスは」
「しばらく近辺の調査をしてから合流するとのこと。おそらく夕刻には」
「わかった。ではそこでもう一度、彼女から事情を聴くことにする。また何かあったら伝えてくれ」
「了解しました」
それだけ残して深く頭を下げ、ジークがつかつかと去っていく。その年を重ねた小さな背中を見送りながら、ミーシャは神妙な顔つきのアルヴァニアへと問いかけた。
「アルヴァニアさん、何かあったの?」
「ああ、大したことではないんだが……いや、君にも話しておこうか」
なにせ、アイリスの友人であり、さらに強力な魔女だ。このことをアイリスが伝えないわけがないし、それに彼女なら何か分かることがあるかもしれない。
「実はこの付近で、何らかの小さな魔力の反応があったらしい」
「そうなの?」
「ああ。アイリスから入った確かな情報だ。もしかすると、魔女かそれに関連する何かがこの付近に潜伏している可能性がある。まだ彼女も勘違いの可能性を捨てきれていないし、おそらく大丈夫だとは思うが……もしかすると、夜会を中止する可能性がある」
「ええ!?」
がたん、とミーシャが立ち上がると、空瓶が机の上を転がった。
「そうなったら私の黒魔法の研究が進まないじゃん!」
「ごく自然に私が血液を差し出すと思っているな……」
「大丈夫だよアルヴァニアさん、心配しないで! 何かあっても私と私の眷属さんたちが守るからね! だから安心して私と結婚してね!」
「ああ、心強い。何かあったら力を頼ることにする」
まかせて、と胸を叩くミーシャに、アルヴァニアが首を縦に振る。先程の彼女の魔法を見れば、その言葉が本心だということは、明確であった。
とりあえず彼女も味方をしてくれるのなら、何か大事になっても対処できるだろう。そう考えていると、アルヴァニアが浮かべていた険しい表情も、次第と柔らかいものになっていた。
「……さて、そろそろ午後の仕事でもしに行ってくる。プリンも食べきれなかったら、食糧庫に運んでおいてくれ。宮殿の案内はもうしたから、場所は分かるな?」
「うん! じゃあ、お仕事頑張って!」
「ありがとう。君みたいに励ましてくれると、その、嬉しい」
そう呟いてアルヴァニアが席を立ちあがり、ジークと同じ様に食堂を後にする。
その背中には、一匹の小さな蠅が捕まっていた。
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渡り廊下を歩いていくと、大きな別館の広間へと到着する。
「ここがパーティーの会場だよね」
そろそろ夕暮れにさしかかろうとするころ、小さな影を東へと伸ばしながら、ミーシャはその広間の中へと足を踏み入れた。
中くらいの円卓がいくつも並べられたその空間は、よく見るダンスホールのようなもので、その奥には大きな舞台が構えられている。二階部分は壁の内側を添うように造られていて、そこから舞台を含めた一階を一望できるように設計されているようだ。
そんな広間の中心まで行きながら、ミーシャがくるりと後ろを振り返る。
「二人とも、どう? 何か分かるもの、あった?」
そこには――大きな蠅の怪物と、また緑の毛並みの狼が、同じようにミーシャのことを覗いていた。
「……あまり分からない。もともとここにいた魔女の匂いなのかな。それが結構濃いから、探知するのもけっこう難しい」
「ベルさんでも分かんないか……確かに、私でも感じられるくらいだもんね」
しゅん、と四本の脚の肩を落とす巨大な蠅――ベルゼビュートに、ミーシャが宥めるように声をかける。小さな手で頭を撫でると、紅い複眼は少しだけ機嫌を良くしたように見えた。
「りっくん、そっちはどう?」
「駄目だ。鼻には何もかからない。まだこの地域に慣れていないというのもあるが、特にこれといって不穏なものはないな」
地面へ鼻を向けていた狼――フェンリルも、目を伏せて首を横に振る。心なしか、長い尻尾はだらんと、力が抜けているようだった。
「うーん……そっか。まだ二人ともこの地域の魔力に慣れてないもんね」
「申し訳ない。俺は力不足で……」
「そんなことないよ! りっくんも、ベルさんも頑張ってくれて嬉しいもん!」
ほら、とミーシャが両手を広げると、柔らかな風と共にフェンリルの体が子犬のように小さくなってゆく。そうして彼女の懐に潜りこめるようなサイズにまで縮まると、その腕の中にゆっくりと体を入れていった。
新緑の毛並みを撫でると、くるる、とフェンリルの喉から転がるような声が漏れる。
「ベルさん、さっきアルヴァニアさんにつけたヤツはどう?」
「……まだ、何も反応はないね。とりあえず彼は安全みたいだ」
「そっか、よかった」
ほっ、と安堵の息を吐いて、抱えたフェンリルを地面へ降ろす。ぱたぱたと尻尾をふるフェンリルの頭をもう一度だけ撫でると、ミーシャは後ろで控えているベルゼビュートのほうへと振り向いた。
「やっぱりベルさん、お願いできる? ちょっと心配かも」
「ああ。わかった」
応えるようにベルゼビュートが杖を振るうと、どこからか湧いてきた蟲の大群が、まるでそれ一つが意志を持ったかのように、ミーシャたちの周囲を囲む。そうしてもう一度彼が杖を大きくふるうと、周囲に漂っていた蟲たちは、煙のように散らばって、窓の外へと消えていった。
「一応、魔力の認識感度は最大にしておいたよ。何かあったら、僕の方からミーシャへ伝えておく。けれど、油断はしないで」
「うん、ありがとね」
頷いて笑みを浮かべるミーシャに、蠅の王は再び向き直る。
「それでミーシャ。君は本当にあの男と結婚するの?」
「うん、そうだけど……」
何気も無く答えるが、やけにベルゼビュートの声が重い。心なしか足元のフェンリルもじっとこちらを見上げてくるし、なにやら重要なことを抱えているらしい。
「二人とも、どうしたの?」
「ミーシャよ、俺達は望みの具現だ。俺達はそれを叶えるためならば力を使うのを厭わないし、その望みの成就を心から望んでいる。だが……」
「……いや、いい。ハッキリ言うよ。僕は、止めた方がいいと思う」
「ええ?!」
何も含みも遠慮もなく放たれた言葉に、ミーシャが思わず声を荒げた。
「な、なんで? なんかマズいのかな?」
「僕は人間の文化には疎いし、男の趣味とかは分からない。それはフェンリルも同じだ。ミーシャが結婚したいと思う男ならそれを否定はしない。だから僕たちは、魔術的な面で君と彼の結婚を否定する」
「つまり、あの男との結婚はミーシャの命に関わるんだ」
「……どういうこと?」
心なしか小さな声になりながら、ミーシャが二人へと問いかける。
「さっきから話しているとおり、この宮殿には前に住んでいた魔女の魔力が残っている、って言ったよね。それも、他の魔力を覆ってしまう程に強いものが」
「うん。だから、ベルさんとりっくんに頼んで調査してもらったんだよ?」
「……そこからおかしいんだ。たった一人の男に、何人もの魔女の魔力が関わっていることが。そして、それをものともせず、何の危険もなしにミーシャへ打ち明けることが」
魔法に慣れている、と言えばそれまでなのかもしれない。だが、それをミーシャへ打ち明け、心配はいらないと豪語することに、ベルゼビュートは不安を拭えなかった。
魔女。魔法。人智を超えた、世界を歪める力。それは常人にとっては知り得もしない力であり、また畏怖の対象になるものである。
「分からない。未知数だ。なにせ、認知が出来ないから。けれど危険なことは確かで、それはミーシャにとっても望まないものだと、思う。そうだ、言うならば――」
「彼には、何人もの魔女が
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