黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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「アル様」

 

 そう自らの名前を呼ばれ、アルヴァニア・エムレスはペンを動かす手を止めた。机の上に使い古した筆をおくと、軽く首を鳴らしてから、声のする方へと視線を投げる。

 

「どうした、ジーク」

「お手紙がございます」

 

 閉めた扉の前に立つのは、燕尾服を羽織る老齢の男性であった。

 ジークと呼ばれた彼は、かつかつと執務机の前へと歩み寄り、手に持った一枚の封筒をアルヴァニアへと差し渡す。しかし彼はすぐにそれを受け取ることはなく、深いため息をついたのち、やけに穏やかな表情を浮かべている彼と視線を合わせた。

 

「……またか?」

「はい」

「悪いが、取っておいてくれ。読む気になれない」

 

 眉間を強く抑えながら、アルヴァニアが手で払うような素振りを見せる。最近になって何度もなされるこのやり取りに多少の苛立ちを感じていたが、しかしどうしようもないことだ、とも割り切っていた。

 はあ、と再び漏らした溜め息は、とても重たいものに感じられる。

 アルヴァニアにとって、今回の夜会は非常に気の進まないものであった。

 

「お疲れのようですね」

「だってそうだろう。こんな……身勝手なことがあるか」

「やはり治りませんか」

「……女性は、苦手なんだ」

 

 絞り出すように呟きながら、アルヴァニアが顔の前で手を組んだ。

 個人としての女性の誰かが苦手なわけではない。といって、誰か一人の女性に罪があるわけでもない。単純に苦手というか、通じ合うことが難しいというか。何とか説明を続けようとしても、アルヴァニアの頭には、抽象的な言葉しか浮かんでこない。

 要するに経緯を説明することはできないが――アルヴァニア・エムレスという男は、自他ともに認める、極度の女性嫌いであった。

 それこそ親が呆れ、各地から結婚相手の候補を呼び寄せてしまうほどに。

 

「別に彼女らに何かをされる、というわけではないでしょう。不安を感じておられるかもしれませんが、その時は私が……」

「そういう問題じゃない……わかるんだ、心配をしすぎたというのも。ただ、感覚だけで決めている、というのも。でも……やっぱり、慣れないものは慣れない。だから、すまない。それはとっておいてくれ」

「本当によろしいのですか? どうやら、アイリス様のご友人からのようですが」

「なに?」

 

 出されたその名前に、アルヴァニアが顔を上げる。

 

「確か……ミーシャ、といったか。彼女の友は」

「はい。差出人もそのようになっています。どうされますか?」

「……少し、貸してくれ」

「どうぞ」

 

 考えを絞り切って出した手に、ジークはにっこりと頬へ皺を寄せながら、右手に持ったそれを差し出した。

 

「やはりアイリス様には甘いのですね」

「当然だろう。彼女は友だからな。彼女の紹介であれば、受け取るというものが礼儀じゃないのか……少し、贔屓な気もするが」

 

 そう軽く笑いながら、やや遅い手つきで封を切ると、アルヴァニアはその文字列へと目を落とす。

 

『アルヴァニアさまへ』

「ふむ」

『やっほー! 元気ですか? 私はとっても元気です!』

 

 ぱたん。

 

 

「どうされました?」

「いや……なんだか、その…………予想の斜め上を行くというか」

「それは面白い。とうとうアル様の興味を惹く女性が現れたと」

「違うだろう。これは女性というか……」

 

 女児というか、幼女というか。

 頑張って綺麗に整えた文字へと目を通しながら、アルヴァニアは改めて手紙を読み進めた。

 

『今回はアイリスのお誘いで、お嫁さん決定戦に参加します!』

「お嫁さん決定戦……なるほど。言い得て妙だな、これは」

『私の目標はもちろん一位です! それで、アルヴァニアさんのお嫁さんになって、王族の血を手に入れようと思っています!』

「……やはり、皆それが目当てか……」

『具体的には一リットル/dくらいで貰えると嬉しいな、って思います!』

「待て!!」

 

 思わずがたん、と立ち上がると、ジークがはて、と首を傾げる。

 

「どうされました」

「ジーク、お前これちゃんと読んだのか!?」

「はい。アル様の側近として、手紙は全て閲覧するようにしていますが……」

「なぜこれを通そうと思った!? 明らかに脅迫みたいなものがあるだろうが!」

「そうでしょうか? 意気込みがちゃんと書かれていて、よろしいと思います」

「私がおかしいのか……?」

 

 痛んでくる頭を押さえながら、アルヴァニアは腰を下ろす。

 読み進めるのがだんだんと怖くなってきた。

 

『あと、血だけじゃなくて髪の毛とか爪とか、いろいろ貰いたいと思っています』

「狂気だな……」

『それと、他の参加者もたくさんいるみたいですが、私の魔法だったら負けません! 私は黒魔女なので全員をかんたんに吹き飛ばせます! そこが私のアピールポイントです!』

「ジーク、彼女は本当に今回の趣旨を理解しているのか?」

「元気そうでよいではないですか」

 

 そういう問題ではない、と突っ込もうとしたが、最早その気力すらない。

 背もたれへ一度もたれかかり、天井を仰いで抜けるような息を吐くと、アルヴァニアはまた手紙へと相対する。ある意味、戦いのようなものでもあった。

 

『というわけで、これで手紙を終わりたいと思います! ここまで読んでくれてありがとうございました!』

「やっとか……こんなに読んでいて疲れる手紙は、初めてだ……」

『なおこの手紙は、アルヴァニアさんが読み終えた、その五秒後に魔法陣が起動して』

「…………? おい、これはどういう……」

 

「私が召喚されます!」

「は?」

 

 響き渡る少女の声と共に、手紙の表面へ魔法陣が浮かび上がった。

 淡い紫の色をしたそれは、意志を持つように机の上へと移動すると、その表面から眩い光を放ち出す。溢れんばかりの閃光に、アルヴァニアは思わず腕で目を覆う。そうして彼が次に目を開いたのは、数秒が経ってのことだった。

 

「い、一体何が……?」

 

 最初に見えたのは、黒い靴。だんだんと視線を上へ移していくと、黒いローブに、黒い杖に、黒いマントが目に映る。夜闇を更に深くしたようなその色の中、ただ一つ輝いていたのは、星のような金のひとみ。

 同じような金糸の髪の上に載せられているのは、トレードマークの三角帽子。

 その視線が交錯すると、机の上に立つ彼女はにかり、と太陽のような笑みを浮かべながら、

 

「というわけで、こんにちは! 私はミーシャ=エリザベート! これからよろしくね!」

 

 そう、言い放った。

 

 

「……つまり君が、あのアイリスの友人であるミーシャだと」

「そうよ、黒魔女のミーシャ。あなたがアルヴァニアさんね?」

「ああ。それで、こちらがジーク。私の執事だ」

「アル様の身の回りのお世話をさせて頂いております。以後、お見知りおきを」

「うん、よろしくね!」

 

 ぺこり、と深く頭を下げるジークに、ミーシャがうんうん、と首を振る。

 そんな彼女に、アルヴァニアは未だに疑うような視線を向けることを、やめられないでいた。執務机の上に立ったまま、先程まで書いていた書類をガッツリ踏みつけていることにも、気付かなかった。

 

「しかし……アイリスに、こんな小さな友人がいたとは」

「小さい?」

「ああ。見たところ、十三歳か四歳ほどだろう?」

「ううん、違うよ? 私、二十五歳だもん。アイリスと同い年」

 

 きょとんとした顔で答えるミーシャに、アルヴァニアがまた頭の上に疑問符を浮かべて固まる。そうして何も発さなくなった彼に、ジークがこっそりと彼の側へと通って、耳元で囁いた。

 

「よかったですね、二歳差です。法にも道徳にも引っかかりません」

「いやそれが問題だろう。明らかに異常ではないか!」

「まあ、そういった方もいるということで。世界は広いですから」

「私の友人だぞ!? 狭いわ!」

 

 ひそひそと何かを話す二人をよそに、ミーシャはきょろきょろと辺りへ視線を巡らせる。

 赤い絨毯の敷かれた、本棚に囲まれている大きな執務室。自分が立っている机以外にも、部屋の左後方にはソファーに囲まれたテーブルがあって、その反対には何かの症状とか、盾とかが置かれた棚がある。

 そして自分の真後ろの壁には、大きな扉が一枚。

 執務机からぴょん、と飛び降りると、ミーシャはその方へと駆けだした。

 

「……え、エリザベート嬢!? どこに!?」

「お外! お嫁さんになるんだから、間取りも確認しないと!」

「いや、そんな勝手に……ああもう! 悪いジーク、少し行ってくる!」

「いってらっしゃいませ」

 

 背もたれへとかけた上着をとって、アルヴァニアが急いでミーシャの後を追う。数日ぶりに執務室から出ていく主の姿を、ジークはほっこりとした笑みで見送った。

 

 

 廊下は長く、窓の外からはけだるい昼の日差しが入り込んでくる。壁には誰かの描いた肖像画とか、風景画とかが一定の感覚で飾られていて、その前を黒い三角帽子の影が過ぎていった。

 

「私のお屋敷より大きいわね……掃除とか、もっと頑張らないと」

 

 胸の前で両手をぐっと握りながら、ミーシャがそうひとりごちる。

 曲がり角を進んでいくと、少し進んだ先に大きな階段があるのが見える。そちらへと足を進め、階段をどたどたと降りた先には、大きな広間になっていた。

 向かい側と合わさるような踊り場で立ちすくみながら、ミーシャが天井を見上げる。華美な装飾がほどこされたそれは、ミーシャが何人縦に並んでも、届かないようにみえた。

 そんなことを考えていると、ふと後ろから、覚束ない足音が聞こえてくる。

 

「え、エリザベート嬢……! ちょっと、待ってくれ……!」

 

 振り返ったそこには、膝に手をついているアルヴァニアの姿があった。

 

「あれ? アルヴァニアさん? どうしたの?」

「それはこっちのセリフだ……勝手に出ていくものだから」

 

 ふぅ、と額の汗を拭い、呆れたように呟く。

 

「でも、お嫁さんになるんだから、この宮殿の間取りも確認しとかないと」

「だったらなおさら私が必要だろう? もし宮殿の中で迷ったらどうするんだ?」

「……そっか!」

「素で忘れてたのか?」

 

 ぽん! と手を叩いて頷くミーシャに、アルヴァニアはがっくりと肩を落とした。

 

「とにかく、宮殿を見て回るのなら私が案内する。ゆっくりな」

「でも、アルヴァニアさんもお仕事とかあるんじゃないの?」

「だからといって、客人を放っておくわけにはいかない。せっかく来てくれたんだ」

 

 というか、放っておいたら何が起こるか分からない。あの手紙だけで、アルヴァニアはミーシャの危険度をおおまかに把握していた。最悪衛兵を呼ぶ。

 心の中だけで付け足しながら、アルヴァニアが階段を降りていく。こつこつと進んでいく彼にミーシャもついていくと、そちらへと目をやりながら、口を開いた。

 

「とりあえず、行きたいところはあるか? 見ておきたいところとか」

「んー……じゃあまず、お外から! どんな宮殿かわたし、知らないし!」

「外はあちらだが……今はやめておいたほうが」

 

 階段を降りた先にある扉を指さしながら、アルヴァニアがそう告げる。両開きらしいそれは、駆け寄ったミーシャが手をかけると、すんなりと開いてくれた。

 

 外に出ると、そこに広がっていたのは――緑であった。

 ミーシャの背ほどにまで伸びた雑草に、遠くに見えるのは宮殿の全体を囲む森。道らしきものはかろうじて、という様子で通っており、進むにはいくらか草を掻き分けていくしかないらしい。

 玄関を飛び出して、そのままの勢いで草むらへと突っ込んだミーシャは、身をもって体験した。

 

「な、なにこれ!? 草ぼーぼーじゃん!? トウモロコシでも育ててんの?」

「……だから、今はやめた方がいいと」

 

 同じ様に扉をくぐりながら、アルヴァニアははあ、と溜め息を吐いた。

 

「元々、ここは十数年前まで抱えていた魔女の宮殿だったんだ。私としても、ここを個人的な意味で夜会には使いたくなかったんだが……父上が手当たり次第に知り合った女性へ招待状を送るものだから。規模的に、ここでしか開けなくなってしまって」

「じゃあ、まだ掃除はできてないの?」

「ここだけな。中や庭の掃除は済んだんだが、どうにも玄関は量が多くて。明日、庭師を何人か雇って間に合わせるつもりだ」

 

 不甲斐ない、と頬をかきながら、アルヴァニアが自嘲気味に笑う。しかしながら、ミーシャは少し何かを考えたそぶりをすると、ぽんと手を叩いて、アルヴァニアの方へと向き直った。

 

「ねえ、アルヴァニアさん」

「どうした?」

「もし玄関の掃除をしたら、誉めてくれる?」

「客人にそんなことはさせられない……と言いたいところだが、人手が増えるのはありがたい。謝礼は望むものをしよう」

「ほんと?! じゃあ、今からするから!」

「ああいや、待て。明日には他の手伝いもくるから、それまで――」

 

 アルヴァニアの静止を聞くことも無く、ミーシャが手に握った杖を地面へと突き立てる。瞬間、先程と同じ様な紫色の光が迸り、彼女の足元を中心に、複雑な紋様の魔法陣が辺り一面へと広がった。

 

「これ、は……!」

 

 自らの足元をも蝕むそれに、アルヴァニアが声を詰まらせる。しかし前を剥くミーシャはそんなことをつゆも知らず、口元に得意げな笑みを浮かべたまま、その名を呼んだ。

 

「おいでませ、古き森の災厄さん!」

 

 紡いだ言葉が、終焉を顕現させる。

 激しい地鳴りと共に、魔法陣から枯れた蔓が幾重にも伸びていく。それはだんだんと絡み合って、ミーシャを包み込むような、巨木へと形を変えた。

 そして、その上部に形作られるのは、歪んだ人のかたち。ぎりぎりと締め付けるような音を立てながら、その陰は手に一つの杖を握る。自らを包む籠のような蔦はいつからか自分から開くようになって、そこから体を出すと、伸びた蔓がミーシャの頬を撫でて、

 

「呼んだか……ミーシャよ……」

「うん!」

 

 枯れ果てたそれを手に取りながら、ミーシャは大きく頷いた。

 

「久しぶりだね、災厄さん! 元気してた?」

「ああ……変わらぬ。そちらも、元気そうで……」

 

 と。

 何か異変に気が付いたのか、災厄はぎりぎりと体をねじらせながら、後ろの方へと視線を向ける。

 

「……これ、は」

 

 そこにいたのは、その場にへたり込んでいる、アルヴァニアであった。

 

「ミーシャ……彼は、一体……」

「んー、あの人? えっとね、アルヴァニアさんって言って、私の結婚相手!」

「結……婚……相手……」

 

 ぱぁん、と災厄の足元から、一本の蔦が伸びる。

 それは正確にアルヴァニアの襟元を貫くと、強い力を持って彼の体を災厄の眼前へと引き寄せた。

 

「貴様……如何様にしてミーシャを唆した……!」

「そ、そそのか……? 違うぞ!? エリザベート嬢からこちらへ……!」

「無駄だ……そのような浅い言い訳が通用するか! 自らの考えを戒め、その身をもって償うがいい! 貴様に与える果実などないわ!」

「わー! ストップストップ! 災厄さん、やめてよっ!」

 

 眼球を貫かんと伸びた蔦が、アルヴァニアの前で動きを止める。

 そのまま蔦を足元へと収めると、災厄はゆっくりとミーシャの方へと問かけた。

 

「……では、本当にミーシャ、が?」

「そうだよ! アルヴァニアさんと結婚して、黒魔術の研究に使うんだから! だから、早く降ろしてあげて!」

「しかし……」

「いいから! これ以上アルヴァニアさんに変なことすると、しまっちゃうからね!?」

 

 もう、と災厄へ指をさすと、すんなりとアルヴァニアの体が地面へ降りる。普通に研究材料にされると言われたが、今のアルヴァニアにその言葉を拾う余裕などなかった。

 

「しかし、ミーシャよ……結婚か……」

「うん、そうだよ。どう? いいお嫁さんになれそう?」

「ああ……そなたなら、立派な伴侶になるであろう。しかし……だからこそ、よく考えてほしい。本当に、彼はそなたとこの先の道を添い遂げるものであるか。彼は、そなたの幸せに貢献してくれるものなのか。そなたが決めたことならば、私はそれを応援しよう……だが、立ち止まれれるのなら、もう一度。それが、そなたが幸せになれる確かな道なのだから」

「一番マトモじゃない恰好のがマトモなことを言ってるな……」

 

 思わずそう呟くと、それに気が付いたミーシャと災厄が、同じようにアルヴァニアへと視線を投げる。するとミーシャの方は急いで彼の方へと駆け寄って、その顔を覗き込んだ。

 

「ご、ごめんなさいアルヴァニアさん! 災厄さん、なんだか勘違いしちゃって……」

「大丈夫だ。いや、正確には問題しかないが……ともかく、私は無事だ」

「そっか……よかった。ほら、災厄さんも迷惑かけちゃったんだから! ちゃんと謝らないと!」

 

 腰に手を当て、頬を膨らませるミーシャに、災厄がまた蔦を伸ばす。しかしながらその動きはゆっくりで、アルヴァニアの前へと出てくると、そこから一つの黄色い果実を実らせた。

 

「ガリルの実だ。少し酸味は強いが……良い香りを放つ」

「はあ……」

「……すまなかった。だが、ミーシャを不幸にさせたその時は……覚えておくように」

 

 そう、言葉と同時に落とされた実を、アルヴァニアが両手で受け取る。

 

「ミーシャ、そなたにもこの実、を……どうか、手を」

「うん!」

 

 そのまま伸びた蔦は同じようにミーシャの手のひらの上に木の実を落として、まだ災厄の足元へ戻ってゆく。

 

「してミーシャ、此度は如何様に」

「あのね、この辺りの草むらをぜーんぶ刈っちゃって!」

「請け負った……では、それを食む前に、全てを」

 

 そうして災厄が杖を空に掲げると、黒い瘴気のようなものが杖の先端へと集ってゆく。青かった空はいつのまにか暗くなっていて、それが集まっている瘴気によるものだと気が付いたのは、杖が先端から末端にかけて黒く染まったのを見てからだった。

 しゃく、とミーシャが黄色の果実へ、歯を立てる。

 

「この地に在りし森の精よ! 我が声に、我が意志の下に!」

 

 そして災厄が杖を突きたて、終焉を齎した。

 扇状に広がった瘴気は先程まで茂っていた雑草を一瞬で塵へ変え、周囲の一帯を荒れ果てた大地へと変貌させる。何も残っていないその大地へ、災厄は再び杖を掲げた。

 太陽の光が杖へと集積し、光の粒が舞い始める。そうして災厄は杖を勢いよく振ると、その荒れた大地へ、光の粒子を散りばめた。

 

「ここより、世界へ繁栄を……我が主を祝福する、限りの無い、賛歌を」

 

 ぽつり、と。

 ひとつの蒼いつぼみが芽吹き、小さな花を芽吹かせる。

 荒廃した地は一瞬にして淡い蒼に染まり、大地の果てまでを塗り替える。広がるのは一面の青い花畑であり、それは広がる蒼天を映したようにも見えた。

 一瞬にして風変りしたその景色に、アルヴァニアは口を開けたまま。

 足元で眼前の風景へと目を馳せる彼女に、災厄がぽつりとつぶやいた。

 

「……魔力の質が、良い」

「そうなの?」

「この地には……誰かの、魔力が残留している。この蒼も、きっとその魔女のものなのだろう。しかし、これほどとは……素晴らしい」

 

 珍しく饒舌になる災厄にちょっと嬉しくなりながら、ミーシャが最後の果実のかけらを口の中へ放り込む。そうして後ろを振り返りながら、アルヴァニアの方へと声をかけた。

 

「はい、アルヴァニアさん! ちょっと変わっちゃったけど……でも、草刈り終わったよ! どう? すごいでしょ!」

「……ああ。想像していたよりも、遥かにはやく終わったな」

 

 杖を立てたまま動かない災厄を見上げながら、アルヴァニアがそう呟く。そうして初めて果実を口に含むと、少しの苦みと、柑橘系のさわやかな香りが鼻に抜けていった。

 広がるのは、空の蒼。

 

「……魔女か」

「そう! すごいでしょ? 私の黒魔法!」

「え? あ、ああ……そうだな。庭師を雇う金も浮いたし……本当に、助かったよ」

「ほんと!? よし、これでお嫁さん力アップね! 掃除だってできるんだから!」

 

 自分で掃除をしていることに気が付いてないが、ミーシャはそう両手を握り締める。

そんな彼女の頬を蔦で撫でると、災厄は彼女の方を向きながら、ぼそりと呟いた。

 

「では、ミーシャ……私はこれで……」

「ありがとね、災厄さん! ばいばーい!」

 

 はらはらと花びらが散るように、枯れた蔦がほどけてゆく。そうして古木の巨人は魔法陣の中へと姿を消してゆき、それを見送ったあとに、ミーシャは改めてアルヴァニアの方へと振り向いた。

 

「……もしかして、アルヴァニアさんって魔法に慣れてる?」

「ああ。この宮殿に住んでいた魔女は、私の子供のころにはいたから……それで、何度か魔法を見せて貰っていた」

「だから、災厄さんが出てきてもあんまり怖がらなかったの?」

「驚きはしたが……まあ、魔法なら何でもありなんだろう? それに、こう見せられれば納得するしかあるまい」

「……そっか!」

 

 疲れたように言うアルヴァニアに、ミーシャが抱えた不安を払う。

 

「災厄さん、初めて見る人は怖がってたから。でも、アルヴァニアさんは慣れてたみたいだし、この調子だと他の眷属さんとも仲良くできそう!」

「……あんなのが、他にもいるのか?」

「うん! そのうちみんなも紹介するから、楽しみにしててね!」

 

 ぶい、とピースサインを掲げるミーシャに、アルヴァニアが乾いた笑いで返す。

 運命の夜会まであと三日。既に彼の胃は、限界に達しそうだった。

 

 


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