01
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「そういえばミーシャ、結婚に興味はないの?」
とある午後の昼下がり。
ミーシャの屋敷で開かれるいつものお茶会の中、アイリスはそう対面する黒魔女へと問いかける。口いっぱいにケーキをほおばる彼女は、翡翠の瞳を見つめると、こてん、と首をかしげて問い返した。
「ん? なんで?」
「年齢的にそうだな、って思って。ミーシャはどう? 結婚したい?」
「そうね、結婚かあ……」
フォークの先を咥えたままで、ミーシャがそう思考にふける。
結婚。男の人と添い遂げる、お嫁さんになるアレだ。人生の墓場と言う人もいるし、女の子の夢だと言う人もいる。けれどミーシャにとって確かなのは、それが人づてに聞いたことで、自分自身の知見は皆無だということだった。
うんうんとうなり続ける彼女に、アイリスがくすりとほほ笑む。
「あんまり考えたことない?」
「……そう、ね。どんなものかの興味はあるけど、それだけ、って感じ。それに私、結婚してくれるような男のひとの知り合い、いないもの」
べつに気にしてないけど、とアイリスにフォークを向けたあとに、またミーシャがケーキへと手を付ける。既に五皿目、横に積まれた白い皿へと目を配らせながら、アイリスはふぅん、と呟いた。
「別に、結婚するなら男の人じゃなくてもいいのよ?」
「……女のひととも結婚できるの?」
「もちろん。ミーシャがそうしたいのなら」
そう言われて、ふとミーシャがもう一度考える。
身近な女のひと。結婚を許してくれそうなひと。ずっと一緒にいてくれそうなひと。好きになれそうなひと。
「ミーシャ? どうしたの?」
「……な、なんでもない」
笑顔のままのアイリスに、どうしてか恥ずかしくなって、ミーシャが顔をそらした。
「そ、それよりアイリスはどうなのよ。結婚とかしないの?」
「私はいいかな。今はそうしたことも考えてないし、一人の方が気楽だし……まあ、したいなって思う時はあるけど。でも、結婚するよりこうしてミーシャと過ごせるほうがいいのかな、って」
紅茶の入ったカップを覗きながら、アイリスは優しい声で告げた。
そのまま紅葉の色をした液体を喉に通すと、彼女はどこからか一枚の手紙を取り出して、机の上へとそれを滑らせる。今まで顔を真っ赤にしていたミーシャは、指先に当たった一枚の封筒に気づくと、それを急いだようにして取り上げた。
「アイリス……なにこれ? お手紙?」
「そうよ。開けてみて」
先程からにこにことしたままのアイリスへ少しだけ訝し気な視線を向けながら、ミーシャがその手紙の封を切る。開かれたその封蝋には、鷲と獣の体を合わせたような、何かの動物を象った紋章が刻まれていた。
ぺらり、と中に入っていた紙を手の中で開けて、その文字列を読み上げる。
「……夜会の招待状?」
体が少しだけ強張るのを、ミーシャは感じていた。
「……親愛なるミーシャ様へ。此度は、ロジェクト王国にて開かれる夜会を開く予定です。つきましては、あなたにこの夜会へ参加していただきたく、この招待を遅らせていただきました。ミーシャ様の参加を、心よりお待ちしております。もし参加のご意向があれば、こちらの招待状をご持参ください……エムレス家の当主、アルヴァニア・エムレス」
聞き覚えの無いその名前に、ミーシャが首を傾げる。
そんな彼女の意志を汲み取って、アイリスは話を始めた。
「彼はね、私の知り合い」
「……いつからの?」
「そうねえ……子供のころ、ちょうどミーシャちゃんと離れちゃったころかしら。私ね、親に言われてその人のところに嫁ぐ予定だったの」
一つひとつを思い出すように、彼女がぽつぽつと続けていく。
「でも実際はそこまで悪い人じゃなくてね。私の環境を慮ってくれたりして、結婚を断ってくれたのよ。それでミーシャのことも話したら、早く行ってやれ、とも言ってくれて」
「……いい人なんだ」
「そうよ? 私の恩人みたいなひと」
どこか遠くを見つめながら呟く彼女に、ミーシャも柔らかな笑みを浮かべた。
カップの中身をくるくると揺らしながら、アイリスがまた思い出したように口を開く。
「それで、今回の夜会は彼……ではなくて、彼の両親が開いててね」
「うん」
「その目的が、彼の結婚相手を決めることなのよ」
「……うん?」
裏返った声で、ミーシャがアイリスへと問い直す。
「言っちゃえば、うちの息子と結婚したい人は集まって、ってこと。だからミーシャ以外の人にもその招待状は送られてるの」
「えーと……そんなにこの人、結婚したいの?」
「彼にその気はないんだけどね。まあ、どちらかというと、集められる人たちが彼と結婚したいみたいなの」
「……なんで?」
頭の上にいくつもの疑問符を浮かべながら、ミーシャがそう問いかける。
「だって、アルヴァニアの父親は今のロジェクトの王様だもの。その人と結婚するってことは、つまりロジェクトのお姫様になるってことよ」
なんでもなしにそう口にする彼女に、思わずミーシャはがたん、と立ち上がる。
「そ、そんな大事なこと、そんな方法で決めちゃっていいの!?」
「まあ、王様が言ってる事だから。それに、彼もこの招待状を出したってことは、その意志が少なからずあるってことよ。ま、彼にそんな余裕があるとは思えないけど」
「だ、だからってこんな……」
手の内にある招待状へと目を落とすと、ふとミーシャはあることに気づいた。
「……この招待状を送られた人は、お姫様になれるんだよね」
「正確にはその権利がある、ってところだけど」
「……私のところに招待状があるってことは、つまりそういうこと?」
「ああ、それは……うん、そうね。でも……」
よくよく考えてみれば、当然の反応だ。結婚というものに興味がないのに、こんな手紙を渡されても困惑するだけだろう。それに、ミーシャは彼――正確には彼の親御のやり方には疑問を感じているらしい。
少しだけ先走ったかな、と申し訳ない気持ちになりながら、アイリスがミーシャの持つ招待状へと手を伸ばす。
「ミーシャは、興味ないものね。出すべきではなかったわ」
「…………」
けれど、それが彼女の手へと渡ることはなかった。
「……ミーシャ?」
「ねえアイリス、この人って王子様なんだよね?」
「ええ、そうね。違いないわ」
ぎゅ、と招待状を渡さんとばかりに握り締めるミーシャに、アイリスが戸惑いながら答える。
「……結婚した夫婦って、いろいろ都合が効くよね」
「まあ、ある程度は聞いてくれるんじゃないかしら」
「ってことは、黒魔術の実験材料にしても許されるよね」
「ん? え、いや、さすがにそれは――」
だん!
「決めたわ、アイリス! 私、この人と結婚する!」
「えっ」
「それで、黒魔術の研究をもっと進めるのよ! 昔っから貴族の血は貴重なものって言われてるんだから、この人の血もきっと何かに使えるに違いないわ! ぜったいお姫様になって、この人の血を貰うのよ! 八リットルくらい!」
椅子から立ち上がり、高らかにそんなことを叫ぶ親友に、アイリスの胃がキリキリと痛み始める。まず、人体に血液はせいぜい四リットルほどしかないところから指摘すればいいのだろうか。
確かに興味とはいったが、そういう意味ではない。ナチュラルに人体実験を行おうとするミーシャへ、アイリスがおそるおそる問いかける。
「……ミーシャ、本当にその人と結婚したいの?」
「もちろん! それに私、いいお嫁さんになれそうでしょ?」
孫娘にはなれそう、という言葉を、アイリスは何とか押しとどめた。
「その、招待状はミーシャ以外のひとにもいっぱい送られたのよ? お嫁さんになるにはその中で勝ち残らないと……」
「そんなもの、何とかしてみせるわ! なんたって私は、黒魔女のミーシャだもん! そこで勝ち残るくらいじゃないと、黒魔女どころか魔女すら名乗れないわ!」
既にミーシャの頭の中には、勝利までの道筋が描かれている。ようは集まっているところをまとめて潰せばいい話だろう。それくらい、眷属に頼らなくても一人でできるもん。婚活も大したことねえな。
などと考えていると、ふとした疑問が思い浮かび、ミーシャがアイリスのほうへと視線を向ける。
「そういえばアイリスには招待状、来てないの?」
「ええ。だって私は、彼の友達だもの。結婚する気はさらさらないわ」
「ふーん……そう」
「あ、でもその夜会には行くわよ?」
「え? なんで?」
純粋なミーシャの疑問に、アイリスはくすり、とほほ笑んで、
「私ね、彼のお嫁さんがふさわしいかどうかを決める審査員なのよ」
そう言ったアイリスに、ミーシャは一瞬だけ固まると、元の席にゆっくり座りながら、おずおずと食べ掛けの――もうほとんど欠片になったケーキを差し出した。
「その……つまらないものですが……」
「あらあら、もしかして賄賂? そんな汚い手を使う人、減点しちゃおうかしら」
「あーッいや待って! これやっぱり私の! ほら、間接キスになっちゃうし!」
「いただきまーす」
ミーシャの静止の声も空しく、最後のひとかけらがアイリスの口へと入っていく。まるでこの世の終わりが来るかと思わんばかりの表情になって、ミーシャは震える瞳をアイリスの方へと向けた。
「あ、アイリス……これは違くて……」
「やっぱり美味しいわ、このケーキ。気分も良くなってきたかも。今なら、あの人に気にいられること、教えちゃいそうだわ」
うつぶせになったミーシャががばりと顔を上げると、アイリスはそれがおかしくて、また笑みをこぼした。
「げ、減点は……!」
「そんなことするわけないでしょ? それに私、ミーシャがやりたいことなら全力で応援するつもりだもの。だからあなたがお姫様になることも応援するわ」
「天使! 聖母! アイリス大好き! 白魔法サイコー!!」
手放しで喜ぶミーシャに、アイリスも頬に手を当てながら笑う。その結末に人体実験による親友の危機が迫ろうと、今の彼女の笑顔を見れば、些細なことに思えた。
少しの申し訳ない気持ちを心の中にしまいながら、アイリスが少し考えてから声をかける。
「とりあえずミーシャちゃん、お返事のお手紙を書いたらどうかしら? アルヴァニアもあなたのことを知らないし、ここで挨拶すれば、覚えてくれるかもしれないし」
「なるほど! じゃあ早速!」
そうと決まれば、こんなところでのんびりいている場合ではない。すぐにケーキの皿を片付けて、紅茶のぐびぐびと飲み干すと、ミーシャは取り出した杖をくるりと振って、屋敷のどこからかペンと手紙を呼び寄せた。
意志を持つようにミーシャの前へと滑りこむ手紙へ向けて、ミーシャがペンを執る。
「えーと……『アルヴァニアさまへ』」
「うん」
「『やっほー! 元気してる?』」
「待って」
「『今回は、あなたの血を頂きに来ました! だいたい八リットルくらい』」
「ミーシャ」
「『黒魔術のさらなる発展のための、尊い生贄になってください!』」
「本当に待て」
ある午後の昼下がり、二人の少女の声が、屋敷へと響き渡る。
かくて、ミーシャの日記へ新たな一文が刻まれるのは、もう少し先のことだった。
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というわけで外伝開始です 一周年記念ってことで
詳しいことは割烹に載せとくのでよろしければそちらへ