黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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黒魔女はケーキが食べたい。

 

 昼下がりの王都は、どこもかしこも賑わっていた。

 

 街の中心をまたぐ大通りには、煉瓦造りの建物が連なっている。そこを行きかう人影は様々で、その中で一人、黒いローブに三角帽子を被った奇妙な少女の姿があった。

 肩まで伸ばした金髪を流し、ご機嫌で歩く彼女はとある一件のケーキ屋さんで足を止める。そして鼻唄を歌いながら、その黒魔女はケーキ屋のドアを勢いよく蹴破った。躊躇はなかった。

 

「おっはよーぅ! 今日もいつものよろしくぅー!」

「もっと静かに開けろ!」

 

 豪快な入店をキメたミーシャに、カウンターに座っていた男が声を上げた。それを気にする様子もなく、ミーシャはカウンターに背伸びしていつもと同じ量の銀貨を投げる。

 

「いいか、俺いつも言ってるよな? お前のせいで何度その扉を直したと思って……」

「早くしてよケインー、今日わたし昼食べてないのよー」

「クソっ……お前は人の話を聞く気が無いのか……!」

 

 ない。あるはずがない。

 ケインと呼ばれたケーキ屋の男は、そう悪態を吐きながらガラスケースに並ぶケーキへと手を伸ばす。半ば雑に揃えられたショートケーキとモンブランを皿の上に一度に乗せると、それをカウンターテーブルへと置いた。

 

「おら、さっさと食って出てけ」

「ひどーい。ケイン、そんな態度取ってたら女の子に嫌われるわよ?」

「お前に態度の事だけは言われたくないんだが……」

「ん~、おいしそ! いただきまーす!」

「話を聞け!」

 

 カウンター席に座ったミーシャが、ショートケーキへフォークを入れる。柔らかなスポンジとなめらかなクリームで構成されたそれは、彼女の表情を緩ませるには十分すぎた。

 朝に並ぶ限定品とは違う、また別のケーキ。それでも苺の酸味が効いていて、シンプルな味わいが飽きさせないようになっている。これなら何皿でも食べれられるような気がした。

 頬に手をあてて、もぐもぐとケーキを食べ進めるミーシャにケインが頭を抱えて呟く。

 

「……お前、おととい来たばっかじゃねえか。そんなに食って太らねえのか?」

「別に? ふふん、黒魔法にはナイスバディを維持できる魔法があるのよ!」

「ショボい魔法だな」

「なにおう!?」

 

 がたん! とミーシャが両手をテーブルに叩きつけた。

 

「あー違う違う! そうだな、凄い魔法だと思うよ」

「そうでしょうそうでしょう? もっと黒魔法を褒めなさいよ!」

 

 胸を張りながらモンブランへと手を付け始めたミーシャに、ケインは少しだけ憂鬱な視線を向けた。

 

 ミーシャ・エリザベート。ケインの営むケーキ屋へ常駐していて、自らを黒魔女と称する奇妙な少女だ。好きなケーキは苺のショートとモンブラン。たまにチーズケーキを頼むときもある。

 黒魔法の稀代の使い手という点を覗けば、いたって普通の可愛らしい彼女に、ケインはどうしても違和感を抱かずにはいられなかった。

 

 前に一度、彼女の魔法を見たことがある。

 彼女が杖を振るうたびに辺りが漆黒に包まれ、言葉を紡ぐたびに闇がうごめき出す。まるでミーシャが黒そのものになっているようだった。

 彼女が言うには初級も初級の魔法らしいが、魔法に疎いケインでもそれが並大抵な事ではないことが分かった。そして、ケインはそれに恐怖すらも覚えていたのだ。

 

 その光景を思い出し、改めて幸せそうにケーキを頬張るミーシャへ視線を向ける。

 考える前に、既にケインの口は開いていた。

 

「お前さ」

「ん?」

「いや……もうちょっと、なんか、欲とかねえのかな、とか」

「欲? どうしてよ」

「自分を誇るより、黒魔法を誇ってるように見える。それでいいのか、なんて思ってな」

 

 ケインの口から出たのは。不安というよりは羨望に近かった。

 それは嫉妬と呼んだ方が、良かったのかもしれない。

 

「お前、自分が黒魔法を使えてる自覚あるんだろ? だったら、それをもっと広めりゃいいじゃねえか。黒魔法って難しい魔法なんだし、それが使えるってだけ凄いだろ。それこそ黒魔法を使って金持ちになれば、こんな一介の菓子屋のケーキなんていくらでも食えるし……」

「はーあ、……分かってないわねえ、ケインは」

 

 ミーシャが肩をすくめて、呆れたように首を振る。

 馬鹿にされたような反応に、ケインは苛立ちよりも先に疑問が湧いた。

 

「何がだ?」

「あのね、私は別に黒魔法を使って有名になろうっていう気はないの。ただ私は、みんなに黒魔法がいかに素晴らしいかを知ってほしいだけよ」

 

 フォークの先をくるくると回しながら、ミーシャが語る。

 

「私がどれだけ黒魔法を使えるかなんて関係ないわ。大事なのはみんなが使えるかどうか。この魔法のすばらしさを知ってもらうために一番手っ取り早いのが、私が直々に使うこと、ってだけ」

「そこまでの価値が、黒魔法に」

「あるわ。絶対。確実に。必ず」

 

 ケインの言葉を遮って、ミーシャがはっきりと口にする。彼女の金色の瞳には、ケインが今まで一度も目にしたことがないまっすぐとした意志が灯っていた。

 

「確かに私は黒魔法を覚えるまで時間がかかったわ。辛かったし、何度も折れそうになった。でも、好きだったからここまで使うようになったの。だから、黒魔法をみんなに好きになってほしい。それだけのことよ」

 

 気圧されるような表情に、ケインが恐る恐る口を開く。

 

「じゃあ、さ。なんでお前は、黒魔女なんて名乗ってるんだ?」

「……ほんとに知りたい?」

 

 覗き込むように問いかけるミーシャに、ケインが黙ってうなずく。

 そうして彼女は、頬に就いたクリームを人さし指ですくい、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「そっちの方が、かっこいいでしょ?」

 

 黒い三角帽子を傾けて、ミーシャが人差し指のクリームを舐める。その様子にケインは呆けたように口を開けていた。

 

「お前は……」

「んー?」

「……やっぱ俺、お前のこと分かんねえわ」

「何よそれ。そんなことより、ほら、これ!」

 

 肩を落とすケインに、ミーシャが空になった皿を突き出す。

 

「おかわり早くしてよ!」

「あーはいはい、分かりましたよ黒魔女さん」

「むっ、何その言い方。舐めてるでしょ!」

「舐めてねえよ」

 

 そこまで馬鹿にできるほど、ケインは肝が据わっていない。

 早く早くと急かすミーシャに微笑みながら、ケインはもう一度ガラスケースへと手を伸ばした。

 

 

「お前、それ以上食うとさすがに太るぞ」

「いいのいいの! 魔法使ってるし!」

 

 既にモンブラン五皿目に突入したミーシャに、ケインが呆れたような視線を向けた。カウンターテーブルには既に九枚の皿が重なっており、あの小さな身体にどれだけ入るんだ、とケインが心の中で呟く。

 計十皿目になってもミーシャの勢いは止まろうとせず、満面の笑みを浮かべながらケーキに舌鼓を打っている。黒魔女の尊厳なんてものは見つけられなかった。というよりも、元よりそんなものはない。

 

 ドアベルの音がなったのは、その時だった。

 

「いらっしゃい」

「こんにちはー……って、あら?」

 

 透き通るような声に、気配だけでも解る上品さ。その体にいち早くミーシャは反応し、受け皿を手に取りながら椅子をくるりと回して振り向いた。

 

「うげ、アイリス」

「ミーシャちゃん、今日はあなたもいるのね」

 

 背中まで届く黒髪をなびかせて、アイリスが微笑んだ。

 

「何してんのよあんた。仕事はどうしたのよ」

「今日は早く上がれたから、ここでお茶でもしようと思って」

「ふーん。まあ良かったじゃない。ほら、隣座りなさいよ」

 

 視線だけでミーシャが席を示し、再びカウンターテーブルへと体を向ける。その隣に座ったアイリスは、頭にかぶった三角帽子を脱いでケインへ話しかけた。

 

「いつもの、お願いね」

「もうできてますよ」

「あら」

 

 待ってましたとでも言わんばかりに、ケインが湯気の立つカップをアイリスへと差し出す。中に注がれている液体は、隣に座るミーシャの三角帽子のように黒かった。

 

「なにそれ」

「コーヒーよ。もしかしてミーシャちゃん、コーヒー知らないの?」

「こーひー?……知らないわね」

 

 甘党であるミーシャには縁のない言葉だった。思わずケインへ視線を向けると、彼はとても面倒くさそうな顔をしていた。

 

「苦いぞ。彼女のはブラックだから」

「ブラック……ケイン! 私もそれちょうだい!」

「お前さ俺の話聞いてた?」

「いいから! アイリスとおんなじの!」

 

 急かされたミーシャに、ケインが渋々ポットを傾ける。そうしてアイリスのものと同じように黒い液体がカウンターテーブルに出され、ミーシャは物珍しそうにその中を覗いていた。

 

「黒いわね……まさに黒魔女の私にぴったりの飲み物だわ」

「なあアイリスさん、こいつ本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫よ? ミーシャちゃんって黒魔女だし」

「何を根拠に……」

 

 そんなケインとアイリスの会話なんて露も聞かず、ミーシャが白いカップを一気に煽る。

 急な行動に思わずケインが口を開け、アイリスがあらあらと口に手を当てた瞬間、その音は聞こえてきた。

 

「んぐッ! おえッぶ! うごォぅんっふ! ふぶぅォあッ!」

「うわっ、汚ぇ! 飛ばすんじゃねえよ!」

 

 口元からコーヒーをまき散らしながら、ミーシャが必死に目をつぶって喉を鳴らす。なんとかして吐きだしたい気持ちを押さえ、ぐぐっと一気にカップを傾けてミーシャは空になったカップをテーブルに叩きつけた。

 

「にがぁぃ……何よこれぇ……泥水じゃないの……」

「だから言ったじゃねえか。話聞けって」

 

 そしてコーヒーは一気飲みするようなものでもない。

 魔法で取り出したハンカチでテーブルを拭きながら、ミーシャが涙目になって訴える。その隣のアイリスは、あらあらと笑ったまま、コーヒーに砂糖を入れていた。

 

「あー! アイリスずるい! 砂糖入れてる!」

「あら、別に私ブラックで飲むなんて言ってないもの」

「ふぬぬぬぬぬぬぅ……ずりぃ……!」

「そんな他人に見せられないような顔してねえで、ほら。口直しにこれでも飲んどけよ」

 

 見かねたケインがグラスに入ったオレンジジュースを差し出し、ミーシャが不満そうにそれを手に取る。少しだけ甘酸っぱい香りがミーシャの鼻を抜けて、爽やかな柑橘類の香りが口の中に広がった。

 

「おいしい……!」

「そうかい」

 

 一発でご機嫌になったミーシャに呆れるような視線を向けて、ケインがふとアイリスに尋ねる。

 

「そういやアイリスさん、こいつと知り合いなんですね」

「ええ、前からね。いつからだったかしら」

「そんなに長いんですか」

「少なくとも、このケーキ屋が開く前からだったと思うわ」

「えっ?」

 

 目を見開いたケインが、思わずミーシャへと視線を移す。彼がこのケーキ屋を開いたのは三年も前の事だ。そんなに深い仲なのか、とケインが一人で頷いた。

 

「……別に、そんなに仲良くないし。たまたま知り合っただけだし」

「あら? でもミーシャちゃん、たまにお茶会誘ってくれるじゃない」

「そ、それはあんたを黒魔法で倒すためだから! 別にあんたとお茶したいわけじゃないのよ!」

「どういう理屈だよ、それ」

 

 びし、と指をさすミーシャにケインが毒づく。傍から見ても照れ隠ししてるようにしか思えないが、ミーシャの中ではそうなのだろう。と、一人で納得しているケインが、ふと隣のアイリスへ視線を向ける。

 

「そんな……ミーシャちゃん、私とお茶したくなかったのね……?」

 

 そこには瞳をうるうるとさせながらミーシャの肩を掴んでいるアイリスの姿があった。

 

「うぇ!? ちが、違うから! そんなつもりで言ったんじゃ……」

「でもミーシャちゃん、さっき……」

「あー違う違う! そう! アイリスとお茶したかったの! ほら、これでいいでしょ!」

「ミーシャちゃん!」

「えぼォ」

 

 アイリスに抱きつかれて、ミーシャがなんとも可愛らしくない声を上げる。 

 しばらくアイリスの豊満で夢の詰まった胸の感触を嫌というほど味わったミーシャは、顔を真っ赤にしながらコップを手に取った。心なしか、視線がおぼつかないようにも見える。

 

「でもまあ、初めて会った時は驚いたわ。何せいきなり『勝負よ!』だなんて言って、黒魔法を撃ってくるんだから。私もびっくりして、危うくケガさせちゃうところだったの」

「その様子が容易に想像できますね。負けるとこまで想像できるのがミーシャらしいです」

「くそぉ……好き勝手言いやがってぇ……」

 

 歯をぎりぎりと軋ませながら、ミーシャがグラスの残り少ないオレンジジュースを一気に飲み干す。そうしてテーブルの上にコップを叩きつけると、懐から銀貨を数枚ケインに投げ渡し、椅子の上からぴょこんと飛び降りた。

 

「こうしちゃいられないわ! 黒魔法の研究を進めて、またあんたのことぎゃふんと言わせてやるんだから!」

「あら、ということは、またお茶会かしら」

「そうよ! 次の日曜日にまたうちで開くから、その時に来なさいよね!」

「ええ、楽しみにしてるわ」

「ふん、その余裕も今の内よ! ごちそーさま!」

 

 嵐のようにまくし立てて、ミーシャが勢いよく扉を閉める。ドアベルが激しく揺れ、ケインが頭を掻いて疲れたようにため息を吐いた。

 

「……本当に、あいつとアイリスさんってどういう関係なんですか」

「ふふ、ちょっと仲のいい友達よ?」

「友達ですか。とても騒がしい友達ですね」

「そう。ちょっと騒がしくて、ちょっとお転婆で、ちょっとドジっ子で、ちょっと残念だけど――」

 

 ごまかすような笑みを浮かべて、アイリスが小さく笑う。

 

「――とても強い、私の誇れる友達。それが、ミーシャよ」

 

 黒いコーヒーを包むカップは、白魔女の三角帽子のように白かった。

 

 




 一話目でゲロ吐いて二話目で汚いって言われるミーシャちゃんかわいそう

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