黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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『追想』

 

「あ、師匠。おかえりー」

「りー……」

 

 バラ園から戻ってきたミーシャ達を出迎えたのは、ジオラとソフィーの二人だった。何やら二人であれこれと話していたらしく、様子を見かねたローザが二人へ心配そうに声をかける。

 

「ただいま、ジオラ、ソフィー。仕事の方は順調ですか?」

「それがさー、裏庭のお掃除まだ終わってないんだよね。ごめん!」

「……いつもしてないから、ぼーぼー。私たちだけじゃ、むり」

「あらあら、それは大変ですね。私もすぐに手伝いましょう」

 

 そうローザがジオラ達と言葉を交わすと、申し訳なさそうにミーシャ達へと振り返った。

 

「申し訳ありません、先にお部屋の方へ戻って貰ってもよろしいでしょうか? また夕食が出来上がった際にお呼びいたしますので、何かあれば近くの使用人にお申しつけください」

「ローザさんは?」

「いま話した通り、裏庭の掃除を手伝って参ります。明日の夜会までに間に合わせたいのですが……」

 

 続く言葉の代わりに、ローザが嘆息を一つ。その様子を見るにあまり状況は良くないらしい。それもそのはず、この屋敷はとにかく大きい。さらにその裏庭の掃除がたった三人で終わらないことなど、ミーシャですら分かることだった。

 困り顔のローザに、ミーシャが見かねて口を開く。

 

「それじゃあ私もお手伝いするわ! 一人でも多い方が早く終わるでしょ?」

「さ、さすがにそこまでさせるわけにはいきません。ミーシャ様はお客様ですから……」

「いいのいいの! だってどうせお部屋いてもヒマなんだし! ジオラー、ソフィー! 裏庭つれてって!」

「え、あ、ミーシャ様?」

 

 ローザの静止も聞かずに、ミーシャがジオラとソフィーへ呼びかける。あまりの突飛な行動にローザがあたふたと狼狽を見せていたが、ふとそんな彼女の右肩にぽん、と手が置かれる。

 振り返れば全てを悟ったようなアイリスが、ローザに向かって首を横に振っていた。

 

「諦めなさい、ミーシャちゃんはあれで止まらないの、もう分かってきたでしょう?」

「……ええ、そうですね。申し訳ありませんが、お願いしたいと思います」

「それでいいのよ。さ、ウイスティ。あなたも行って来たら?」

「へ? 私も? なんで?」

「当然よ。あなた、引きこもってるから最近太ってきたんじゃない? 少しは運動しなさい」 

「うぐ……実家のおかあさん……」

「私はあなたを生んだ覚えはないわ。ほらほら、さっさとしないとミーシャちゃんに置いて行かれちゃうわよ」

 

 しっしっ、と手で払う様にしてアイリスが言うと、ウイスティは渋々といった様子でミーシャ達の方へと歩み出した。適当に言っただけだが、どうやら図星らしい。長年変わらない彼女の引きこもり癖に、アイリスは疲れたような溜め息を吐いた。

 やがてミーシャもウイスティの姿もなくなり、赤い館を背に立つのはローザとアイリスの二人だけ。肩に触れる手は決して離れようとはせず、アイリスは氷のように冷たい視線をローザへと向けたまま動こうとしなかった。

 

 ローザを捕らえたまま、アイリスが口を開く。

 

 

「さて、これで二人っきりね」

「……アイリス」

 

 肩に乗ったアイリスの手をなぞるように、ローザが指を動かす。その瞬間、アイリスはまるで気味悪がるようにしてローザを突き飛ばし、その顔面へ白銀の杖を向けた。瞳孔は覚束ない様子で、震えた唇からは強張った声が漏れた。

 

「まず、あなたに聞くわ。ミーシャに魔女の猫をかけたの、あなたでしょ」

「……違うと言ったら?」

 

 そう問い返すローザの視界を、光が薙いだ。

 

 白い杖から吐き出された雷光の槍は、ローザの帽子を軽々と吹き飛ばし、右肩を穿つ。肉の焦げる匂いと共に、ローザは肩から先の感覚が無くなっていくのを感じていた。腕の中を電撃が裂き、焼け斬れた手の先からは、紅の血が漏れ出している。

 しかしローザの顔に浮かぶのは、滲むような笑みだった。

 

「ミーシャに魔女の猫をかけたのは?」

「ええ、私です。そもそもあれを紡げる人間は私くらいしかいませんよ」

 

 悪びれる様子もなく、ローザはつらつらと語る。

 

「どうして嘘をついたの? あんな見え見えの嘘、ウイスティですら気づけるわよ」

「ですが、彼女は私を信じました。そこも含めて、あの魔法は彼女にとても似合っていると思います」

「……わざわざ、あんな回りくどい真似を」

「自分の飼い猫には鈴をつけておくのが当然ですよ。飼い主が誰か分かるように」

 

 にたり、とローザが口を釣り上げる。アイリスは得体の知れない不気味さを感じていた。

 

「ミーシャはあなたの飼い猫なんかじゃない」

「そうですね。そう呼ぶより、彼女は実験動物と――」

 

 続く言葉を遮ったのは、雷電と轟音だった。

 全てを埋め尽くすような純白がローザの視界を奪い、同時に服の下の半身が燃え上がるような痛みを上げる。立ち込める焼け爛れた人肉の匂いと、噴き出し続ける血の匂いに包まれながら、白と紅の魔女の対峙は続けられる。

 

「……つぎに、彼女をそう呼んでみなさい。この屋敷ごと吹き飛ばしてあげる」

「それではジオラとソフィーが困りますね。ではミーシャ様と呼びましょう」

 

 からかうようにローザが言い、アイリスが歯を食いしばる。半身を雷光で焼いたというのに、当の本人はまるでそれを感じていないかのようにうっすらと笑っていた。まるで子供を諭す親のような、そんな笑みだった。

 感じるのは狂気と恐怖。アイリスの目に映るローザを構成しているのは、それだけだった。

 

「あなたは……何が目的なの?」

「この十年間、ずっと変わっていません。あなたを救うことですよ、アイリス」

「……ぇ……何を、言って……?」

 

 当惑から絞り出されたような、アイリスの声が響く。

 

「あなたを黒魔女の呪縛から救い出すこと。孤独の追想から解放すること。それだけが、私の望むことです」

 

 その刹那だけ、ローザの瞳は何かを想うように細められていた。いつも通りの優しい様子でもなく、先ほどのように狂気に包まれたものでもなく。そこにあるのは今までのような嘘ではなく、ただ一つの悲願のようにも思えた。

 

「……ふざけないで。あなたはただ自分のために動いてるだけでしょう?」

「そんな事はありません。確かに彼女は私のものですが、今それは問題ではないですから」

 

 ざり、とローザが一歩を踏み出す。それに怯えるかのように、アイリスが片足を退ける。 

 

「私は一人なんかじゃない。それに私は、彼女の……記憶を、奪っ、て」

「ですが、彼女はあなたから全てを奪ったではありませんか。それに、彼女を封じるためには記憶を消すしかなかったのでしょう? 仕方のないことです。これは定められた運命なのですよ、アイリス」

「違う! 私は……違う! 違うっ!」

 

 まるで駄々をこねる子供のように、アイリスが叫ぶ。そして吐き出されるのは雷光と衝撃。そのすべてがローザを避けるように飛来して、辺りに焼け焦げた跡をつくる。

 立ち込める煙の中を怯むことなく歩み続け、ローザは続ける。

 

「十年前のあの日、あなたは全てを失った。あの黒い花はあなた以外の人間を殺し、あなたを孤独へと誘った」

「それ、は……」

「私はあなたを救いたい。あなたをその孤独から解放したい。それだけの……ただ、それだけのことなのです」

 

 ぽつり、ぽつりとローザは紡ぐ。星に願うように語られるその言葉の一つ一つが、アイリスの心へ染み渡るように、深く響く。向けられた白い杖に臆することもなく、ローザはアイリスへと一歩ずつ歩み寄る。

 

「……近づかないで」

「怖がらなくても大丈夫ですよ、アイリス。もう誰もあなたを一人にはさせません」

「私は、このままでいい……これ以上、彼女を……!」

 

 喉から吐き出される掠れた声と共に、からん、と白い杖が鳴く。吹きすさぶ風はアイリスの頬を撫で、ローザの両手がその頬を包んだ。血塗れの焼け爛れた腕が、アイリスの白い肌を犯し、埋め尽くしてゆく。

 

「アイリス、今まで辛かったでしょう」

「……ロー、ザ」

「もう耐える必要はありません。あなたの孤独も罪も、全て私が消し去りましょう」

 

 だから、とローザはうつむいたままのアイリスを抱き締める。

 

「一人で抱え込むのは、もうやめてください……」

 

 金色の瞳から、雫が流れ落ちた。

 

 

 

「うわー、結構やられてるわね」

 

 膝の上まで届く雑草群を目にして、ミーシャが思わず呟く。ジオラとソフィーは情けなさそうに眉をひそめ、ウイスティは面倒くさそうに溜め息を吐いていた。

 紅の屋敷をぐるりと回り、辿り着いたそこは草原だった。

 

「うう……ミーシャ様、お客さんなのに……」

「……ごめんなさい」

「いーのいーの、私もヒマだったし! さすがにコレは無理あるけど」

 

 目の前に広がる膨大な量の雑草を見て、ミーシャが呆れた笑いを浮かべた。

 

「……で、結局どうすんのさ。完全に私たちだけじゃ足りないよ?」

「まあ任せて! 眷属さんにお願いしてみる!」 

 

 そう意気揚々とウイスティに応え、ミーシャが魔法の黒い杖を取り出す。込められた魔力によって周囲の空気は重くすり替わり、ミーシャを瘴気が包み込む。突如として現れた大きな気配にジオラとソフィーが思わず後ずさり、ウイスティはその様子を離れた場所でじっと見つめていた。

 杖は大地へ穿たれ、魔法陣が地を走る。刻まれた円環から這い出るように古びた蔓が何本も伸び始め、それらがミーシャを包み込むような籠を作り出す。そしてその真上に形作るのは、歪んだ人形。ぱきぱきと古ぼけた音を立てながら、その怪物は主の呼び声を待つ。

 

「おいでませ! 古き森の災厄さん!」

 

 終焉と災禍が訪れた。

 自らを包む籠を掻き分けると、伸びる蔓が頬を撫でる。その先に佇んでいるのは、蔦で構成された森の化物。

 

「こんにちは災厄さん! 元気してた?」

「ああ……いつもと変わらぬ。そちらも元気そうで良かった……」

 

 ミーシャの体をくすぐるように蔦を伸ばし、災厄が声を漏らす。驚いたままの後ろの三人を気にもせず、ミーシャが自らの化身へ向けて言葉をかけた。

 

「あのね、今日も草刈りしてほしいの」 

「ああ、いいだろう……して、如何様に……」

「このあたりの雑草、ぜーんぶお願い!」

「請け負った……ではミーシャよ、手を出して……」

 

 言われるがままに両手を差し出したミーシャに、災厄が蔦を伸ばす。ひょろひょろと繊細に動くその先に吊っていたのは、艶やかな黄色を映す果実だった。ミーシャの掌に黄色の木の実を落として、災厄がそのままの蔓で彼女の頬を撫でる。

 

「ラビアンの実だ……この時期が一番美味い。それを食べ終えるまでに全てを終わらせよう……」

「わーい! ありがと!」

 

 と、ふと災厄がミーシャの後ろの人影に目を向ける。銀髪の二人の少女はお互いを抱き合う様にして怯えた瞳を向けており、その場に座り込んだままの女性は呆然と災厄のことを見上げていた。

 そんな彼女らの反応は気にも留めずに、災厄はミーシャへ問いかける。

 

「ミーシャよ……後ろの人間どもは、そなたの知り合いか?」

「うん、みんな私の友達だよ……ってあれ!? ジオラ、ソフィー? ウイスティさんまで、みんなどうしたの?」

 

 災厄を目の当たりにした三人に、ミーシャが驚いて声を上げる。ミーシャは黒の魔法を使役する魔女である。故に目の前に樹木の化物が現れようと、憶する事は無い。けれどそれは他人にはできない事だった。

 それすらも理解できず、おろおろと慌てるミーシャの代わりに、災厄が蔦を伸ばす。最初に狙われたのは、かたかたと震えたままのジオラとソフィー。明確に意識を向けられたことに、二人は思わずお互いを抱きしめる腕に力を込めた。

 

 迫りくる蔦にジオラがぎゅっと目を瞑っていると、ふと頭をざりざりと撫でられる感覚。見上げれば黄色い果実がふたつ、目の前に実っている。ソフィーはジオラの腕をぎゅ、と握りながらその木の実をじっと見つめていた。

 

「安心するとよい……ミーシャの命が無い限りは、そなた達に危害を加えることは、ない……」

「え、あ?」

「怯えることはない。ラビアンの実だ……甘いぞ……」

 

 ぽとり、ぽとりと災厄が実を落とす。目の前に落とされた二つの果実を手に取って、ジオラとソフィーはお互いを見合わせた。そして手の内にある木の実を恐る恐る剥き始め、意を決したように同時にそれを口に含む。

 

「あ、うまい」

「……おいし」

「それは……良いことだ……」

 

 それだけ告げて、次に災厄が目を向けるのはへたり込んだまま動かない白衣の女性。いくつもの蔦を伸ばしてウイスティを囲むと、災厄は不思議そうな声で彼女に語り掛けた。 

 

「貴様は……あれらとは違うな……その瞳は怯えたものではない……何かを、探している目だ」

「……割と人間らしいんだね、眷属って。初めて知ったよ」

 

 特に憶するような様子も見せず、ウイスティが口を開く。

 

「私はミーシャの眷属である……故に、彼女の命が無ければ動くことはない……」

「そんなに彼女を気に入ってるの? それとも、何かされたお返し?」

「……それに応える理由は無し……が、私は私の意志でミーシャに従っている、とだけ……」

 

 そうしてウイスティの目の前に木の実を差し出しながら、頭を撫でる。掠れた木の感覚にウイスティが首を傾げながら、目の前の黄色い実を摘んで一つかじった。

 

「サンキュー、美味いよ」

「ならば、良し」

 

 改めてミーシャに向かい、災厄が口から零す。

 

「良い人間を見つけたな、ミーシャよ」

「うん、今日会ったけど、みんなもう友達だよ!」

「それでよい……では、始めるとしよう……」 

 

 災厄が右腕を掲げ、そこに樹の杖が現れる。大木のようなその杖を地面に突き刺して、災厄は告げる。

 

「この地に在りし森の精よ! 我が主の命に従い、我が杖の糧とあれ!」

 

 その瞬間、地面に立つ杖から黒い波が吹き荒れる。漆黒に吹かれた雑草はみるみるうちに灰と化してゆき、鬱蒼とした草原を枯れた大地へと帰してゆく。暗黒が広がり切ったころ、ミーシャの目の前には荒地が広がっていた。

 命のあるものは尽き、終焉がもたらされる。そして再び災厄が杖を突きたてて、地を揺らす。

 

「我が主、ミーシャの望みのままに……ここより世界へ繁栄を」

 

 静かに紡がれる言葉と共に、草花が芽吹き始めた。荒れ果てた大地は一瞬にして色を変え、一面の紅が広がってゆく。咲き乱れるその花は、あの時に見たバラだった。

 指に着いた果汁をぺろりと舐めとって、ミーシャが災厄に呼びかける。

 

「災厄さん、ありがとー! ローザさんもバラが好きだって言ってたし、完璧だね!」

「…………」

 

 満面の笑みを浮かべるミーシャとは反対に、災厄は口をつぐんだまま咲き誇るバラを見つめていた。その様子に気づいていないミーシャは、とたたた、とジオラとソフィーに駆け寄って問いかける。

 

「こんな感じ! どう? これでいい?」

「うんうん、すっごくいい感じ! さすが黒魔女さまだね!」

「……しょーじき、みなおした」

「ふふふ、そうでしょそうでしょ! もっと褒めてもいいわよ!」

 

 と、胸を張っているミーシャの肩をウイスティが叩く。

 

「ん? どしたのウイスティさん」

「……あんたの眷属、さっきからなんか変だよ? ずっと自分の咲かせたやつ見つめてるけど」

「あれ? ほんとだ。どうしたんだろ?」

 

 ようやく災厄の異変に気付いたミーシャが、遠くで佇んだままの災厄へと叫んだ。

 

「災厄さん、どうしたのー? どっか調子わるいのー?」

「この、薔薇は……この穢れた魔力は、あの紅の魔女……!」

「え? なんて?」

 

 しゅるしゅる、と災厄を形作る蔦が蠢き始める。手に持った杖を地面に打ち付けて、災厄はミーシャの方へと振り向き、その背後で喜んでいるジオラとソフィーへ杖を向けた。

 

「さ、災厄さん? 何して――」

「災厄の化身としてこの地に命ず! 生ある者よ、その命に終焉を!」

 

 終焉の奔流が、杖の先から迸る。全てを呑みこむような深淵の槍がジオラとソフィーに向けられて、その命を果てさせようと切っ先が風を切る。終焉の権化による審判が、二人の魔女へと下る。

 迫り来る絶望に最初に気が付いたのはソフィーだった。目の前を包み込む暗黒に、思わずソフィーは叫び声を上げる。それに気づいたジオラが目にしたのは、視界を埋め尽くす槍と、その間に飛び込んできた黒い三角帽子だった。

 

「あっぶ……ふ、ぬ、んぎぎぎぎぎぎぎぎっ!! うおりゃあ!」

 

 手にした杖を両手で支えながら、ミーシャが災厄の槍を防ぐ。そして一気に力を籠めると、黒い槍は天に向かって突き進み、真上に広がる雲を霧散させた。無残に散り散りになった雲の下で、ミーシャが声を荒げる。

 

「災厄さん、なにしてるの!」

「……何故だ……! ミーシャよ、どうしてそなたは私の邪魔をしてくれる!?」

 

 体に纏う木々を軋ませながら、災厄は叫ぶ。木々を揺るがすようなその重たい声に臆することもなく、ミーシャは災厄に言い返す。

 

「どうしてもああしてない! 私の友達にいきなりなんてことするのよ!」

「し、かし……ミーシャよ、そなたは何も知らないのか……?」

「知らない知らない知らなーいっ! もう! 災厄さんもりっくんと同じなの!?」

「違う……私は……」

 

 向けた杖はふらふらと宙を彷徨い、災厄は困り果てた声を上げる。しかし全て悟ったように災厄は一瞬だけ押し黙ると、改めてミーシャへと向けて言った。

 

「すまない……ミーシャよ、私は……愚かだった……」

「もういいから落ち着いて下がって! 次からそんなことしちゃダメだからね!」

 

 と、ミーシャが杖を叩くと災厄の真下の魔法陣が光を放つ。まるで泥に沈むかのようにして災厄の体は魔法陣に吸い込まれてゆき、その体を構成する古く腐りきった樹木がぼろぼろと零れ落ちていく。

 崩れゆく体を見つめながら、災厄が最後にミーシャへ呟く。

 

「ミーシャ……私は、そなたの……味方、だ……」

 

 消えゆく声がミーシャに届いたのかは分からない。けれどミーシャは少しだけ思い悩むように消える魔法陣を見つめた後、後ろでうずくまったままのジオラとソフィーの元へと駆け付けた。

 

「二人とも、大丈夫だった?」

「だ、大丈夫だったけど……」

「……な、にあれ。急に、わたしたち……」

 

 恐怖と困惑に包まれながら、ジオラとソフィーは化物を使役しているミーシャへと怯えた視線を向ける。けれどミーシャはその震える瞳を物ともせず、ジオラとソフィーの顔をぺちぺちと触りながら安堵の息を吐いた。

 

「とりあえず大丈夫みたいだね……ケガなくてよかったね」

「……ミーシャちゃん、今のは?」

「わかんない。けど、災厄さんがあんなに怒ってるの初めて見たかも……」

 

 首を傾げながら答えるミーシャに、ウイスティがふと思考に耽る。考えてみれば、午前中のフェンリルもそんな様子をしていた気がする。ミーシャの意志を無視して、あの風の眷属は何かを求めるようにして一目散に街の中を駆けていた。

 今の森の眷属だってそうだ。ミーシャの意志を無視し、ジオラとソフィーを目の敵のようにして攻撃を向けていた。眷属ならば黒魔法を使役する主人に逆らう筈がないが、今のこの光景を見てウイスティはそれすらも信じられなくなっていた。

 

「ごめんね、災厄さんはあとできっちり叱っておくから! けどこれで裏庭の掃除は終わりでしょ?」

「うん、ありがと! それじゃあ御夕飯の準備するよ!」

「……今日は、とりにく」

「鶏肉! 私から揚げがいなー!」

 

 少女たちの声がどこか遠くに聞こえる。ウイスティの思考だけがその場で渦巻いていた。

 自らの主人を構うことなく駆け抜けて、その友人を危機にさらしてまで彼らが求めているものは何か。何も知らないウイスティにはその疑問を浮かべることしかできなかった。それを知るには、ミーシャという人間の深い所に行かなければならないような気がした。

 

「そういえばアイリスとローザさんは? 二人ともいないよね?」

「あ、ほんとだ。でももう終わっちゃったから、もしかしたらお屋敷に戻ってるかも!」

「……ししょーが掃除すると、いつもボヤになるから……ミーシャさまがいてくれて、たすかった」

「そうなんだ。ま、これくらい黒魔女の私にかかればこんなもんよ! すごいでしょ!」

 

 ただ一つ確かなのは、彼らが口にしていたその言葉。

 

「紅の魔女……」

 

 誰に聞こえるでもなく、ウイスティがそう呟いた。

 

 

 

 

 

「これがあなたを孤独に落とした者の正体です。漆黒、深淵、絶望の権化。私はあなたをあの黒に染まった魔女から救い出して見せましょう。だから――もう一人で全てを背負い込むのは止めてください」

 

 

 

 


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