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しゅっぽー、と汽笛の音が平原に響き渡る。
「すごいすごい! 見てアイリス、街がもうあんな遠くにある!」
「ええ、そうね」
車窓から身を乗り出しながら、ミーシャが山の向こうを指で示す。遠野に見える国は薄く霧がかかり、その向こうにはまだ顔を出して間もない朝陽が白い光を放っている。その対面に座るアイリスはミーシャの指をさす方を向きながら、ミーシャのケツへと優しい笑みを浮かべていた。
「汽車って初めて乗ったけどすごいのね。ふにーちゃんよりも速くないけど、面白いわ」
「あらそう? それは良かったわ」
終焉を司る炎龍と汽車を比べるのはどうかと思ったが、とりあえずアイリスはそう頷いておいた。
「ミーシャちゃん。落ちると危ないから、ちゃんと椅子に座りましょう?」
「はーい」
ぽす、とアイリスの対面に腰を下ろして、ミーシャが風で乱れた三角帽子を整える。せっかくの外出なので、今日のミーシャの黒い三角帽子には小さな白いリボンがついていた。
おめかしした帽子を深めに被りなおし、ミーシャが車窓の外へ目を向ける。草原の間を抜ける列車は周りの景色をゆっくりと長し、車窓に一面の緑を映す。
「それにしても、汽車で行くなんてよっぽど遠いのね。ええと……の、のるー?」
「ノールドね」
「そうよ、それ」
聞きなれない地名に、ミーシャが人さし指を立てる。
「そんな遠いところでやる必要あるのかしら? こっちは呼ばれたから仕方なく行ってるのに、逆にそっちが来てほしいわ」
「それなら私が代わりに言っておいてあげましょうか? ミーシャちゃんは今日はお休みです、って」
「あ、いや、ぜ、ぜったいダメっ! せっかくあんな手紙まで貰ったのに休むなんて勿体ないわ!」
「あらあら」
がばり、とミーシャが身を乗り出してアイリスの顔を覗き込む。どうやら彼女も、他の魔女と変わりなく魔女の夜会に呼ばれたことに内心で浮かれているらしい。そんな意地っ張りの彼女に、アイリスは思わず笑みをこぼした。
魔術の発展したノールドで開かれる、魔女の夜会。その内容は魔女の中でもあまり言及はされず、ただ一部の認められた魔女のみが参加を許されるという、明らかに怪しい集会でもあった。
そんな夜会が魔女たちの憧れであるのは、領主であるローザが主催するというのが大きな理由だった。一地方を治める人物でありながら、学会で優秀な成績を収めている彼女の元には、当然それ相応の力が集まってくる。故にそれを求める魔女が後を絶たず、魔女の夜会とはそう言った魔女たちによる争いの場でもあるらしかった。
そんな事をつゆも知らず、夜会を『何か偉い人が集まってどんちゃん騒いでるだけのパーティー』と勘違いしているミーシャは、両肘をつきながら車窓へと視線を向ける。
「で、でも別に魔女の夜会なんてどうでもいいし―? むしろあんな失礼なことしてくれたローザってやつを許そうとも思ってないし! 見てなさいよ、あんなクソ野郎いまにメッタメタの豚のエサにしてやるんだから!!」
「ミーシャちゃん、言葉遣いが汚いわ」
「……てか。なんでアイリスもついてきてるの?」
「あら、ついてきちゃ駄目だったかしら」
少し悪戯めいた笑みを浮かべるアイリスに、ミーシャが唇を尖らせながらふん、とそっぽを向いた。
「私とローザは友達だから。魔女の夜会をする時はいつでも来て頂戴、って彼女から言われたのよ」
「じゃあ一人で行けばいいじゃん。今回呼ばれたのは私なのよ?」
「それじゃあ、ミーシャちゃんは一人までローザのところへ行けるかしら?」
「うぐ……」
それを言われると弱い。現に列車のチケット代まで払ってくれたアイリスに、ミーシャは何も言い返すことができなかった。ちなみに子供料金だった。屈辱的だった。
ポケットに入ったチケットの切れ端へ一瞬だけ視線を落としながら、ミーシャはアイリスの方へと向き直る。
「でもさ、なんでローザさんはこんな急に誘ってきたんだろ? アイリスは何か知ってる?」
その問いかけに、アイリスは困ったように首を傾げた。
「ごめんなさいね、私も最近会ってないからローザの事情はよく知らないわ」
「ふーん。あ、でも、もしかしらら私の使ってる黒魔法がみんなに認められたのかも! きっとそうよね!」
「ええ、そうかもね」
少し興奮気味になって話すミーシャへ、アイリスが笑顔で返す。本来ならば顔も合わせていない魔女に夜会の招待状を送り付けるなど不穏で仕方がなかったが、それでもアイリスはその誘いを止めることはなかった。
そして、アイリスは少しだけ目を伏せる。
「ミーシャちゃん、夜会は楽しみ?」
「な、何よいきなり……ま、楽しみじゃないって言えば嘘になるわね。思いっきり楽しんで、美味しいものいっぱい食べて、友達もいっぱい作るの!」
「ふふ、それは良さそうね。素敵な夜会になるといいわ」
にへら、と笑うミーシャに、アイリスが少しだけ顔に影を作る。それは、魔女の夜会も、魔女同士の争いも、全てを知らないミーシャへの、言い表せない歪な感情だった。
それを胸の内へ抑え込め、アイリスがすぐに笑顔を浮かべる。そうしてふと、アイリスは気になっている事をご機嫌なミーシャへと問いかけた。
「そういえばミーシャちゃん、体調は大丈夫?」
「へ? 体調? なんで?」
反対の方へと首を傾げ、一気にアホみたいな声色になったミーシャが問いかける。
「ミーシャちゃんは汽車に乗るのは初めてでしょう? 汽車って結構揺れるから、それで酔わないかと思って……」
頬に手を当てて不安そうにアイリスが目を伏せる。
「大丈夫? ミーシャちゃん、どこか気持ち悪いところない?」
「別に大丈夫よ。今のところ気持ち悪くもないし、変な気分でもないし」
心配するアイリスを鬱陶しがるように、ミーシャが手を払いながら応える。実際ミーシャは車両の揺れは感じでも、そこまで気にかかるようなものではなかった。乗り物酔いという単語がどうして生まれたのか疑問に持つほどのものだった。
「というか、酔うんだったらもう今の時点で気持ち悪くなってるわよ」
「そうかしら……? でも心配だわ。ミーシャちゃん、もしおえっ、てになったらすぐに言うのよ?」
「まっさかー! そんなことあるはずないでしょ!」
不安げな表情を浮かべるアイリスに、ミーシャが、へっ、と肩をすくめて笑う。
「みんなから認められた黒魔女の私が、こんな汽車ごときで酔うわけないもん。らくしょーらくしょー!」
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「おろろろっぬぷっげろろっろろっ! うぇぼろろっぼろろおぇぼぼぼっおろろろろ!」
ミーシャは哀れで間抜けな黒魔女だった。それと乗り物にはそこまで強くはなかった。
魔法で用意したゲボ袋に顔を突っ込んだまま、ミーシャが喉の奥から吐しゃ物をまき散らす。誰もいない駅のホームで、アイリスは諦めを含んだ笑みを浮かべたままミーシャの背中を優しく撫でていた。
「ミーシャちゃん、大丈夫?」
「そんな風に見え……ぅぷっ、で、出る……」
まだまだ出てくる。モリモリ湧き上がる吐き気にミーシャは顔色を青くしながら、再び袋の中へ吐き出す。朝に食べたジャムのトーストが赤いドロドロした何かになって出てきた。
既に乗っていた列車はゲロを吐くために下車しているうちに行ってしまい、次の列車が来るまではかなりの時間がある。しばらくはここでゆっくりするかと目途を立てながら、アイリスは袋に顔を突っ込んでいるミーシャへ言葉をかけた。
「ミーシャちゃん、次の列車が来るまでここで待ちましょう」
「うぅ……わかった……ごめんね……」
たぷんと揺れるゲロ袋を縛り、ミーシャがぼそぼそと弱弱しく呟く。そしてアイリスがミーシャからその袋を受け取ると、魔方陣が袋の周りに浮かび上がり、魔力が注がれた。黒い袋はアイリスの手の中で収縮し、虚空へと姿を消していく。
おそらく生きてきた中で一番しょうもない白魔法の使い方をしたアイリスは、ミーシャと一緒にホームの椅子へ腰を下ろした。
「まさかあんなに縦揺れがあるなんて……ふにーちゃんの飛び方が上手かったのね……」
「そうかもしれないわ。ふにーちゃんさんに感謝しないとね」
若干敬称がおかしな気がしたが、吐き疲れたミーシャにそんな事を指摘する余裕はなかった。
「それにしても、列車がもう行っちゃうなんて……」
「大丈夫よ、また次のに乗ればいいんだから。それまでゆっくり待ちましょう?」
「うん……」
励ますように笑いかけるアイリスに、ミーシャは小さく頷いた。頭の上の三角帽子が小さく揺れる。
そうしてしばらくホームで待っているうちに、ミーシャは誰かの足音が近づいてくるのを聞いた。別段駅のホームであるので何も不思議なことではないが、特に何をするでもなく暇だったミーシャはふとその音がする方へと視線を動かした。
視界に映ってきたのは、白衣を身に纏った一人の女性だった。
ぼさぼさの肩まで伸ばした茶髪に、半開きの茶色い瞳。かけている眼鏡は手垢まみれで、全体的にどうも不健康そうな雰囲気を出している。まるで今起きました、とでも言わんばかりのその女性は、腕時計をぼんやり眺めながら眠そうにあくびをついた。
「……あら?」
なんとも変なその女性をミーシャが眺めていると、ふと隣のアイリスが小さく声を上げた。見るとアイリスの視線はミーシャと同じくその女性へと向けられており、彼女も何かに気づいたかのようにして眼鏡の下の気だるげな瞳をこちらへと向けてきた。
「もしかして……ウィスティリア?」
「……あれま、アイリスじゃん。やっほー」
交わされる名前に、板挟みになったミーシャが交互にそれぞれの顔を見やる。するとそのウィスティリアと呼ばれた女性は軽く手を振りながらこちらへと歩み寄り、ミーシャの隣に空いている席へ、どさりと腰を下ろした。
「ひっさしぶりじゃん。うわ、すげー懐かしい」
「ええ、そうね。確かウィスティとは卒業してから会ってないもの……三年くらい経ったんじゃないかしら?」
「まじ? そんなに? はー、やっぱ研究室籠ってると時間の間隔狂うなー……」
腕を組みながらため息を吐くその女性に、ミーシャが不思議そうに視線を送った。するとその視線に気づいたのか、その女性はミーシャへと怪訝な目を向けながらアイリスへと問いかける。
「アイリス、この子は? あんたの子供?」
「んなわけないでしょっ!」
子供扱いされたのが悔しいのか、がるるるるると歯を立てながらミーシャがにらみつける。
「私はミーシャ! 偉大なる黒魔女よ!」
「ほーん。あ、私ウィスティね。そこのアイリスと研究所で同じ研究室だったの。よろしく」
割と軽く流されて固まったミーシャを気にするそぶりも見せず、ウィスティが不思議そうにアイリスへ問いかける。
「それにしても、今日はどったの? こんな辺境までわざわざ」
「ミーシャちゃんが今日の魔女の夜会に呼ばれてね。それで、私は付添人ってわけ」
「あ、まじ? へー、すごいじゃん……って、あれ? なんでここで降りたん?」
「ミーシャちゃんが電車酔いでゲロ吐いちゃったからよ」
「あー」
「なんで言うのよぉー!!」
前触れもなしにゲロった話を暴露されたミーシャが、びぃびぃ鳴きながらアイリスの首元を掴む。そんないつも通りガン泣きするミーシャに、ウィスティが怪訝な視線を向けていた。
「それじゃあウィスティ、あなたはどうして?」
「ふっふふ……実は、私もあんた達と同じよ」
と、眼鏡を光らせてウィスティは懐から赤い便箋を取り出した。
「あ、それって私に来たのと同じやつ!」
「実は私も夜会に呼ばれてね。ま、メンドーだし行くか迷ったけど」
手の内の招待状をひらひら遊ばせながらウィスティが口を尖らせる。
「なんだか黒魔法についての発表するって書いてあったからさー。まあ顔でも出しておこうかなーってワケ」
「……ああ、確かあなたの専門だったものね。黒魔法」
「え、そうなの?」
と、黒魔法という単語に食いついたミーシャが、ずい、とウィスティの方へと身を乗り出した。
「一応研究主任とかやってるしね。ま、黒魔法のことならお任せって感じよ」
「あら、じゃあミーシャちゃんと同じね」
「へ?」
かけられたアイリスの言葉に素っ頓狂な声を上げながら、ウィスティが隣のミーシャへと視線を降ろす。
「こんなちっちゃい子が? 黒魔法を? アイリス、あんた昔っから嘘が下手だね」
「だからちっちゃいって言わないでよっ! それに、私も黒魔法使えるし! そこで見てなさいよね!」
ホームの椅子からぴょこんと飛び降り、ミーシャが右腕に黒の杖を握る。そうしてヤケクソ気味に黒杖を自らの脚元へ突き刺すと、そこを囲むようにして魔方陣が描かれる。そして魔方陣を開きながら、ミーシャがその名前を口にした。
「おいでませ、フェンリルっ!」
風の音が、ひゅぅ、と抜ける。
吹き抜ける暴風がミーシャの周囲を包み込み、一つの形を成していく。隙間から除く瞳は、月の色。風はやがて纏う毛並みへと変わってゆき、牙を、爪を、尾を作り出す。そうして最後に現れたのは一匹の狼だった。
その名をフェンリル。古より伝わりし、風を纏う獣である。
「りっくーん! よーしよしよしよし! 来てくれてありがとねー?」
目の前に現れたフェンリルの前脚に、ミーシャが全身で抱きつきながら毛並みを手で流す。既にミーシャの体はフェンリルの脚に半分埋まっており、それを見かねたフェンリルがミーシャから離れながら、体をぶるぶると水に濡れた犬のように振った。
身に纏う風を払い、フェンリルの体がだんだんと収縮していく。そして小型犬サイズになったフェンリルをミーシャが両手で抱きかかえると、勝ち誇った表情を浮かべながらウィスティの方へと振り向いた。
「どう? これで信じてくれる?」
「あ……えっ……まじ……まじで!?」
ミーシャとアイリスを交互に見ながら、ウィスティが言葉にならない声を上げる。
「えっ、子供……召喚して……えっ、まじ?」
「まじよ。その子が今日の夜会で招待されたミーシャちゃん」
「嘘……えっ? ほんと? いや……」
目の前で驚いたままのウィスティに、ミーシャがふふんと鼻を鳴らす。すると突然肩を強く掴まれ、見上げるとそこには鼻息を荒くしてミーシャの顔を覗き込んでいるウィスティの姿があった。
ぎらぎらと眼鏡の奥の瞳を光らせながら、ウィスティが口をにやりと歪める。
「ミーシャちゃんだっけ……? 私ね、研究所で黒魔法の研究してるんだよね……」
「う、うん。それはさっき聞いたけど……?」
「……ミーシャちゃん、すごいね……? 私、ミーシャちゃんといろいろお話したくなっちゃった……な」
「別にいいけど……ウィスティ、さん? なんだか、顔が怖いよ……?」
そんなウィスティの後ろにちょうど、ぷしゅー、と音を立てて列車が停まる。重たい鉄の扉が開かれるのと同時、ウィスティはミーシャの両肩を掴んだまま列車の扉へと歩き出した。
「さあ、まだノールドまでは時間あるから……たっぷり、たっぷり……!」
「い、嫌だぁー! アイリスぅー!? 助けてぇー!!」
「あらあら」
アイリスへ助けを求めるも、当の本人は面白そうに頬に手を当てて笑ったままミーシャを前から列車へぎゅうぎゅうと押し込んでくる。もはや逃げ場など無い。間に挟まれたフェンリルが、わふぅ、と苦しそうに鳴いた。
「ほらミーシャちゃん、早く乗らないと」
「ゔあ"ー!! アイリスも嫌いだぁー!」
涙目になったミーシャの叫びを隔てるかのように、列車のドアが勢いよく閉じた。
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