黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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 よろしくお願いします。


黒魔女はお茶会がしたい。

 

 ミーシャ・エリザベートは邪悪で冷酷な黒魔女である。

 

 杖を振るえば闇が蠢き、魔法を紡げば混沌が訪れる。人ならざるものを使役し、まるで羽虫を潰すかのように人間を蹂躙する様子は、人々を震え上がらせた。

 その手に握るのは、全てを統べる魔法の黒杖。身に纏うは、夜空を切り取ったようなローブ。頭の上には深淵よりも黒い三角帽子。その下の肩口まで届く髪は、夜空で瞬く星のような金だった。

 

 全てが黒で構成された、少女とも呼べるような容姿の黒魔女は、森の小さなテラスで独りカップを傾ける。

 麗しくも幼さを想起させる、憂鬱気な表情を浮かべながら、彼女はその薄い桃の唇を開いた。

 

「ねっむー……」

 

 ミーシャの寝覚めはクソみたいに悪い。口を開けて寝たので口の中がイガイガした。

 

「うぅ……朝なんてなくなればいいのに……」

 

 適当な安い茶葉で淹れた紅茶が彼女の口の中へ注がれる。淹れてからまたちょっと二度寝したので、彼女の喉を潤すその液体はぬるかった。もっと言うと結構苦かった。さては砂糖入れてねえなこれ。

 小さなテーブルに置かれていた角砂糖をドバドバとブチ込んで、ミーシャが再びカップを傾ける。

 

 今日は運命の日。あの白魔女であるアイリスとのお茶会の日なのだ。

 

 もちろんただ平和にお茶会をするなんてことはない。このお茶会はあの忌々しき白い魔女にこれ以上にない羞恥と辱めを与えるための、いわば処刑なのだ。

 そのために今回のお茶会は色々お金をかけた。白魔女に盛る毒薬の材料と、ケーキとクッキーとイチゴのタルトとモンブラン。ぶっちゃけ自分の食べたいものにかけたお金の方が多かった。仕方のない出費だった。

 

 それでも、ちゃんと彼女に盛るための毒薬は完成した。

 ローブの懐から紫色の小瓶を取り出し、黒魔女は不敵な笑みを浮かべる。

 

「ふっふっふ……これさえあれば、あの白魔女も……」

 

 邪悪な黒魔女が一晩をかけて自ら作り出した、禁断の毒薬。どれほど恐ろしいものだろうか。これを呑んだ白魔女の事を思うと、今から黒魔女はわははと声高らかに笑いたい気分になった。

 しかしまだその時ではない。静かな笑みと共に、黒魔女は小瓶を懐へと忍ばせる。

 

 呼び鈴のベルが鳴ったのは、その時だった。

 

「はーい、今行きまーす!」

 

 椅子からぴょんと降り立って、ミーシャが机に立てかけておいた黒杖をふるう。

 黒魔女の家は湖の岸辺に立つ、大きな館である。その裏に設けられたテラスなので、玄関からは一番遠い。しかしミーシャは黒魔女であり、魔法使い。玄関までの転移など造作もないことだった。

 

 大きな屋敷のこれまた巨大な玄関にミーシャは黒い煙とともに現れ、錆びついた金属のドアノブを掴む。

 そうして開いたその先には、一面の白が広がっていた。

 

 まず目に入ってきたのは、金の刺繍が施された純白のローブ。その上から被せられるように薄い白のストールが巻かれていて、見上げた先にある三角帽子も、同じように白かった。

 体を隠すローブからでも分かる、豊満な体。均整の取れた、端正な顔つき。目に灯ったひとみの色は翡翠で、流れるようになびく髪だけが、黒に染まっている。

 全体的に大人びた印象を持つその女性は、うげ、と顔をゆがめるミーシャにゆったりとほほ笑んだ。

 

「おはよう、ミーシャちゃん」

「アイリス……」

 

 その名を、アイリス・ミルフィーユ。純白に染められた、白魔女の名を冠する者である。

 

「今日はお茶会に呼んでくれて、嬉しいわ」

「うん……あっ、えと、あなたこそよく来たわ! ま、ヒマということね」

 

 一瞬素が出たのを取り繕って、ミーシャが肩をすくめる。

 

「とりあえず早くお茶にしましょ。ほら、着いてきなさい」

「あ、待ってミーシャちゃん。その前に」

「ん? 何よ」

 

 と振り向いたミーシャの帽子を、アイリスが優しく脱がせる。

 いきなり何を、と言いかけたミーシャの前髪に、アイリスの細い指が触れた。

 

「前髪が乱れてるわ。直さないと」

「……い、いいわよそんなの。別に外行くわけじゃないし」

「ダメよ? せっかくの綺麗な髪だし、女の子なんだから、ちゃんとしないと」

「うぅ……」

 

 アイリスの翡翠の瞳が、ミーシャの金の瞳と交差する。自分の頬が赤くなるのを感じて、ミーシャはたまらずその視線を外した。

 しばらく経ってから、アイリスがよし、とミーシャの頭ぽんぽん、と軽く叩く。少しだけくすぐったい感触にミーシャは目を閉じると、お気に入りの黒い三角帽子が頭の上へと戻ってきた。

 

「終わった?」

「ええ、終わったわ。可愛いわよ、ミーシャちゃん」

「ちゃっ、ちゃんはやめてってば!」

 

 三角帽子のつばを両手で掴み、赤くなる顔を隠してミーシャが口を尖らせる。

 

「……ほかに、変なところない?」

「ないわよ?」

「……よし! それじゃあついてきなさい!」

 

 改めてミーシャが声高らかに叫び、黒杖をとんとんと鳴らす。

 黒い煙がミーシャを包み込み、目を開けた次の瞬間には、彼女は元のテラスへと移動していた。

 その隣には、同じようにして白い煙に乗って木漏れ日に現れたアイリスの姿。既に両の手では数えきれないほどにお茶会に誘われ、案内されたこのテラスは、アイリスの家からでも転移できるくらいには覚えていた。

 

「さ、座って。今からお茶淹れるから」

「ええ、お願いね」

 

 アイリスが席に腰を下ろしたのを確認し、ミーシャが少し離れたテーブルで彼女の背を向けながらポットを手に取る。朝入れた紅茶とは違って、ちゃんとお店の人に聞いた客人用の高級な茶葉だ。これであの白魔女に怪しまれることはない。

 

 そして、ここから彼女の計画が始動する。

 彼女の懐に忍ばせていた小瓶から、紫色の液体が滴り落ちた。

 

(ふふふ……油断している今がチャンス! まさかあいつも最初から毒を盛られるとは思っていないでしょう!)

 

 ちらりと後ろのテーブルを確認すると、アイリスは帽子を脱いで、ふわあと呑気にあくびをしていた。その仕草でさえ、お花に包まれたような上品さがうかがえる。

 だがこの紅茶を飲めば、彼女は見るも絶えない姿に変貌してしまう。そうして、黒魔法の恐ろしさを身をもって知ることになるのだ。くっくっく、とほくそ笑みながら、ミーシャはカップに注いだ毒薬入りの紅茶をアイリスのいるテーブルの上へと運んだ。

 

「ほら、まずはこれでも飲みなさい」

「ありがとう、ミーシャちゃん」

「だからー! ちゃんはやめてよ!」

 

 その余裕も今のうちだ、と内心でほくそ笑みながらも、ミーシャが顔を赤らめる。

 そうしてアイリスが紅茶のカップを傾けたのを見て、ミーシャは満足気に自分の分の紅茶を手に取った。

 すると、はたとミーシャが疑問に思う

 

(あれ……どっちに盛ったっけ……?)

 

 カップはどちらも同じ柄だ。それこそ区別はつきようもない。ならば色はどうか。これもミーシャが開発したのはとても完成度が高く、一旦溶けてしまえば色を失う、無味無臭の完璧な毒薬である。紅茶は平然と秋の紅葉のような色で湯気を立てていた。

 

(わっ……忘れた……!?)

 

 完璧な誤算である。まさかどっちのカップに毒を盛ったかを忘れてしまうなど。

 しかし、まだ慌てるような時ではない。最終的な確率は二分の一。当たる確率も、外れる確率も均等だ。だが、その大きすぎる確率ゆえにミーシャはカップを傾けるのを躊躇ってしまう。

 

 何か、確実な手がかりさえあれば。混乱しているミーシャの耳に、ふとアイリスの呟きが入ってきた。

 

「うーん、この紅茶、やっぱり……」

 

 ミーシャはそれを見逃さなかった。

 

 アイリスがテーブルの角砂糖へ手を伸ばした瞬間、ミーシャは自分のカップを一気に煽る。

 びっくりしたアイリスを無視して、ごくごくぐびぐび、とミーシャの細いのどが精いっぱいの音を鳴らした。思ったより苦くて全部飲むのに時間をかけたが、ミーシャは安全な方の紅茶を飲み干し、テーブルにカップを叩きつけた。

 

 あのアイリスのことだ。いくらミーシャの作った毒薬が優秀であろうと、それに気づく可能性は高い。

 だからこそ、気づいた瞬間に自分の紅茶を全て飲み干すのだ。そうすれば、アイリスは自分に出された紅茶を飲まざるを得ない。そうして、ミーシャの目の前で無様な姿を晒すのだ。

 

 このアイリスの呟きによって、あちらの紅茶に毒が盛られているのは確実。

 完全勝利である。思わず椅子から立ち上がり、自分の紅茶に砂糖を入れている白魔女を指さして、黒魔女が口を開く。

 

 そして――

 

 

 

「ふはははは! アイリス、あなたの負けおぼろろっろうぇおぉろろろっぬうぷぅぇげろ」

 

 

 

 ミーシャはゲロを吐いた。

 

 

 

 

「ミーシャちゃん、大丈夫? 手伝おうか?」

「うるさいっ!」

 

 テーブルの下で雑巾を握りしめながら、ミーシャが涙目で叫ぶ。椅子に座ったままのアイリスは、あららと口元に手をやりながら、さきほど砂糖を淹れた紅茶を傾ける。アイリスは少し苦いのが苦手だった。

 ミーシャの開発した毒薬は、端的に言ってしまえば催吐薬だった。それも一口飲めば胃の中のものを全てブチ撒けるような劇薬である。

 それを使ってアイリスを辱めようと策した結果、朝飲んだ紅茶はミーシャを経て大地へと還っていった。割といっぱい出た。

 

「うう……なんでこんなことに……」

 

 アイリスを騙すことだけで頭がいっぱいだった。くそぅ、と歯を食いしばり、ミーシャが顔を歪める。

 すっぱい臭いに包まれながら雑巾を力任せに絞ると、バケツの中にどぼどぼと水が落ちた。

 

「それにしてもミーシャちゃん、また失敗しちゃったわね」

「うるさいうるさいうるさーい! あんたは黙ってケーキでも食ってなさいよ!」

 

 雑巾を床にたたきつけて、黒魔女が叫ぶ。それに呼応するようにして、奥の部屋からふわふわと白い皿の上に載ったショートケーキがふたつ、魔法によって運ばれてきた。

 今日で十六回目の負けである。今のところ、ミーシャに白星は微笑んでくれない。

 

「あら?……このケーキ」

 

 目の前に出されたイチゴのショートケーキを見て、アイリスが目を大きく開いた。

 ふわふわの白いクリームの上に、自己主張が激しい大きなイチゴ。スポンジに挟まれたフルーツの色彩は鮮やかで、爽やかな甘い香りがアイリスの鼻孔をくすぐる。

 

「ん? ああ、それ? あんたが好きって言ってたから。感謝しなさいよね」

「でも、これって……」

 

 アイリスが覚えている限り、このケーキは一日数十個しか生産しない限定品だ。シンプルながらも丁寧に作られたそのケーキは、アイリスの住んでいる王都でも人気の一品となっている。

 

「まったく、それ買うために朝から並んだんだから。しっかり味わいなさい」

「ミーシャちゃん……!」

「だーっ! 何よあんた! いきなり抱き着いてくるんじゃないわよ!」

 

 急に立ち上がってきたアイリスに、ミーシャが驚いて悲鳴を上げる。彼女の無駄に巨大なバストへ顔がうずめられ、ミーシャは目の前の果実をもぎ取って自分のに付け足したい気分になった。

 体格差ゆえに少しだけ拘束されたミーシャに、ふと気づいたアイリスが呟く。

 

「でもミーシャちゃん、私に毒を盛りたかったらこのケーキに盛ればよかったんじゃない?」

「何言ってるのよ、それだとあんたがケーキ吐くでしょ? そうしたら私が朝早く並んだ意味がないじゃない」

「ミーシャちゃん……あなたって子は……!!」

「だから抱き着くなーっ! 苦しいからさっさと離しなさいよぉー!」

 

 うがー! と吠えながらミーシャが短い手足をじたばたと動かす。ようやく解放されたのは、これでもかというほどに柔らかくハリと弾力のある胸の感触を味わった後だった。

 

「ありがとね、ミーシャちゃん」

「……ふん! さっさと食べるわよ」

 

 頬を膨らませながら、ミーシャがアイリスの対面へと腰を下ろす。そうしてアイリスのものと共に運ばれてきたケーキに、ミーシャは優しくフォークを入れた。

 

「ん~おいし! 朝早く起きた甲斐があるわ!」

 

 口の中に広がるクリームの甘さと、スポンジのふわふわした触感。フルーツの酸味がアクセントとなって、ミーシャは思わず両手で頬を押さえた。この美味しさなら、あの白魔女が気に入るのも分かる気がする。

 アイリスもそんなミーシャを見て、微笑みながらフォークを動かす。流れていく時間は、とてもゆったりとしていて、すばらしいもののように思えた。

 

「ねえ、ミーシャちゃん」

「んむ?」

 

 ケーキを口いっぱいに頬張ったミーシャが、アイリスの呼びかけに顔を向ける。

 

「ミーシャちゃんは、私にいつまで挑戦してくれる?」

「ふん、愚問ね。白魔女はそんなことも分からないのかしら」

 

 優しく首をかしげるアイリスに、ミーシャは嘲笑を含めて返した。

 

「もちろんあなたが負けるまでよ。そうして、みんなに黒魔法を認めてもらうの!」

 

 椅子に座ったままふんぞり返り、黒魔女は高らかに笑う。それを見る白魔女の瞳は、まるで雨の日の空のように鈍く重い輝きを灯していた。

 しばらくの短い時間が流れ、アイリスが閉ざしていた口を開く。

 

「そっか……ごめんね、変なコト聞いて。ミーシャちゃんも頑張ってるのね」

「そうよ! 昨日なんて新しい黒魔法を発明したんだから!」

「あらそうなの? ちなみにどんな魔法?」

「ふふふ、それはね……」

 

 絶えない笑顔を浮かべるミーシャに、アイリスもつられて頬を緩める。

 黒魔女と白魔女。二人のお茶会の時間は、日の沈むころまで続いていった。

 

 


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