「やはり、ダメですか……!」
ルーラーの行なった視界を遮るという行為は、効果はあれどその効力の全てを防ぐことはできなかった。
ライダー。彼女の晒した瞳は魔眼。
それも並大抵のものではなく、『宝石』のランクに位置する『石化の魔眼』。
見ることでなく、視ること。つまり対象を認識することで効果は発揮される。
衛宮士郎はライダーの存在を明確に認識してしまっていた。
よって、直接眼を見てしまうことに比べれば効力は低くとも、石化の呪いは衛宮士郎の体の動きを阻害していた。
端的に言えば、思うように身動きが取れない。
「シロウ君!気をしっかり持って!」
「あ、ああ。お前、平気なのか…?」
「私には強力な対魔力がありますから…」
なら、よかったと一先ず安堵する。
しかし、ランサーはどうなったのだろうか。
ライダーの魔眼はランサーに向けられたものだ。
ならば、俺なんかよりもっと強力に呪いをかけられたんじゃないか───
「ふふ、形勢逆転ですね。先ほど問答無用でとどめを刺していれば、あなたの勝ちだったでしょうに」
衛宮士郎の不安は的中していた。
動きを止めたランサーの姿を見て、ライダーは妖艶に笑う。
鎖が流れ行く音を響かせ、短剣がランサーの首を狙う。
疾駆する銀色の閃光。
ランサーは最後までその光から目を逸らさずに
「は───!!」
動くはずのない黒槍を振るった。
「この程度の呪縛でオレは止められんぞ、ライダー」
「っ──!強がりを!!」
事実、ランサーの言葉は強がりではあった。
石化こそ免れたものの、その身には重圧をかけられ、身体中のあらゆる機能が劣化している。
繰り出す槍撃に先ほどまでの力強さはなく、短剣を弾く槍には鋭さが欠けている。
だが、それでも。
「くっ!魔眼を浴びた体で、それほどまでに戦いますか…!!」
大英雄、カルナは引かなかった。
元よりカルナの強さはその不死身の体でも、神殺しの槍でも、人智を超えた武技でもない。
あらゆる苦難に相対し、しかして怯まず挑み続けたその不屈の闘志、それこそがカルナの強さだ。
そして、それ故に制限される戦いというものにカルナはこの上なく慣れている。
一つ短剣を受ける度に一歩踏み込む。
時にはその鎧で受けることも視野に入れ、その槍を突き出す。
その度躱されようと、手の届かぬ領域に逃げられようと諦めはしない。
そしてそれは確実にライダーを追い詰めていた。
「くそっ!何してんだよライダー!そんな雑魚にいつまでかかってるんだお前!!」
自身のマスターたる少年の声にライダーの顔が歪む。
わかっていない。このままいけば敗れるのはこちらのほうだ。
奥の手の魔眼は劇的な効果を見せず、敗北を先送りにしただけ。
交錯ごとに振るわれる槍は一撃ごとに修正され、この身を貫くまでにそう時間はかかるまい。
それに、あの鎧も厄介だ。幾度短剣を打ち付けようと鎧には傷一つ付きはしない。
大きく跳躍し、慎二の正面に彼を庇うように陣取る。
つまり、結局のところやはり勝ち目などなかったのだ。
「シンジ。ここは退却すべきです」
しかしライダーの目的とはこの戦いに勝つことではない。
少なくとも今は、勝利よりもこの場から撤退することを選択すべきだ。
ルーラーとはいえ、魔術師の工房に攻め込むことは容易ではない。
そこへ帰れれば一先ず安全だと言っていいだろう。
「な、なに言ってるんだライダー!」
「聞きなさい。今のままではあのサーヴァントには勝てません。それどころかこのままでは確実に殺されます。シンジ、あなたもルーラーに何らかのペナルティを課されるでしょう。ルーラーというクラスにはそれだけの権限があるのです」
「くそくそくそ!なんだよそんなのズルじゃないか!こんなの、こんなの僕は認めないぞ。これじゃまるで僕が…」
悪態を吐き続ける少年に構わず、ライダーは彼を抱き上げる。
「───逃げるか、ライダー」
ランサーの槍撃が疾駆する。
しかし速度に優れるライダーが逃げの一手を選んだのであればそれが届く訳などない。
「ええ、私ではあなたに勝てませんから。ですが守るのがサーヴァントでしょう?その役割だけは果たさせてもらいます」
ライダーの言葉と同時、業火が舞い上がった。
「魔力放出───!!」
ライダーが戦慄の声をあげる。
ランサーの身から吹き上がる業火の勢いは、彼の突貫をロケットめいたそれへと変化させる。
黒き槍の穂先が炎を帯び赤く輝く。
空気を斬り裂き、地面を抉り飛ばし、標的へと槍が翔ける。
そして鮮血が散った。
「ひ、ひいっ!!」
ライダーの右腕が赤く染まる。
だが、その滴り落ちる赤い血が地を濡らすより速く、ライダーは地を蹴り飛ばす。
全力の逃走、ライダーの姿が黒い影と見まごう残像を残し夜の闇に消えていく。
追いつこうにも重圧の影響の残るランサーにはそれを行えるだけの速度が足りず、再び魔力放出を行うことは、自身の燃費の悪さもあり選択できなかった。
「───すまない。逃げられたようだ」
マスターの元へと戻るランサーは目を伏せる。
それはマスターへの謝罪の意思に加え、ルーラーへの謝罪でもある。
協力を求められたということに加え、ルーラーを差し置いて戦いに赴いたという結果が不甲斐ないものであったからだ。
「気にしないでくださいランサー。他の誰であれ、あのサーヴァントが逃げに徹すれば捉えることは難しかったでしょう。それほどまでに厄介なサーヴァントでした。むしろ、謝るのは私です。私のせいでシロウ君が…」
「気に、すんな。まだうまく体は動かないけど、そんだけだ。すぐ治る」
確かに、衛宮士郎はライダーの眼を直接見たわけではない。
それなら時間が経てば異常も治るだろう。
しかし、それでも私が協力を要請したから。
マスターの存在につられ、サーヴァントのレベルを低く見積もってしまったから。
と、そのような後悔の念がぐるぐると回る。
「すみません…」
「だから、気にすんな。それより、あの女の人は…」
ライダーに襲われた、いや慎二が襲わせたと思われる女性。
彼女はどうなったかとルーラーに問う。
「彼女でしたら大丈夫です。急激に血を失って気を失ったのでしょう。然るべき場所に連絡すれば適切な処置をしてくれると思います」
ああ、よかった。と安堵の息を吐く。
だが問題は他にもある。
逃げたライダーの件だ。あいつを放置する限り、同じことが起きる。
結界の件もあるのだから、どうしたって見逃せない。
「今はそれよりシロウ君の体の方が問題です!ともかく今日のところは家に帰りましょう」
だが、ライダーを追うことはルーラーに禁じられた。
「同感だ。ライダーのマスターを止めたいと言うのならばまずは体を癒すがいい。動かぬ体のまま戦ったところで、待っているのは蹂躙だけだ」
ランサーも同調してそう口にする。
わかっている。わかってはいるが、焦りが心臓をちりちりと焼く。
それでも、確かに今のままでは何もできはしない。
「わかったのなら、帰りますよ。ランサーは未だ魔眼の影響が残っているでしょうし、ここは私が───」
その時、軽々と俺の体が浮かぶ。
担ぎ上げられたそこは本日三度目の位置。
ランサーの肩の上だった。
「悪いが、シロウはオレのマスターなのでな。いかにルーラーといえどこの役目は譲れん」
ルーラーに視線を向け、ランサーの口角が上がる。
彼にしては珍しい仕草だ。
「……そうですか」
ルーラーもルーラーで妙に様子がおかしい。
「それよりそこの女性はどうする。教会に保護を願うか」
「いや、そこに公衆電話がある、それで救急車を呼んだ方が、はやい」
途切れがちな言葉でルーラーに公衆電話の使い方を説明し、救急車を呼んでもらう。
それを確認し、ランサーはゆっくりと歩き始めた。
さすがに半病人を担いで全力疾走なんて無茶はしないらしい。
「シロウ君。もう少しで家に着きますからね」
だが、正直二人して病人扱いしすぎな気がする。
もっとも、彼らより脆弱な体で彼らと同じ、彼らが警戒するほどの魔術を受けたのだからそれも無理のないことかもしれないが。
それから家までの短い時間を、俺は妙に揺れの少ない肩の上で、ルーラーの励ましの言葉を時折かけられながら過ごしたのだった。
「シロウ君の様子はどうですか?」
「問題ない。ある程度は既に動けるようだ。あの様子であれば目覚める頃には完治しているだろう」
衛宮邸の居間で再び二騎は向かい合う。
「そうですか…それはよかった。本当に」
ふう、とルーラーが息を吐く。
胸に手を当て、微笑む。
「ああ。ところでいつまで居座るつもりだ、ルーラー」
だがそれに水を差すようにランサーが指摘する。
ルーラーの表情が一瞬で固まった。
「─明日の朝までです。協力関係である以上、私にはシロウ君の無事を確認する義務がありますから」
「───まぁ、いいだろう。何が目的にせよ、邪なものではないようだ」
再びルーラーが息を吐く。
そこに含まれた感情は先ほどとは少し違っていたが。
「ランサー」
右手で席を指し示し、立ったままの彼に座るように促す。
ここに立ち寄った目的の一つとして、ランサーと対話がしたいというものがあったからだ。
ランサーは短く逡巡する素振りを見せるも、微かな音を立て目の前の席へと座る。
目の前のサーヴァントをじっくりと観察する。
施しの英雄カルナ。彼は伝承と違わぬ高潔さで、従順に主人に仕えていた。
そして、彼の主人である衛宮士郎はマスターらしからぬ思考で、一人の個人としてカルナを尊重していた。
従順なサーヴァントと優しいマスター。
聖杯戦争に参加する主従としてそれが良いものなのかはわからないが、人間としての繋がりで言えば最高の相性だろう。
今日一日彼らと共に過ごし、感じたことはそういったものだった。
しかし、彼ら二人が激突した場面が一つだけあった。
教会での一幕、衛宮士郎が正義の味方を志していると神父に暴かれた時だ。
「ランサー、あなたはシロウ君が正義の味方を目指すことに反対なのですか?」
あの時、糾弾と言ってもいい程にランサーは衛宮士郎を問い詰めていた。
主人に従順で決定には逆らわない。恐らくはそのような在り方であるランサーが何故その時だけは。
それが気になったのだ。
「──反対か。その認識は間違いだ。シロウが正義の味方を志すならオレはそれを阻みはしないだろう」
「そう、なのですか?教会でのあなたは随分と強い口調で問い詰めていましたが」
「そう見えたのなら謝ろう。だがどんな選択だろうと、それは尊重されるべき事柄であり他者に口を挟む余地などない───オレはそう考えている」
では何故、と疑問は深まる。
明らかにあの時のランサーは、悪く言ってしまえば正義の味方に良い感情を抱いていなかったではないか、と。
「───正義の味方、それ自体にさして思うことはない。だが弱者の味方であろうとするシロウの在り方とそれは酷く矛盾している。正義とは群体の意思、多くの人々が良しとする種としての総意。対してシロウが守ろうとするものは少数の意思だ。その矛盾に気付かぬままであれば必ず磨耗する」
「つまり、シロウ君がその矛盾に気付いていないからこそあなたはあのような言葉を」
「─そうだ。矛盾を受け止め、それでも正義を執行する存在になるのであればその道に後悔はないだろう。だが───今のシロウはそうではない」
必ず絶望する。とランサーは予言染みた言葉で締めくくる。
「そう、ですね。シロウ君のような人が覚悟のないままその道に進んでしまえば、そうなるかもしれません。彼は優しいですから」
優しい、優しすぎる人物だからこそ、その可能性は高い。
理想と現実に蝕まれ、心を失くしてしまう事も考えられる。
「せめて、祈りましょう。シロウ君が納得する道を見つけられるように。正義の味方でも、また違った道でも」
「─祈りはお前に任せよう」
二騎のサーヴァントは口元に笑みを浮かべる。
衛宮士郎ならきっと大丈夫とルーラーは思う。
衛宮士郎なら受け止めるだけの強さがあるだろうとランサーは考える。
彼が眠る部屋の方向を眺め、ルーラーは一度柔らかく頷いた。
ーーー
夢を見た。
夢の中のそいつは不器用で、そして我慢のきかないやつだった。
目の前で悲しむ人間がいることが許せなくて、手の届く人全てに笑っていて欲しくて。
そうしてそいつは誰かの為に、誰もの為に立ち上がった。
初めはうまくいかなかった。
それでもそいつは一人を救った。
その次は少し慣れてきた。
そうしてそいつは十人を救った。
その次は何人だっただろうか。
二十人、百人、どちらにせよその数は増えていった。
───同時に、救えなかった人々も増えていった。
百人を助けるために、いずれ切り捨てられる十人を殺した。
千人を救うために、助けを必要としていた百人を見殺しにした。
救う人間が増えれば増えるほど、救う手段は絶望的なまでに少なくなっていく。
より多くの笑顔を守るためには、誰かの笑顔を奪わなければならなかった。
何も知らず平和に過ごす日常を守るために、必死に生きる誰かを切り捨てなければならなかった。
───そいつが本当に救いたかったものは、切り捨てた誰かの方だったはずなのに。
切り捨てた誰かの数千倍の誰かを救って、しかしそいつはかつて抱いた理想を口にできなくなっていった。
意地になっていたのだろう。
それでもそいつは救うことをやめなかった。
誰かを救うための手を血に染めて、それだけをそいつは続けた。
それは最早効率的に救いを提供する装置でしかなくて。
誰かの人間性を剥奪して機械的に救いを作り出してきたそいつ自身が、いつしか機械のようなものになっていた。
その結果、そいつは孤独に生涯を終えた。
情のない救いは救われた人間以外には恐怖でしかなくて、救われた人間でさえも、次に切り捨てられるのは自分かもしれないと疑いを抱いた。
そうして辿り着いたのは剣の丘。
最期にそいつは人間性の全てを剥奪されて殺された。
───見えるか、衛宮士郎。
────これが貴様の行き着く果て、俺達の理想の果てだ。
────これは全て事実。このまま行けばお前もこの結末を迎える。
────気付け、衛宮士郎。お前の願いは前提からして間違えている。
────自分すら救えない者が誰かの助けになるなど、思い上がりも甚だしい。
そう、結局のところそいつは最期まで自分だけは救えなかった。
それはルーラーもランサーも未だ気付いていない、衛宮士郎の人間としての故障だった。
カルナさんとジャンヌはシロウ君の将来が心配のようです。