正義の味方に施しを   作:未入力

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二騎のランサー

運がなかった、間が悪かった、相手が悪かった。

今のこの状況に至った原因を表す言葉は数多くあれどそれを一つ一つ吟味し、理解し、納得するだけの時間もなければ余裕もありはしなかった。

胸に突き立てられた朱い朱い槍。その槍が自らの血で艶やかに月光を反射する様を呆然と眺めるしかない。

 

「悪く思うな坊主。これも仕事のうちって奴さ」

 

どこか遠くから聞こえる(少なくとも俺はそう感じた)声の意味を、言葉を理解するだけの知能は最早残されていない。

胸元に生じていた異物感がふと消えて無くなる。

だがそれと同時に自らの命もまたどろどろと流れ出ていく。

 

「…胸糞悪い仕事だぜ……ったくよ」

 

こつこつという規則的な音が遠ざかって行く。

気付けばひんやりとした冷たい石の感触を頬に感じる。

それが校舎の廊下だと判断するのに1秒、自分が倒れたのだと判断するのに1秒。

それだけで体は動かなくなった。視界が黒く霞んでいく。

そして衛宮士郎は息絶えた。

 

「やめてよね……なんだってあんたが…」

 

永遠の微睡みの中、そんな声が聞こえた気がした。

 

 

そう、そうして衛宮士郎は短い生涯に終わりを告げた筈だった。

だがどうしたことだろうか。

衛宮士郎は再び目覚めた。外傷はなく、制服にこびりついた黒い血液の跡さえなければ自分が一度死んだということなど到底信じられない。

震える指先で胸に手を当てる。やはり塞がっている。

ふう、と深く息を吐いた。

何が起こった。そもそもあいつは誰だ。いやあいつだけじゃない。

校庭で見た影は他に二つ。

遠坂凛、そして青い騎士。何をしていた。闘っていた。では何のために。何故遠坂凛はあの場にいた。

わからない。全てがわからない。

 

「なんだってんだ、全く」

 

行き場のない戸惑いを言葉にして発散する。

ともかくここは危険だ。いつまたあの青い男が襲って来るかもわからない。

それに色々と整理したいことがある。

考えてわかるものでもないかもしれないが、それでも自分の通う学校で、住んでいる街で、あのような戦闘が行われているのは事実。

なら黙って忘れるなんてことができるわけがない。

 

「ん?なんだ、これ…」

 

そうして立ち上がろうとした時、視界に光るものを捉えた。

拾い上げればそれは赤いペンダント。宝石で造られたそれは自分が死ぬ前には落ちていなかったものだ。

 

あの男の物か?それとも誰かの落し物で息絶えるその時まで気付かなかった?

 

十分にあり得る。そもそもあの時は地面に気を配る余裕なんてものは無かった。

死に物狂いで逃げ、それでも逃げきれず呆気なく殺されたのだから。

短い逡巡の後、それをポケットに入れた。

誰かの落し物であるなら明日か明後日か、近いうちに届けなければ。

 

そうして俺は家路を急いだ。そのペンダントに残されたひとかけらの魔力には気付かずに。

 

ーーーー

 

広い武家屋敷、それが衛宮士郎の自宅だ。

今は亡き養父の残した家の門をくぐり抜け、戸を開けずに庭の外れの土蔵へと足を進める。

先程この身を襲ったあの男がまたやって来ると仮定した場合、家の中にあるものでは心許ない。

土蔵にならば武器になるものがあるかもしれないと判断した結果だった。

 

「これしかないか…」

 

土蔵には昨夜と変わらずあらゆるものが散乱していた。

だがどれもこれも取るに足らないガラクタばかり。

強化の鍛錬に失敗した際、気分転換に投影した外見だけは精巧な不要品達がこれでもかと詰め込まれていた。

 

その中で、強化の為に昨夜持ち込んでいた木刀を発見し、手に取る。

正直これでは対抗できる気がしない。

しかしあの人外に対抗するものとして一体何があれば適切なのか。

 

「武器があっただけでも御の字だ───同調、開始」

 

背に一本の鉄の棒を差し込む感覚。

それが俺が魔術回路を生成する際に感じる感覚だ。

荒くなる息を抑えつつ、手に持つ木刀に魔力を流し込んで行く。

魔力が浸透していくのを指先で感じながら先端までそれを這わせていく。

 

うまくいった──そう実感を持ちかけた時。

木刀に流れ込んでいた魔力は宙へ霧散していった。

 

失敗、だがそれだけならいつもと同じ。

俺は強化すらうまくいかない半人前の魔術使いだ。

失敗するのは珍しいことじゃない。

しかし今日、ここに限っては成功しなかったことにこれ以上ない焦燥と絶望を感じていた。

 

あの男は必ずまた俺を殺しに来る。俺が生きているとしれば必ず。

そんな確信めいた虫の知らせが常に頭を支配している。

場所が離れている、生きていることを知る手段がない、そんなことは関係ない。

もう一度あの朱槍は俺の前に現れる。

それはいつだ。明日か、もっと先か。あるいは、今すぐにか。

焦りの混じる身体では平時でさえうまくいくことの少ない魔術が成功するはずもなく、俺は二度目の強化にも失敗した。

 

木刀を持った右腕をだらんと下げ、空を仰いだその時。

狭い土蔵の中を光が染め上げた。

それと同時に感じる自分の身に感じるとてつもない違和感。

魔術回路を生成する際の比ではない、槍がこの身を貫いたあの感覚でさえ届かない。

小さな水風船に水道の蛇口を突っ込み思いっきり水を流し込んだような張り裂ける感覚が指の先、足の先まで走り抜ける。

嘔吐しそうになる口を必死に抑え、しかし苦悶に揺れる体がくの字に曲がる。

 

それでも止まぬ光の奔流。

白い閃光が視界を遮るその最中、確かに聞いた。

カランカランという鈴の音───敵意あるもの、招かれざる客に対して作動する、今は亡き切嗣の張った結界の音を。

 

来た、あの男が。

撤退、篭城、そんな戦略を頭に浮かべる余裕はなく、俺はただ体の知らせるまま、土蔵の外へと飛び出した。

 

狭い空間から解放されまず俺がしたことは、外の新鮮な空気を肺に取り入れることだった。荒い息のまま空気中の酸素を貪る。

それで嘔吐する感覚は少し楽になった。

 

「───っ!!」

 

だが同時に感じた首筋を刺す死の予感。

息を整える間も無く、前方へと転がる。背後を朱い閃光が走り抜ける。

ごつごつとした石の感触を掌で受け止め、背後を振り向いた先にその男はいた。

 

「いや、いい反応だ。せめて気付かぬうちに殺してやろうっていう俺なりの気遣いだったんだがな、今のは」

 

先程まで俺のいた空間を突き刺した朱槍をゆっくりと戻しながらその男は俺を睨みつけていた。

獣の眼光、そう形容するにふさわしい視線を浴びて体が硬直する。

 

「にしてもどんな手品を使ったんだ、お前。確かに心臓を貫いたと思ったが」

 

答える言葉はない。そもそもこちらの方こそ聞きたい事柄だ。

答えられる筈がない。

 

「答える気はないか。まぁいい、今度こそ迷うなよ坊主」

 

「っ───!!」

 

そして三度朱い閃光が俺へと奔る。

全く、先の一撃は運が良かった。良すぎたと言ってもいい。

だからこそあの一撃は無傷で乗り切れた。

槍を突き出す瞬間を目に捉えていたというのに反応が遅れた。

なんという速度。この男はつくづく人間を辞めていると感じる。

 

胸を再び槍が突き抜けるまで後どのくらいだ。

もう間もない、刹那の時の後ということだけは分かる。

その後はどうなる。もう一度死ぬのか。もう一度あの感覚を味わうのか。

そして今度こそ永遠の微睡みに沈むのか。

こんな所で、こんな奴に。

 

右手にはまだ木刀を携えたままだ。その手に熱がこもる。

わかっている。強化すら施していない木刀では人外の膂力を持って放たれた一撃を逸らすことなど不可能。

それ以前に、もはや間に合わない。胸に迫る槍は次の瞬間にはもうこの身を貫いているだろうから。

 

しかし、それでも。

 

「そんなの、認められるか───!!」

 

火花が散った。金属が激しくぶつかった甲高い音が木霊した。

 

「なに──?」

 

「え──?」

 

無我夢中で振るった木刀。それは砕ける事なく、へし折れる事もなく、凶槍を弾いた。

その光景に青い男と二人して戸惑う。

どういうことだろうか。右手に握った木刀にはいつの間にやら強化が施されている。

あの一瞬で強化に成功したのだろうか、今の今まで長い時間をかけても成功などほとんどしなかったそれを。

 

だが幸運と言えるその出来事も良いことばかりではなかったらしい。

男の目に熱が灯る。どうやら火を付けてしまったようだ。

 

朱い閃光が払いの形を持って振るわれる。

槍の長さ、男の卓越した技量を持って振るわれたそれはさながら即席の結界だ。

避けることは許されず、避くより速くこの身を切り裂くだろう。

ならば、受け止めるしかない。

 

「くっ!!」

 

「ほお。これも防ぐか」

 

鍔迫り合うギリギリという音が痛い。

男の発する楽しそうな声が煩い。

右手から発せられていた熱は身体中へと伝播している。

その熱に浮かされた体が男の次の行動を教えてくる。

 

神速。槍を引き、突き出す。一連の動作は完成された動きで心臓へと放たれた。

目に見えぬそれを知覚できたのは何故だ。

考えている暇などない。

 

「はぁっ───!!」

 

木刀を真一文字に一閃。火花を散らして神速を阻んだ。

これで三度。三度俺はヤツの攻撃を防いだ。

しかしそのたった三度で木刀を持つ腕はひしゃげてしまったと錯覚するような痛みに襲われている。

 

「ただの小僧かと思えば、なかなかじゃねぇか。なるほどさっきは気付かなかったがそれなりの魔力を感じる。心臓を穿たれて生きてんのとそのおかしな手品はそのせいか」

 

男のいうおかしな手品とは木刀で槍と斬り結んでいるこの状況を指しているのだろう。

 

「そら、次行くぞ」

 

身構える隙もなく、再び槍が襲いかかる。

体の中心を穿つその軌跡に沿わせるように木刀をぶつける。

衝撃は腕を通じ足先まで響いた。

 

───本当にどんな体してんだよコイツ!!

 

ふ、と腕に感じていた重量感が消えて無くなる。

そして視界の端に映る朱。

払いの一撃を咄嗟に突き出した木刀で受け止める。

 

しかし次の段階、次のレベルに入ったのだろうか。

男の攻撃はここで終わらない。

 

一撃を受け止めていた木刀を巻き込むようにして槍が円を描く。

 

「なっ、しまっ……」

 

槍に押し出され木刀を持った右腕が空へと跳ねあげられてしまう。

唯一の武器を持つ腕はこの一瞬、完全に無効化された。

大きく開かれた体。無防備なこの身に必殺を叩き込まんと朱槍が男の腰に沈む。

 

──まずい。木刀は今使えない。

───素手で防ぐしかない。

 

悪手。第三者が聞けばそう思うかもしれない。

だが何故だかうまく行く確信があった。

 

大きく上へと投げ出された右腕は頭の後ろへと周り体を引っ張る。

その重心に逆らわず、遠心力を利用。

左足を前へと踏み出せば自然と半身の姿勢へと移行できる。

 

そしてそうすれば。

 

「なんだと?」

 

突き出された槍の側面に左の掌底を叩き込む。

鉄塊を拳で叩いたかのような分厚い痛みが、痺れが、左腕を使い物にならなくした。

だが結果は上々。槍は制服だけを浅く切り裂いたのみでこの身には届いていない。

そして半身であるからこそ、右手に持つ木刀の切っ先をヤツは捉えられていない。

 

「そこだっ!」

 

俺自身の体に隠された切っ先を男の顔面へと向け突き出す。

だが──

 

「惜しいな。それじゃ俺には届かねぇ」

 

俺の体が硬い地面に転がる。

一度、二度、地面に叩きつけられる度に小さく跳ね、土蔵の外壁にぶつかったところでようやく俺の体は止まった。

カラカラと木刀が転がる音が響く。

 

───蹴り飛ばされた

 

そう認識する。ふらふらと立ち上がるも既に両の腕は痛みで動かず、足腰には力が入らない。

 

「しかしこんなもので俺の攻撃をここまで防ぐとはな」

 

そして木刀は男の足元。

手に取ることのできる距離ではなく、取れたとしても──

 

ばきり、という音と共に木刀は男の足で踏み折られた。

 

つまりここで詰み。俺にはもうあいつに対抗する力も手段もない。

 

だがどうやらすぐに殺す気はないらしい。

男は腑に落ちないような、それでいてどこか期待するような、感情の入り混じった声で口を開く。

 

「解せんな。俺の勘違いかと思ったがそうではない。一度殺した時には確かに感じなかったその猛る魔力、たかだか木刀で本気ではないといえ俺と正面きって戦える技量。お前、何者だ」

 

刺すような視線。

 

「ただの魔術師じゃないことだけは確かだが──。何にせよ危険だ。お前がマスターになれば面倒に過ぎる。悪いが本気で殺すぞ坊主」

 

瞬間、魔力の波が俺の体に叩きつけられる。

背を伝う死の予感。正真正銘、ヤツの本気の殺気、本気の魔力に全身の細胞が萎縮している。

今までのは児戯に等しい男なりの遊びだったのだろう。

 

こんな、こんな化け物を相手に、仮に全力で戦えるコンディションだったとしてもどうやっても勝つ未来を想像できない。

恐らく10秒だって生存できないだろう。満身創痍の今であれば尚更だ。

しかしそれでも、ただ死ぬことを認めることなどできない。

 

未だ嘗てない程に身体中に張り巡らされた魔術回路に猛る魔力を一気に流し込む。

せめて一撃、ただそれだけの為に行ったその行為。

だがその結果、自らの体正確には自らの体からどこか外へと向かう魔力のラインのようなものを知覚した。

しかしそれは栓でせき止められているのか流れ出て行こうにも行き場を失っている。

 

──なんだこれ。いやなんだっていい。

 

「お前を七人目にするわけにはいかねぇ。死ねや坊主────まぁ、予想外に楽しめた。ありがとよ」

 

───ここで殺されてやるものか!

───これが何に繋がってるかは知らない。でも何かに繋がってるっていうんなら。

 

「力を貸してくれ───!!!!」

 

そして、それは本当に。

魔法のように現れた。

 

「了解した。登場が遅れてすまないマスター。だがこれよりこの槍はお前と共にある。………まずは外敵の排除と行こう」

 

眩い光の中。それは男と俺の間に俺を守るようにして立っていた。

 

「まさか、本気か、七人目のサーヴァントだと…!?」

 

幽鬼のように痩せた体に黄金の鎧。白い髪から覗く赤と碧の瞳。

手には人の扱うものと思えないほど大きな黒い槍を携えている。

 

言葉が出ない。

その瞬間だけ俺は命を狙われていたことも、青い男のことも、体の痛みも忘れてそいつだけを見ていた。

綺麗だとか美しいだとかそいつを形容する言葉はあったのかもしれない。

だが俺には何故か、歪な美しさに思えた。

 

「…マスター、休んでいるといい。直ぐに終わらせる」

 

視線だけをこちらに向けたままそいつはそう言葉をかけてきた。

それで再び身体中を襲う痛みを思い出した。

 

「ま、待て。マスターってなんだ。それよりお前は一体…」

 

土蔵の外壁に背を預け、言葉を絞り出す。

膝を折ることだけはしない。みっともない強がりかもしれないがどうしてかそれだけはできなかった。

 

「……なるほど。何故オレに魔力を寄越さないのか疑問ではあったのだが、自覚がなかったということか。生身でサーヴァントに挑む愚か者と僅かにでも思ったオレを許してくれ」

 

言っている意味が分からなければ謝罪の意味もわからない。

だがそれを知っているのかいないのかそいつは目を伏せ心からの謝罪の意を示している。

 

「蛮勇ではなく勇猛。つくづくオレは幸運に恵まれている。このようなマスターに召喚されたという事柄はその最たる物かもしれないな。……だがそういった話は後だ」

 

これで話は終わり、そういう事なのだろう。

そいつは黒き大槍を構える。

 

赤と碧の視線は青き男へ。両者の発する吹き荒れる魔力がチリチリと指先を焦がす。

 

「全く冗談じゃねぇぜ坊主。お前一体何を呼び出した」

 

男の声には隠しきれない焦りが滲み出ている。

ここまで俺を圧倒していた男から初めて感じる生身の感情。

その様子に少しだけ心に余裕を取り戻す。

 

「その言葉はオレに言うべきだろう。もっとも貴様に教えるつもりもないがな。ゆくぞ。時期尚早だがここが貴様の死地と知れ」

 

 

 




士郎強化の謎は少し先で。

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