弾幕の練習を諦め、夕方になるまでずっと天を仰いでいた。
とはいっても、外の空気と芝生に包まれて仰向けになっていたのではなく、縁側で寝そべっていただけだが。
陽の光が朧げに届く時間は、心を穏やかにしてくれた。
「ず~っとそんなことやってて、暇じゃないんですか?」
「暇だからこれくらいしかやる事がないんだよ」
事実、俺はこの上なく暇を持て余している。
射命丸も思いの外退屈そうにのんびりとしていた。
「そっちこそ、新聞書かなくていいのかよ」
「最近出しましたからね、いいんですよ」
「あれ、確か俺の記事のやつ、号外だったろ」
「それでもいいんですよ」
「号外の意味がねぇ」
定期的に発行される新聞には通常、号数が振られている。
号外というのは、その号数に数えない特別な
それを考えると、号外だった俺の新聞は発行した分に含まないはず。
「号外って、何かわーっとしたときに配っときゃいいんですよ」
「こんな適当な記者、初めて見た」
この天狗、彼女の見た目と俺の想像以上に几帳面だ。
記事も簡潔に書けているし、置いてあったメモ帳を覗いたが、綺麗な字でわかりやすくまとめている。
机周りや部屋全体の整理も行き届いていて、正直感心した。
しかし、妙なところでガサツだ。
ああいった
彼女にはどんな景色が見えているのか、俺にはイマイチよくわからない。
「適当なわけじゃないですよ。仕事をサボったような様子、見たことありますか?」
「付き合いが短いからわからんが……今まで見た限りでは、ないかな」
再度述べよう。記事は簡潔に書けている。
要点を抑えつつ、嘘偽りが入っていない。
少なくとも、聞き込み内容と相違ある情報は見られない。
メディア系は往々にして誇張表現を含む。
一部を切り取り、本来とは異なる事実を仕立て上げる印象操作。
嘘はないにしろ、その内容はリテラシーが要求される。
しかしながら、現実世界のものと比類ないこの記事の内容。
元来、報道はこうあるべきだという見本にもなりえるだろう。
「でしょう? ようするに、大事なのは中身なんです。部数とか号数とか、号外の定義を再認識しても新聞が映えるわけじゃないんですから」
「へえ……珍しいな」
「珍しい? どこがです?」
外の世界では、腐るほど見てきた。
最初に視界に入る外を繕いさえすれば、中身はある程度手を抜いてもいい。
そんな自己ルールや暗黙の了解に流される人間を。
「中身を大事にする人間が珍しいってことだ」
「まあ私、妖怪ですし」
「はいはい」
彼女は妖怪だ。非現実的ながら、現実。
夢だ幻だ、そんな考えを巡らせていたのが懐かしく思えてくる。
ほんの少しだけ前のことなのだが。
「……そうですね、いい機会です。一ついいことを教えてあげましょう」
そう告げてから、俺が寝そべる縁側へと歩み寄ってきた。
起き上がると、すぐに俺の横を詰めてくる。
何を言うでもなく、詰められた距離と同じ分だけ遠ざかる。
「私が嫌いなんですか?」
「いつ取って喰われるかわからんからな。こう、大きな口でガブッと」
「私は巨大化しませんよ。まぁ、別に今はいいですけど」
こほん、と軽く咳払いをしてから。
射命丸 文は、座ったままに空を見上げた。
「結局、人間が勝負したり、重要視されるのは──ここと、ここです」
すぐに俺の方に向き直って、自分の体の一部を指差す。
示した場所は、瞳と胸。
「相手がどんな人間であるか、見極める目。相手がどんな人間であるか、受け入れる心です。見た目なんて、ただの飾りですよ」
「そんなもんかね」
人間界には、上下関係がある。
この幻想郷、もっと言うならば、特に天狗界にも然り。
射命丸は、その中でも結構上位に属するらしいが。
ただの上下関係なら、の話だ。
人間界には、それに肩書きが加わる。
それは紛れもなく外の分野であり、物事の判断材料には到底使えない。
しかし、人はそれを好んで捻じ曲げる。
俺にはそれが、どうしても理解できず、大嫌いだ。
「だから、貴方だってそんな見た目をしていますが、本当は優しい人間かもしれないんですよ。私が見落としているだけで」
「そりゃないな。俺が優しかったら、この世の住人の殆どが聖人か神のどっちかだ。それと、『そんな見た目』って侮辱だろ」
「知ってますか? 肩書きや称号が嫌いな人ほど、自分を語ろうとしないものですよ」
……どういうことだろうか。
言葉にしてはいないが、射命丸が俺の疑問を察して、口を開いた。
「中身を見てもらうのは、自分で扉を開く時じゃなくて、相手に扉を開けてもらう時だとわかっているからです」
「もう少しはっきり言ったらどうだ?」
「自己PRじゃ、本質はわからないってことです」
自分でさえも気付かない本質。
それを、他人が気付いてくれるというのか。
そんな夢のような世界があったならば、存外楽であり、だからこそ夢なのだろう。
「さてと、聞いたことだし、一つだけ言っておこう。記事の内容についてだ」
「はいはい! 私のすっばらし~い記事がどうかしました?」
「自信を持つことは大いに結構だが……真実であるのには変わりない。もっと言えば、信憑性のある記事と実りある記事ってのは全くの別物ってことだ」
確かに、真実味どころか真実のみを書けば、信憑性で溢れるわけだ。
だが、それと内容の充実度は、また別の話。
つまるところ。
「記事内容がゴシップめいているんだが」
そう、真実ではあるのだが、疑わしい。
意味がまるで正反対だが、そうとしか言い様がない。
解釈を歪めるまではいかないにしろ、他人の興味を引くように大袈裟に書きすぎだ。
「えへっ」
「笑えば許されるとでも思ってんのか」
「逆に聞きます。なぜ私が許しを請わなければ?」
「まぁ、それもそうだ」
「結局何が言いたいんですか……」
射命丸にも呆れられるとは、俺も落ちたものだ。
元々から地獄の釜の底くらいに落ちているので、これ以上落ちようもない。
後は右肩上がりか平行線かしかないのだから、至って安全かつ将来有望だ。
「もう少し、何とかならないのか?」
「言ってしまいますが、天狗自体がそういう種族なんですよ。ゴシップ好きの、日常に刺激を求める種族」
「その割りには、弾幕ごっこを仕掛けないじゃないか」
極論かつ横暴だが、ネタがないなら、作ってしまえばいい。
報道すれば、そこに嘘なんてない。なにせ、当事者に自分がいるのだから。
ありのままを書けば、信憑性のある刺激的な日常を報道できる。
「ん~、何と言えばいいのか……勝負は受け付けているどころか喧嘩を売ってもいますが、それを受ける相手がいないんですよ」
「つまり、天狗が圧倒的過ぎるから、皆が勝負を仕掛けないし受けない、と?」
「その通りですね」
喧嘩を売っているが買われない理由は、大抵相手が強すぎるからであって。
天狗という種族とわかった瞬間、勝負を降りるわけか。
「まあ、いつか俺が相手してやるよ。負け顔晒してもいいならな」
「あらら、それはお可哀そうに。勝負を挑んで負けるって、かなり恥ずかしいですよ?」
「聞こえなかったか?
「……もしや、勝つおつもりで?」
「勿論」
正直、勝つ見込みなんて一欠片も存在しない。
まぐれが起こるような相手ではないことは、過去の発言から大体想像もつく。
なら。ならば。
「あっはははは! 弾幕ごっこすらままならないのに、私に勝つ? さすがにそれは無理ですよ!」
鴉天狗は腹を抱えて大笑い。
童話のワンシーンでも見ているかのようだ。
俺は静かに縁側を立ち上がり、射命丸を正面に捉える。
未だに大声で笑い続けている射命丸に向かって。
──渾身の右ストレートを繰り出した。
―*―*―*―*―*―*―
私は高らかに笑っている。
笑わずにはいられない。
だって、弾幕をろくに打てない彼が、私に勝つというのだ。
絶対に、天地が裏返ろうとも、どんなハンデをつけても不可能だ。
仮に弾幕も満足に打てて、自由自在に飛行ができたとしても、それは変わらないだろう。
種族差、というものをどうやらわかっていないらしい。
あれほど私のことを人外だとか、妖怪だとか言っていた割りに。
到底超えられない壁、というものがある。
突然、何の前触れもなく、片桐さんが立ち上がった。
さすがに笑いすぎて、ご立腹だったろうか。
そう心配した矢先のこと。
容赦なしに、彼なりの全力の右拳が飛んできた。
私は驚きつつも、受け流す。
所詮は人族。たかが人間の全力が。
妖怪、それも天狗、さらには私の速さに追いつくわけが──
「どこを向いている、天狗」
──彼は、
本当は、拳に乗せた勢いのまま、地へ倒れ込んでいるはずだが。
銃の形を指で作って、私の頭を悠々と捉えている。
「……そうでしたね、貴方には『欺く』能力がある」
錯覚、幻術。
現実を捻じ曲げてみせるが、されど術。
そう侮っていたが、こういったことにも使えるらしい。
攻撃したと見せかけ、本体が背後に回り込む。
殴った方の彼は、
「ですが、それでも私に勝つのは不可能です。そんな挑戦
「一ついいことを教えてやろう、たかが人間程度に騙される頭の回らない天狗様」
「……なんですって?」
私も当然、怒らないわけではない。
大抵のことは流すが、多少カチンと来るときくらいはある。
口が悪いのは知っているが、少しばかり過ぎている。
「口を
「教えてやるっつってんだよ。お前こそ早く言葉を覚えろ。脳まで鳥のヤツとは、会話もままならん」
「ええ、いいですとも。そこまで言うのなら、相当な自信があるのでしょう?」
どうせハッタリか、過剰な自信か。
どちらにせよ、根拠や要因がなければ、口先だって大きなことは叩けない。
「俺は、他人に自分の可能性を否定されんのが大嫌いなんだよ」
表情と語調に、真に迫るものがあった。
言葉こそ今までの彼だが、込もった熱がまるで違う。
叫んではいないものの、彼も同じく怒りの感情を持っているようだ。
「自分で言うのもなんだが、あまり舐めない方がいい」
そこまで告げらてから、銃口は頭を離れた。
しかしながら、絶対的に覆せない序列と種族差というものは存在する。
「口だけは達者なようですね」
「証明してやろうか?」
「どうやって? 弾幕ごっこはお世辞にも成り立つレベルでは──」
「勿論、弾幕ごっこだ。ここの掟なんだろ? 決闘はこれで行うってさ」
正気の沙汰ではない。
この男は、全てを見くびりすぎている。
妖怪と人間の種族差だけでなく、弾幕ごっこの難しさも、私個人としての能力も。
たったの一度も経験を積んでいない人間が、何を言う。
ホラを吹くにも限度がある。
「いいでしょう、一週間あげます。一週間で準備やら特訓やら、悪あがきをすればいいじゃないですか。何をしても無駄ですが」
「いいのかよ、本当に。それだけあったら、本当に勝つかもよ」
「相変わらずの減らず口ですね。いいんですよ、勝った後で貴方のことを散々に取り上げた新聞作りますから。見出しを考えるのが楽しみです」
これだけ言っても、彼の様子や言葉は一切揺るがない。
嘘を吐いている様子も、能力を使った形跡もなし。
私には到底信じられない話ではあるが、彼なりの勝ち筋が少なからず見出だせたらしい。
指を突き当てられていた頭に、妙な重みが残っていた。
これもまた錯覚だろう、と考えごと振り捨てる。
が、どこまでもどこまでも、不可視の質量がそこで蠢いていて、違和感をが停滞してやまなかった。
―*―*―*―*―*―*―
「……とのことですが、お嬢様」
「へえ、面白い。次の満月で動く予定だったのだけれど、少し早めるわ」
アップルティーを舌上で転がした後、喉へと通す。
爽やかで、砂糖とは違う甘みが脳を巡る。
一思いに飲み込んで、一拍。
「明日、一人になったところを狙って、ここに連れてきなさい」
「御意に。参考までに、何をなさるおつもりで?」
「運命を垣間見るだけよ。具体的には、本当に、彼を勝たせてやるわ。その前に、ちょっとしたテストもなきゃつまらないわよね」
何をしてやろうか。
どこまで化けの皮を外さないでいられるか、試してやろう。
「……殺すのですか?」
「
さて、明日の飲み物は紅茶になるのか。
それとも、深紅のワインになるのか。
想像しただけで、舌で唇をなぞってしまいそうだった。
窓から覗く三日月は、私の笑顔を猟奇的に映してくれていた。
赤ワインが似合うのはレミリアしかいないと思うんですけど、気のせいですかね。