消えることない約束   作:勝家

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第8話 もう迷わない

 

「どこから話そうかな」

そう言ったきり三葉はまた黙ってしまった。夕食後から三葉はどこか様子が変だった。俺と目を合わせてくれない。いや、目は合うが、すぐにふっと下にそらされてしまう。もしかして先週のあれのせいか。確かにあの時は無我夢中で、あとになって恥ずかしさが込みあげてきた。もちろんしっかり謝罪文は送ったが、こうして直接会うのはあの時以来だ。三葉はまだ引きずっているのかもしれない。

「その、先週はごめん。」

「え? 急にどうしたの?」

「ああ、先週の、その…別れ際のこと、まだ直接謝ってなかったなと思って。」

「ええ? あ、あれは…謝らないで。全然嫌じゃなかったっていうか…。」

三葉の言葉はそこで途切れた。2人の間に沈黙が流れる。それはまるで今の2人の距離を表すかのようで、瀧の不安を煽る。それを振り払うように瀧は次の言葉を探す。そもそも三葉の言う大事な話とは何のことだろうか。もしかして別れ話…!? いやいやいや…。なるべくブルーなことは考えたくない瀧である。瀧には1つ心当たりがあった。それは瀧自身もとても気になっていたことだ。

「なあ、もしかしてその大事な話って……」

「…うん…」

三葉は小さく頷く。まだ目は下を向いたままだ。

「その大事な話っていうのは、俺たちが初めて出会ったときのことなんじゃ…。」

「…え?」

「俺たちが初めて出会ったとき、初対面のはずなのになぜか初めて会った気がしなかっただろう?」

「え、あ、ああ…そうやよ。私もすごく気になっていたんよ。」

 

 

 瀧くんに思いを伝える、そういう覚悟で、迷惑かけることもわかって今日ここに来た。それなのにその一歩を踏み出せない自分が嫌になる。人生でこんな気持ちになったことは、たぶん初めて。本当に好きな人を前にすると、人ってこんなにも臆病になるものなんや。

「その大事な話っていうのは、俺たちが初めて出会ったときのことなんじゃ…。」

ーー違うんやよ。私はただ…ーー

だめだ。私の中でみるみる勇気が無くなっていくのがわかる。それに、そのことは私も気になっていたことやし。

「おーい、三葉」

「…あっ…」

「急にぼおーっとして。どうかした?」

「い、いや。ちょっとあの日のことを思い出してただけやよ。」

「そうか。それにしても、改めて不思議なんだよな。あれから思い出そうとしたんだけど、やっぱり三葉に会ったのはあの日が初めてだったと思うんだよ。当然お互い名前も知らなかったし。」

「そうやね。昔どこかで偶然会って、顔をなんとなく覚えていたのかなあ。」

「例えば、落としたハンカチを拾ったとか? うーん、そういうのとは少し違うような…、もっとこう…、ずっと探していた人に会えた!みたいな感覚なんだ。」

「私もやよ。でも、やっぱり一度はどこかで会ってないと辻褄が合わないよ。そういえば、高2の頃だったかな、私一度東京に行ったことがあるんやよ。もしかしたらその時に偶然会ってたのかなあ。」

「高2の頃っていうと俺は中2か……あれ?…」

瀧の思考が一瞬止まり、そして一気に記憶を遡り始めた。

ーー…あの、あんたの……は?

……は、…まえは、…つは!ーー

「おーい、瀧くん」

「あっ、ごめん。何でもない。」

ふと思い出したのは電車の中で知らない人に話しかけられた記憶。ただ、相手がどんな人か、何を話したのか、ただ落としたハンカチを拾っただけだったのか、それ以上は記憶がばっさり途絶えていた。

「うーん、何か思い出そうとしてたんだけど、忘れちゃった。最近こういうことが多いんだよ。」

「やだ瀧くん、物忘れ?」

「まさか、俺は三葉より3つも下だぞ。」

「ちょっと! 私が密かに気にしてることを。」

「はは、すまん。」

「ほんとにこの男は!」

ーーあっ、なんだか懐かしいやりとりだーー瀧くんと会話していると、時々とても懐かしさを覚える。やっぱり私は瀧くんとどこかで会ったことがあるのだと思う。いや、会ったことがあるかどうかなんて正直どっちでもいい。

「でも、俺は歳なんて気にしてないよ。年上だって感じはしないし。…それに何より…、あの日俺の目の前に現れたのは、君なんだから。」

「うん。ありがとう。でも、これでも私は君より3年ぶん人生の先輩なんやからね。」

過去に会っていようがいまいが、私が好きになったのは、君なのだから。

 

 

「あの、瀧くん。私、3連休で実家に帰ろうと思っとるの。春にバタバタしてて帰りそびれたから。」

「ああ、この前言ってたな。」

「それでね、その…瀧くんも一緒に来てくれないかなあと思って…」

「ええ!?」

「本当は四葉と帰るつもりで新幹線の切符2人分買ったんやけど、四葉が「テストがやばいから帰らない」って言いだして、それで…。」

「ちょっと待って。そんな、行けなくなっちゃったから代わりに行ってとか、旅行じゃないんだから。だって実家ってことは、三葉の親父さんにも会えってことだろ?」

「…ごめんね。無理なお願いだとは分かっとるんよ。だから、瀧くんの気が進まないならそれでええんやよ。」

瀧は少し考え込んだが、やがて真っ直ぐな視線を三葉に向けた。

「いや、行きたい。上手く言えないけど、なんか、糸守に行けば何か分かる気がする。思い返すと、縁もゆかりもない糸守に彗星災害の3年後に突然興味を持ったり、三葉の出身地を聞いた時も妙に納得してしまったり、それに…」

そう言いかけて、瀧は一瞬考えるような素振りを見せたかと思うと、思い出したように三葉に顔を見た。

「たぶん高2の頃、糸守に行く前後だったと思う、俺は熱に侵されたように糸守の風景のスケッチを描いていた時期があったんだ。たぶんまだ残ってると思うんだけど。」

「ええ!? 見たい! ええかな? 瀧くん。」

本棚を物色すること5分、瀧は本の隙間から問題のスケッチを引っ張り出した。5年前に描かれたというそれは、確かに糸守を題材にした風景画だった。

「すごい瀧くん! 料理もできて、絵もこんなに上手いなんて! それにしても、なんか、すごく懐かしいなあ。」

本当にそう思っているのだろう。三葉は1枚1枚丁寧に瀧のスケッチを眺めていた。ときおり目を細め、懐かしむように笑みを浮かべて。それはまるでこの世界の教科書のような笑顔だった。

「これ……。」

急に三葉の表情が固まる。

「どうして、これを……? これは、宮水神社のご神体…。宮水の人しか知らんはずやのに。」

「ご神体? そっか、三葉の家は神社って前言ってたな。それで、三葉、1つ聞いてほしい。この場所を知ってるのは宮水の人だけじゃない。実は、俺もここを知ってる。」

「え!? …どうして、瀧くんが…?」

「俺が糸守に行ったことあるって言ったろ? 俺が高2の頃だから、5年前、あの災害の3年後に。あのとき、一緒に行った友達と先輩とは別々で帰ってきたんだよ。1日遅れで。そして、俺はどこで一夜を明かしたか。それがこのご神体を囲む山の上だったんだ。」

 にわかに信じられないという顔で、三葉は瀧を見ている。目をパチクリさせながら、スケッチと瀧を交互に見比べて。

「…ごめんね。瀧くんのこと信じてないわけじゃないんよ。ただ、ちょっと驚いちゃって……。」

そう言って1枚画用紙をめくった三葉は今度こそ絶句した。

「……これ…この部屋……。」

三葉は状況を整理しようと必死だ。目の前にあるのは間違いなく糸守で暮らしていたころの自分の部屋。間取りも三葉の記憶通りだ。しかし、ここはあの彗星災害によって跡形もなくなってしまったはずだ。まさかこんな場所が写真として残るわけもない。というか、そもそも一個人の、しかも思春期の女の子の部屋なんて他人がスケッチできるわけがない。じゃあ、私の目の前にあるこれはいったい……。

「あの…瀧くん…。」

「この絵の、この部屋。俺はさっぱり見覚えがない。だけど、糸守の風景と一緒に残ってたってことは、この絵もたぶん糸守のどこかなんだ。それに…、この部屋を俺は知らないけど、なんか言葉で言い表せない懐かしさを感じた…。」

「この部屋はね…。糸守がなくなる前の、私の部屋やよ。」

「え…、それって、どういう……。」

今度は瀧が絶句する。

「私もわからない。瀧くん、8年以上前に糸守に来たことがあるんやないの? わけあって私の家に寄ってその時に見たとか。だって、そうでもないとこの絵は……。」

「…描けっこない。俺が糸守に行ったのは高2の秋頃。記憶にあるのはその1回だけ。だけど、事実としてこの絵が残ってる。ご神体の絵も……。」

そう言いかけて瀧は口を噤んだ。三葉は瀧の横顔を見つめる。

「なあ三葉。岐阜の実家からこのご神体までどのくらいかかる?」

「え、えっと…、2時間くらいかな。それにすごい歩くよ。」

「俺たちが初めて会ったとき、なぜか初めて会った気がしなかった。…くさい言葉だけど、運命の人だと思った。だけど、初めて会った日のこと、三葉が糸守出身だということ、なぜか消えた後に糸守に行って宮水の人しか知らないご神体を知っていた俺、そして、この絵。まるでパズルのピースがそろった感じがするんだ。そして、糸守にきっと完成させられる。確かめたいんだ。俺たちの出会いは運命なんて陳腐な言葉で片付けられるものじゃないってことを。」

三葉は瀧の言葉を一言も漏らさず聞いていた。なんだか涙が出てきそうだ。これは、うれし涙なのかな。この気持ちを言葉にする術を三葉は持たない。自分が今どんな顔をしているのかも分からない。

「ありがとう、瀧くん。大好き…。」

精一杯の一言、しかし、それだけで十分だった。

 

 

「三葉、俺の部屋のベッド使っていいから。」

「え、瀧くんは?」

「俺は大丈夫、ソファーで寝るから。」

「そんなのダメやよ。一緒に寝るんやよ。」

「ちょっと待て。俺のベッド1人用だし、色々まずいだろ。」

「何がまずいん? 私は全然嫌やないよ。」

何の前触れもなく三葉の告白を受け、瀧は彼女を意識せずにはいられなかった。対する三葉は、本懐を遂げ、もはや何も失うものはない。完全なる無防備だ。

「お、襲っちゃうかもしれないぞ…。」

「き、気にせんよ…。私は…。」

やっぱり俺は三葉にかなわない。こうなったら何が何でも俺の中の獣を封じ込めて見せる。瀧の長いながい戦いが、始まろうとしている。

 

 

翌朝、瀧は目を覚まして、自分が三葉を抱きしめていたことを思い出す。三葉の寝顔を覗き込むと、彼女はまだまどろみの中だ。ひとしきり彼女の寝顔を堪能して、今日1日働く気力を補充しベッドを後にする。歯を磨いて顔を洗い、朝食の準備に取り掛かる。

狭いベッドの上で三葉と過ごした夜。三葉は瀧の胸にうずくまる形で眠ってしまった。瀧は思わず三葉を抱きしめたのだが、それ以上したいとは不思議と思わなかった…とまでは言い切れないが、一線を越えることよりも、三葉の存在を傍で感じられることの方が大切なのだと瀧はその時初めて気づいたのだ。一晩中その態勢で、朝起きたとき左腕がしびれて動かせなくなっていたのだが。

「おはよう瀧くん。」

「おう起きたか。おはよう三葉。」

「ああ、朝ごはん。ごめん、全部任せちゃったね。」

「いいよ。ここ俺の家だし。それに今起こそうと思たんだけど、手間が省けた。」

 朝食を食べ終え、2人は一緒にマンションを出た。

「それじゃ、今日の夜待っとるね。」

「おう、準備できたら連絡する。」

二人は笑顔でそれぞれの職場へと向かった。




投稿が遅れたことお詫び申し上げます。ここのところ何かと忙しく、2週連続で土日が潰れるなどしてなかなか時間がとれない中で、この第8話も当初の構想から大きく逸れた内容となりました。
いよいよ再会編クライマックス。次回から3話かけて2人の「再会」を描きます。

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