消えることない約束   作:勝家

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第3話 慣れないこと

三葉は迷っていた。壬理沙とのランチタイムの間も会話が上の空なほどであり、とうとう「みっちゃんホント今日どうしたの? 具合でも悪いの?」と心配される始末。そんな三葉が何を迷っているのか、それはもちろん瀧のことである。三葉としては、今日もう一度瀧に会いたい、会って話がしたいというのが本音である。しかし、生まれてこの方彼氏がいたためしがない三葉には、その気持ちをどう伝えたらいいのか、果たして伝えていいものなのかどうかが分からないのである。三葉は決して男性からモテないわけではない。美人で清楚で優等生、それが周囲からの三葉の印象で、男からはすこぶる人気があった。糸守にいたころはそれほどでもなかったのだが、あの災害後、妹とともに東京に出てきてからは、高校の同級生や、大学で同じゼミの男子などから告白されてきた。会社に入ってからも、同期・先輩を問わずよく食事に誘われたり告白されたりもした。それでも三葉は、いざ交際となると頑なに断ってきたのである(「あんた絶対生き遅れるよ」とサヤちんにも理沙にも言われた)。時が経ち、今となっては三葉にアタックする男性社員はほとんどいなくなっていた。なぜすべて断ってきたのか、それは自分でもうまく説明できない。あの災害後から、何か心にすっぽり穴が開いたような、何か大事なものをなくしてしまったような喪失感を抱き、この8年間生きてきた三葉は、そのずっと探している何かにとらわれ、考えるより先に体が異性との交際を拒否し続けていた。そんな三葉だから、当然今まで男性と会って話がしたいなどと強く願ったことは一度もなかった。しかし、今は違う。気が付けば、ずっと抱いてきたはずの喪失感が消え去り、瀧に会いたいという気持ちが募る一方である。

「せっかく連絡先交換したのに、なんて伝えればええんよ…」

 デスクに戻り三葉はひとりつぶやく。

「そもそも連絡していいのかな。瀧くん新入社員だし、今日出社が遅いって怒られてたりしていたら、それどころじゃないよね…」

 そんなことを考えながらスマホを鞄にしまおうとしたとき、ピロリンと音がした。

「ひゃ!」

 ーーもしかして!ーー三葉はあわててメッセージアプリを起動する。1件のメッセージが届いていた。

『今朝はゆっくり話せなかったので、今夜、夕食一緒にどうですか?』

 瀧からのそのメッセージに三葉は自分でも口元が緩んだのが分かった。

『いいよ! 立花君は何時頃会社出られる?』

 二つ返事でその誘いを快諾し、彼の返信を待つ。少しの間の後既読が付いた。

『俺はまだ研修期間なので5時には出られます。宮水さんは?』

『私もなるべく早く出られるように頑張る! 7時くらいには出られるように。どこで待ち合わせする?』

『じゃあ新宿駅にしましょう。なじみのイタリアンレストランがあるので。時間は8時で、早く着けそうだったら連絡してください。』

 なじみのイタリアンレストランなんておしゃれやね。そんなことを思いながら愛用のハリネズミの「了解」スタンプを押した。

「よし! 頑張らなくちゃ。」

 送信したスタンプに既読が付いたことを確認し、三葉は張り切って午後の仕事にとりかかった。

 

 

 瀧は定時通りに会社を出て、新宿駅へ向かった。約束の8時まで時間があったので、カフェに入り研修の資料に目を通しながら時間を潰した。しかし、先ほどからスマホが気になって仕方がない。もしかしたら彼女からメッセージが来るかも、そんな期待が頭から抜けないのである。別れ際に見た三葉の笑顔は、彼女のイメージ像として今日1日瀧の頭から離れなかった。今更ながら瀧は少し緊張していた。高校生のころバイト先の憧れの先輩とデートしたことがあるくらいで、それさえも瀧にとっては苦い思い出だ。女性と2人で食事などほとんど経験がなく、当然彼女がいたためしもない。なぜ彼女を作らなかったのかというと、自分でも上手く説明できない。ただ、瀧がそれまでに出会った女性は、自分がずっと探し続けていた何かではない、その思いが瀧の心を冷めさせていた。5年前くらいだろうか、瀧は司と、憧れの先輩その人である奥寺ミキと一緒に学校を休んで岐阜県の糸守へ行ったことがあった。なぜわざわざ学校を休んでまでその場所に行ったのか。彗星によって消えた町として有名な糸守だが、なぜあの災害の3年後になって急に糸守にあんなにも興味を持ったのか、今ではよく覚えていない。ただ、その旅行のときなぜか司と奥寺先輩とは別行動をし、1人で山を登って小さな洞窟に入り、そこで一夜を明かしたことはおぼろげに記憶にある。たぶんその頃からだ。何か大事なものを失ってしまったような、そして、ずっとその何かを探しているような、そんな思いに支配されるようになったのは。あの日の記憶が甦ればこの気持ちもきっと晴れるのだろう。しかし、この気持ちが晴れることは二度とないだろうと諦め、受け入れている自分がいた。だが、今は違う。三葉と出会い、瀧はすっぽり空いた心の空白が満たされていくような、安堵にも似た感情を覚えた。これは一目惚れなどではない。瀧は断言できる。

「ずっと探していたものは、君だった。」と。

 7時を少し回ったころ、瀧のスマホが鳴った。

『今会社を出ました。7時半前には着けそうだよ。』

 瀧は表情を綻ばせた。お会計を済ませ、待ち合わせの改札へと向かった。

 

 

 三葉は7時頃会社を出て電車に乗った。瀧からのお誘いを受け舞い上がりそうになった三葉は、瀧に早く会いたい一心で無我夢中で仕事にとりかかった。そのおかげで6時過ぎには今日の分の仕事は片付いていたのだが、課長がデスクから離れる気配が一向にしなかったのだ。三葉とて社会人である。特別な理由ならともかく、ただ早く人に会いたいなどと勝手な都合で上司より早く会社を出ることはできなかった。三葉が解放されたのはもうすぐ7時を回る頃だった。「今日はお先するね」と理沙や他の同僚に声をかけ、三葉は足早に会社を後にした。

『今会社を出ました。7時半前には着けそうだよ』

『早く会いたい』と打ちかけたのを慌てて消して、送信ボタンを押した。また瀧くんに会える。三葉の心は弾んでいた。そう考えたとき、三葉はふと自分の手のひらを見つめた。いつの間にか身についてしまった変な癖。いつもなら自分の手のひらを見つめているとなぜだか無性に悲しくなるのだが、今はむしろ温かいような懐かしいような不思議な気持ちになった。

 新宿駅に到着し、三葉は瀧と待ち合わせている改札へ向かった。今にも走り出したい衝動を抑えて。

「私の方が年上なんだから、余裕を見せないと。」

 

 

 帰宅ラッシュの新宿駅は仕事帰りのサラリーマンであふれかえっていた。中央改札で待っている瀧は、時折人混みの中に三葉の姿を探すのだが、この混雑の中で人を見つけるのは容易ではない。

「た…立花君」

 背後からずっと聞きたかった声が聞こえた。

「ごめん、待たせちゃったね。」

「いや、今来たとこっす。」

 俯いていた三葉が上目遣い気味に瀧の顔を見た。心臓の鼓動が早くなってうまく言葉が出てこない。

「えっと…とりあえず、店行きましょう。こっちです。」

「うん」

 

 

 三葉は半歩前を歩く瀧について歩いていた。2人の間に沈黙が流れる。心臓の鼓動は高鳴ったままだ。しかし、不思議と気まずい感じはせず、むしろ心地いいくらいだった。当たり障りのない会話を交わしながら目的のレストランに到着した。このレストランは、瀧くんが高校生、大学生のころにバイトをしていたお店だとここに来る途中で聞いた。店内に入ると大学生と思しきウエイトレスが近づいてきた。

「いらっしゃいませ。2名様で……って立花さん?」

 おそらく瀧くんがバイトしていたころの後輩なのだろう。背は私と同じくらいで、かわいい感じの女の子だ。少し面白くない感情が沸き起こったりとか…全然してないからね。

「おう、久しぶり…って言っても1か月ぶりくらいか。」

「大体そのぐらいですね。…えっと、そちらの方は、もしかして彼女さんですか?」

 「彼女」という言葉に私の顔が赤くなったのが分かる。だけど悪い気は全然しない。

「い、いや、今日の朝初めて会って…」

「……え!?」

 どういうことですか?とでも聞きたげな彼女を遮って瀧くんが口を開いた。

「とりあえず、席案内してよ。」

「あっ、失礼しました。こちらへどうぞ」

 彼女に案内されたのは窓際のテーブルだった。

「ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいませ。ごゆっくりどうぞ。」

 

 

 2人は向かい合わせにテーブルについた。瀧は、三葉と歩いたレストランまでの道のりこそ緊張したものの、店内に入りバイト時代の後輩の女子の追及をあしらったあたりから吹っ切れた。ここは瀧にとってはいわばホームグラウンドだ。ついこの前まで働いていたわけだから当然メニューも知っているものばかりである。「この料理はどういうの?」という三葉の問に一つひとつ丁寧に答えていくうちに、お互いの緊張もほぐれてきた。

「そうだったんですか。それは大変でしたね。」

「そうなんよ。本当はもっと早く来たかったんやけど。」

「そういえば、宮水さんって東京育ちじゃないですよね?」

「え、どうして分かったん?」

「ほら今も。訛りが出てますよ。」

「あっ」

 口に手を当て恥ずかしそうにはにかむ三葉に、瀧は思わず見とれた。

「東京に出てきてから標準語を喋れるように意識して生活してきたの。でも、一緒に上京してきた妹とか仲の良い友達の前だと相変わらず訛りが抜けなくてね。」

「そうなんですか。でも今朝話した時も少し出てましたよ」

「うそ!? でも、た…立花君……んん、もういいや。あの……瀧くんって呼んでもいい?」

 少し上目遣いに俺を見つめる三葉。これは天然なのか? それとも狙ってやってるのか? どっちにしても可愛すぎる。

「も、もちろんいいですよ。俺もその方が、しっくりくるっていうか……、あと、訛りも俺は隠す必要ないと思います。その方が自然で、その……いいと思います。」

 俺は言葉を選びながら、正直な感想を言った。実際に三葉に「立花君」と呼ばれるのはとても違和感があった。

「じゃ、じゃあ私も気にせんことにするよ。それと私からも。宮水さんって呼ぶの禁止ね。あと敬語も止めにしない?」

「え、じゃあ、三葉…さん?」

「「みつは」って呼んでみて」

 今日1つはっきり分かったことがある。俺は本当に三葉のこの上目遣いに弱い。

「み、みつは」

 三葉が目線を下にそらす。三葉の顔が少し赤くなっているのが分かる。まあ俺の顔も真っ赤だけど。今はとても彼女を直視できそうにない。

「う、うん。やっぱりその方がしっくりくるよ。でも、なんていうか…緊張するんやよ。」

「そ、それはお互い様だろ?」

 慣れない2人の関係はまだ始まったばかりだ。




2人の心理描写が難しい。読んでは書き直しの繰り返しです。頭の中で描けててもそれを言語化するって本当に難しいですね。
ところで、第3話になりましたが、まだ出逢ったその日のうちの話です。こんな感じにのんびりと進んでいきます。
8月26日誤字修正しました。

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