消えることない約束   作:勝家

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第10話 クライマー

 

 その後、勅使河原夫婦を交えての夕食は大いに盛り上がった。三葉たちの糸守での生活や、瀧の高校時代の話など話題は尽きなかった。

「それにしても、三葉にもとうとう彼氏ができたかあ。」

「あの堅物の三葉がなあ」

「なんやさ堅物って、私はいないんじゃなくて作らなかっただけやさ。」

「それが堅物なんや。その上、高校の時の狐憑きを見せられたら、とうとうこいつ本当におかしいんかと思ったわ。」

聞きなれない単語が飛び出し、瀧は思わず聞いてしまった。

「狐憑きって?」

「俺たちが高校生のころ、確か彗星が落ちる少し前にな、三葉は人が変わったみたいにおかしくなる日があったんや。あれはきっと何かが三葉の身体にとりついていたに違いない。」

「まあ、狐憑きっていうのはオカルトやけど、あの時の三葉は本当に変やったよ。それに、三葉ったらそのことを全く覚えてないんやさ。

「だって本当にそんな記憶ないんやよ。」

「そりゃそうや。何かに精神乗っ取られていたんやからな。」

「克彦は黙っとき。」

三葉と克彦と早耶香の会話は本当に波長がぴったりというか、3人が幼馴染だというのがよく分かる。そして、瀧自身もこの談笑を間違いなく楽しんでいる。この3人の中に溶け込んでいる。彼らと前にどこかで会ったことがあるのか、それは定かではない。だけど、俺たちはずっとどこかでつながっていた。そして、それをこれから確かめに行くんだ。

 

 

「それじゃ、俺たちはそろそろ帰るでな。」

「三葉も瀧君も幸せになあ。またね。」

夕食も終わり、勅使河原夫婦を見送りに出る。

「三葉、ええ男捕まえたな。瀧、お前なら安心して三葉を任せられる。」

「ちょ、ちょっとてっしー!」

「そうや、あんたは三葉の保護者か。」

「似たようなもんやろ。じゃあ、またな2人とも。」

「幸せにね、私も2人なら大丈夫やと思う。それじゃ、またね、2人とも。」

「…ありがと、サヤちん、テッシー、またね。」

勅使河原夫婦を送り出し、家の中に戻る。

「もう、2人してからかって。」

瀧は三葉の顔を見た。三葉も同時に瀧の顔を見る。2人の顔に自然と笑みがこぼれた。

 

 

――ちょっと、来ない――

「私の部屋使っていいからね。でもあんまり色々見ないように。」そう三葉に言われ、彼女に風呂を勧めたあと、部屋で休ませてもらおうとしていた矢先、瀧は一葉に呼び出された。目を閉じて座る彼女に促されるままに瀧は座布団に腰を下ろす。しばしの沈黙に圧しつぶされそうになるなか、一葉の口が動いた。

「あんたには、礼を言わねばならん。」

「え、礼って…、僕は何も…。」

 言葉の意図がわからず、瀧は答えに窮した。

「あんたのことは三葉から聞いとった。わしに会わせたい人がおるとな、それは嬉しそうに話すんやさ。三葉のあんなに幸せそうな笑顔を見たんは本当に久しぶりじゃ。きっと、あんたがあの子を笑顔にしてくれたんやな。」

一言一言かみしめるように一葉は言葉を紡いだ。

「俺、この数年ずっと誰かを探していたんです。何か心にぽっかりと穴が開いて、その穴を埋めるかのように。初めて三葉に会ったとき、鳥肌が立ちました。この人だ、俺がずっと探していたのはこの人だ、って。俺と三葉はそれまで会ったことなかった。もちろん顔も知らなかった。だけど、この人だ、って理屈とか理性とか、そういうものを通り越して、全身がそう言ったんです。三葉はすごく綺麗だけど一目惚れとか運命の恋とかそういうもんじゃない。自分でもうまく説明できないんですけど……。」

……やばい、ついしゃべりすぎてしまった。しかも何わけのわからないこと言ってるんだ俺…。

「『ムスビ』という言葉を知っとるか?」

突然の問いに、瀧は一葉の顔を見る。頭の中で何かがつながった気がした。

「糸守では土地の氏神様のことを『ムスビ』って呼ぶんやさ。そして、糸をつなげることも、人を繋げることも、時間が流れることも、みんな『ムスビ』と言う。みんな神様の力や。」

三葉の赤い組紐が頭をよぎる。三葉に初めて会った時、なぜか目を奪われたあの組紐が。

「よりあつまって形を作り、捻じれて絡まって時には戻って…」

「…途切れ、またつながり…。」

「……! あんた…知っとったんか?」

「え、いや、おばあちゃんの話を聞いて、ふっと頭に浮かんだので…。」

まるで忘れてしまった歌の歌詞を途中まで聞いて、ふと続きを思い出すかのような感覚だった。糸守の災害に異常に興味を持っていたあの頃、何かの本で見た言葉だろうか…。

「…おばあちゃん、なあ…。とにかく、大事にしないよ。あんたやったらきっと、三葉を幸せにしてくれる。」

「は、はい! もちろん、全力で……」

――ガラガラ――ふすまの開く音がした。

「瀧くーん。お風呂空いたよー。」

「わあ! 三葉。」

「『わあ』ってなんやさ。失礼やね。」

「ご、ごめん。ちょっと驚いて…。」

瀧は急に恥ずかしくなって部屋を後にする。

「おばあちゃん。瀧くんと何話しとったん?」

「んん、あんたとの交際を認めるって話やさ。」

「や、やっぱりそういう話…。でもありがとう。あとはお父さんが納得してくれればいいんやけど…。」

「なに。あの男が何か言ってきたらわしが何とかしたる。」

「心強いわあ、おばあちゃん。それじゃ、おやすみなさい。」

そう言ってふすまを開ける孫に一葉は

「三葉、あんたらは幸せ者やよ。大事にしない。」

三葉はにっこり微笑んで部屋を後にした。

「少し、羨ましいなあ。」

1人きりになった部屋で一葉はそうつぶやいた。

 

 

 翌日、昼食を済ました後、2人はご神体を目指して出発した。ローカル線に乗ること約1時間半、最寄りの駅からさらに歩く。

「遠いって聞いてたけど、こりゃ想像以上だ。」

「私もこんな長い距離歩いたの久しぶり。」

「三葉は割と涼しい顔してるな。」

「それは、ずっとここで育ってきたんやし。」

そうとはいえ、彼女より先に弱音を吐くわけにはいかない。瀧は精一杯の涼しげな笑顔を浮かべる。彼の膝も一緒に笑っていた。

 

 

 正面に広がる瓢箪型の湖。新糸守湖は、8年前の彗星の落下によってできたクレーターに旧糸守湖の水が流れ込み今の形になった。奇跡的に犠牲者を出さなかったとはいえ、町を一つ消し去った未曽有の大災害。三葉にとっては思い出したくもない記憶だろう。

「なあ、本当に来てよかったのか?」

ここに来たいと言ったのは他でもない三葉だ。

「うん。いつかは向き合わなきゃいけないって思ってたの。ずっと怖くて目を背けてきたけど、今は瀧くんがいるから。」

そうつぶやいた彼女の横顔は、今まで見たことのない凜とした表情だった。

「ここに来たのは8年ぶりかな。彗星が落ちた次の日にこの景色を見て、無性に涙が出てきたのを覚えてる。故郷を失った悲しみなのか、一歩間違えれば死んでいたという恐怖なのか、それとも無事助かったという安堵なのか、分からんのやけどね…。」

何も言えなかった。悲壮感すら漂う三葉の笑顔を見て、瀧は悟った。目の前で微笑むこの美しい女性は、俺が想像もつかないほど壮絶な過去を背負い、俺よりはるかに大きな穴を心に抱えてきたのだと。俺は彼女の心の穴を満たせるほどの存在になれているのだろうか…。

「瀧くん、そろそろ行かない? 日が暮れちゃうよ。目的地までもう少し歩くんやからね。」

「ああ、そうだな。」

彼女の背負ってきた過去を分かち合うことは俺にはできない。ならばせめてこの先何か辛いことがあれば分かち合っていきたい。彼女がこれから先、ずっと笑顔でいられるように。

 東の方角に伸びた2人の影はかなり長くなっていた。

 

 

 例年よりも気温の高い5月初旬。新緑に彩られた長い登山道を歩いた果てにある、この景色を見るのは5年ぶり…だと思う。俺もその時のことあまり記憶に残ってないし…。しかし、真ん中の祠の周りをぐるりと囲む丘は、俺の描いた絵と寸分変わりない。そして、実際にこの目で見て、俺は5年前に見たこの景色を鮮明に思い出した。確かに俺はここへ来たことがある。そして確か、司と奥寺先輩と入ったラーメン屋のおじさんがここへ連れてきてくれたんじゃなかったっけか…。……ここまでだ。これ以上はすっぱり記憶が途絶えていた。

「あれが宮水神社のご神体やよ。中には私たちの口嚙み酒が奉納されてるんやさ。」

「…クチカミ酒? 私たちの?」

何だろう…、聞いたことのあるような響きだ。しかし、とっさに脳内で漢字変換できなかった。三葉の方を見ると、顔を赤らめ、そっぽを向いている。え? そんなに聞いちゃまずいことだった?

「とにかく、行ってみよ。」

ご神体に向かってなだらかな斜面を下りていく。平地を進み、ご神体を隔絶するかのように流れる小川を前にして三葉が口を開いた。

「ここから先は『カクリヨ』、あの世なんやって。」

「はは、確かにこっち側と向こう側で別の世界って感じだ。」

川の水深は浅い。その上水面に出ている石の上を渡っていける。

「滑るから。」

瀧は三葉に手を差し伸べた。

「あ、ありがと。」

三葉の体温が俺の手に伝わってくる。そういえば、三葉とこうやって手をつないだのは初めてだ。やばい、急にドキドキしてきた。俺はとにかく滑ってこけないように、それだけに意識を集中させた。

「わあ、改めて見ると、8年前と何も変わってないんやなあ。」

 御神体の中は小さな洞穴みたいになっていた。

「この中に、えっと…、ナントカ酒が奉納されてるんだっけ?」

「口嚙み酒ね。まあ、中入ってみよ。」

「あ、俺ペンライト持ってる。」

中は思った以上に暗い。奥を照らすと、瓶子が二つあるのが見える。これがクチカミ酒なのだろうか。

「口嚙み酒っていうのは、人が米を噛んで、唾液と混ざったものを発酵させて作る日本最古のお酒なの。これは私と四葉の。私たちは宮水神社の巫女をやってて、毎年お祭りでこれを作らされてね。私はそれがすごーく嫌で、早く東京に行きたいわあって思っとったんよ。」

三葉が神社の娘として巫女をやっていたというのは聞いていた、聞いてはいたが…、きっと彼女は宮水神社を守る者として、厳しいしきたりとかを守って生きてきたのだろう。俺は学生時代、三葉に比べたら苦労なんてしていないに等しいのかもしれない。できることなら彼女の今までの苦労を替わってやりたいとさえ思った。それでも俺は、こんなに色々背負ってもなお、笑顔でそれらを語る強い彼女のことをどうしようもなく好きだと思った。

 




ハロウィンも過ぎ去り、すっかり寒くなってまいりました。台風が二つも直撃し、映画のような美しい紅葉を見る前に冬が来てしまいそうな勢いです。さて、次回いよいよクライマックス。早めの更新できるよう頑張ります。

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