「♪〜」
色とりどりの花が咲き誇る花畑に、眠らされる直前に聞いた歌の鼻歌が静かに響いていた。
「♪〜」
眼前に広がるのは、白く輝く月光と柔らかな風が吹く、安息の地と言えそうな楽園。それを見た瞬間、電撃的に頭の中に記憶が蘇ってきた。フラッシュバックのように溢れる記憶の情報。それは全て、ディラルヴォーラと戦った直後眠った時のもの。槍をひたすら振るい続けた、圧縮された数ヶ月間の記憶。
「あ、ぐ……」
バタンと花畑に倒れ込み、身体を丸めて頭を押さえる。情報の暴力に必死に抵抗する。ああ、ああ、全て思い出した。存在を
「またここに来るなんて、随分と物好きだね」
「リリス師匠」
鼻歌が止み、倒れている俺にそんな声が掛けられた。初めて聞くようなのに、よく聞いた覚えがあるという意味の分からない声。それを発した白い人影は、リリス師匠ことアマリリス。俺の半身と……いや、半魂か? まあそう言って差し支えのない過去の英雄だ。
「でも、どうして俺はここに?」
座り込んだアマにぃに対して、頭を押さえたまま俺は問いかける。ここは、俺が死に掛けでもしないと来れない場所のはずなのだ。なのに何故か、俺は今ここに来ることが出来ている。それはつまり、現実世界で何か窮地に陥っていることを意味していて……
焦りを覚える俺に、リリス師匠は落ち着いた様子で答えた。
「キミがここにいる理由は、あの転移とかいうチートだよ」
「え?」
「だってあれ、壊れてただろう? それをキミのチートが無理やり修復したから、使用者の保護とか出力制限とかが全部消えてるんだよ。だから、限界を超えた力の行使に身体がオーバーヒートしてる。1度使ったら基本的に1週間使えないのもそれさ」
愛すべき伴侶がいるのに何をやっているのかと、リリス師匠は頭を振った。けれどそれは否定一辺倒ではなく、仕方がないといった風の意味も含んでいるように思えた。
「それよりも、だ」
ポンと手を叩き、真剣な表情をしてリリス師匠は言った。
「僕が正気でいられるうちに、キミに伝えておきたいことがあるんだ」
「なんですか?」
なんとか起き上がり、向かい合いながらそう答えた。すると、花吹雪と共に一振りの槍が、向かい合った俺たちの中心に突き刺さって現れた。
「前回はダメだったけど、今回はもうボクの力も強くなった。だから、目が覚めてもキミはここでの記憶をチートに消されたりはしないよ」
「そう、ですか」
それはもう、俺が俺であれる時間が限りなく減っていることも同時に意味していた。身体は変わった。見た目も変わった。記憶も消えてきている。最後の拠り所である魂も、半分は師匠のものに成り代わっている。
普通に生きている分にはなんの問題もないが、次かその次か……無茶をしたら、もう終わりなのだろう。それできっと“欠月 諸刃”という人間はいなくなってしまう。
「それと、キミは条件を限りなく満たしているからね。この子……ブルーローズも、呼び出せると思う。ボクの怨念にも染まらず、最後まで連れ添ってくれた相棒だからね。きっとキミ達を助けてくれると思うよ」
「でも、いいんですか? そんな大切な……」
「ボクとキミは、もう表裏一体みたいなものだからね。寧ろ使って欲しい」
「なら、有り難くいただきます」
ディラルヴォーラの宿った驟雨改が折れることは無いと信じたいが、それでももしもはある。使える手段が増えるというのは、本当に良いことだ。なんてことを考えていると、ブルーローズというらしいリリス師匠の槍が青い花弁となって解けていった。それは風に乗って舞い上がり、ヒラヒラと何処かへ向かっていってしまった。
「それじゃあ最後に、先達としてこの国の王と戦うアドバイスを」
「戦ったこと、あるんですか?」
「勿論……と言いたいけど、正確には王が代々継承しているチートと戦ったことがある、かな」
どこかで聞いた覚えがある話だった気もするが、ズキンと頭が痛むだけで思い出せない。歯を食いしばりその痛みに耐える中、目を瞑ったリリス師匠が語り出す。
「人間の王が代々継承しているチートの名前は、【絶対王権】って言ってね。文字通り、なんでも出来るチートさ」
「なんでもって……なんですかそれ!」
「それこそなんでもだよ。妨害、洗脳、強化、防御、回復、魔術に魔法、死の宣告に死者蘇生。最後の2つは何か制限があったようだけど、なんでも出来ると見ていい。声が届くだけで、何もかもが出来てしまう」
あまりに荒唐無稽なチートに声を荒らげてしまったが、リリス師匠はそれを難なく受け流して淡々と告げた。そんなのを、どう殺せというのだ。
「現代にどう伝わっているのかは詳しく無いけど……僕が死んだ理由も、あのチートで『死』を忘れ『痛覚』を消された兵士による圧殺だったからね。殺しても殺しても蘇ってくるし、地獄みたいな戦いだったよ」
その光景を想像して、まるで自分だと思った。自分を捨てるような無茶を続ける人間。そんなのの群れなんて、勝てるわけがない。
サッと血の気が引いたが、ポンとリリス師匠が肩を叩いて言った。
「でも、キミとキミのチートなら不可能じゃない。今の僕は、無理強いしないけどね」
「それでも、俺は戦いますよ」
困ったように笑うリリス師匠に、キッパリとそう答える。俺は戦う、戦ってしまう。どうしようもなく、止めることもできない。だってそうしないと──
「「愛する人に顔向けできない」」
「ボクも、最初はそうだった。だから否定はしないよ」
言葉が被って呆然としている俺の頭を、ポンと優しくリリス師匠は叩いた。
「だから、ボクの力や経験なら存分に使ってくれ。燃料として焚べたって構わない。堕ちたボクにも話しは通しておく。だから、だから……僕とベルが見れなかった未来を生きてくれ。正反対の、僕の後継者」
そんな言葉と共に白い人影が花吹雪に溶け、俺自身の意識も何処か遠くへ吸い上げられていった。
◇
「おーきーてーくーだーさーい」
愛する人の声とゆさゆさと揺さぶられる振動に、意識が覚醒した。ああ、そういえば今は王都に帰ってきてたんだったか。それで確か姫さま達と合流して……
自己否定ーー眠気を否定しました
よし、色々繋がった。夢の出来事も覚えている。思い出している。体温も下がったようだし、多少疲れが残っているけど万全と言えよう。
「いっそちゅーでもすれば起きんじゃねえか?」
「な、なにいってるんですかフロックスさん!」
「おはようございます」
それでも少し眠っていたいという欲求はあったのだが、そんな不穏な会話が聞こえてきたので眼を覚ますことにした。流石にそれは、なんというか恥ずかしいし。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
無駄に働いたチートを横目で見つつ、動作を停止していた左耳の補聴器を再起動する。
「んー、あー、あー。これでよし」
少し喋って音量を調節し、世界に音が戻ってきた。あんなに呻き声が聞こえていたのに、今はもうそれは聞こえなくなっている。なにか、あったのだろうか?
そう思ってぐるりと周りを見渡せば、エウリさんにフロックスさん。序でに鎖の勇者を含めた全員が揃っていた。しかも、どこか漂う空気はピリピリとしている。
自己否定ーー油断を否定しました
自己否定ーー安心を否定しました
「なにか、あったんですか?」
日常から戦場へ意識を切り替える。驟雨改をいつでも出せるように準備し、俺はそう問いかけた。
「30分後に出撃だとよ。その前に第2王女サマが用があるとかなんとか」
「なるほど……それじゃあ、起きないとですね」
エウリさんの手を借りて起き上がり、1度頭を振って完全に眠気を飛ばす。これで準備完了だ。鎖の勇者がなんか物凄く不思議な目でこっちを見ているが、正直にどうでもいいので意識からシャットする。
「待たせちゃったならすみません。俺はもう大丈夫です」
「むぅ……しんようできません」
ジト目でエウリさんがそう訴えかけてくるので、その手を取って自分の額に当ててみた。
「ひゃっ」
自己否定ーー雑念を否定しました
ちょっと冷んやりしてて気持ちいいなと思いつつ、顔を赤くしてるエウリさんと目を合わせて話しかける。
「もう熱もないですし、エウリがいるから俺は大丈夫です」
「たしかに、そうですけど……」
「ひゅー、真昼間からお熱いこって」
見つめあっていた時間は、そんなフロックスさんの煽りで中断された。鎖の勇者が顔を赤くしてアワアワしていたが、やっぱりどうでもいいので意識から外す。
「すぐ隣に居んだし、ほら行くぞー」
ニヤニヤとしているフロックスさんの先導で通路を潜り、姫さまのいる天幕へ到着した。
「あら、恋人繋ぎだなんて見せつけてくれるじゃない」
挑戦的な笑みを浮かべ、偉そうにそう言う姫さまの姿を見て……安心した。寝る前のあんな弱り切った姿を覚えているのだ、周りの霊が『安心した』やその類義語を言っていなければ虚勢かと疑っていた筈だ。
「えっと、その、モロハ……」
「いいじゃないですか。見せつけても」
「重大な話があるってのに、いい度胸ね……」
姫さまが拳を握り締め、明らかに怒ってますという雰囲気になり始めたので流石に辞めた。そのお陰か、一度深呼吸した姫さまがいつもの調子で語り始める。
「まず、あなたたちに来てもらったのは、あのクズの持つチートに対する対抗策を講じるためよ」
「あのクズってことは……」
例のリリス師匠が言っていた『絶対王権』の事だろう。
自己否定ーーチートによる干渉を否定しました
なんて言葉を思い浮かべた瞬間、チートが明確に反応した。出来る限りその反応は表に出さなかったのだが、それでも姫さまは気がついたらしい。
「あら、モロハは知っていたのね。なら忠告よ。私のチートによる保護が終わるまで、絶対にそのチートの名前は考えちゃダメよ。死にたくなければね」
「了解です」
でも、これでリリス師匠の言っていたことの意味が分かった気がする。今のアレは、俺に対して効果を発揮しなかった。そこに姫さまのチートが加われば、かなりの高確率で無効化に近いことが出来るのではないだろうか。
「みんな、自分の武装を出しなさい。防具も、いっそ戦闘中の装備になってもらった方が早いかしら?」
そう言われたので、一応装備を排出してフル装備へと移行する。エウリさんとフロックスさんも、ほぼ明らかな防具を装備しているわけではないので早い。鎖の勇者も戦支度のままだったらしく、すぐに終わった。
「それじゃあ、私のチートを見せてあげるわ」
そう言って明らかに儀礼用と思われる豪奢な杖を姫さまは持ち、シャーンと鳴らして荘厳な雰囲気を演出した。そしてその雰囲気のまま、長い髪が重力の軛から解き放たれたかのように踊り始め、姫さまの周囲に金色の粒子が漂い始めた。けれどそれに害意は感じず、むしろ温かみのようなものさえ感じ取れる。
「この場にいる全員に、聖なる祝福を」
そして姫さまがそんなことを言った瞬間、光が弾けた。その光は全員に染み渡り、なんだか力が溢れるような感覚が走った。
informationーーチート【昇華】の影響を受けました
informationーー全能力が2段階上昇します
informationーー残り時間 05 : 59 : 57
つまりこれが、姫さまの持つチートの力なのだろう。不思議なものだと思っていると、姫さまが全員をペタペタと触っていく。何事かと思ったけれど、それも次のチートの表示により解決した。
informationーーチート【安定化】の影響を受けました
informationーーチート【昇華】の状態が安定しました
informationーー残り時間が消滅しました
それが終わり、椅子に座った姫さまが大きな息を吐く。それはもう、見ているだけのこっちですら疲れたとわかるようなものだった。
「ああ、鎖の勇者はもういいわ。でも、あなた達にはもうちょっとだけ付き合って貰うわよ?」
笑みを浮かべた姫さまは、明らかに何か企んでいる顔をしてそう言った。