師匠の先導で姫さまのいる場所へ向かう間、説明された現在の状況は酷いものだった。酷いものだったのだが……大半がフロックスさんの予想通りであり、その分驚きはすくなかった。
・どこから漏れたのかは分からないが、クーデターが嗅ぎつけられた
・勇者が大挙して屋敷を襲撃してきた
・20人勇者を巻き込んで屋敷を自爆させた
・逃走しつつ、クーデターを実行
・勇者を倒しつつ、民間人の避難を急いでいる
・大怪我した民間人を魔法で癒して避難させてるため、進行ということが出来ない。
話を大まかに纏めれば、大体そんな感じだった。何もかもが後手に回っているせいで、どうにもうまく行動が取れていないらしい。
「なんか他に質問はあるか?」
周囲を警戒しつつその避難所に向かう中、師匠が振り返ってそう言った。色々と先手を取られてるせいで、奇襲ばかりしていた俺には何をすれば良いのか分からない。けど、ああそうだ。1つ聞かなければいけなことがあった。
「あの、他の勇者のみんなはどうなりましたか?」
その疑問は、俺より先に鎖の勇者が言葉にした。そう、残りの勇者の数とチートが問題だ。俺や鎖の勇者は正直微妙だが、チートは戦局を1人で変えるくらいの意味不明さを持っている。さっきフロックスさんが首を刎ねた石劇団の勇者なんて最もたるものだろう。
「そうだな……お前らにはちと悪ぃが、さっきの石劇団の勇者で王都にいた今代の勇者は全滅だ。生き残ってるのは、モロハとそこの鎖の勇者だけだな」
「そん、な……」
「そうですか」
自己否定ーー驚愕を否定しました
自己否定ーー喪失感を否定しました
その言葉に1度目を閉じ深呼吸し、次の瞬間には切り替える。……あの夜俺が助けた人達は、全員死んだ。もういない。けれど左腕が無駄無くなったかといえば、それはきっと違うはずだ。
「それよりよ、なんでその鎖の勇者は生きて……じゃねえな。正気のまま生きてんだ? 確か竜討伐に向かったって聞いてっけど」
『実際あの程度の輩に、我が負けたとは思えんがな』
それはそうだと思うけど、竜殺しのチートがあったからどうだろう……そんな疑問を切り捨て、答えようとしたところでエウリさんに手で口を塞がれた。抗議の意思を込めて見つめるが、返ってきたのは無言の治癒魔術だった。早く治せということらしい。
「オレたちでなんとか竜をぶっ殺した後、襲ってきた奴らもついでで殺った。んで、その時モロハがなんかやって、生殺与奪の権限を握ってる状態だな」
「もうちょっと、良い表現にしてくれても……」
鎖の勇者の抗議は無かったことにされていた。実際のことしか言ってないのだから、あながち間違いでもないしなぁ……
「本当か? よくやったな。ウチの奴らが死んじまったのは残念だが……竜相手だ、仕方ねぇ。味方に勇者が増えたってのは、結構な朗報だ」
そんなことを話しているうちにそこそこの距離を歩き、例の避難所のような場所へ到着した。そこには、予想以上に凄惨な光景と忙しなく動く医者と魔術師の姿があった。
「なんで、こんな酷い……」
鎖の勇者が崩れ落ちたのも無理はない。何せこの避難所とは名ばかりな野戦病院には、四肢が欠けていたり、炭化や凍結などを始めとした魔法で重大な障害を負っていたりする人達が、呆れるほど多く横たえられているのだから。酷い人では臓物が飛び出していたり、目がくり抜かれていたり、血の泡を吐いていたり、果てにはもう死んでいる人もそこら中に見かけられた。
肉の焦げた臭い、吐瀉物のような酸っぱい臭い、空気が焼け焦げた臭い、そして極めて濃い血の匂い。痛い痛いという呻き声に、殺してくれという懇願。水が欲しいという子供の声に、ただただ泣き叫ぶ声、悲鳴。ここはそんなもの達に包まれた、最悪の場所だった。
自分と同じだからか吸血鬼だからか、俺は何も感じない。フロックスさんも見慣れたものだという表情なだけだ。けれど、鎖の勇者やエウリさんには少々衝撃が強すぎたらしい。鎖の勇者は泣きながら崩れ落ち、エウリさんは繋いだ手が僅かに震えていた。
「とりあえず、姫さんの場所に案内するが、いいか?」
「いえ、ちょっと待って下さい」
震えるエウリさんの手を退け、口を開いた。別にこんなもの放っておいても問題ない。理性ではそう分かっているのだが、何故かやらなければと思うことがあった。
「どうした?」
「ちょっと、死者に祈りを」
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーmulch lock-on
魂魄回路ーーExecute
そう一言断りを入れてから、割れた石畳に槍の石突きを叩きつけた。同時にチートが広場全体を覆い、悪霊や地縛霊、重傷の人に纏わりついていた霊を全て昇天させた。
自己否定ーー死の実感を否定しました
そのお陰か、多少重傷者の表情が柔らかくなった気がする。なんでこんなことをしたのかは分からないが、これはやって良かったことのはずだ。
白い、隻腕の男性の影が、微笑んだ気がした。
「もう、大丈夫です。案内お願いします」
「おう」
自己否定ーー疑問を否定しました
謎のイメージに疑問を抱きつつも、切り替えてそう告げる。大丈夫、まだ俺は俺でいられている。俺じゃない別の誰かなんかじゃない。
そうして、一際大きな天幕……の隣にあるボロボロの小さな天幕に、大きな天幕を経由して俺たちは入って行った。
「よう姫さん、生きてっか?」
「死にそうだけどね……なに? お客さん? いるならちゃんと言ってくれないと、姫として会えないじゃない馬鹿なの……? 死ぬの……?」
そこには、姫モードのドレスを着たまま簡易的な椅子に寄りかかり、濡れたタオルを額に乗せ天を見上げる姫さまがいた。全体的に煤や埃で汚れきっており、金髪もやや燻んでいるように見えた。
「連れてきたのはモロハ達だから、言う必要はねえだろ?」
「それもそうね……よく帰って来たわね、お疲れ様。何もないけど、少し休んで行くといいわ。あのクソ親父、なんてことしてくれやがるのよ死ね。研究がパーじゃないゴミが。禿げろ。豚の餌にしてやる……八つ裂きよ八つ裂き」
濡れタオルからチラッとこちらを見てそう言い、すぐにまた姫さまは全身をダラんと椅子に投げたして動きを止めた。そんな、所謂表の姿とは正反対に荒んだ姫さまを初めて見た鎖の勇者がドン引きしているが、まあそんなの俺の知ったこっちゃない。それよりも、だ。
『アア、ヒメサマ。ナンテハシタナイ』『オキャクサマノマエダトイウノニ……オイタワシヤ』『セメテ、ワレワレガイキテイタラ……』
左目で見る世界には、姫さまの周りにそんな風に喋る霊が大量にうろついていた。さっきのチートに巻き込まれなかったのは、遮蔽物があったからか明らかに悪霊じゃないからか。
手を出す必要はないと思っていたのだが、観測されていることに気がついたのだろう。ギャーギャーと姫さまにこう言って欲しいああ言って欲しいと霊が口煩く言ってきた。明らかにディラルヴォーラが見えているはずなのに、その精神には尊敬を隠せない。
「姫さまって、本当に愛されてるんですね」
「はあ? いきなり何よ」
ついボソッと零してしまったそんな言葉に、姫さまが勢いよく反応した。あー……これ、説明しないとダメか。
「最近、チートのお陰で死者の姿と声が分かる様になりまして。ハシタナイとかオイタワシヤとか、聞いたことのあるような声で、心配して言ってるんです。ですから」
誰にも言ってなかったことを言ったせいか、ギョッとした顔で姫さまを除く全員に見られた。これは後でちゃんと説明しないとなと思いつつ、姫さまを見れば……泣いていた。
「モニカも、ヴィヴィも、フェリシーもみんな馬鹿よ。私たちを逃がすためにとか言って……」
濡れタオルのお陰ですぐにそれは見えなくなったが、姫さまの啜り泣く声だけが天幕に響くなんとも言えない空気になってしまった。無言のまま師匠の先導で隣の大きな天幕に移動し、そこで師匠がぽつぽつと語り始めた。
「勇者達が屋敷を襲ってきた時、誰も逃げ出す準備なんてしてなくてな。ある程度の物を纏めて逃げるまで、メイド……つっても下手な兵士より強いんだが、死を覚悟して時間を稼いでくれてな。それの中でも、さっき姫さまが名前を挙げた奴らは側近みたいなもんで、最後まで屋敷に残って、いざって時のための自爆装置で屋敷を爆破したんだ。
小さな頃から一緒だった、親みてえな奴らを一気に全員失ったんだ。それから、それを忘れる様に延々と魔術を使い続けてな……許してやってくれ」
外の喧騒から切り取られたかのような静寂に、そんな言葉が響いた。誰も、何を言っていいのか分からない。内情を知らないものが、人の生き死にの意味を決めちゃいけない、同情しちゃいけない。そんなことをしても、迷惑なだけだ。
「俺はまた、民間人を探してくる。屋敷とは段違いだが、幸いここは他んとこより静かで落ち着ける。何もねえが、少し休んでいってくれ」
そんな言葉を残し、師匠は天幕を出て行ってしまった。そのすぐ後、フロックスさんが口を開いた。
「さっき言ってた、迷信みてぇな力。あの黒い炎と関係あんだろ、モロハ」
「バレましたか」
なんとか笑って誤魔化そうとしたが、フロックスさんの目は真剣だ。これはどうにも、誤魔化しきれそうにない。気がつけば隣はエウリさんに固められており、逃げることも出来そうにない。そもそもどこに逃げるのかという話だが。
「さっきも、つかいましたよね」
「使いましたよ。ちょっと、死活問題でもあるので」
話さないようにとは思っていたけど、一旦バレたのなら洗いざらい話した方がいい、か。その方が関係も抉れないだろうし。
「死活問題っつーのは?」
「いつどんな時間どんな場所でも、基本的に見えるし聞こえるんです。死んだ人の姿と、その声が。幸い左目と右耳だけですけどね」
俺はチートの
自己否定ーー疑問点を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
自己否定ーー不信感を否定しました
まあ、使えるものだしいいか。別に。使い過ぎなければ問題ないのだし、無ければきっと俺はすぐ死んでしまう。自身を焚べる青炎の存在が、今は皆無なのだから。
「他にも隠してることあんだろ」
「ありますけど……自分でも、なんて表現すればいいのか分からないんですよね」
そもそもこのチートがそう言う性質なのか、それとも自己否定がそうさせているのか。分からないが、自分が何も分からないことだけは分かる。
「そうか……よし、やれエウリ」
「はい!」
自己否定ーー判定に失敗しました
元気よく返事したエウリさんが、俺の耳元で囁くように何か言葉を紡いだ。瞬間、チートの判定失敗の文字が流れ急速に眠気が持ち上がってくる。
「モロハが勝手に動かないように、何してもいいから寝かせとけ」
「ちょっ」
「何か言いたいなら、とっとと熱下げて正気に戻るんだな」
「く、ぐぅ……」
眠気で朦朧とする意識の中、右腕がエウリさんに抱き込まれた。これは動けない。そのままエウリさんのされるがままになり、一緒に天幕の床に転がった。
だけど、まだだ。まだやれることはきっとあるはず……
「♪〜」
そんな風に全力で眠りの魔術に抗っていたのだが、不意にエウリさんの歌い始めた、不思議な曲調の歌に意識は削り取られていったのだった。
「次目を覚ましたら、きっとすぐに出撃だろうよ。だからそれまで、しっかりと体調を元に戻しておくこったな」
最後になにか言葉が聞こえたような気がしたが、子守唄のような曲に紛れて何だか聞き取ることは出来なかった。
「え、なんですこの甘い空間……」
「慣れろ。もしくは働け」
「えぇ……」