あの空に帰るまで   作:銀鈴

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64 最期の戦場へ②

 翌朝の目覚めは、自分が知る限り過去最高に良いものだった。寄り添って眠っていたエウリさんを起こさないように起き出し、フードを被ったまま大きく深呼吸をする。ああ、天気も快晴でクソッタレなほど良い朝だ。

 大きく伸びをして、義足の調子を確かめる。次に左目の調子を確かめた後、痛み覚悟でフードを外し眼帯を装着する。そして収納していた驟雨改を取り出し──

 

「あれ?」

 

 自己否定ーー憎しみを否定しました

 

 今までのような、焼かれるような痛みは襲ってこなかった。太陽が憎らしいという気持ちこそ湧くが、チートもあり無視できるものでしかない。

 

『当然だろう。吸血鬼の真祖直系の眷属であり、且つ我を取り込んで竜となっているのだ。日光程度でどうこうなる訳がなかろう』

「起きてたんですか」

『寝ることが出来ぬからな』

「不便そうですね」

 

 そう自分にしか聞こえない声と取り留めのない会話をしながら、目覚まし代わりに槍を振るう。まだ成功するのか自体不明だが、成功させなければ間に合わないのだ。やれる限りのことはして、体調も気分も万全にしておきたい。

 

 自己否定ーー慢心を否定しました

 

「あのー……」

 

 ふと、そんな声が掛けられた。はてと振り返れば、簀巻きから手足の拘束にランクダウンした鎖の勇者が話しかけてきていた。転がったまま、深いクマを浮かべて。

 

 自己否定ーー同情を否定しました

 

「夜更かしは肌の大敵って聞きますけど、寝なかったんですか?」

「直前まで殺されかかってて眠れなかったんですよちくしょー! しかも隣であんな妙に艶めかしい声聞かされて、寝れるわけないですよバーカバーカ! 先輩のバーカ!」

 

 自己否定ーー呆れを否定しました

 

 なんか一晩経ったら物凄く遠慮が抜けてる件について。まあ、エウリさんにも止められたし殺す気はもうないけど、流石に馴染みすぎじゃないだろうか。

 

「で、何か用でも?」

「いやぁ、その。一晩中我慢してたからか、催しちゃいまして。流石に乙女の尊厳に関わるので、手伝ってくれないでしょうか?」

 

 鎖の勇者が、汗を流しながらそんなことを言ってきた。……正気なのだろうか。もしかしたら、外した首輪の効果が今になって発動したとか? 

 

「男にそれを言いますか」

「多分後で死にたくなりますけど、背に腹はかえられないですからね!」

 

 自己否定ーー同情を否定しました

 

 それならまあ、仕方ないか。そう思って近付こうとした時に気がついた。そういえばあの鎖のチートなら自分で動くことくらいは出来るのではないか。疑惑に足を止めると、鎖の勇者がしまったと言うような表情へ変わった。案の定そうだったらしい。

 

 自己否定ーー油断を否定しました

 

「そんな嘘ついてまで、何を俺に聞きたいんです?」

「なんで先輩は戦えるのか、聞きたかったんです。あ、トイレは朝あのお姉さんにお世話してもらったので大丈夫です」

 

 目を細めて聞いてみれば、そんな質問が返ってきた。後でフロックスさんには頭を下げておくとして、そんなことか。なんて思っていると、目を伏せて鎖の勇者はポツポツと話し始めた。

 

「私は、自分が██んです。ずっとずっと戦い続けて、少なからず私も生き物を殺しました。そう、殺したんです。殺したんですよ!」

 

 鎖の勇者は、身を切るような絶叫を零した。

 

 自己否定ーー驚愕を否定しました

 

「嫌だって首を振る人……魔族ですけど、人を殺したんです。しかも小さい子を! 女の子を! その最後の声が、今になって蘇ってくるんです。自分が血に染まってるように思えるんです!」

 

 そう言葉を吐き出していく鎖の勇者の目は、ギリギリ正気であるような雰囲気で揺れていた。止めるべきか、そう迷う間も言葉は続く。

 

「つまりこれって、洗脳されてたってことですよね? 殺しても何も思わないように、頭を弄られてたってことですよね? 最初の謁見の時に男子の先輩が言ってたようなことが、本当だったってことですよね!?」

「俺はその場には居ませんでしたけど、そうでしょうね」

 

 多分その男子は、そこそこサブカルに詳しかったのだろう。それにきっと、その男子は殺されたか道具にでもなっている筈だ。

 

「でも、先輩を見ててそんな私でもマシだって分かったんです。だって、まだ私は五体満足ですから。ただ人殺しになっただけで、██し、気持ち悪いし、夢にも見ますけど、無事なんですから!

 なのに先輩は、そんなボロボロなのに、沢山殺しているのに、平然としてて、また戦いに行こうとしてて。訳わかんないですよ! 私も先輩も、平気で魔族を殺すみんなも全部全部全部全部気持ち悪いし██んですよ!

 こんな世界、狂ってる!!

 

 ぜぇはぁと息を切らす鎖の勇者を見つつ、聞き取れない言葉もあったが……そうだろうなと思った。これが、普通の日本人の子供の反応のはずだ。

 

 自己否定ーー疑問を否定しました

 

 もう殆ど地球の記憶は焼き切れているが、残っている記憶を辿る限りでも日本が平和だったことは分かる。テレビのニュースでは政治家の汚職だなんだ、国の土地があーだこーだ、戦争や情勢の話題には触れずそんなことばかり。平和で、安全で、だけど実につまらない、停滞した息苦しい国だったと思える。

 

 そして俺は、もうそんな世界じゃ生きられないだろう。

 

「でしょうね。俺もなにもかも狂ってると思いますよ。俺が昔殺した知り合いにも、狂ってるって言われてますから」

 

 自己否定ーー██の感情は消去されています

 

 そう言ってくれたのは、誰だったか。思い出せない。思い出せない。言われたことは分かるのに、いつどこで誰に言われたのかが思い出せない。

 

『汝にそう言った人物は、既に汝が殺しておるぞ?』

「あれ、そうでしたっけ。なら別にいいや」

 

 もうその人が死んだと言うことは、再開することなんてない。なら、別に無理に思い出す必要もないか。忘れたというなら、きっとその程度の人物だったはずだ。妙に引っかかるが、そうであったに違いない。

 

「へ……?」

「ああ、ただの独り言です」

 

 うっかり口に出してディラルヴォーラに答えてしまったせいで、不思議なものを見る目で鎖の勇者に見られてしまった。別に詳しいことを教える必要もないし、適当に誤魔化しておけばそれでいいか。

 

「それで、俺が戦う……戦える理由でしたっけ?

 そんなの簡単ですよ。愛する人と、一緒に日常に居たいから。幸いが欲しいから。それだけです」

 

 俺が戦う理由なんて、そんなありふれたちっぽけなものでしかない。今の世界でも、地球でも、そんなありふれた小さな幸いすら、この手に掴むことは出来ないのだ。

 

 自己否定ーー悲しみを否定しました

 自己否定ーー怒りを否定しました

 

 それを出来るようにする唯一の道が姫さまの計画に乗ること。もし成功したとしてもかなりの時間がかかるだろうが、それでも今よりは可能性があるのだ。姫さまへの恩返しという面もあるが、やっぱり1番はこれに違いない。

 

「それ、だけ?」

「ええ、それだけです。気が狂ったりしないのは、まあチートのお陰ですよ」

 

 それと、肉体が完全に魔族に変わったことも大きいと思える。何せ吸血鬼なのだ。この後輩の血を吸いたいという気持ちだって、当然ある。血を啜れと、血を貪れ、そう牙が疼くのだ。

 

 自己否定ーー吸血欲を否定しました

 

 だからもう、俺は地球に帰ることは出来ない。顔も名前も忘れた両親や、居たかもしれない兄弟より、地球での平和な暮らしより、厳しい世界でもエウリさんと共に生きることを俺は選ぶ。その上で、人並みの幸せくらいは欲しい。これくらいなら、強欲とは言われないだろう。

 

「たったそれだけの、理由なんですか?」

「ええ。それだけの、それでも俺にとって何より重い理由です。何せ今の世界には、俺と愛する人の居場所がありませんから」

『我の住処にならばあると思うが?』

 

 茶々を入れてきたディラルヴォーラのことは無視しつつ、しゃがんで目を合わせて俺からも問いかける。竜の住処なんて社会からかけ離れた場所、人が住処にするには些か都合が悪すぎる。

 

「じゃあ、こっちからも質問です。昨日俺が壊して外したあの首輪、想像は出来てますけどなんですかアレ」

 

 今こうしている間も情報が筒抜けになっている可能性もあるが、それならそれで良い。今から気にしたところで手遅れだ。であれば、知っている限りの情報をを聞き出しておく方が良い。

 姫さまやお婆さんの予測が合っているのならそれで良し、外れているのならそれはそれで良し。どちらに転んでもこっちの利益になる。

 

「私たちは、勇者の証って言われて渡されました。付けていると成長を早くしてくれるっても。実際に、私でも鉄の棒を曲げられるくらいの力は出せるようになりました。でも、多分それが洗脳の起点だと、思います」

 

 なるほどと思い取り出そうとした瞬間、チートの透明な鎖が俺の手に絡みついた。そして腕の動きを完全に止められてしまった、

 

 自己否定ーー同情を否定しました

 

 遂に正体を見せたかと手首を捻り驟雨改を向けたが、涙を流しながら全力で首を横に振る姿に伸縮機構を止めた。それを見た瞬間、必死の形相で、口早に鎖の勇者が新たな情報を吐いた。

 

「その首輪を外すと死んじゃうんです! 私の前で、せーので私の首輪と同じものを外した友達が、急に血塗れになって死んじゃったんです! だから多分私も、私も死んじゃいます! なんでも言うこと聞きますから、お願いです、殺さないでください……」

 

 空気に溶けるようにチートの鎖が消え、鎖の勇者の啜り泣く声だけが残った。なんともまあ、やり辛い。戦いの場なら躊躇なく首を刎ねただろうけど、止められてる上こんな状態ではやり辛いの一言に尽きる。

 

「それじゃあ、首輪みたいなアイテムを壊すか外すかすれば勇者は死ぬってことですね?」

「はい、多分、ですけど……ぐすっ」

「なら、それを身体から切り離したら?」

 

 それでもその呪いのような効果が発動するとしたら、俺のようなチート持ちや、フロックスさんのような達人以外にも勇者を打倒出来る可能性が出てくる。

 

「前一緒に戦ってた先輩が、指輪型の勇者の証ごと腕を食べられて、すぐに友達と同じ風に、死んじゃいました。だから多分、なると思います」

「なるほど」

 

 それなら残りの勇者を無力化するのにも、労力が格段に減る。それでも十分以上にチートなのだから問題だが、弱点が増えるというのは実に嬉しい。

 

「それじゃあ、今生き残ってる人のチートを知ってる限り教えてください。それが終わったら、朝ご飯にします。まあ竜の肉しかないですけど」

『こんなのに我の肉を食わせるのか?』

 

 えーとでも言いたげなディラルヴォーラの言葉は黙殺する。だって手持ちの食料はそれしかないのだ。仕方ないだろう。

 

「貴女の話が本当なら、生殺与奪は俺が握ってることになるのでちゃんと協力して下さいね? そうすれば、巻き添えになったらアレですが俺たちは殺さないことを約束しますよ。ああ、あと身体を要求したりとかもしないので」

 

 我ながら酷い脅しだとは思うが、洗脳されてない(ように見える)唯一の勇者なのだ。よく考えれば、重要な情報源である。

 

 笑みを浮かべて言ったお陰か、鎖の勇者は40個ほどのチートの情報を教えてくれた。同時に、今遠くに派遣されていて戻ってくる可能性が低い勇者のことも。

 

 王都へ出発する、数時間前のことだった。




因みにエウリが「殺さないで」と言ってるのは、これ以上モロハに十字架を背負わせたくないからというのもあったり。

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