あの空に帰るまで   作:銀鈴

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36 陽だまり

 どれくらいそうして泣いていたのだろうか。

 溢れ出す感情の奔流が収まった頃、ようやく俺の頭に『恥ずかしい』という考えが浮かび上がってきた。愚痴を話すのは約束だったしいいだろうけれど、泣きながら泣き言を言って(あまつさ)えあやしてもらうのは1人の男として如何なものか。

 

 自己否定ーー羞恥心を否定しました

 自己否定ーー後悔を否定しました

 

 まあ今更、この程度の過去を振り返っても意味がない。何かあったとしても、俺の記憶から消えるだけでエウリさんの記憶には残り続けるのだし。

 

「すみません、変なこと言って」

「いいえ、やくそくしました、から」

「はは……」

 

 確かにこうして撫でられるのは安心するし、頭に伝わる柔らかさと人肌の温もりは、荒みきった精神を言い方がアレだが癒してくれる。だからこそ、今これはダメだ。少なくとも帰るまで忘れてはいけないものが、溶け落ちてしまいそうになる。

 

「とりあえず、聞いてくれてありがとうございました。でもやっぱり悪いですし、血落としてきますね」

「あ……」

 

 後ろ髪引かれる思いで体を起こし、未だふらつく足で立ち上がる。ぐっすり寝れたが、貧血なのは変わりないらしい。

 

「てつだい、ますか?」

「いえ、大丈夫です。今までも平気でしたから」

 

 適当なスペアの槍を排出し、杖代わりにして歩き始める。鞘がないため危ないっちゃ危ないが、まだ危険地帯な筈なので良しとしておく。そう意気込んだものの、フッと意識が遠くなって倒れかけてしまった。槍をついて支えたが、思ったよりマズイかも知れないな。

 

「はぁ……やっぱりだめじゃ、ないですか」

「あ、ちょ」

 

 そのままあれよあれよという間に、エウリさんに肩を支えられてしまった。……まあ、痩せ我慢なんてしても格好悪いだけか。それと、危険地帯だというなら置いていく方が間違いだ。そうに違いない。

 

 言い訳を羅列して、仕方のないことだと心を諦めさせる。そうして、エウリさんに軽く体重を預けた。

 

「いきさきは、どこ、ですか?」

「フロックスさんの工房裏にある川に」

 

 どうせ落ちないのは目に見えてるけど、血生臭くないくらいには血を落としておきたい。まあ軽く血の跡でも残ってる方が、俺の見た目なら迫力があるだろう。

 

「わかりました。まったく、すこしは、たよってくださいよ」

「そうですね。少なくとも、体調が戻るまではそうさせてもらいます」

 

 ようやく、信頼してもいいと思える人が出来たのだ。であれば、そこでまで気を張ってる必要はないだろう。そうして歩くこと数分。自然の音しか聞こえない村跡を抜け、川に辿り着くことには成功した。しかし、そこで問題が起きた。

 

「ん? なんだ、もういいのかお前ら?」

 

 そこにいたのは、タオル一枚を首にかけただけのフロックスさんだった。それによって胸は隠れてるし、下半身は川に浸かっている為見えないが、中々に刺激的な光景だ。

 

 自己否定ーー性欲を否定しました

 

 鎌首をもたげた妥当な感情をチートが打ち消し、無理やり心が落ち着かせられる。まあ、近くを流れる川はここしかないのだから、バッテイングすることだってあるだろう。

 

「察するに、血を落としに来たってところか。エウリ、モロハ渡せー。洗っておいてやる」

「ちょっ」

「へんなことしないでくださいね?」

 

 僅かな抵抗も虚しく、俺はエウリさんに軽々と投げ飛ばされてしまった。そしてそのまま、大きな水飛沫と共に浅い川の底に叩きつけられる。

 

「ぷはっ!?」

「それで、わたしはなにか、することありますか?」

「オレの工房跡に、色々埋めてあっから掘り起こしてくれるか? まあ、元からお前らにやるつもりの物だったし? 多少雑でも構わねえぜ」

「わかりました。でも、ちゃんとていねいに、しますから」

 

 カラカラと笑って答えるフロックスさんに捕まえられつつ、そんな会話を聞く。灼けつく肌に流れる水が心地よい。だが、代わりに赤黒い色で染めていくのは少しだけ申し訳ない気がする。

 

「ほれ、脱げ脱げ。いつまでもそんな、如何にも戦帰りって格好してんじゃねえよ」

「わぷ」

 

 自己否定ーー羞恥心を否定しました

 

 エウリさんが去っていった後、有無を言わせず俺は服を脱がされた。よくよく見れば、たった2ヶ月程度で傷だらけになったものだ。

 

「あの、一応聞きますけど……俺に自分で洗わせる気ってあります?」

「片腕だと時間かかんだろ? 遠慮せずに任せとけって。ま、まあ、いっぺん身体も重ねてるわけ、だし?」

「ですよね……」

 

 微妙に恥ずかしそうに言うフロックスさんに、諦めて主導権を明け渡す。1番俺が弱いから仕方がない。力も立場も。

 

「1つ、確認したいことがあるんだが……いいか?」

 

 川を血で染めて洗われるがままになっていると、フロックスさんがそんなことを言ってきた。

 

「別にいいですけど……何か?」

「お前が、ここまでして戦う理由ってなんだ?」

 

 背中に残る傷痕をなぞって言われたその言葉に、心に冷たい氷が差し込まれた感覚が走った。俺が戦う理由、か。そんなもの、

 

「今は、エウリさんの為ですかね」

「それは嬉しいことだけどよ、人を理由に使うのは駄目だ」

「……なんで、ですか?」

 

 心にズッと重いものがのしかかってきた。思わず目を細め、心なしか苛立った様な口調で答える。

 

「そりゃあ、そんな理由じゃ『もし自分が怪我したり死んだら、それはエウリが居たせいだ』って言ってるも同然だしな」

「それも、そうですね……」

 

 だとすれば、俺は何を理由に戦っていたのだろうか?

 姫さまの為? 否、それは理由にならないと言われた筈だ。

 計画の為? 否、それはあるがそこまで崇高な意思は俺にはない。

 自分の為? 自分の、何のためにだ?

 

「なら、他の理由は?」

 

 何も、思いつかなかった。問い掛けの答えを、俺は何一つ持っていなかった。その沈黙を答えとして受け取ったのか、フロックスさんが話し始める。

 

「例えば『死にたくない』とかの、適当な理由でもいいぞ?」

 

 その言葉を聞いて、思い出した。

 

「エウリさん曰く『帰りたい』らしいです」

 

 日常に帰りたい。それが俺の頑張る理由だと、エウリさんは言ってくれた筈だ。それなら、多分理由としては──

 

「自分でこれって決めたのはねぇのかよ?」

 

 自己否定ーー諦めを否定しました。

 

 駄目だった。いや、でもそれは妥当かもしれない。確かに空っぽのまま戦うのでは、それはもう人とは言いがたいだろう。なら、理由が特に思いつかない俺はなんなんだ? それこそまさに、人形とか機械になってしまうのではないか?

 

 再び言葉に詰まった俺の頭が、ガシガシと乱暴に撫でられた。言葉はないけどそれがなんだか嬉しくて、またジワリと滲み出た涙で視界が歪んだ。

 

 自己否定ーー情けなさを否定しました

 

 自分は気を許した途端、随分と弱くなったものだと思う。いや、もしかしたら燃え尽きた何かの分弱くなったのかもしれないな。言い訳だと、理解しているけど。

 

「空っぽ、ですね。俺って」

 

 始めて戦った理由は『死にたくない』だったのは覚えている。その思いに従って、武器を取ってゴブリンに攻撃した。だけど、自分がそんなことを思った理由が皆目検討つかない。そもそも、俺がチートを認識した時のことすら、何があったのか覚えていない。自分で気づいたのか、誰かに教えられたのか。思い出そうとすると、焼かれる様な痛みが走って何も思い出せない。

 

「なら、これからちゃんと詰めてけ。軽い男はモテねぇぞ」

「そう、ですね」

 

 バンと背中を叩かれ、そんなことを言われた。背中をさすりながら答えるが、正直自身が全くない。なにかを積み重ねても、詰め込んでも、きっとチートが消してしまう。大切なものもそうでないものも、一切合切燃やし尽くして消してしまう。

 

 だから、約束なんて俺には出来ない。してはいけないのだ。

 

「ただいま、もどり、ました」

「おう、特に怪我ないようで何よりだ」

 

 そう自戒している間に、幾つかの袋を持ってエウリさんが帰ってきた。その姿を見ると、益々その気持ちは強まる。現に、助けるなんて約束したのにお婆さんを助けられず仕舞いだった。やっぱり、俺は……

 

 自己否定ーー後悔を否定しました

 

「ほら、エウリも戻ってきたんだし、とっとと上がれ」

「いやあの、服が……」

 

 元々着ていた服は剥ぎ取られて行方不明だし、濡れたままの下着1枚で上がるわけにもいかない。全裸は以ての外だ。

 

「魔族舐めんなよ? それくらいちょちょいで出来るっての」

「あ、ちょ、まっ」

 

 未練がましく川に浸かろうとした俺を引きずり出し、フロックスさんがピュゥと口笛を吹いた。それをトリガーにフワリとした風が吹き、それが通り過ぎた時には全身に纏わり付いていた水滴は綺麗サッパリ消え去っていた。

 

「……凄い」

「血はどうにも出来ねえけどな」

 

 再び呵々と笑う中、少しだけ不機嫌そうにしてエウリさんがフロックスさんに問いかける。

 

「ふたりだけのせかいに、はいらないで、くれませんか? それに、もってきましたけど、これなんです?」

「魔法の袋だ。それとそれは、俺の工房の中身が殆ど詰めてある。で、そっちが食料、それが水、でもって最後に衣類だな」

 

 そうして見た目はただの頭陀袋に手を突っ込んで、こちらに何か布の塊を投げつけてきた。

 

「とりあえずまあ、あれが乾くまでそれ着とけ。多分モロハは線が細ぇし、問題なく着れんだろ」

「まあ、そうなりますよね……」

 

 渡されたのは、古樹精霊(ドゥ・ダイーム)の民族衣装と思われる植物の様な印象のドレスだった。スカートの様に下は開いており、無論どう見ても女性用である。

 

「フロックスさん、さすがにそれは、ちょっと……」

「どうせコート羽織りますし、大丈夫ですよ」

 

 エウリさんが止めに入ってくれたが、それよりも下着1枚のこの状況の方をどうにかしたい。追加で言えば女装には慣れてるしどうってことはないし、肌も結構隠れてくれそうだから断る理由はないのだ。

 

 そうしてドレスを纏い、花の眼帯を身につける。伸ばしっぱなしの長めの髪の毛を後ろに流し、排出したコートを着て日光を遮る。それで隻腕隻眼の少女の完成だ。

 

 自己否定ーー羞恥心を否定しました

 

 自分で言うのはなんだが、街のおっちゃんからは人気があったし似合ってはいるだろう。髪はカツラよりは短いし荒れてるけど、まあそれはそれだ。

 

 自己否定ーー嫌悪感を否定しました

 

「それじゃあこのまま待つのもアレですし、この先の話でもしませんか?」

 

 心機一転。ポカンとする2人に向けて、俺はそう言ったのだった。

 




打って変わって日常過ぎる

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