「……ハ……」
どこか、遠くから声が聞こえる。
「モロ……ん」
声は酷く聞こえにくいが、その声は確かに誰かを呼んでいた。
「バッカ……じゃ…ぇ、男…………な──」
今度は別の声がして、直後に衝撃が訪れた。そのまま体は転がり、何かにぶつかって動きを止めた。それがきっかけとなって、奥底に落ちかけていた意識が浮上する。
「く、ぁ……ぎ」
開いた目が、眩しい太陽の光に眩んだ。寝起きの脳が酸素を求めて欠伸をさせ、日光に焼かれる痛みがその行動を中断させた。まだ右目は見えないが、左目には朧げに人の様な姿が見て取れた。
「エウリさん?」
そう発した自分の声が酷く遠い。ああ、そういえば耳がダメになったんだったっけ。でも体が痛い。幸いながらこのままでも魔法も魔術も使えるし……
「力よーー」
一先ず優先するのは聴力の回復。そう判断して魔術回路を起動、強化の魔術を駆動させる。対象は左耳だけ。それでも、会話はちゃんと聞き取れる様にはなってくれた。
「あんなおこしかた、ひどいですフロックスさん!」
「ばーか、男はあんくらいでいいんだよ。ほら、現に起きたじゃねぇか」
痛みと眩しさに耐えて起き上がり、開いた目に映った光景に思わず涙が滲んだ。場所は変わらず、復興も何もない焼け落ちた村の跡。それも激戦のせいで、至る所がボロボロに崩れて抉れている。そんな中で、2人の女性が話している。俺の起こし方に抗議する無傷のエウリさん。そんなエウリさんをどうどうと宥める、左の肘から先がない以外傷のないフロックスさん。
その姿を見て、気を失う直前までの記憶が鮮明に蘇ってきた。
「ぅ、あ……」
自己否定ーー悲しみを否定しますか?
チートに拒否の意思を叩きつける。この感情は、決して消してはいけないものだ。
けれど声は押し殺す。透明と薄い赤に染まった涙は拭う。そうしていると、心配してくれたのかエウリさんが駆け寄ってきた。
「モロハさん!? だいじょうぶ……じゃないですよね。やっぱり、フロックスさんのけりが──」
「そうじゃ、ないです」
エウリさんの言葉を即座に否定する。
別に痛みは、チートと気合いで耐えられるからどうでもいいのだ。けれど安心は、気合いでもチートでも耐えられない。どれだけ警戒して遠ざけても、スルリと心に入り込んで居座るのだ。そして心を、どうしようもなく軋ませる、
「そうじゃ、ないんです……」
そしてその隙間から、責任が染み込んでくる。本来、ここに居たはずの1人を救えなかった……いや、助けなかった。俺はそのことで非難されて然るべきで、できることをやりきれずに生き残っていて……
「ごめんなさい」
エウリさんがなにかを言うよりも早く、口をついて出たのはそんな言葉だった。何のことか分からないと思われる可能性もあるが、頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
エウリさんに嫌われる覚悟をしてでも強行すれば、もしかしたらこんな惨状を見せることにはならなかったかもしれない。俺にもっと技術があれば、勇者を全員暗殺地味な方法で倒せたかもしれない。俺にもっと自分を捨てる覚悟があれば、お婆さんを死なせることはなかったかもしれない。
たらればの話ばかりが頭を巡って、ありえたかもしれない未来が思い浮かぶ度に心が悲鳴をあげる。
自己否定ーー狂気を否定しました
心が壊れることを許されず、冷静に駆動する頭がIFの未来を綴り続け、心を削り傷つけて行く。ある意味これが、末路なのかもしれない。
「ったく、何泣いてんだよ」
そんな俺の頭が、無理やり上げさせられた。歪む視界の中では、ヤンキー座りのフロックスさんがこちらを覗き込んでいた。
呆然とする俺の頭を乱暴にガシガシと撫で、少し困ったような表情でフロックスさんが言った。
「色々と無駄に背追い込み過ぎだっつーの。確かにオレも言いてぇ事は色々あるけどよ、今は負け戦から生還したってことでいいじゃねえか」
「でも、無駄に俺は……痛っ」
俺が言葉を続ける前に、デコピンが額に直撃した。思わず額を抑えると、叱るように言葉が続けられる。
「あのなぁ、そもそもオレ達はお前とエウリを逃がすために死ぬつもりだったんだぞ?」
「でも、俺にもっと力があれば」
「高々10年とちょいしか生きてない奴が、思い上がってんじゃねえよ」
カラカラと笑うその姿は、引っ込んでいた涙を呼び起こさせるのには充分過ぎて。
「これじゃあ話が進まねえよな……まあ、泣くなってはもう言わねえよ。けどそれなら」
「きゃっ」
立ち尽くしていたエウリさんの背を、フロックスさんが軽く叩いた。当然体勢が崩れたエウリさんは俺に向かって倒れ、強化を回す時間もなく押し倒される格好になった。それは当然、涙でぐちゃぐちゃになった顔を思い人に、至近距離で見られるということで……
「見ないで、ください」
急に込み上げてきた恥ずかしさに、思わず手で顔を覆う。息がかかるほどの至近距離は、流石に毒が過ぎる。そもそも俺は未だに血みどろの姿だ。多分乾ききってはいないだろうし、汚してしまうのは本望じゃない。
「あ、その、退きます、ね」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
それだからだろうか、エウリさんに退いてもらうまで俺は身動き1つ取ることが出来なかった。チートが否定した事により涙も弱まり、感情が平常運転に戻っていく。
「んだよ、折角お膳立てしたんだから、もうちょっとなあ」
「そう簡単に、泣きついたりはしませんよ」
「そうかよ。じゃ、オレはお暇しますよっと」
そうしてフロックスさんは、どこかへ歩いて行ってしまった。ヒラヒラと手を振って、暫く戻って来る様子はなさそうだ。
◇
「ま、オレは邪魔者だろうし」
極めて小さくそんな言葉を呟き、フロックスさんは去っていってしまった。結果残ったのは、気まずい雰囲気の私と諸刃さんのみ。
「「えっと」」
そんな空気を何とかしようと口を開いたけれど、ものの見事に諸刃さんとタイミングが被ってしまった。これじゃ、話が進められない。
「それじゃあ、エウリさんからお願いします」
全ての感情が消え失せたような、何かを押し殺した様な顔で諸刃さんが言った。時折諸刃さんが見せるこの表情は、ちょっとだけ怖い。だけど私は、こうなってしまう理由を知っている。だから、ちょっとだけ優しくしてあげることは出来ると思う。
「そう、ですね」
でも、それ以外にもう1つだけ理由がある。
「さっき諸刃さんは、あやまってました。けど、それは私もです」
「それは、どういう?」
「私、諸刃さんのきおく、すこしだけだけど、みちゃいましたから」
諸刃さんのわからないといった表情が、一気に驚愕に変わった。他人に自分の記憶を見られたなんて言ったら、普通そうなってしまうのは私にだって分かる。
「それは、いつですか?」
「きのうの夜、青い炎につつまれたときに」
全身が痛くて、おかしくなりそうで、気が遠くなって、もうダメだと思ったあの時。暖かい炎が私を包んで傷を癒していく中、記憶が流れ込んで来た。
決してそれは楽しいものではなくて、辛さや苦しさや恥ずかしさばかりだった。いつも冷静で、超然としていて、何を考えているのかわからない様な事もあった諸刃さんが、それで私と何ら変わらない事に気付いた。そうなってしまえば、無下に扱うなんてできるはずもない。
「あー……アレですか。すみません、見てて不快になるものでしたよね、きっと。俺からはもう、消えちゃってますけど」
「たしかに、みててつらく、なりました」
「すみません」
私がそう素直に言うと、苦しそうな顔で諸刃さんは頭を下げた。
「でも、べつにいやじゃなかったんですよ」
「なんで、ですか?」
「諸刃さんのことが、すこしだけでも、わかったからです」
確かに見ていて辛かった。記憶から痛みも襲ってきた。それでも、人となりがちゃんと分かったということはとても嬉しかったのだ。それに、人族の言葉も少しだけ上手くなった。
「私、ほんとうは諸刃さんのこと、こわかったんですよ?」
人間なのに私に優しくしてくれて、助けてくれて、守ってくれる。そんな物語の主人公みたいな人。私たちを攫おうとする奴らと違って悪い人じゃないのは分かっていたけれど、それでも少し怖かった。
「そうですか……いえ、ですよね。俺みたいな得体の知れない奴」
「でも、いまはだいじょうぶです。ほんとうに、よくがんばりましたね」
そう私は笑顔で言うと、片方しかない目を見開いて、諸刃さんはポロポロと涙を零し始めた。さっきを除き今までそんな姿を見たことはなく、本当に限界ギリギリだったのだろうということが分かる。
これで私が伝えたかったことは言い切った。だから──
「諸刃さん、ちょっとこっちに」
そう手招きして、近寄ってきた諸刃さんを引っ張った。そして、少し恥ずかしいけれど膝枕をしてあげた。涙が溜まって潤んだ目が、驚愕の色を湛えて私を見る。
「つぎは、諸刃さんのばんですよ。やくそくどおり、ぐちでもなんでもいってください」
諸刃さんの頭を軽く撫でながら、優しく私はそう言った。ちょっとチクチクするけれど、これくらいはしてあげようと思う。
「血で、汚れちゃいます」
「そんなの、私もちだらけ、ですから」
「は、はは……」
そんな乾いた声を漏らして、涙の流れる目を隠して諸刃さんは語り始めた。
「俺は実質、お婆さんを殺したみたいなものなんです。
敵の強さを読み間違えて、自分の強さを履き違えて、エウリさん以外自分も死なせてしまったし、無茶をしてもお婆さんは助けられなかった」
「はい」
「それなのに心配してもらって、そんなことをしてもらえる立場じゃないのにしてもらって。非難されて、軽蔑されて、そう思ってたのに全然なくて。安心したけど苦しくて」
相槌を打ちながら、ただただその話を聞いていく。私には共感することは出来ないけど、話すだけで悩みや辛さは少し軽くなる。だから今は、全部吐き出してもらおうと思う。
「戦いの『た』の字すら知らない様な奴に、人の一生を背負うなんて重過ぎるんですよ……自分のだって背負いきれてないのに、そんなの無理に決まってるじゃないですか……」
「腕がなくなって、目が見えなくなって、耳が聞こえなくなって。それでも、それでも戦えって言うんですよ。諦めるなって言うんですよ。お前ならできるって、背中を押されるんですよ。勇気も何ももうないのに、薬で無理やり誤魔化してるのに、それでもって言うんですよ」
「誰かに頼るとそこに災いが齎されて、自分にも被害が来て、誰かを支えにすればその人が大怪我をして。俺に、これ以上なにを望むんですか。どうしろって言うんですか、もう分かんない、分かんないですよぉ……」
涙でぐしゃぐしゃな声が静かに響き、焼け落ちた村に響いていく。鳥の鳴き声すらしない朝の空気の中、そんな優しく時間だけが過ぎて行った。
年中最後!!