あの空に帰るまで   作:銀鈴

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03 単独戦闘

 瀕死の体を引きずり降りた1階は、先程までいた2階とは全くの別世界だった。

 割れた窓ガラスに、むせ返るような血の臭いとゴブリンの臭い、加えて人間だったもののパーツや中身が至る所に撒き散らされている。加えて消化途中の腹の中身もブチまけられているせいで、酷い悪臭で満ちている。そんな歩くたびに靴下が血溜まりをピチャピチャと鳴らすような凄惨な光景だが、不思議と足が竦んだりはしなかった。

 

「とりあえず、靴……」

 

 2階では無視していたが、ここを靴下で歩くのは些か都合が悪い。今更何をと思うけど、あった方が幾分かマシになるだろう。もしかしたら、生き残ることが出来るかもしれない。

 

「ギィ?」

「シッ!」

 

 先手必勝。昇降口に行く僅かな距離の途中、前方から現れたゴブリンを即席の槍で薙ぐ。技術のぎの字もないただ刃の付いた長物を振り回しただけの、しかも片手での一撃だったが、運良く刃はゴブリンの首に直撃していた。

 

「せいッ!」

 

 勿論両断なんて出来ない。けれど、首の1/3程までめり込んだ刃を引く事で、致命傷は与えられる。もうなんとも思わない血の噴水の隣を歩き、俺は昇降口に辿り着いた。……何かが動く音はしない、ガラスの細かい欠片ごと靴下を脱ぎ捨て、履いた運動靴の紐をきつく締める。途端に白い運動靴が赤黒く染まるけど、知ったもんか。

 

 折れた左腕をダランと垂れ下げたまま、右手に槍擬きを引きずり歩いていく。目指す場所は、職員室。大人に頼れる訳がないと思いつつも行こうとするのは、やはり現代っ子の(さが)なんだろうか。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息も絶え絶えに辿り着いた職員室、そこの惨状は今までの何処と比べても酷いものだった。まさか、担任の先生の頭のみと再会する事になるとはね。

 そして、職員室の中を覗けば更に酷い事が起こっていた。血の臭いより遥かに濃い性臭。オーク1匹とゴブリン5匹がパーティー(隠語)をしていた。

 

「反吐がでる」

 

 男性教員は全て殺されているようで、オークの口から誰かの脚がダランと垂れている。そして女性教員は……言うまでもないだろう。起きる事が無いのをいい事に、好き勝手滅茶苦茶にされている。臭いと、水っぽい音と、下卑た嗤い声とで全てが察せる。

 あの異形たちがここを襲ったのは、食料確保と繁殖の為なのだろう。服なんてものは全て剥ぎ取られ、全身を余すとこなく白濁したモノで汚されるのを見ているのは、流石に気分が悪い。

 

 自己否定ーー嫌悪感を否定しました

 自己否定ーー怒りを否定しました

 

 途端に、頭が突然クリアな状態に戻された。またスキルだ。けれど今は、それが少しだけありがたい。無意な突撃をかますところだった。先生方の命が助かったとしても、心はもう無理だろう。

 昨今のラノベ主人公も、こんな状態の人達を助けることはしない。手を差し伸べたりはしない。そして俺も、差し伸べる余裕も助ける自信も持ち合わせては無い。

 

「だからまあ、せめて仇くらいは……とか思ったんだけどなぁ」

 

 何が何でも、分が悪すぎる。5対1で化物と戦って勝てるのは英雄(ばけもの)だけだ。俺みたいな死にかけの凡人には、天地がひっくり返っても不可能なことだ。けれどと、近くに落ちていた胴体(男)の胸を弄り何か良いものが無いかと探す。

 

「ライター、タバコ、後は携帯……電源切れてら」

 

 回収した遺品と言えるだろうそれらは、特に何か役に立つ物ではなさそうだ。ガックリとしながら、血で濡れていないタバコを1本取り出して咥えてみる。

 

「変な匂い」

 

 アニメに憧れがあるんだよ察しろ。咳き込んでバレたりしたら堪らないから火はつけないけど。たっぷり1分はその状態で休み、引き摺らない様に槍を持ってヤってるオークの裏側に回り込む。

 

 動物は、排泄中が最も無防備とかいう話を何かで読んだ事がある。ならば今の俺でも、恐らく1回くらいは奇襲出来るだろう。狙う場所は首。下手に心臓を突いたりするより、首を掻っ切る方が致死率も成功率も高い……筈だ。

 

「覚悟決めますか」

 

 自己否定ーー躊躇を否定しました

 

 カッコつけて咥えたタバコを血溜まりにプッと捨て、気合を入れて槍を持つ。大声を上げる必要はない、必要なのは精度と速さ!

 

「シッ!」

 

 自己否定ーー躊躇を否定しました

 

 渾身の力と遠心力を乗せた錆びた刃は、確かな感触と共にオークの首を裂いてめり込んだ。それをわざと雑に切り裂く様に引き抜き、その動きのまま呆然としているゴブリンの首に叩き込む。

 

「逃す、かぁ!」

 

 自己否定ーー容赦を否定しました

 

 血を吹き上がる2つの噴水を背に、右手1本で槍擬きを振り回す。2匹、3匹、4匹と首を折るか切り裂くかで絶命させる事に成功した。残る1匹は、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。逃してしまった様だ。

 

「はは、死んだなこりゃ」

 

 十中八九応援を呼ばれた。ロクなチートが……ああ、《亜空間収納》なんてものもあったっけ。2つの微妙なものしかない俺には、あの物量を捌ききる力はない。よって全滅、皆殺しだ。

 先生方は俺じゃ動かさないからこのまま放置するしかなく、2階に逃げても多少時間が稼げるだけ。やっぱり世の中ってってクソだな。馬鹿みたいに理不尽だわ。

 

「あーでも、最後にチートくらいは試してみるかな」

 

 最後に少しくらい、チート主気分を味わっておきたい。壊れたデスクに腰掛け、適当なファイルを手に持つ。でも何をすれば発動するのかわからないし……

 

「収納?」

 

 思い浮かんだその言葉がキーワードだったらしく、手からファイルが消失した。それと同時に、どこかで保持しているという感覚がある。手に触れてる物を収納できて(容量不明)

 

「排出」

 

 ぼと、といつの間にか出てきたファイルが手から落ちた。

 こうやれば中身を出す事が出来るようだ。便利ではあるけど、チートとは言えないなぁ……思ったより入らない感じがしたし。

 

「収納」

 

 一応、盾になってくれるかもしれないからデスクを収納しておく。そして、取り出した新しいタバコにライターで火を付けてみる。

 

「けほっ、けほっ、よく大人はこんなのを……」

 

 そして当然の様に咳き込んだ。けれど、なんとなく精神が落ち着く気がしないでもない。何も考えずプカプカと吹かしていると、ズシンズシンと響く足音が聞こえてきた。タバコ類をチートに仕舞う。ああ、もう終わりの時の様だ。

 

「ま、精々足掻かせてもらいますかねぇ!」

 

 そう啖呵を切り槍を構え、次の瞬間俺は吹き飛んできたドアに衝突し散乱するデスク群に叩きつけられていた。

 

「か、は」

 

 バキボキベキと鳴ってはいけない音が身体のあちこちからなり、チカチカと点滅する意識は脳内麻薬とタバコの誤魔化しを突き抜け、耐え難い激痛を脳に出力してくる。

 

 自己否定ーー狂気を否定しました

 自己否定ーー狂気を否定しました

 自己否定ーー狂気を否定しました

 自己否定ーー狂気を否定しました

 

 連続してそんなメッセージが頭に流れてくる中、瓦礫の山に埋もれた俺の左腕が何かに思いっきり握られた。次瞬、左腕の二の腕までが添え木ごと握り潰された。

 

「あァアァッ!?」

「ぐひっ」

 

 そのまま吊り上げられた俺を見つめるのは、醜悪な豚面。鼻を鳴らし、品定めする様に俺の事を凝視している。口から意図せず血を吐き出す俺を見て、明らかにイチモツをいきり立たせている。えっ、何こいつホモなの?

 

 そんな事を思ったのがバレたのか、左腕を握る力が強くなった。そしてこちらをいたぶる様に、執拗に握り、緩め、握りを繰り返される。その度に何かが折れる異音が聞こえ、血が溢れていく。もう、自分でもどうやって上げてるのか分からない悲鳴が口から出る。溢れる血を見て叫び声を聞き、更にオークの顔が下卑たものに変わっていく。

 

「ひ、ぁ、が」

 

 ひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返しながら、こんな状況でもまだ俺が右手に槍を持っていた事を確認出来た。けど、こんな状況で何かができる訳もなく……

 

 自己否定ーー狂気を否定しました

 自己否定ーー諦めを否定しました

 

 スキルによってそんな感情が一時的にかき消された。ちくしょう、こんなになってまでもこのスキルは……

 悪態をついてはいるものの、このスキルのお陰で1つだけ突破口は見えている。ああちくしょうやれってんだろ!!

 

「収納! 排出!」

 

 俺がキーワードを言った瞬間、オークの左拳が収納されて消失した。行き先は地面だ。綺麗な断面から吹き出す紅い血を浴びながら、地面に落ちる前にオークの胸元に槍を突き出す。そしてそのまま──

 

「収納! 排出!」

 

 槍の穂先を中心とした30cm程の空間が、ゴッソリと削れ落ちた。無論そこには、オークの心臓も含まれている。グリンと白目を剥いて、オークはあっけなく絶命した。

 そして、支えを失った俺は地面に墜落する。そこからはもう、動けなかった。腕も足も首も、ピクリとも動かせない。痛みが麻痺して感じなくなった辺り、死ぬまであと僅かだろう。

 

「あーあ、つまんない、人生だった……なぁ……」

「諦めないで!」

 

 そんな綺麗な声が聞こえて、飛びかけていた意識が現実に引き戻された。耳を澄ませば、聞こえるのかガチャガチャという金属の音。

 目を動かすと映ったのは、いかにも魔術師然とした服装に長い杖を持った女の人。サラサラとした長い金髪に、アイスブルーの瞳といかにもファンタジー感が溢れている。いかにも異世界然とした可愛さだ。信用ならない。

 

「ぁ……」

「なんてひどい! 皆さんはそちらの方々を! 私はこの子の治療を始めます!」

 

 了解したという旨の言葉が唱和され、ガチャガチャという音が響き振動を感じる。一体、これはなんだろうか? 何が起こっているのだろうか?

 

「gq;e7d9、tt@7gkb\m。

 ──vーlyh@!」

 

 途端に聞き取れなくなった言葉が終わると、体全体が温かい何かに包まれた。左腕は変わらないが、身体が少しずつ楽になっていく。

 これならもう、動けないこともないと思う。

 

「ゲホッ、ごほっ」

「ああ、まだ動いちゃダメです!! そんなにボロボロなんですから!」

 

 そういうこの人の制止を無視し、槍もどきを杖代わりに立ち上がる。こういう如何にもお姫様な人は、信用できない。何かを託すなら、もっとこう、いかついおっさんみたいな人の方がいい。

 

「女の子なんですから、もっと体を大切にしてください!!」

「俺は、男です」

「えっ?」

 

 呆然とする治してくれた人の前を通り過ぎ、金属の足音を鳴らしていた人……騎士っぽい格好の人を1人捕まえて、無理矢理話しかける。精悍な顔つきの、強そうな人だ。

 

「2階、3階にも、人が、います。2階は塞いだ、けど、3階に後輩が。後、みんな、眠らされてます」

 

 騎士の人は、微動だにせずこちらの話を聞いている。ちゃんと聞いてくれている様だ。読みは当たったな。

 

「魔法、眠りの檻、杖のゴブリンが、使って……ます」

「もう良い、理解した。貴殿は、身体を休めよ」

 

 ポン、と肩に置かれた手に、何故か安心感を覚えた。見ず知らずの人に頼るとか愚策中の愚策だけど、俺がこれ以上動けないから頼るしかない。

 

「gq;<]l9、──rlー2[!」

 

 そんな俺の意思を無視して襲ってきた、恐ろしいまでの眠気。

 

 自己否定ーー判定に失敗しました

 

 チートもそれを弾く事が出来ず、俺はその優しい温かさに落ちていくのだった。




主人公のチート
《亜空間収納》
自分の手足に保持している指定したもの、もしくは手足の先から半径30cm内のモノを亜空間に収納する。容量は小さい。
任意発動
《自己否定》
自身を一時的に、若しくは永久に否定する。
自動発動

レベル?そんなもんねーから!

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