お ま た せ
それからの3日間は、あっと言う間に過ぎていった。その勢いをまさに光陰矢の如し。槍を、戦いを、魔術を、魔法を、薬学を、睡眠時間も削り学び吸収していくだけで、残り僅かな日にちは終わりを告げた。
この集落に居られる最終日。お世話になった人達にお礼を言う中、俺はフロックスさんの元にも来ていた。これで挨拶をしていないのは、お婆さんとエウリさんのみと言うことになる。
「短い間でしたが、本当にありがとうございました」
「おう。けどちょっと待て」
そう言ってフロックスさんは、こちらを軽く手招きした。出て行くのは今日中なら良いそうだし、ここ数日の通りフロックスさんについて行く。そうして着いた場所は、いつと何ら変わりない工房。
「えっと、なんでしょうか?」
「最後の機会だ、オレの本気の戦いってやつを見せてやるよ」
挑発する様な笑みを浮かべ、否、立てた人差し指の動きからして確実にこちらを挑発している。
「もしオレに一撃でも当てられたら、もう一回くらいヤらせてやる」
別にそんなご褒美は無くても良い。けれど、最後に師匠の全力を見れるならそれに越した事はない。そう判断し俺は、コートと新調したバッグを工房の端に置く。全身を焼かれる痛みが心地いい、丁度よく気を引き締めてくれる。
「最後に、胸をお借りします」
詠唱なしで強化を発動、手の中に驟雨を排出し最高速で突っ込んだ。フロックスさんは片手でも俺を軽くあしらえる様な達人なのだ、尋常に勝負をしても掠りもしないだろう事は容易に想像がつく。
「
虚空から俺の腕ほどもある鋭く尖った枝がノーモーションで射出された。その数は10。そのうち牽制と思われるのが5本、それ以外は的確に急所を狙って飛翔して来ている。
「《収納》」
疾走の姿勢を下げてさらに半数を回避し、どうしても躱せない物は収納して突撃し──
「そらよっ!」
こちらが槍を振るうよりも数段早く、鞭の様にしなる脚が胸に叩きつけられた。強化がかかっているお陰で大事には至らないが、姿勢は崩され吹き飛ばされる事は防ぎようがない。
回転しながら飛ばされる身体を無理矢理土煙を上げて静止させる。背筋に走った嫌な直感に従い槍を地面に突き立て防御姿勢をとると、そこにとてつもない衝撃が襲いかかってきた。
その原因は言うまでもなくフロックスさん、その両手に握られた木製の刀である。木刀と舐めてかかると、鋼鉄くらいなら切断してしまうこの人の主兵装だ。
「そら、まだまだ行くぜぇ!」
「ッ!」
一瞬双刀が引かれた隙に驟雨を収納再排出して持ち直し、息つく間もない乱撃をどうにか防ぐ。……が、そんなものは数秒も保たなかった。単純に手数が違いすぎるのだ、手甲のお陰で切断こそされなかったが、衝撃で緩んだ力では驟雨を保持できず、敢え無く弾き飛ばされてしまった。
「シッ!」
そして、カウンター気味に入れた短剣の一撃も余裕を持って回避されてしまった。一旦の仕切り直しとも言えなくないが、こちらがただ不利になっただけだ。
「ちったぁやる様になったじゃねぇか」
「お陰様で、ですけどね」
驟雨を取りにいくのは間に合わない、故に短剣1本で戦わなければいけない。けれど一応、準備は整った。
「幻よーー」
「お?」
完全な幻術は使う事は出来ないが、五感を1つくらいならなんとか騙せるくらいには詰め込んだ。多分、フロックスさんには俺の姿は消えた様に見えているだろう。
背後からの奇襲は読まれやすい。驟雨を取りに行けば幻術が途切れる。ならば突撃あるのみだ。短剣を逆手に構えたまま、フロックスさんの左手側から吶喊する。
「なるほど、そこか」
けれど、それも通じなかった。如何なる理由か幻術は効いていない様で、木刀による刺突が真っ直ぐに襲いかかってきた。
「シッ!」
短剣を跳ね上げて迎撃し直撃は防いだが、位置がバレてしまった。けれど折角の超近距、折角のチャンスを不意にする気はさらさらない。無理矢理腕を制動し、逆回しの様に振り下ろす。
「ま、こんなもんだな」
「えっ?」
そして俺は、いつの間にか空を見上げていた。一体何が起こったのか、全く分からない。本当にいつの間にか、仰向けに転がされていたのだった。
「魔法まで出したら話にならねぇから初撃で辞めたが、武術だけでも中々のもんだろ?」
「中々どころか、洒落になりませんよ……」
フロックスさんの手を借りて立ち上がり、全身の埃を払う。短剣は腰の鞘に戻し、投げ渡された驟雨も収納しておく。その後、コートとリュックを背負えば元どおりだ。
「これならまあ、及第点はやれるな!」
「まだまだです。修練あるのみですよ」
肩をバシバシと叩いてそう言ってくれたが、自分としては全然足りていない。それこそ、フロックスさんに一撃与えるくらいが最低限の目標なのだから。
「あのなぁ、そう自分を謙遜し過ぎるのは悪いことだぜ? 賞賛は素直に受け取っとけっての」
「すみません……性分なもので」
苦笑しそう答えると、ちゃんと治していけと注意されてしまった。そうしなければいずれ面倒毎に巻き込まれると言われてしまえば、反論なんて出来やしない。
「それでは。俺はこれにて失礼します」
「おうさ、またいつか……な」
今度こそ別れを告げ、礼をしてこの工房の出口へ足を向けた。数日という短い時間ではあったが、非常に濃い経験をさせて貰った。
「あ、ちょっと待て!」
「今度はなんですか?」
再び呼び止められ、今度はなんだろうかと振り返った。
「折角の眼帯にまだゴミが付いてんぞ。ちょっと払ってやるから目ぇ瞑れ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そういう事ならと目を瞑り、瞬間、口に何か湿った柔らかいものが触れた。驚いて目を開ければ、いつもと違いドヤ顔のフロックスさんがこちらを超至近距離で見つめていた。
「え、あ、な!?」
「そういう部分は年相応なのな。これは師匠からの、最後の選別ってやつだ」
そう言われても、ちょっと頭が追いつかない。なんか分からない混乱が頭の中を駆け巡って──
自己否定ーー混乱を否定しました
無理矢理チートがそれを沈静化した。ああ、つまりはアレだ。思いっきりキスされたという事だ。そして幾らチートと言えども、
「ほらさっさと行け、エウリが待ってんぞ」
「あ、はい。分かりました」
恥ずかしさでシドロモドロになりかけたながら、誘導されるままお婆さんの家への道へ送り出された。
「さようなら、私の初めての人……」
故に、普段なら聞こえていた筈の呟きも、全く聞き取る事が出来なかったのだった。
◇
「数日間ではありますが、本当にありがとうございました」
「はいよ」
どうにか気を持ち直し、到着したお婆さん宅でお礼を言ったが、そう素っ気なく返されてしまった。
「本来なら早く出て行って貰いたいが、もう少しだけ待ちな」
「あ、はい」
一体なんだろうか? 本日何度目かの疑問を抱えて待機する俺を前に、顎だけを動かしてお婆さんは口を開いた。
「エウリ、来な」
「はい!」
流暢で快活な人の言葉で返事をして現れたのは、どう見ても旅装のエウリさんだった。大きなリュックに、俺の物と似た黒の外套。武器としてか、長い杖を持っている。
「あの、これはどういう……?」
まるで一緒に旅に出ると言わんばかりの格好をしたエウリさんを前に、俺はお婆さんに問いかけざるを得なかった。
「私ら古樹精霊の廃れた習慣の1つに、成人を迎えた者には旅をさせよというものがあってね。このご時世故に無くなってしまったものだが、お前さんもいるし丁度良いと思ってね」
「わたしも、行こう、たい、思う、ました」
えへへと嬉しそうに笑うエウリさんを見ると、俺には拒否する事は出来なかった。けれど同時に、頭にこれからの危険が過ぎる。必ず、エウリさんに害が及ぶ様な俺の立場も。
「……俺と来たら、普通に旅するよりも危険ですよ?」
「それは、この子が魔族とバレる恐怖と戦いながら、一人旅をするよりもかい?」
「いえ、そうじゃないかとは思いますけど……」
少し着飾れば、古樹精霊は人間と区別はつかない。問題は言葉だが、それも多少は不自由なだけとも取れるから大丈夫だろう。それに王都の姫様まで辿り着ければ、きっと保護してくれる。
「それに、私見だが相性も悪くはないんじゃないかね? 近距離と妨害のお前さんと、回復や遠距離に対応出来るエウリ。2人でなら、危険を回避できるんじゃないさね?」
「私、モロハさんと、行てみたい、です」
頭の中で、危険性と惚れた女の子と2人旅が出来ることが天秤にかけられる。まあ、結果は火を見るよりも明らかだが。
「危険だって分かってるなら、俺は構いません」
「なら決まりだね。楽しんでくると良いよエウリ」
「はい! お婆様!」
こうして、短い旅路に同行者が増えたのだった。食料を2人分確保する必要が出来たとは言え、必要経費と割り切ろう。
「話が纏まったところで、あんたは今日野宿するつもりかい?」
「はい。エウリさんの事を考えると街までは行きたいですが、最寄りの街では指名手配されてるらしくて」
「あんた……いや、なにも言わんよ」
「ありがとうございます」
その辺りの事情に突っ込まないでくれた事には感謝しかない。幸い今の会話はエウリさんには理解出来てない様だし。
「そういう事なら、森の出口辺りが野宿に適してるさな。あまり内側だと、魔獣が襲ってくるからやめた方がいいがね」
「貴重な助言、ありがとうございます」
「ありがとうございます、お婆様」
横に並んだエウリさんと共に頭を下げる。寝ずの番は構わないけれど、そんな時に襲われたらひとたまりも無いだろうし。
「良いかい? 絶対に森の入り口だよ? エウリに保存食は持たせてるから、それでも食って寝る事だね」
「何もかも、本当にありがとうございました」
◇
その後は滞りなく話が進み、エウリさんのナビゲートで森を歩いて行く事数時間。日が沈む前に、どうにか森の入り口に到着することが出来た。
魔法で作った枝にシーツを張って固定しもしもの雨に備え、2人分の毛布を敷いて寝袋を配置して寝床とする。そこから離れた場所に枯れ枝を集め、ライターで着火して火を熾した。
「モロハさん、野営、手馴れてる、ですね」
「一応これでも、野宿生活は長いですから。それに、今の状態より悪い事もしょっちゅうでしたし」
「それは、凄い、ですね」
そう柔らかく笑うエウリさんと居ると、2人旅を選択して本当に良かったと思う。下半身でしかものを考えれない自分に嫌悪の感情も湧いてくるが。
「あと、野宿は、こんな、ワクワク、する、ですね!」
「何日も続いたら、何とも思わなくなっちゃいますけどね」
そんな事を話しつつ、貰った食料を食べてエウリさんは就寝した。寝ずの番は、暫く俺の担当である。僅かに差し込む満月の光は、静かな夜を幻想的に照らし出していた。
満月が、丁度天頂に登った時だった。
そろそろ交代時間だと思いエウリさんを起こそうとした俺の耳に、小さな爆発音が届いた。
自己否定ーー眠気を否定しました
それは俺の眠りかけの意識を覚醒させるには、充分過ぎるものだった。
「エウリさん、起きてください」
「
「何か、凄く嫌な感じがします」
警戒心を全開にして、軽く五感を強化して動きを待つ。頼まれたのだ、頼られているのだ、ヘマなんてしたら申し訳が立たない。
「
「分かりませんが、爆発音がしました。絶対に何かがあります」
俺のその言葉と態度で、エウリさんが微睡みを振り払った、その時だった。
ズーンという低音が響き渡り、地面が少し揺れた。そして、強化された嗅覚にある臭いが飛び込んでくる。
「何かが、焼けてる……?」
そんか疑問の答えは、すぐに訪れた。
先ほどの低音よりも大きな音が響き渡り、森の中からでも確認出来る巨大な炎の柱が数秒であるが出現したのだ。
自己否定ーー動揺を否定しました
そしてその場所は、俺の記憶が確かなら──
「
エウリさんが顔を真っ青にしているが、それもそうだろう。
自己否定ーー動揺を否定しました
何せ、煌々と炎が照らすその場所は、つい昼まで滞在していた、古樹精霊の村がある筈の場所だったのだから。