あの空に帰るまで   作:銀鈴

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20 五里霧中《中》

 一通りの作業を終えて工房に戻ると、そこではフロックスさんが座り込みナイフで何か木材を削っていた。いや、よく見ればそれはただの木材ではなかった。片面がメタリックな薄緑に光っていることから、恐らく金属か何かが付いていると思われる。

 

「うーわお前、そうしてると男よりか女に見えるな。線も(ほせ)えし」

「言わないで下さいよ、これでも気にしてるんですから」

 

 伸ばしっぱなしの所為で、無駄に長くなった髪を弄りながら俺は言う。乾くまでが長くなったし邪魔だから切りたいのだが、片腕じゃ上手くいかないので放置しているのだ。今度、前髪くらいは誰かに切ってもらおう。

 

「まあいいか。まだエウリは戻ってきてねぇから、ちっとそれ試してくれ」

「おっとっと」

 

 ひょいと投げられた防具……形からして恐らく臑当てだろう……を受け取った。膝頭まで覆うタイプのそれを着けてみると、それは何故か長年装備していたかの様にフィットした。重みはあるが、直ちに重大な影響を及ばす様なレベルではない。

 

「えっと、これは?」

「お前さっき、オレの事を思いっきり蹴り飛ばしたろ? 靴はオレにはどうしようもねぇが、防具はどうにでも出来るんでな。で、どうだ?」

「気持ち悪いぐらいフィットしてます。……あ、もしかして、さっき(まさぐ)られたのってコレですか?」

「だな。後純粋に興味」

 

 こちらが途中からジト目で言ったというのに、軽く返答を返されてしまった。なんの興味があったかとか、ちょっと怖くて聞けないんですが……

 

「な、なんだよ。いいじゃねえか、100年ぶりくらいに見た男なんだから。同意なしで襲わねぇだけ感謝しろよな!」

「なんか今、おっそろしい単語が聞こえた気がするんですが」

 

 襲うって言っていたが、トーン的に物理じゃなくて意味深とつく方な気がしてならない。思い返した種族としての特徴とかも考えると。

 

「エウリに惚れてなきゃ、折角だし食っちまったんだがなぁ……おい、なんで逃げてんだよ」

「貞操の危機を感じたので」

「ったく、これでもオレ相当な美人だろ? 襲いたきゃ襲っていいんだぜ? うりうりー」

 

 自己否定ーー魅了を否定しました

 自己否定ーー性欲を否定しました

 

 そう言って服の胸元を引っ張り、こちらを揶揄う様な笑みを浮かべて誘惑してきた。何かを併用してた様だけれど、特に効くものでもなかった様だ。

 

「おま、マジかよ!? これでも襲ってこねぇとか不能かお前!」

「もっとヤバい薬に耐性があるだけで、別にそういう訳では」

 

 そう言って俺は、仕舞ってある濃縮媚薬の一本を取り出して見せる。これはもう、2度と口に含んだりはしたくない。

 

「……ちょっと見せてみろそれ」

「俺にかけたりしませんよね?」

「しねえよ。ただちっと成分を調べるだけだ」

 

 不安極まりないが、とりあえず丁寧に瓶を渡した。するといつかお婆さんがしていた様に、服の裾から生やした枝を瓶の口から突っ込んだ。その頬は、段々赤くなっていき……あ、これマズイかも。

 

「ちょ、おま、これ。1,000倍濃縮とかなんてもん吸わせんだ!」

「吸ったの貴方ですよね!?」

「確かにこんなのに耐性がありゃ、オレの魅了なんてガン無視出来るだろうな!」

 

 赤い顔で、栓が入れなおされた瓶が投げつけられた。一応何とか収納するのは間に合ったけれど、本当に危なことをしてくれる。嘘をついてる事に、若干の罪悪感は感じるが。

 

「まあ、こうなっちまえば関係ねぇ」

「え?」

 

 ゆらりと幽鬼の様に立ち上がったフロックスさんを見て、嫌な予感が全身に走った。本能が鳴らす全力の警鐘に従って、一歩後退りしようとしたが、何故か出来ずに転倒してしまった。

 

 原因は、足に絡まる太い木の枝。それが俺の足をどうしようもない様に高速している。しかもそれは止まる事なく、膝下に巻きつくばかりか俺の右腕まで拘束してしまった。

 完全に拘束されて動けなくなった俺に、荒い息のフロックスさんがふらふら、ふらふらと近づいてくる。そのまま妖しい光を湛えた目でこちらを見て、ポツリと呟いた。

 

「やっぱり死ぬ前に、初めてくらい散らしておきたいよなぁ?」

「ちょっ!?!?」

 

 馬乗りになって、もがくこちらの抵抗を無視して服をはだけさせていく。気になる単語はあったけど、今はそんな場合じゃない。このままじゃ、確実に性的に食われる。

 

「んだよ、オレじゃダメだってのかよ。自信なくすぞ、泣くぞ……?」

「そうじゃないですよ! フロックスさん綺麗ですし! でもそういうのって、こう、好きな人ととかじゃないと流石に違うと思うんですよ!」

 

 それに、と言いかけた時、ドクンと心臓が脈打った。

 

 自己否定ーー吸血衝動を否定しました

 自己否定ーー性欲を否定しました

 

 ああ、やはりそうだ。吸血衝動は、性欲にも結びついている。よくある話だ、だがこればかりはどうしようもない。何せ、種族としての特性なのだから。

 

「へっ、ならいいじゃねえか。師匠から、初めての弟子に対するプレゼントってやつだ。甘んじて受け入れやがれ」

「ダメ、ですよ。俺、半分は吸血鬼、ですから」

 

 尖った八重歯(きば)が疼く。処女(おとめ)の血を啜れと本能が叫ぶ。飢えている。渇いている。獣の様に貪り尽くせと。

 

 自己否定ーー吸血衝動を否定しました

 

 そしてそれを、チートが否定する。けれど、即座に回復して欲は蘇る。4日。最低でも4日、中途半端な吸血鬼である俺は何かの血を摂取していない。チートがなければ、とっくに狂い果てているところだろう。

 

「血か? 吸いたいなら吸えよ。オレは気にしねえ」

 

 そうしてフロックスさんがその真っ白な首筋を露出したところで、

 

 自己否定ーー判定に失敗しました

 

 俺の記憶はブツリと途切れた。

 

 

 informationーー最適化が実行されました

 

「っは!?」

 

 意識が戻ってきた瞬間、俺は弾ける様に飛び起きた。そして息を吸った瞬間、鼻に抜ける血の香り。どうやら、夢オチなんてことはなかった様だ。

 服装はきっちり元どおりになっており、手足にもあの木の枝は見当たらない。が、防具類は全て外されておりすぐ隣に積まれていた。

 

「よっ、起きたか」

「後腐れ無さすぎじゃないですか?」

 

 こっちが焦っていたというのに、いかにも何でもない様に話しかけられた。あれが夢とか幻覚じゃなければ、とんでも無いことだったの というのに。

 

「なんだ? ネチネチ付きまとう方が好みか?」

「別にそうじゃないですけど……いえ、年上に勝てる気がしないのでいいです」

 

 初めてを色々食われた。以上。

 こういう事として割り切ってしまおう。相手がこうなら、こちらもそうした方が都合がいい筈だ。

 

「そういや、随分と血ぃ吸ってったけど、どんだけ摂取してなかったんだよ」

「最低でも4日。俺が目覚めるまでに日数がかかってたなら、更に伸びます」

「なるほどなぁ」

 

 うんうんと頷いているけれど、何を納得しているのか分からない。鼻に抜ける血の香りから、相当な量吸ったんじゃないだろうかという推測はあるのだが。

 

「まあ、これでお前も古樹精霊(ドゥ・ダイーム)()()を使える様になっただろうし、お互い文句なしって事でいいだろ」

「そうするのが1番得策みたいですね」

 

 ん? ちょっと待て。今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。

 

()()、ですか? 魔術ではなく」

「そうだな、魔法だ魔法。詳しい事は婆さんに聞け。オレはそっち方面はからっきしなんだ」

「どうせ運動は禁止ですしね」

 

 随分と激しい運動しちまったがなと呵々大笑しているが、微妙に足が震えてる辺り無問題という事ではないらしい。理性が飛んでたからか、その記憶は俺には全くないが。

 

「そういえば、あれからどれ位時間が?」

「大体1時間しか経ってねぇよ。エウリもまだ来てねぇ。まあ、来ても追い払ったが。……流石に、自分の痴態を見られたくはねぇし」

 

 そんな風に、ほんのり顔を赤くして言うのはずるいと思う。男は決して女に勝てない……いつだったか聞いた言葉だが、確信をついていると思う。

 そして、それはそれとして非常に気まずい。微妙に続く沈黙が、何とも言い難い雰囲気を形成しだしている。

 

「おい、なんか喋れよ」

「いや、そう言われても……あ」

 

 いや、時間を潰すための話題なら少しあった。

 

「その……の前に、死ぬ前に花くらいって言ってましたけど、死ぬ前ってどう言う事ですか?」

「ん、ああそれな。純粋に、俺の寿命がもうあんまし残ってねぇって事だよ」

 

 聞いた俺も悪いのだが、そんな特大のタブーを事もなげにフロックスさんは言い放った。そして、目の前にどっかりと腰を下ろして話し始める。

 

「オレたちの種族は、知っての通り女しかいねぇ。だから子孫を残すために、必然的に好いた多種族の雄を食うしかない。な訳で、稀にいる先祖返り以外、純粋な古樹精霊(ドゥ・ダイーム)はいねぇんだ。ここまでは分かるな?」

「ええ、一応は」

「それが理由だ。オレの祖先は強いやつで人型ならなんでも良いって精神だったらしくな、獣人やらなんやらの血が色々と混ざってんだ。無論そんな事してけば、血は薄まっていく。同時に、戦闘能力はズバ抜けてる代わりに、寿命が本来より短くなったって訳だ。オレの場合、後5年ねぇな」

「マジですか……」

 

 5年もではなく、5年しかないと言う事に種族の差を感じた。対して強くないと言うより、はっきり言うと雑魚な俺を美味しくいただいたのはそう言う事だったのかと納得する。妙に変な感じがするのは、やはり種族の差という事だろう。

 

「ああ、エウリはその珍しい先祖返りな。寿命は大体150行くか行かないかだな。お前も半吸血鬼(ダンピール)になって寿命は伸びてんだろうから、くっついたらお似合いだぜ」

「なんなかんや初めてを持ってった人がそれ言いますか……」

 

 俺が項垂れて言うと、傑作だと言わんばかりに大笑いされた。そしてその笑いが治った頃、2人して腹の虫が大きな音を立てて主張して来た。

 

「丁度良い時間だし、飯食ってけ飯。多分エウリもなんか食ってから呼びに来んだろ」

「それじゃあ、ご相伴に与ります」

「おう」

 

 そんなこんなで午前中は終わり、エウリさんが呼びに来たのは大体1時頃だった。

 




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