「フッ!」
下段から振り抜いた槍が、朝霧を断ち切った。
豚に真珠、という諺がある。
あ、いや、失敗した。自分を豚には例えたくない。まあ、兎に祭文でも猫に小判でも馬の耳に念仏でもいい。言ってしまえばカッコつけただけなのだから。
俺が言いたい事と言うのは、詰まる所武器が分不相応だと言う事だ。武器の格とも言うべき物に、明らかに俺は見合っていない。
「ッ!」
重くなった槍に振り回され、バランスを崩して槍が地面に突き刺さる。
半分人間。立場は勇者。身体つきは貧弱。隻腕隻眼。明らかに戦う者としては不十分で、信用も最底辺の筈だ。なのに、ここの人達は誰もが俺に優しくしてくれる。手助けしてくれる。手を尽くしてくれる。
「シッ!」
無理にそれを引き抜かず、強化した腕で身体を支え、フロックスさんに向けて全力の蹴りを入れた。重さでは俺が上回っている故に、フロックスさんは勢いよく吹き飛んだ。
ここの人達はなんて優しいのだろうか。そう思ってる奴はただの馬鹿か、底なしの間抜けだ。事実俺も昨日まではそうだった。稽古をつけてもらい何度か死にかけたお陰で、多少は気が引き締まった。
そうして認識した。現状は明らかにおかしい。それこそ狂ってると言えるほどに。
「やるじゃねぇか!」
「どうも!」
パラパラと、崩れた壁の破片を振り払いながらフロックスさんが立ち上がった。その手にあるの驟雨と寸分違わぬ木槍で、使っているのは右腕だけだ。要するに昨日から続けるこの稽古は、立ち回りの稽古であり、槍の扱いの稽古であり、場数を踏ませるものであり、見とり稽古でもある。
こちらとしては死ぬ程有り難いのだが、だからこそおかしいのだ。気持ちが悪いと言い換えてもいい。何故、そんな不審人物を助ける。何故、俺みたいな奴を支援する。何故、俺の世話をエウリさんに任せている。何故、不審人物に1番弱い子供を預けていられる。
自己否定ーー不信感を否定しました
逆にその事が、
「準備はいいか?」
「うす」
返事をして槍を引き抜き、フロックスさんと相対する。
分不相応と感じる。見合っていないと感じる。不信感を感じる。疑問点を感じる。ないない尽くしの中、俺が出来ることはただ1つ。
それはそう、備えることだ。
何が起きてもいいよう、どんな問題に巻き込まれてもいいよう、どんな理不尽に襲われても、自らの命が果てる事がないように。そして──せめて惚れた女の子1人くらいは守りきれるよう鍛えること。鍛え続けること。鍛錬を積み重ねること。
そうすればいつか、いつかは届く筈だ。
「行くぜ!」
決意を新たに気を引き締めたのと同時、目の前にフロックスさんが出現した。否、そうとしか思えない速度で接近された。その今までとは格の違う速度に、俺は焦って槍を突き出した。突き出しまった。
「
当然、そんな力のない一撃は弾かれる。そればかりか、いかなる術理か俺の手から槍は離れ、くるくると宙を回りどこかへ飛んで行ってしまった。
手元に武器はなく、腕は伸びきり、体勢は崩れている。武の達人でもない俺には、ここから巻き返すことなんて出来る筈もなく……
「かふっ」
逆袈裟に振られた木槍を、無防備に受けてしまった。刃こそないが衝撃はそのまま届き、ベキという異音が身体から響いた。そんな事をゆっくり実感している間も無く、魔族特有の人外の膂力で俺は吹き飛ばされた。
2m程吹き飛ばされ、受け身も取れず全身を強打した。元から強化の魔術を使っていなければ結構な怪我となった筈だ。肋骨が折れてるというのは、一応重症かもしれないが。
「痛……癒しよ来たれ」
大の字で転がったまま、再生の魔術を行使する。下手に動いて怪我をするのは嫌なのでそのまま目を閉じて回復を待っていると、頭を軽く蹴られた。開けろという事なのだろう。諦めて目を開けると、バツの悪そうな顔をしたフロックスさんが俺を覗き込んでいた。
「あーその、なんだ。すまん、やり過ぎたか?」
「いえ、考え事してた俺が悪いので。それに肋骨が折れただけなので、少しすれば治ります」
「おう、そうか」
それだけ言って、フロックスさんは近くに座り込んだ。
濃い緑の香り。花の香り。汗の臭い。そして僅かな、甘い匂い。それらが混じり合い漂う早朝の工房は、現在静寂が包み込んでいた。ほんの少し残っていた朝霧が晴れていく中、フロックスさんがポツリと口を開いた。
「
「そんなものがある方が、よっぽど珍しいんじゃないですかね?」
「それもそうだな。けどまあ、最初で最後の弟子にはなんかしてやりてえんだよ」
「俺は今のままでも、十分過ぎるものを、受け取ってますよ」
どうにか笑みを浮かべて、俺は答える。奥義とかそういうものが無くても、もう十二分に様々なものを受け取っている。
「そうか。まあ奥義なんてもの、どんなにスジがいい奴でも、2日3日で教えられるもんでもねぇがな! 後お前、そもそも平凡だし」
「才能がからっきしじゃないだけ、有り難いですねっと」
まだズキズキと痛むが、骨は一応繋がった。それならもう、動く事はできる。脇腹を押さえて立ち上がり、少し歩いて地面に転がっていた驟雨を回収した。
「もう一本、お願いします」
「いいぜ、気がすむまでやってやらぁ」
そうして構え、ぶつかり合う直前のことだった。
「
工房の端から、そんな大声が轟いた。
「「げっ」」
似たり寄ったりな声を漏らして声のした方向を向くと、そこには如何にも怒ってますという様子のエウリさんが立っていた。腰に手を当て頬を膨らまし、プンプンと擬音がつきそうな状態で近づいてくる。
そんな様子を見て、フロックスさんは小さな声で俺に問いかけてきた。
(なあおい。まさかお前、勝手に抜け出してきたのかよ?)
(そんなまさか。ちゃんと置き手紙を書いてきましたって)
ベットの近くの、始め装備類が置かれていたテーブルに置いてきた筈だ。ちょっとお邪魔して運動してくるという旨の事を書いて。
「
「いやでも、昨日の通り動くのは全く問題な……っ」
問題ないと言おうとしたその時、フロックスさんに脇腹をつつかれ痛みが走った。そしてそれは必然的に、大丈夫ではないというサインになってしまう。
「
「こ、これはさっき肋骨が折れてたからですって! 立ち合いに熱が入って、フロックスさんの槍で!」
「ばっ、お前!」
煩い、死なば諸共だ。こちらの足掻きを邪魔したのだから、一緒に説教されに行こうじゃないか第2の師匠。多分喧嘩屋両成敗ってやつだ。
「
「はい……」
惚れた弱みというやつだろうか。そもそも正論ということもあって、俺はそう頷くしかなかった。流石に今から稽古という事は出来ないので、驟雨は仕舞っておく。
「
「い、いやぁ、そのな? こいつがあんまりにもいい感じでな? ついつい熱が入っていい感じに……」
フロックスさんは、珍しくオドオドとしている。武芸者はやっぱりこういう方向性に弱いのだろう。助けて欲しそうな目を向けられても、俺には何も出来ない。
「
キッと睨んでフロックスさんを一瞥した後、俺の手首を掴んでエウリさんは引っ張った。別に抵抗する気は無いのだが、1つだけ言いたいことがある。
「行くのはいいんですけど……水浴び、させてくれませんか?」
ほんの少し前までずっと動き回っていた所為で、結構汗だくなのだ。こんな汗臭い状態のままというのは、自分も嫌だし相手にも失礼だろう。
「
「なあエウリ」
多少機嫌の良くなったエウリさんに対し、ニヤニヤとした笑みを浮かべたフロックスさんがそう話しかけた。振り返り首を傾げた姿を見て、いっそう楽しそうな笑みを浮かべて言う。
「案内するって言ってっけど、一緒に水浴びする気か? いやー、まさかエウリがそんなにお熱だとはなー、知らなかったなー」
「
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー動揺を否定しました
とんでもない棒読みで、明らかにこちらをおちょくったり揶揄ったりする為の言葉だと分かる。チートに頼ってるからあまり強くは言えないが、素人でも分かるレベルだろう。
だが、エウリさんの煽り耐性はとても低かったらしい。ぷるぷると震えながら段々赤くなっていき、耳まで真っ赤になってしまった。
「
そうしてエウリさんは、両手で顔を隠して走って行ってしまった。今ばかりは、お腹を抱えて笑ってるフロックスさんが恨めしい。
「ひー、笑った笑った。いつの時代も、ああいう弄りは楽しいねぇ! 水浴びすんなら、ここの裏手に川が流れてっから勝手にしてけよー」
「笑い事じゃないですよ全く……」
「そうだな、絶賛片思い中だもんなお前」
「げふっ、ごほっ、ごほっ」
自己否定ーー動揺を否定しました
いつの間にか、心の内が完璧にバレていた。剣を……いや、槍を打ち合えば分かるとかそういう類の超感覚に違いない。
「なんで分かったんですか?」
「見てりゃ分かる。何年生きてると思ってんだ?」
「そう言えばそうでしたね」
100年を超えて歳を重ねてる人に、たかだか17年生きてるだけの若者が隠し通せる訳がなった。確かに、微妙に姿を目で追ったりとかあったしなぁ……
「いやぁ、他人の恋愛を揶揄うってのはほんといい肴だよ。今夜は美味い酒が飲めそうだ」
「もうヤダこの人」
大きく溜め息を吐きつつ、教えてもらった川へと足を向ける。エウリさんは落ち着いて戻ってくるまでに時間はあるだろうし、今の内に洗濯も済ましてしまおう。
「ああそうだ。お前防具はどうしてるんだ?」
そんな俺に、笑いのない真剣な声音で声がかけられた。ならばこちらも真面目に答えねばなるまい。
「防具ですか? 金属製の胸当てと、右手だけ手甲をしてます。他は身に纏ってたことはないですね」
「そうか。じゃあちょっとこっち来て預けてけ」
「了解です」
一先ず予定を中断し、戻ってフロックスさんの前に防具2つを排出した。特に何も言われなかったので踵を返し1歩目を踏み出した瞬間、ガシっと足を掴まれた。そして転んだ俺の足を、さわさわと撫で回してくる。
「うひゃあ!?」
「女みたいな声出すなよな……」
そんな呆れた声と共に、いやらしい手つきで脚を撫で回していた手は離れていった。異様に満足そうな気配を感じる。
「なんだったんですか今の!?」
「気にすんな。とっとと水浴びして来い。汗臭いぞ?」
「あぁもう……分かりましたよ!」
多分、何か意味はあったんだろう。けれど今は、そんなのは後回しで良かった。気分転換も含めて、さっさと水浴びしてきてしまおう。