訳のわからない感情を落ち着ける為に、泣きながらタバコを吹かす事数分。何も落ち着かないまま、扉を破ろうとするドンドンという音が聞こえてきた。
「力よ来たれ」
左腕が握り潰されるイメージで魔術のスイッチを入れ、腕と槍を強化。身体を回転させて、全力の横薙ぎを放つ。手に残る生き物を断ち切った感触に、再びあのよく分からない感覚が湧き上がった。
「本当に、何なんだよ!!」
胸を締め付ける感情が何なのか分からない。分からないのに、耐え難い程締め付けられる。どうしようもないそんな苦痛を紛らわす為に、強化をかけたままのヤクザキックで両断した扉を破壊して廊下に出る。
そこで俺を待ち受けていたのは、もう2度と光を映すことのない1対の瞳。俺に、話をしてくれと言ってくれた男の子の死体だった。その肌に血の気はなく、化け物と化していたのは明白である。
「あぁぁぁぁっ!!」
復活される事がないようにその頭を槍で突き刺し、悲鳴をあげる心を誤魔化す様に絶叫する。
「力よ来たれっ」
刃についた血を振り払い、心を振り切る為に全身に限界を超えた強化を掛ける。そしてそのまま、ショルダータックルで壁をぶち抜いて飛び降りた。
ズンッという重い音を伴い着地し、わらわらと寄ってくる骨の化け物と村人の慣れの果てを見て心のまま絶叫する。
「巫山、戯けるなぁぁぁぁっ!!」
全身からブチブチと千切れる音を鳴らしながら、石突付近を握り全霊で薙ぎ払う。漫画の様に衝撃波などは発生しないが、それでも身体が壊れることを厭わない力は人外の膂力だ。
故に、予定外の化け物を巻き込みつつも宿屋の柱の1つを切断する事に成功した。そして、斬撃よりは最早打撃となる一撃だったお陰で、目論見通り宿屋を倒壊させる事に成功した。
「はぁ、がぁ……癒しよ来たれ、始まりの光
──ヒール」
成功率はそこまで高くないが、今回は成功した。
全身を温かい光が包み、全身を苛む痛みが引いていく。そして槍を引き戻し、中段辺りを握り直した時には既に俺は敵に囲まれていた。
「光よ来たれ、眩い煌めき
──フラッシュ」
先手必勝、奇襲上等。カメラのフラッシュの何倍もの閃光が俺の頭上で焚かれ、生物の目を眩ませた。これを教えてくれた姫様には感謝しかない。
「らぁッ!」
薙ぎ払いではなく、槍を下から跳ね上げて骨の化け物をバラバラに砕く。そして手首を返して穂先を村人の成れの果てに振り下ろす。持ち替える事は出来ないので、遠心力に任せて身体を回転。勢いを殺しながらも、どうにかもう1体の首を飛ばす。
「まだ!」
強化された足で踏み込み、近くに寄ってきていた左肩から元村人に突っ込み吹き飛ばす。肩の痛みを堪えて息を整え、もがく元村人の首を冷静に槍を振るって斬り飛ばした。
再び揺さぶられた心の何かに対応する間も無く、立ち尽くす俺に上空から大きな蝙蝠が襲いかかってきた。翼を広げた大きさは目測で30cm、そんな相手に槍を当てられる程俺に技術はない。せめてオオコウモリくらいなら希望はあったけれど。
「キィキィ煩いんだよ!!」
苛立ちをぶつける様に槍を振るけれど、軽くヒラリと回避されてしまった。そして追加で飛んできた数匹と合わせて、蝙蝠達は俺の周りを旋回し始めた。
「風よ来たれ」
それを見て、俺は変声の魔術を発動させる。そして人の可聴域を超えた高さに設定した声で、吠える様に叫ぶ。
「────!」
自分の耳には何か耳鳴りの様なものが聞こえた気がした程度だったが、案の定蝙蝠にはかなり効いた様だった。倒れた宿屋の壁に衝突して落下したのが2匹、墜落したのが1匹、動きを止めてホバリングするものが1匹。
「《収納》《排出》」
未熟な俺では、無茶な変声を維持する事は出来なかったらしい。声は元に戻っていた。
そんな気持ちを振り切って墜落した1匹を踏み潰しつつ、突き出した槍を起点に収納しホバリングしていた蝙蝠の半身を削ぐ。そのまま収納の肥やしにするつもりはさらさらないので、即座に地面に向かって排出して捨てた。
「ははっ」
残った壁側の2匹を刺し殺し、一旦の静寂を得た俺から出たのは乾いた笑いだけだった。死者と化け物が闊歩し──ああ、言葉にしようと思っても、何故か何も出てこない。なのに、なのに……
自己否定ーー悲しみを否定しました
そんなものは不要だと否定され、戦え戦えとチートが急かしてくる。……一介の高校生に、何が出来るって言うんだよ。
自己否定ーー諦めを否定しました
膝を折る事も、どうやら許されないらしい。無茶な話だ、馬鹿馬鹿しい話だ。確かに体は動くし、敵もまだ残っている。だけど、どうしろって言うんだよ。
自己否定ーー無関心を否定しました
「ああ、そうかよ」
倒壊した宿屋の壁にからはみ出していた、誰かの足が見えているベッド。俺はそこに、取り出したライターで火をつけた。
「この気持ちは分からないけど、どうか、安らかに」
パチパチという小さな燃焼音から、本格的に燃え盛るゴウゴウという音に音が変わっていく。少し前まで俺が寝ていた宿屋は、瞬く間に火に巻かれて炎上した。抱え込んだ、数多の死体と共に。
「ああ、そう言えば鎧なんてあったんだっけ」
沈静化され、無駄に冷静になってしまった頭でそれを眺めていると、ふとそんな事を思い出した。今の今まで、師匠が持たせてくれた鎧の存在をすっかり忘れていた。
「着ておいた方が、いいか。《排出》」
槍を地面に突き刺し、胸に手を当て略式で鎧を装着する。師匠から貰ったのは『心臓だけは守っとけ』と渡された胸当てのみ。曰く『身体が出来てない奴に、全身鎧なんざ棺桶にしかならない』との事だった。
倒れた宿屋から地面に溜まった枯れ草へ、枯れ草を伝って近隣の住宅へ、それが更に連鎖して連鎖して火が回っていく。元村人も、歩き回る骸骨も、逃げ遅れた蝙蝠も、分け隔てなく炎が燃やしていく。
「こういう時、弔いの唄でも口ずさめたらなぁ……恰好がつくんだけど」
先程の戦闘で何処かに行ってしまったタバコの代わりに、新しい1本を取り出して加える。また、守れなかった。そんな考えが、頭の中にジワジワと染み込んできた。
「《収納》」
これ以上無駄にするのも癪なので、タバコを収納し、背後から迫っていた気配に槍の石突を撃ち出す。どうせ死人か燃え残った骸骨だろう。そう思っていたのに、聞こえたのは痛みに呻く悲鳴だった。
「ゆう、しゃ……様。な、ん……で?」
不自然さに振り返った俺が見たのは、今しがた自分の放った槍の石突が少女の胸を陥没させている光景だった。そして、少女はそのまま血を吐いて倒れ、その動きを完全に止めてしまった。倒れ伏した少女は、あらぬ方向に光を失った眼を向け、ビクンビクンと生きていた名残を示す様に体を痙攣させている。
炎に巻かれたようで酷いやけどを負っていたが、血の通った、明らかに生きている人間だった。けれど、今俺の放った一撃によって、確実にその命は奪われてしまったのは明らかだった。無実の、助けを求めて手を伸ばしてきた子を、俺が、この手で、殺してしまった。しかも、あってはならない間違いで。
「あ、あぁ……」
握り締めていた槍が、カランと音を立てて地面に落ちる。踏ん張っていた足が崩れ落ちた。
「あぁ、あぁぁ!」
崩れ落ちた俺の頭に、チートが次々と気持ちを否定したという文字を出現させていく。けれどチートによる精神の安定化を遥かに上回る勢いで、心を何かの感情が埋め尽くしていく。
歯が噛み合わない、膝が震える。胸は締め付けられる様に苦しくて、息をする事すら辛い。
informationーー自己否定の練度が上昇しました
自己否定ーー後悔を否定しました
「……は?」
そんな荒れ狂う感情が、一瞬にして吹き飛ばされた。いや、少し集中すれば、未だに感情の嵐が自分の中を駆け巡っているのは自覚出来る。なのに、
「なんなんだよこれ……本当に、なんだなんだよッ!!」
分からない分からない分からない分からない、そんな自分がどうしようもなく気持ち悪い。立ち上がれてしまった身体が、こんな事を考えられている頭が、八つ当たりを出来る腕が、気色悪いったらありゃしない。
「カカッ」
そんな時、この場には余りにも場違いな声が聞こえた。楽しんでいる様な、嘲笑しているような、そんな女性の笑い声。
その声が聞こえた方向は上。遅れ馳せながら察したその悍ましい雰囲気に、
「配下の村が滅ぼされたと聞いて来てみれば、何ぞ面白い魂の輩が居るではないか」
空中に浮かぶ金髪の女性から放たれる圧に、冷や汗がたらりと流れる。金髪にワインレッドの瞳、微笑む口から覗く尖った八重歯に、背中から生えた蝙蝠の翼。おっさんの話通りボンッキュッボンな身体に纏うのは、鮮烈な赤のドレス。炎に照らされ、引き立てられた妖しさは敵だと分かっているのにこちらを魅了してやまない。
「ファビオラ、フォミナ……ッ!」
「ほう、儂の名前を心得ているとはな。博識ではないか、今代の勇者よ」
羽根を消し、態々こちらと同じ地上という土俵に立って吸血鬼は言った。完全に、所謂舐めプであるというのに身体が震えて仕方がない。けれど、言い返さないで死ぬなんて情けない事はしたくない。
「残念ですが、俺は勇者じゃないですよ。この腕の所為で、1私兵です」
「あの国で、汝の様な隻腕を囲う輩が居るとはな! 余程の物好きらしい!」
震える手で槍を握りつつ、精一杯の気持ちで言い返した俺の言葉は、思いの外うけた様だった。くつくつと笑うファビオラは、未だに俺を殺す様な気は無い様だ。
「ところで。折角儂が会話に興じてやってるというのに、なんじゃその槍は。不敬であるぞ」
放たれるプレッシャーが、一瞬にして増大した。冷静さを失う事は無いが、今すぐにでも崩れ落ちそうな程身体が震えている。
「俺の様な矮小な人間は、武器でも持ってないと、貴女と話す事すらままなりませんよ」
「カカッ、中々に度胸があるではないか。許す、その貧相な槍は持ち続けるが良い」
「ははは、感謝します」
プレッシャーが一気に弱まり、ギャップで崩れ落ちそうになる身体を槍でどうにか支える。こんなのを殺せって、どんな冗談だよ。
「汝、名はなんと言う?」
「はい?」
「名はなんと言うのかと聞いておる!」
息がつまる圧が放たれ、今度こそ耐えきれず膝をついてしまった。けれどすぐにそれは弱まり、こちらに発言を促しているのが分かった。
「姓は欠月、名は諸葉と申します」
自然と敬語になってしまったが、満更でもない様子だ。興味深くこちらを見つめ、いつのまにか持っていた黒い豪奢な扇をこちらに向けてファビオラは言った。
「では、暫し戯れに興じよ、モロハよ。儂を満足させられれば、逃してやらんこともないぞ?」
どうやら、この地獄は終わらないらしい。