才蔵が霊の1人に頬を殴られ、手を縛られたまま地面に倒れ込む。彼も一霊使者のため、霊使者の基本技である《霊術》は使えた。今は体全体に《強化》系の霊術をかけているため、かなり体は屈強になっているがそれでも今のまま続けば体が危ない。
「ガハハハハ!!良いぞ、もっとやれ!…ジジイをなぶり殺しにするのを見るのは大して面白くないと思っていたが、これは新発見だな!」
一際巨大な体を持つ霊の言葉に周りの霊たちも同時に笑う。才蔵はよろめきながら、口から血を流しながら立ち上がった。彼の目は、まだ死んでいない。
「どうした…?そんな拳ではまだまだ我が孫娘を殺すことは出来んぞ…?このひよっこ共目が…!」
「んだと…!」
才蔵の声に鉄砲隊の1人が近づいてさらに殴りつける。才蔵はさらに口から血を流しながらも挑発的な笑みを浮かべた。
「お爺様…もうやめて!これ以上やったら…死んでしまうわ!」
翠の叫びに才蔵は微笑みかけながら答えた。
「昔…一緒にいながら、修也とお前の両親を守れなかったんだ…。せめて、愛する孫娘の前では…格好つけさせてくれ…」
才蔵その言葉と同時に霊たちの攻撃はさらに強くなっていった。殴りだけでなく蹴りまで入って来ている。翠は何も出来ない自分を悔いた。その悔しさが、両目からの2つの雫となってこぼれた。
「…兄さん…助けて、兄さん…」
翠の嘆きは、洞窟の壁で反響しながら…暗闇へと、消えていった…。
「うっ…」
俺の鼻にあまり芳しくない臭いが入り込む。これは…
「…何かが…焼ける臭い…?」
俺はゆっくりと目を開けて地に手をついて上体を上げる。そこで俺の目が目にしたものは…鬼に襲われる、人々の姿だった。
俺も本で見たことしかないがその姿はまさに、鬼だった。恐らく全国にある村町を襲ってまわっているのだろう。そんな伝説を、家にある書物で見たことがある。そしてその光景は、俺の想像をはるかに超えていた。
「…地獄かよ。」
焼ける家屋を見ながら顔を顰めて、俺はそうつぶやく。
逃げる人々、それを追う鬼。焼ける家屋木々、飛び散った血。まるで現実とは思えないような異様さだった。
…しかし、ある時人々の悲鳴に鬼の悲鳴まで加わった。
「?…なんだ?」
俺は辺りを見回す。少し視線を張り巡らせたあと…俺は見つけた。とてつもない速度で、鬼たちを切り裂いている男を。その男の剣は少し紅色に染まり、燃え盛る炎の光を反射してさらに濃い赤へと変貌している。
「ギヒャアッ!?」
「や、やめっ…!?」
鬼たちの悲鳴などを聞く耳を持っていないかのように右手の剣で首を斬り、心臓を突き刺している。
そのような一方的な戦闘はおよそ5分ほど続き…最後に残ったのは、大量の鬼の亡骸と、焼け焦げた村の家屋のみだった。
村人を救った男のそばに、一人の少女が近づく。どうやらかなりの人数が避難していたようで、俺が予想していたよりも、死者の数は少なかった。
「あ、あの…ありがとうございました!助けてくださって…」
男は横目で少しだけ少女を一瞥すると、すぐに元の視線に戻してしまう。そして、素っ気なく一言。
「…別に。」
男は刀を腰にしまうと、歩き始める。
「あ、あの…お名前をお教え頂けませんか!?」
少女がまた声をあげると男は足を止めて、また素っ気なく一言。
「…名乗るほどの名前なんてねえさ。」
「な、なら…その刀の名前を教えてくださいませんか!?」
「刀…?」
男は不思議そうに首を傾げて、少しだけ悩む素振りを見せるが…今度は静かに答えた。
「…《鬼殺し・月詠》だ。」
男はそう答えるとまた歩き出した。少女はいつまでも、その男の背中を見つめていた。
そして、俺の意識はまた、別のどこかに引きずり込まれた。
「…い、おい…」
誰かの、声が聞こえる。聞いたことのない声だった。それも…幼女特有の、可愛らしい声。
「…おい!」
「痛てっ!」
少し苛立ちを含んだ声とともに俺の額に衝撃が走った。
俺は先程よりは速いものの、ゆっくりと目を開ける。
「…?」
俺は状態を起こして、頭を抑えながら首を少しだけ振り、視線を上げる。そこには…ただ白い空間が広がっていた。先程のように、焼け焦げた家屋や積み上げられた死体は存在しなかった。
「ようやく起きたか…」
「…?」
俺は声のした方向に振り向く。そこには、一人の少女が立っていた。体はおよそ…10歳ぐらいのもので、その体を黒を基調とした花の描かれた浴衣で包んでいる。小さい顔についた目は黒色、長く流れた髪も黒。小さな口から少しだけ犬歯が出ており、笑みを浮かべている。
「…子供?」
俺はそう呟きながら立ち上がる。すると少女は満面の笑みを浮かべた。
「ふむ…子供扱いされるのは久しぶりじゃな…。まあ、まずここに来るものが最近おらんかったからそれも当然か…」
少女はそう言うとわざとらしく手を広げた。
「ま、とりあえずようこそ。力を求める者よ。貴様の真価、儂がつけてくれよう。」
「待て待て待て待て。」
俺は勝手に話を進めようとする少女を手で止めた。少女は不思議そうに首を傾げる。
「なんじゃ?」
「勝手に話を進めようとするな。まず説明をしてくれ。ここはどこで、あんたは誰なのか。」
「ああ、まずはそこからか。」
少女はそうかそうかというふうに頷くと自分の胸に手を当てて自己紹介を始めた。
「我が名は琥珀。…かつての吸血鬼の王にして、月詠に住み憑く反英雄じゃ。」
吸血鬼。
通称ヴァンパイア。血を吸う悪魔、コウモリを操ることが出来る、噛まれれば眷属と成り果てる、日光・ニンニク・十字架・トマト(ジュース)が苦手等々…。様々な説がある悪魔の一種。
その昔、イングランドの伝説的英雄《ヴラド・ツェペシ》(通称・ヴラド三世)もその名で呼ばれた。
主にヨーロッパ各地で出没すると言われ、永きにわたって恐れられている代表的な悪魔だ。
「吸血鬼…?お前が?」
俺は少女の体をジロジロと見回す。ついでに頭の上に手を置いて撫でてみる。気持ちよさそうに目を細めながら微笑む様は、幼女というか猫に近かった。俺は手を離すと少しだけ怪しんでいるかのような顔をした。
「何か不思議なことでもあるのか?」
「…今考えられるだけで三つはあるな。」
俺の答えに琥珀はこくこくと頷く。
「ほう、そうかそうか。それは困ったことじゃな。だが今のお前には時間がないのだろう?急がなくて良いのか?」
琥珀の言葉で俺は今の危機的状況を思い出す。
「翠…爺さん…!」
俺は琥珀の小さな肩を掴んだ。
「琥珀…さん…」
「呼び捨てでいいぞ。わざわざさん付けする意味もないじゃろう?」
「そ、そうか…。なら琥珀、俺に力を貸してくれないか?お前の力が必要なんだ。」
「それは知っておる。悪いが、少しだけお前の記憶を見させてもらった。貴様の妹と祖父が連れていかれたのだろう?」
「…話が早くて助かる。その通りだ。頼む、代償は必ず払う。だからほんの少しの間だけでもいいからお前の力を使わせてくれ。」
「ふむ…」
俺の言葉に、琥珀は長考するように顎を手に当てた。この時間がもどかしい…
直後、琥珀は両手を軽く広げて言った。
「まあ、貴様に力を貸すというのは考えてやらんでもない。わしも久しぶりに外に出て暴れたいしの…」
「じゃあ…!」
手伝ってくれるのか?と言う前に、琥珀の手が俺の言葉を止めた。
「まだ考えてやらんでもないと言っただけじゃ。そう焦るな。…貴様には1つ、受けてもらうことがある。」
「受ける?」
試練かなにかだろうか。
いや、でも…ここマジで殺風景…。
そんなことを考えていると…琥珀は霊力で作りあげた《入り口》に手を突っ込んでいた。
あれは無属性空間型霊術《空間支配》の中でも上位の霊術《異界製造》。霊力によってこの世とあの世の狭間に自分だけの空間を作り、そこをいつでも使える道具倉庫のように扱えるわけだ。別に俺も使えるが、作ってものを入れている間は霊術が微量ではあるが減少していくのであまり広いものは作っていない。
…と、そうこう考えているうちに琥珀はお目当てのものを取り出したようだ。
小さい手に握られているのは、2本の木の棒。形から木刀であることが見て取れる。
その片方を、琥珀は俺の方に投げてよこす。俺はそれを、危なげなく受け取った。
「さて、それでは試験を始めようか。貴様にはこれからワシと手合わせをして貰う。やる回数に制限はない。わしがお前の心を折って、リタイアさせれば勝ち。1本でも貴様が取れれば貴様の勝ちとしよう。」
「手合わせ…?」
確かに、無償で力を借りれないとは思っていたが…そんな余裕は…
「時間のことなら安心せい。ここは貴様の心象空間。時間の経過は現実の数百倍の速さじゃ。…案じずかかってくるがいい。」
「………」
どうやら、嘘は言っていない。ただの勘だが、この妖は嘘はつかない。そう、信じられる。
『根拠はないけどな…』
俺は刀を軽く振る。
…真剣よりは頼りないが、いつも使っているのと同じような品種のようだ。
「準備は良いか?」
「ああ…始めよう。」
俺は刀を後ろに引いて、腰を落とす。俺のスタンダードな戦闘態勢。
琥珀は着物の襟の中から1枚のコインを取り出した。
「このコインが落ちた瞬間、手合わせスタートじゃ。くれぐれもフライングせんようにな。」
からかうような声に、しかし俺は返さない。
相手の初手に、全神経を集中させる。
これは、俺の命だけではない。爺さんに翠の命もかかっているのだ。
「それでは、いくぞー。」
ピンッ
軽い声とともにコインは高く打ち上げられる。回りながら上がったコインは、まっすぐに落下を始めた。
なおも飄々とした態度を崩さない琥珀。俺はそれでも警戒を緩めない。コインの落下が、妙に遅く感じた。
俺は霊力を流し込み、炎を木刀に纏わせる。
体にも流し込んで、肉体強化を施した。
『…おそらくあいつは最初動かないだろう。突っ込んでくる確率は低い。なら、初手から手を抜かずに…』
そう考えた、直後。コインが地面に落ち、リバウンドする。そして、俺は全力の跳躍を…
…ピュンッ
「………!?」
迫る光を、俺は首を捻って咄嗟に躱した。凄まじい熱量に、俺の頬が切れ鮮血が散る。
どこかに当たり、巻き起こる爆風を背に俺は満面の笑みを浮かべる琥珀を見た。
「別に霊術の使用を制限した訳では無い。貴様の好きなように、あらゆる手を使って向かってこい。」
その笑みに、俺の体が拒絶反応を起こす。背筋に悪寒が走る。そして、最大限の危険信号の発信。《あれには関わってはいけない》と、体が告げる。足がすくむ。
…だが、
「………!」
逃げる訳には行かない。2人を守るためには、戦うのは大前提。目標は、その先の勝たなければならないこと。
俺はしっかりと刀を握り直した。
そして…
「…契約の準備、しっかりしとけよ!」
「…ふっ…抜かせ小童!」
宣戦布告と共に、俺と琥珀の斬り合いが始まったのだ…
……
「…不安か?」
「え…」
俯く翠に、才蔵は声をかける。彼なりの、孫娘を勇気づけるための行動だった。
「…うん、ちょっとね。」
それに、翠は弱い声で答える。
殺されるかもしれないという恐怖と共に疲労も襲いかかり、彼女を追い詰めているのだ。
才蔵は精神的なダメージは少ないにしても、殴られたことによる外傷はそこそこのものだった。…しかし、今の彼には大事なものなど孫達の命だけ。自分の命や家の位などは二の次とした人生をかれは送ってきたのだ。
当然、不安な孫娘を慰めようともするだろう。
「案ずるな。お前の兄は…修也は、必ず来てくれるさ。」
「…けど、兄さんは…」
翠の言わんとしていることを読んで、才蔵は頷く。
「うむ、あいつはあまり力を使いたがらぬ。…また、人を傷つけるかもしれぬと怯えているのだ。…だが、やつが戦えないにしても、おそらく霊使者の部隊に連絡してくれておるじゃろう。わしらはそれを待てばいい。」
「…じゃあ、もう少しの辛抱…なのかな。」
「ああ…それに奴は家族のためなら自分の命など容易くかける奴じゃ。…祖父としては、その生き方は心配で仕方ないが…の。」
「そうね…」
翠は精神負荷が軽くなったのか、どこか懐かしむように微笑む。
「…昔、さ。私と兄さんで裏の森に遊びに行ってたの覚えてる?」
「ああ…お前らがまだ小学生だった頃だな。」
修也と翠は昔、本を読んだりゲームをしたりすることよりも、森で遊ぶことの方が遊びとして気に入っていた。それこそ夜遅くまで遊び尽くして、両親に怒られることはしょっちゅうだった。
「春か夏、だったかな。いつもみたいに森に遊びに行ったの。私もまだ4歳で、兄さんは6歳。…そんな時、野生の猪に出くわしちゃってね。」
翠の言葉に才蔵は少し驚き、チラッと彼女の目を見る。その目は、懐かしむように細められていた。
「…勿論霊術なんてからっきしだったから体格の違いで私どころか兄さんも勝てるはずない。それでも、あの人は立ち向かった。…けど、当然のように吹き飛ばされてね。唯一まともに使えた、強化霊術を使ってたおかげで怪我はしなかったけど…」
「はははは…それは…相変わらずじゃなあ。あいつも。」
そう言って、才蔵は笑う。
「…それでね…」
翠は、先程と同じ音量でそう続けた…
「はぁ…はぁ…ッ…ハァ…」
赤い血が白い地面に落ちる。目がチカチカする。体が重い。
そんな身体的状況ながらも、俺は目の前の相手を見据える。
尚も飄々と構えるあいつは、傷一つなし。
今までに通算…えーっと…100…?
「最初の威勢はどうした、小童。
…だそうだ。
とにかく、俺はこの膨大な数打ち込んでも、未だに一太刀も入れられていなかった。
「うるさい!ここからが本番だ…!」
「…そのセリフ、何度目かの…」
出来るのは、せいぜい負け惜しみだけ。
しかし、諦める気などサラサラない。大丈夫だ、まだ奴の動きは目で追えている。今度こそは一太刀を…
「潮時かの…」
思考する俺の耳に、そんな言葉が入ってくる。そして、目の前の琥珀は…
一瞬で、姿を消した。
「…は?」
ドゴッ!
呆気に取られるのも束の間。俺の背中にとてつもない衝撃が走る。俺はそのまま吹き飛ばされ、風の霊術で勢いを殺すも、背中の痛みが尋常ではなかった。
曲がりなりにも、強化霊術で強化している体なのに、だ。
「カハッ…ハッ…!」
血が口にたまり、吐き出す。そして、再びの悪寒が、俺の体を襲う。
あいつ…
「見えなかった…」
本気じゃ…なかったのかよ…
今までやって来て157戦。中盤で目で追えるようになって、終盤になり、ようやく剣を打ち込めだしたのに…
「…そろそろ飽きてきたな。勝てる見込みもなし、これで終わらせよう。」
その言葉に、俺の何かが沸騰する。
「ま、待て!俺は、まだ…!」
「喋る前に、防御しろ。…貴様、死ぬぞ?」
構える少女。その隙のない、必殺を予期させる構えに、俺は咄嗟に前でツーハンズブロックの構えを取った。
轟音、衝撃。
木刀が折れないのが不思議なほどの力が腹部分に伝わる。
俺は後ろに振り向き…
「いな…」
直後、殺気を感じて頭の上に刀を掲げた。またもや襲う衝撃。片膝をつきながらもそれに耐える。
俺はようやく捉えられた少女を見る。
その顔に先程までの殺意はない。…ただ少し、顔の笑みが薄くなっている。
「…何故…今になって…こんな…」
肩で息をする俺の問いに琥珀はつまらなさそうに返した。
「何故も何も無い。…貴様、何故本気を出さぬ。」
「……」
無音の圧力に、足がすくむ。
俺は、彼女の怒る理由が分からないまま、喋りかける。
「本気を出してない…?お、俺は本気で…」
「そうか。ならば良い。ここで無惨に…」
琥珀の目が黒く光る。
「死ぬがよい。」
琥珀は手の木刀を振り抜いた。地面を伝って3つの炎の刃が俺に襲いかかる。
俺はそれをジャンプで回避する。
…直後、琥珀の顔が目の前にあった。わずかな時間で目に映りこんだのは、背から生えた黒い翼と引き絞られた拳。
『罠…ッ!』
そう気づいた瞬間に接触する、掲げた木刀と小さな拳。宙で身動きが取れない俺は紙細工如く吹き飛ばされる。
「うっ…くっ…」
風の霊術で勢いを殺そうとするが、あまりのスピードで削減されない。
そうしている間に…上に回り込んだ琥珀の痛烈なかかと落としが俺を叩き落とす。
俺を中心に、丸いクレーターが出来上がった。
「ゴバッ…!」
先程とは比べ物にならない血が吐き出される。血が大量になくなるという不思議な感覚に喘ぐ。
ヒューッというよく分からない呼吸音が聞こえる中、俺は思考する。
『本気…本気…ホンキ…』
彼女の言うその言葉には、一体どこまでの意味があるのか。女の子だからといって、力を緩めてしまっているのだろうか。訛っているであろう霊術をあまり使っていないことだろうか。
ならば…
「…!……ッ!」
俺は体に霊力をさらに流し込み、更なる強化の実行を試みる。しかし…
バチッ!
「あ…!痛ッ…!」
電撃が走るかの如く痛みに、腕を抑えて膝を崩してしまう。かつては出来ていたことが、出来なくなっていた。
「…ぐっ…」
悔しい。
どこまで自分が非力なのかを思い知る。これが、相棒を殺した俺に降った天罰なのだろうか。
情けなさに歯ぎしりをしながら俯いていると、ほんの前から足音が聞こえる。
俺は、顔を上げる。見ると琥珀は俺の目の前まで移動していた。
「ふん、情けないのぉ。こんな実力で力を貸せなどとよく言えたもんじゃ。」
「…ッ…!」
俺は再度顔を伏せた。
最もなことをズバリ言われたのだ。彼女とは、あまり顔を合わせたくなかった。
「…俺は、不合格…なのか?」
俺の問いに、琥珀は「ハッ」と笑う。
「確かに今見せてもらった実力なら、貴様はわしと契約する以前の問題じゃな。貴様がわしと契約を結んだ途端、貴様の体は耐えきれずに爆散する可能性が高いからのぉ。」
「……」
言うまでもなく、正論。彼女の言葉に、俺は言い返すことが出来ない。ここに来て、僅かに芽生えていた希望が、絶望によって押し潰された…。
「…しかし、本来の力を見ずに決めるのは、わしとしてもあまり良くは思わんからの…」
…その言葉に、俺は今になって疑問を覚える。何故、今までの俺の戦闘を見てきていない彼女に、俺が本気かどうか分かると言うのだろう。
その答えを出そうと頭を働かせた…その瞬間。痛みで悲鳴をあげていた体の肩口から、更なる激痛が走る。
「グァッ…!」
獣めいた悲鳴をあげながらも、俺は異物が体内に入ったかのような感覚がある右肩に視線を向けた。
…そこには、血を流し続ける俺の肩と、それに深く刺さる琥珀の手が見えた。
「な、に…を…ッ…!」
痛みに耐える俺の問いに、琥珀は返してくれない。…しかし、返答とは言えない、確かな声で、こう口にした。
「…少し、手伝ってやろう。…死ぬなよ。」
そう言い、彼女は一気に霊力を自身の腕に。それを介して、俺の体へと流し込む。直後…
「グアアアアアアアアッ!!」
俺の体は、全体が電撃に撃たれたかのような痛みに包まれた。
琥珀は元々、吸血鬼の王である。
それこそかつては王としての力も強大で、王ゆえの特殊能力も備わっていた。
そのひとつが、《魅了》の魔眼のみでなくそれを違うものに多用できる、というものだった。
元々、魔眼とは普通一つしか使えない。まあ、持っているもの自体少ないのも確かではあるが、これまで確認できたもので魔眼を何個も使えるのは琥珀だけであった。
対象としては《魅了》よりもランクが同ランク又は下の魔眼となる。
今回、琥珀はその中の《千里眼》を使用した。千里眼は千里まで見通せる(実際はそんなに遠くない)ことともう1つ、使い道があった。
…それは、近くだけ見えるようになる代わりに、相手の霊力の《流れ》が見えるようになるというものだ。
…修也の霊力の流れは、初めからどこかおかしかった。
彼には母親譲りの、膨大な自己保有霊力がある。しかし、その存在は彼女の魔眼でも感知できなかった。彼女の千里眼は霊力の流れならば見落とすことは無い。
それを秘匿することが出来る者もいるが、彼女の前では無意味になる者の方が多いであろう。しかし、まだ齢18の青年を見破れなかった。なら、考えられる要因は1つしかないと彼女は考えたのだ。
『…見つけた』
張り巡らせていた霊力の網に、あるひとつの物が引っかかる。それは、心臓の近く。霊力の元とも言える場所に刻まれた、一種の呪印。これが霊力の排出の妨害と霊管(霊力の巡る道)の減衰化を行っていたのだ。
『…やれやれ、いつの間に刻まれたのやら…』
琥珀は細かい霊術操作によって、《同じ》箇所に違うタイプの呪印を刻み込む。
霊力によって編まれた呪印は同じ箇所に刻まれると、高位の物が優先され、《上書き》されるのだ。
つまり、今まで修也の妨害をしていた呪印は、今ここで全く意味のなさないものとなったのだ。
「ゴッ…ガッ…ハッ…!」
肉体が過度な霊力に耐えられなかったのか、再度の吐血。修也の苦しそうな息とは対象的に、琥珀は少しだけ安堵のため息をついた。
『よかった…成功したようじゃな。』
元々、この呪印の上書きはものによっては人の命を奪いかねない行為なのだ。それが、吐血だけで済んだことに、安堵したのだ。
ともかくこれで、彼は本気の霊術を使えるように…
…そこで、琥珀は異変に気付く。彼の霊力の流れがおかしい。いや、彼の体内は特に変化ない。しっかりと多くの霊力が霊管を通り続けているし、血液なども危なくはあるがしっかりと体温を保っている。
そこではないのだ。彼の体内から、《何か異常な瘴気》が漏れ出ているのである。
「なんじゃ…?」
琥珀はそれを抑えるために青年に手を伸ばした…直後。
バチイッ!
「…!?」
凄まじい衝撃が琥珀を襲う。すんでのところでガードしたため特に痛みはなかったが、琥珀と修也の間は一気に離れてしまった。
…そのタイミングを見計らったかのように、修也から漏れ出ていた瘴気が彼をドームのような形で包む。
琥珀はその球体を霊術で数回攻撃する。しかし、それはビクともしていなかった。
『…どうやら、外界と中を完全に遮断するための霊術のようじゃな…おそらく、呪印が上書きされるなりしたら発動する類のものだったのじゃろう。』
あれを刻んだものは随分用意周到じゃな、と琥珀は少し感心した。
しかし、問題が1つ。これで琥珀は修也と関われなくなってしまった。先程のように手を貸すことは出来ない。
「…腕の見せ所じゃな。」
琥珀は座り込み、そう呟いた。
暗い空間に、俺はいる。
瞼は開いている。しかし、目は光を感知できない。おそらく光源がひとつもないのだ。
そして、唯一機能している耳も、何やらおびただしい量の声に占領されている。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して」
「………」
何故かは分からないが、そんな声が俺の耳に、頭に届く。どこかひび割れたその声は、俺に不快感しかもたらさない。
とにかく、早くここから出て琥珀との試験に戻らなければ…
俺は重い体を神経を振り絞って持ち上げると、右手の刀で何とか支えた。
そうして、霊術を体にかける。体が癒えていく感覚。無属性霊術回復系《ヒール》。
俺は肩を回すなどして異常がないことを確認してから歩き出す。すると…
「…!?」
俺が1歩踏み出すと同時に、周りの景色が一変した。
そこは、見覚えのある場所だった。
かつて、俺がよく訪れていた…しかし、《あの事件》が起きてから、1度も行ったことのない、あの場所。俺の両親と、親友の没地。
どうやら、俺はそこを見下ろしている形のようだ。俺は少し後ずさる。しかし、これだけではどうじな…
パチンッ。
どこか軽快な、そんな音が暗い空間に響く。
直後…
「なッ…!」
緑に包まれていた草原は、一瞬で地獄に変わり果てていた。焼けた草、焦げた木々、飛び散った血液、おびただしい量の死体。
そして…どこか見た事のある黒髪と、白髪の少年。黒髪の少年が白髪の少年を抱えている。
「うッ…!」
込み上げてくる吐き気。俺はその場に膝をつく。
そんな俺を見てか、先程のように聞こえる笑い声。俺は腹からこみ上げてきた異物を、必死に戻し…虚空を睨んだ。
あるのはただの闇のみ。しかし、確かにある存在を確信する。
「…趣味の悪ぃ野郎だ…!」
俺の呻き声に似た言葉に、言葉が重なる。
ーー貴様が忘れていた記憶を思い出させてやったのですが、カンに障りましたかな?ーー
「…はっ、飛んだ勘違いだな…」
ーーへえ、どこが勘違いと言うのかな?ーー
俺は地面を拳で叩きつけた。
「1番大事なところだよ!俺が《これ》を忘れてただって…?寝言は寝て言え、このタコ!」
俺は体の痛みや重さも忘れ、話しかけてくる虚空に叫び返した。
俺はこの日のことを忘れたことなど、1日たりとも存在しない。おそらく、死んでも忘れないだろう。それぐらい、この日は俺の後悔と怨念が集中しすぎていた。
だが…
ーーほう、ならば何故貴様は吸血鬼の王が眠るあの刀を手に取り、力を求めたのですか?ーー
……
なぜ、その話が今出てくる?
「そ、それとあの日のことは関係な…」
ーー関係なくはないですとも。かつて貴様はその霊術で、その刀で戦いそして勝った。それまでと同じように…ーー
俺の前に、何か気配を感じる。
『ようやく出てきたのか…?それなら良い。その腐った頭コテンパンに切り刻んで…』
俺は、顔を上げた…。
………
………………
…どんな顔をしていただろう。
おそらく俺は、情けない顔をしていたはずだ。それもそうだろう。だって…
そこには、映像の向こう側にいた親友の死体が立てっていたのだから。
ーー大事な相棒を殺した。なのに、同じ力を得ようとしてるのですからーー
「かい…と…」
俺は呟くようにその単語を紡ぎ出す。
かつて何度も呼んで、それに呼応していた少年が今、俺の目の前にいる。…死体となって。青色の目は睨めつけるように俺を見下ろしていた。
「うぷッ…!」
再度込み上げる異物。かつての感触が手の平に蘇る。死んだ後に起こる硬直…いや待て。
「そうだ、あいつはあの時に死んだ…ならこの目の前にいるのは幻覚だ…!」
目の前にいる奴を振り払うかのように俺は首を振りながら呻く。
それを嘲笑うかのような笑い声。
ーーいいえ、そいつは本物です。私があの時、あの場所から持ち出していた天雨海斗のしたいですよ。ほら…ーー
海斗らしきものの前を鋭い軌跡が通っていく。それは彼の来ている服を切り裂き、胸をさらけ出した。そこにあったのは…
俺も何度も見た事のある、刀の刺傷だった。
ーーあなたが刺した傷だって、ちゃーんとあるんですからーー
「…あ…ああ…」
その傷からは、確かに俺の霊力の残滓が感じられた。そして、その死体らしきものは一言。
「なんで、俺を殺したんだ…?」
トドメを指すようにそう、呟いた。
…もう、やめてくれ。
俺は何も見たくなくなり、ただただ項垂れた。そんな俺の耳に、無慈悲な声が響き渡る。
「なあ、教えてくれよ。なんで俺は殺されなくちゃならなかったんだ?教えてくれよ、殺した張本人なんだからよ。」
「もう、やめろ…」
何も見たくない聞きたくない。耳を塞いで目を瞑る。現実から俺は逃げようとする。それでも、声は頭に直接響く。
「俺だって、やりたいことやってみたいこと色々あった。なのにお前が、この胸を刺したせいで、それも出来なくなったんだ。」
頭が壊れかける。
そうだ、あいつは言ってた。将来、大人になったら色んなことをやるのが夢なのだと。その、キラキラした目で…
「なのに、なんでお前は《生きてるんだ》?どうして死なないんだ?」
………
……………
ああ、そうだな。
もう、何も言わなくていい。
俺も何も言わない。だから…
暗い森の中、《彼》は月を背にして木の上に立つ。夜風に揺れるフードケープ、その顔は仮面に隠れて何も見えない。
獣を模したその仮面は、どこか凄まじい威圧感を醸し出していた。
そんな《彼》はある一点を見つめる。目の前にある、建造物。武家屋敷のその家からは、先程から常時、とてつもない量の霊力が漏れ出していた。
しかし、《彼》が気にしていたのはそこではなく…
「チッ…世話のやける…」
《彼》はゆっくりと手を動かす。そして何かをつかみ、操作するかのような動きと共に…微かな、霊力の解放。
普通、霊力の介入は多少の《歪み》が生じるのだが、それは、武家屋敷から漏れ出る多量の霊力によってかき消された。
《彼》の存在には、誰も気づかなかった。
…たった一人を除いて…
「この甲斐性なしめ。早く死ねよ。なあ、ほら…」
その言葉と共に、海斗の手には刀が握られる。それは、高く高く振り上げられた。そして…
「…」
無言のまま、無防備な、がら空きの修也のうなじに振り落とされる。一閃。細い光が修也に襲いかかる。それは、視認も難しい速度へと達した剣速。やがて、彼の手は振りきっていた。
ほとばしる鮮血。その血が海斗らしきものの頬を染める。
そして、微かに瞼が動いた。
…斬られていたのは、修也の首。
…ではない。彼はまだ、首どころか髪の毛1本すら斬られていない。
むしろ彼は上方向に、木刀を振り上げていた。鮮血が迸っていた源は、海斗らしきものの右腕。手首から先がバッサリ斬られている。
修也は刀の血を振って払うと、ゆっくり立ち上がった。手を抑える海斗らしきものにゆらりと近寄る。そして、不敵な笑みを浮かべる。その目は、全てを焼くかのように赤く光る。
「やっぱ…お前、海斗じゃねえわ。」
ーー何を根拠に…それは確かに貴様が殺した…ーー
「いーや、違うね。こいつは確かに本物そっくりに作られちゃいるが《本当の死体》には程遠い物だ。」
すっかりいつもの調子を取り戻した修也。初め聞こえていた怨嗟の声も、今は気にしなくなっていた。
「それに、根拠ならお前がくれたんだろ?」
ーー…?ーー
修也は首を傾げる気配に、苦笑した。
「やっぱ、分かってなかったか。…お前、性懲りも無く俺の記憶からこいつの体を作り出して幻惑を俺に見せてたんだろ?それなら、《ぽい傷》を付けるだけで俺の精神を崩壊させられるからな。」
そう言い、彼は尚も苦笑し「けど…」と続ける。
「お前は俺への《特効薬》を作ると同時に、それが《無効化》される1つの根拠も作り出しちまった。」
ーー…ッ!!ーー
微かに、息を呑む気配。それに、修也は笑みを深めた。
「…おそらく、お前が作り出した時、傷の様子を見るために俺の中にある《あの日》の記憶を全部ごっそり引き抜いたんだろ?…そんで、確認した後に俺の記憶は全部戻した。そんな感じか?」
しばらくの、静寂。
沈黙は肯定と判断し、尚も修也は続ける。
「正直、記憶を勝手に覗かれるのはいい気はしないけど…今回は好都合ではあった。そのおかげで…」
「ショックで忘れてたあの頃の記憶も、戻ったんだからな。」
ーー…なッ…!ーー
確かな反応。
修也は、不敵な笑みを口許に刻んだ。
「別に、全部戻ったわけじゃあない。お前が取り出した部分…海斗が逝く前の記憶だけだ。」
それに、どこか安堵するような気配が修也には感じられた。
「…けど、まあ…」
修也は構わず続ける。
「これが模倣物だと確信するには充分だったさ。」
そう、これは元々海斗らしきものが模倣物であると確信した根拠の種明かしをしていたのだ。話の趣旨を間違ってはならない。
ーーハッ、今頃何を…記憶が戻ったならわかるでしょう?彼は間違いなく貴様に殺された。なのに、貴様はのうのうと生きている。…そんなことが、許されていいはずないでしょう!?ーー
直後、一瞬の光の後に現れる数百の人間。どうやら、修也の記憶にある人間を全員幻惑で作り出したらしい。
幻惑とはいえ、決して油断してはならない。あちら側はもちろん、攻撃を加えられるし術者によるが、最高のものは限りなく本物に近い紛い物を生み出せるという。
なるほど、修也に話しかけていた者は大した術者であるらしい。
だが…
「…」
彼は飄々とした態度をなおも崩さない。
その感触を確かめるように、木刀を握り直した。
「ああ…そうだな。お前の言う通りだよ。」
彼は木刀を下に下ろす。戦闘意思の消失を示す合図…ではない。直後、彼の持つ木刀に赤く光る、線のようなものが刻み込まれた。
それは、今までの弱々しいものとは違う。
「俺の刀は、結果的にアイツを殺してた。…謝っても謝りきれねえよ。しかも、あんな大事なことを忘れてるなんて…戦犯なんて言葉じゃ足りやしねえ…殺されても、文句は言えねえな…」
彼は親友の胸に突き刺さる、自身の刀を思い出し…歯が軋むほど口に力を入れる。
「けど、俺を殺す権利があるのは、決して紛い物のそいつじゃない。《本物の》アイツだ。」
ーーフハハハハハ!何を今更!確かにそれは僕が作り上げた作品ではあるが、本物そっくりな思考をする人造人間だ!彼が死んだ今、今はそいつが本物…ーー
「ハッ、本物そっくりな思考?おいおい、言ったよな。…寝言は寝て言えって。」
彼の目にさらに強い敵意が虚空に注がれる。
その迫力に、空間全体が震えた。
「あいつはなぁ…自身が死ぬ前に…俺の腕に抱かれながら、なんて言ったと思う…?」
修也の脳内に先程流れ込んできた記憶がフラッシュバックする。あの日、あの時、海斗が発した言葉。
自責の念か?修也に対する100の呪詛か?
…違う。あいつは、あろう事か…
「俺に対して、《死ぬな》と言った。《俺達の夢を任せた》とも、な。…ほんと、とんだ大バカ野郎だよ…」
巨大な霊力の塊が、1歩進む。それだけで、世界全てが揺らぐ。彼の霊力循環は琥珀によって完全に元に戻された。今の彼は、過去と同等…いや、それ以上の力を持っていた。
「分かるか?あいつは自分の命が危ない、死の間際ですら心配したのは俺と、目指してた目標の事だった。そんな《甲斐性なし》だか《早く死ねよ》だか言うやつがあいつと同じ思考だと…」
「知ったような口を聞くんじゃねえよ!!!!」
怒号の声に乗せられた霊力は、迎撃のために出された数百のうち、半分を吹き飛ばした。あらゆる影が光の粒となって霧散する。
修也は何が起きたか分からない様子の声の主を無視して、手を前にかざす。
ーーまずい…殺せ!残り全勢力をもってーー
主の名により、200程の兵隊が修也に襲い掛かった。いわば、彼に向けられた力の奔流。これを受ければ、彼もただでは済まない。
しかし…
「遅せぇよ。」
彼の攻撃は、既に終わっていた。
その手を、前にかざした時から。
彼の手から、暗い闇で光る光源が少しチカチカと光る。そして、その光はやがて…
…オオオオオオオオオオオオオ…!
太陽の光のように、闇に包まれた空間を支配していく。それに触れた霊は呆気なく霧散し、彼らを囲んでいたドーム状の瘴気も侵食されていく。
そして…
ーーグオオオオオオオオオ…!ーー
闇の中に身を隠していた《臆病者》の悪魔は、その光に包まれていった…
「……」
結界を維持していた主がいなくなった影響で、修也を包んでいた結界がその存在を消していく。
そんな、景色が変わる途中、彼は思い返す。あの時、《偽物》が吐いた、《死ねよ》という言葉の直後に頭に入り込んだ、あの日の記憶。
「…」
ピンポイントとも言えるタイミングの記憶の復元に、彼は違和感を覚えた。話しかけてきていた悪魔に原理を話していたが、あれはあくまで仮説。真実とは違う可能性も大いにある。
そして、精神崩壊直前ながらも感じた、微かな量の霊力の介入。
どこか歪な、感じたことの無い霊力の質。
修也は久々の解放で荒ぶる霊力を押さえ込みながら、思考を回す。
『あの時、何者かが俺の記憶を操作した…?いや、あの時は俺自身の精神が安定していなかったからそれは不可能のはずだ。…どうやった?』
…そんな、彼の思考が、答えに辿り着く前に彼の視界の端に映る、1つの影。どこか、懐かしい感じもする1人の少女吸血鬼。その顔には、何故か深い笑みが刻まれていた。
『考えるのは後だな。』
修也はゆっくりとした動作で彼女のいる方向に振り向くと、微笑を浮かべる。
「悪ぃな、待っててくれて。退屈しただろ?」
その言葉に、琥珀は苦笑した。
「しなかった…と言えば嘘になるの。しかし、このような長さなど今までのここでの生活に比べれば数秒じゃ。貴様が気にすることではない。」
琥珀の返しに、修也は「なら良かったよ」と微笑し、握っていた木刀を構えた。
「そんじゃ、手合わせの続きと行くか?お前のおかげで霊術も思う存分使えるようになったし、今度はご期待に添えると思うぜ。」
その自信満々の言葉に、これまた彼女は苦笑する。そして…
ヒョイっと、何も言わず異空間に木刀を収納した。彼はその行動に意表を疲れた。その隙を狙って、彼女は彼の木刀も奪い取り、一瞬の内に異空間へ収納したのだった。
「へ…なんで…?…まさか…」
修也は呆気に取られていたが、やがてサーッと顔が青ざめていく。
その様子に今度は琥珀がキョトンとするが、彼女は修也のその様子に納得がいき、苦笑した。
「違う違う、判断を急ぐな。誰もまだ不合格などと言っておらんだろう。」
「…お、おう。そうだな。」
修也はその言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。その様子を見て、琥珀は再度苦笑した。
『…ま、別に儂がおらんでも今のあやつなら勝てそうなものじゃが…』
そんな琥珀の心境など知る由もなく、修也は問う。
「けど…ならなんで木刀をしまったんだ?まだ俺1本も取れてないし…」
「正直、貴様がわしから1本をとることはさして重要なことではない。この試験の目的はあくまで貴様の力量を見定めることじゃ。」
修也の問いに、琥珀は端的に返した。
「貴様がかかっていた瘴気による呪印霊術…あれは人の心を折ることだけに特化したものでな。並の精神力を持つものなら自死を選ぶ。」
琥珀はそう言うと、胸元を探り…どこから取り寄せたのか、クラッカーを取り出し…
パーン!
迷いなく鳴らした。
「それを乗り越え、全てを振り払った強靭な精神力。そして、呪印が無くなったことで元に戻った…いや、強化すらされた圧倒的霊力センスに身体能力。…不合格にすることすら難しい…」
その言葉の後、少しの間。
修也は言葉の意味を呑み込めず、キョトンとしていた。
しかし、やがてその意味を脳が理解し始め…
「……っしゃああああああああぁぁぁ!!」
これまでにないほど大きなガッツポーズを、ジャンプしながら決めた。その後もおかしなテンションで謎の動きを連発する。
それを琥珀は苦笑を浮かべながら見つめていたが、6回目を超えたあたりで修也に声をかける。
「おい、小童よ。まだ終わっとらんぞ?」
「へ?」
その言葉をかけられて、ようやく彼は今の状況を思い出したのか、すぐに体を琥珀と向かい合う状態に戻す。
「あ、ああ、そうだな。まだ終わってない…早く2人を助けに行かないきゃな。」
「うむ、そういう事だ。いくらこの空間が加速されていると言っても時間はいつまでも待ってくれんからのう。」
そう言うと琥珀は修也の手を取り、掌に呪印を施す。
「つッ…!」
掌に生じた熱量に少し苦悶するが、彼はなるべく平常心を保った。
「わしとの契約は少しの段階で成立する。早いのが取り柄でな、無論その強固さも素晴らしいものがあるぞ?」
「そうかい、ご自慢ありがとう。」
右手の熱量を感じながら修也は軽口に呼応する。それに、琥珀は微笑で返した。そして、それと示し合わせたかのように…
「ぐっ…!?」
ドロリと、赤い液体…血液が彼の手から滲み出る。それに…
カプッ
琥珀はすぐさま噛み付いた。修也に何を言うでもなく、血を吸い上げていく。
修也は不快感と快感の混ざったようなその行為に抵抗せず、ただ待つ。
数秒後、口を離した琥珀は満足そうにため息をついた。
「久しぶりに他人の血を飲んだが…貴様の血は絶品じゃな。健康的な生活を送っている証拠じゃ。」
「いや、俺の血の善し悪しの判定はいいから。それよりも早く契約を済ませようぜ。この吸血も、何か意味があるんだろ?」
掌の血を止めながら修也はそう問うた。
しかし、琥珀はキョトンとした顔をすると…
「いや?わしのただの個人的興味じゃが?」
「意味ねえのかよ!!」
修也は叫ぶ。
「じゃあいらねえだろさっきの時間!なんか呪印刻んでたから儀式の1部かと思ったわ!さっきの呪印とか完全に霊力の無駄遣いだな!」
「何を言う!あの呪印は大切じゃぞ?わしが無闇に人の血を吸うとわしの眷属になってしまうからの。それを抑制するのに必要な超重要な呪印じゃ!」
「そうかい、ご気遣いありがとうよ!!」
「別にお前が我慢すれば必要なかったけどな」という言葉を修也は既のところで飲み込む。
『…まあ、無理言って契約結んで貰うんだし、それくらいの見返りはあって叱るべき、か…うん、そういうことにしとこ。』
修也は無理矢理自分を納得させた。
「さて、悪ふざけはこのぐらいにして…」
「お前今自分で悪ふざけだと認めたな?ちゃんと聞こえてるぞ?」
修也の追求に琥珀はツーンとそっぽを向いてスルーする。そして、何事も無かったかのようにそそくさと胸元から1枚の紙を取り出した。
修也はツッコミに疲れたのか何も言わず琥珀を見つめる。
琥珀は取り出した紙を修也に突き付ける。
「とりあえず、この紙にどの指でも良いから血で手形を押せ。指だけで構わんからな?」
「お、おう…そこまで念押さなくても分かってるって。…ていうか血止める必要なかったじゃねえか。」
修也はそうボヤきながらも、切り口を作り、血の流れ出る部分を押し付けた。琥珀はそれに満足気に頷くと…
クシャクシャ
ポーイ
「ハムッ」
紙を丸めて、口の中に放り投げた。
「…」
修也には、正直何をしているか全くわからなかったが、静かにその様子を見守る。…というかツッコミ疲れていた。
琥珀は紙を取り込んでからしばらく、まったく動かなかったが…
「…!?」
ヒュオオオオォォォォ…
シュインッシュインッ!
キイイイイィィィィ…
やがて琥珀の体が光に包まれ、彼と琥珀の足元に呪印が現れる。紫色のその呪印はあまりの強力さを修也に思い知らせた。
『…改めて、俺って凄いやつと契約しようとしてんだな。』
そんなことを修也は再確認する。どうやら今までの行動全てがこれを発現させるためのものだったようだ。
少しの間を空け、琥珀は目を開く。それに、修也は少し身構える。その間修也はと言えば…
『…契約って言うぐらいだからな…やっぱ名前とか名乗らなきゃいけないのかな…。いやもっと難しいことをしなきゃいけないってのもあり得る。…どうすりゃいいんだろ。』
ことの重要性を今更認識し、若干テンパっていた。
…そのせいなのだろう。彼の他事の認識能力が甘くなっていたのは。
チョイチョイッ
「…?」
琥珀は目を開けたやいなや、修也に手招きをし、来るように促した。それにはもちろん、修也はなんの躊躇いもなく近づき、更に相手と視線を合わせるために地に片膝をついた。
なんの不思議もない、紳士の対応。
琥珀からしても、有難い行動であった。
突然だが…いや、先程も言ったから突然ではないのか。どちらにせよ、修也は今若干のテンパリが出ている。まあ、初めての契約ということで少しアガっているわけだ。人は誰しもそういう時、他のことに認識がいかなくなるものだ。もちろんそれは彼も例外ではなく、特に…
自身に起こったことなど、尚更だ。
「…」
一瞬、何が起きたかわからなかった。
急激に縮まった自身と琥珀の距離。
寄せられる顔と顔。閉じられた琥珀の目。
彼の首元に回された両腕と、唇に感じる柔らかい感触。そして、口内に入れられる生あたたかい柔らかい物体が自身の舌と絡み合う。
それに、彼は抵抗しない。
何故なら、彼は感じていたから。それをすることによって流れてくる膨大な量の存在の力…霊力達を。
それが、契約のための最終段階であることを彼は遅まきに理解する。彼は心の中で呆れたようにため息をつく。
そして、
『…これ、俺の初キスかよ。』
そんな、馬鹿らしいことを考えていた。
眠い…さっさと寝よ。ちょっと夜更かししすぎたな…。(⊃ωー`).。oOアワアワ
ま、評価と感想、よろしくな(*゚▽゚)ノ
(´-ω-`)))コックリコックリ。。