聖旗と二刀 〜少年と少女の旅路〜   作:誠家

23 / 44
「………」
フランス国内、王城の豪華絢爛な屋根の上に、1人の人物が佇む。
その体はフードケープに包まれ、その顔には仮面が付けられているため、体型や表情で性別を判断することは出来ない。
彼が見下ろすのは、王城のはるか向こう…赤い膜に包まれ、荒野の中で繰り広げられる戦乱。
悲鳴や怒号、血と命が飛び散る、悪意の溜まり場。
その戦場に《絶対》はなく、不可思議な確率も気を許すことは許されない。
「………」
彼は、そんな戦乱を、何も言わずただ無言で見つめていた。
まるで、何かを待ち望んでいるかのように…


第23話 合成体

戦場の中央で兵士と霊使者達が鎬を削る中、両翼では少数の霊使者と1000人ほどの軍の精鋭たちが《人》である一般兵達と剣を交錯させる。

それが1合打ち合わされる度に、赤い火花が散った。

「…ぅン''!!」

康文は指揮をとりつつ、襲いかかってくる人の猛攻を何とか受け流し、槍の持ち手で気絶させていく。

他の霊使者達も自分の獲物を使い、軍の兵士達は盾や篭手で殴打して同様に戦闘不能者を増やしていった。

「いいぞ!このまま押し込んで全員戦闘不能にさせろ!」

「了解!」

 

「さすがに世界トップクラスとも言われる戦闘能力を誇るフランス軍ですねえ。素晴らしい統率力だ。」

ジルはわざとらしく大きなため息をつく。

「かつて、私や聖女ジャンヌが指揮した軍も素晴らしい統率力と信頼関係を置いた、まさしく最強とも言える軍でした。今となっては彼らは私の手駒という扱いですが、ね。」

「……」

「…まあ、」

ジルは、足元に転がる虫を見るような目をしながら、告げる。

「聞こえてないかもしれませんけど。」

ガフッと血を吐き出しながら氷牙は手を支えにして、立ち上がる。目元の血を拭ってからジルを睨む。

「ちゃんと聞こえてるよ…自分の昔話なんざ聞かせやがって…」

「冥土の土産には丁度いいかと思いますがね?」

ジルの言葉と口内の血液を飲み込んで、氷牙は幾度目かの攻撃を繰り出す。しかし、それを横にいた肉塊のキメラが防いだ。

「クッソが…!図体のくせにすばしっこい野郎だな…!」

「キュエエエアアァァァァ!」

キメラからのブロー2連撃。

これを氷牙は難なく避けるが、しかし、その直後にまたも2連撃。このループが八本分、4対続く。

「しつっけェ!!」

さしもの霊使者とはいえ疲労もあるし、大威力の攻撃を避け続けると精神的負荷もかかる。そうなると、いくら熟練されているとはいえ、ミスは起きる。

キメラの拳の1つが氷牙を直撃する。氷牙はそれを何とか鉤爪で受け止めるが、刃は軋み、腕は凄まじい痺れを起こす。

「ぐおっ…ガッ…アァ…!」

腕の痺れを気にせず、氷牙は尚も突撃。学習していない様子の氷牙にジルはため息をついた。

しかし、氷牙とて、策がなく突撃した訳では無い。

『攻撃は重ェし、そこそこすばしっこい。けど、俺の方が速ェ!!』

氷牙は更に速度を上げてキメラに近付く。繰り出される拳を最小限の動きで避け、可能なら拳を潰していく。

「ウルアアアアァァァァ!!」

キメラと肉薄した瞬間、氷牙は無数の斬撃を繰り出す。

このキメラには自然治癒の能力も備わってはいるが、しかしそれでも原動力となっている《核》を壊してしまえば塵へと還る。それは体内の奥深くに備わっていた。

「削ぎ落としてやる…!」

そう唸る氷牙。しかし…

「痛い」

その言葉に、一瞬動きが止まる。

横目で見ると、キメラの体に浮かぶ表情の1つが幼子のような瞳を氷牙に向けていた。

「痛い、痛いよ。」

「なんでそんなことするの?」

「私が一体、何をしたって言うの?」

「やめてくれ」

その言葉は、恐らくただの妄言。術式でただ言われてるだけ。冷静に考えれば、誰でも対処はできる。

だが…

「……!!」

出自を、このキメラの素材を理解している氷牙には、痛烈な効果を生み出した。

一瞬動きが止まり、隙を産む。

その一瞬の間に、それは起きた。

ある一つの表情が口を開けたと思えば、その中から赤い何かが光り、氷牙に向けて照射された。

「グオッ…アッ…」

赤い熱線が氷牙の脇腹を抉り、背後で爆発を引き起こした。

「さすがに間合いに入られた時の対抗策は既に仕掛けています。私の設計を舐めないでいただきたい。」

そう言って、ジルはクスクスと笑いご機嫌の様子だ。

だが、這いつくばりながらも氷牙も少しだけ口角を上げた。ヨロヨロと立ち上がりながらも、しっかりと前を見すえる。脇腹の出血を止めながら、ジルに向かって笑みを浮かべた。

「アレだけの霊力注いどきながら、人一人殺れねえたァ随分としょっぺェ霊術だな…。節約しすぎじゃねえかァ?」

「おや、随分と余裕ですね。」

「実際余裕だァ。この程度の霊術じゃあ何発撃ち込もうと俺は殺せねえぞ。」

ジルにとって、安い挑発。しかし、

「ならくれてやりましょう。そんなに死にたいなら、無様に這いつくばりなさい。」

ジルは手を掲げると、キメラがまたもいくつもある表情の中の一つの口を開く。そして、赤い光が辺りを照らす…

「…!!」

氷牙は動く。

それを待っていたとばかりの突進に、さしものジルも驚いたように目を見開いた。

「ウウウゥゥラアアァァァァ!!」

最速の突進で、そのまま宙を浮く。そして鉤爪と足を目一杯に伸ばして、体に水の霊術を纏わせた。

その様は、まるで1本の槍。

青く光る1本の槍が、キメラの開かれた口に直撃。少しの拮抗。

雨久流鉤爪術《蒼牙・一本槍》。

一撃必殺の一撃が、やがて拮抗を破り、そのままキメラの肉体を貫いた。

氷牙は膝をついたまま、左手の鉤爪を振り払うように一振り。鉤爪の1本に刺さっていた赤い球が、粉々に砕け散る。それと同時に、肉塊のキメラも溶けるように消滅していく。

「いやはや驚きました。」

滲み出る感嘆と共に、ジルは笑みを浮かべた。パチパチと拍手を送る。

「まさかあの瞬間に技の構造を理解して突進してくるとは。鼻だけでなく目まで並とは違いますか。」

「別に確証はなかった。強いて言うなら野生の勘ってェやつだな。」

「…尚更獣じみて来ましたねえ。」

苦笑を浮かべるジル。

「本当に、私が作れる最高傑作をこうも塵に変えるとは思いませんでした。やられましたねえ…」

そう言って、困ったように首を振り、落胆しているように見えるジルであったが…

「……」

氷牙は尚も動かない。ジルを睨みつけたまま、身構えることをやめなかった。

その様子に、ジルは笑う。

「おやおや、私に向かってこないのですか?先程までの情熱的な突進なら、私を倒せるかもしれませんよ?」

「…あんま俺を侮ってくれちゃ困るぜェ、英雄サマよ」

康文だけではなく、氷牙もコンビとして、パートナーとして、共にA級上位を長期にわたって維持し続けている猛者である。

()()()()()()()()()()()()を見抜くぐれェ出来なきゃ、生きてけねェんだよ、この世界ってのはなァ。」

そう言うとジルはクスリと笑って、その後も口を抑えたまま笑い続ける。

「いや、奥の手…ですか。」

「違ェってのか?」

「違うとは言っていませんとも。ただ、私としてもこれ以上新しい術式を見せることは不可能なのです。万策としては尽きました。」

そう言うとジルは尚も首を振った。そして…

「私にできることといえば、一つだけです」

()()使()()()()()()もう一度地へと翳した。

 

「今まで使ったものを、使い続ける。それしか、私に手はありません。」

 

先程よりも広範囲に拡がった術式から、10は超えるであろう、見慣れたフォルムが姿を現す。

その丸いフォルムと度重なる奇声は、鉤爪を構えた氷牙にほんの僅かな《絶望》をもたらした。

「行きなさい。」

「……クソッタレが…!!」

 

「康文様!一般兵の9割程が戦闘不能!もう一押しです!」

「よし、お前らこのまま押し切るぞ!」

康文の掛け声に、霊使者達はさらに活気づいた。

『そろそろ霊達の相手をしている奴らも限界が来てるかもしれん。早く終わらせなければ…』

そんな考えが康文の思考の隅をよぎる。

「…う、うわああああああッ!!」

…そんな思考も、彼らの背後から、悲鳴が聞こえるまでであった。

反射的に、康文は後ろを向く。

そして、その瞬間彼は目を驚愕に見開いた。

「こ、こいつらまた…!?」

…なんと、戦闘不能にしていたはずの人々が次々と立ち上がり、さらなる攻撃を加えている。

既に、不意打ちによって何人かはダメージを負ってしまっているようだ。

「バカな…いったい…」

焦燥にかられる康文。

そこで、気付く。

彼らの体にまとわりつく、微かな黒い瘴気。そして、全く光の点っていない眼球。

彼らは、洗脳によって、無理矢理動かされているのだ。

その元凶は、もちろん…

「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」

高らかに哄笑する声。

その笑い声に、康文は思わず横をむく。今まで、気にしまいと意識から外していた、1つの戦闘。

そして、彼は見てしまった。…氷牙(パートナー)が地に伏す、その現場を。

「ひょ…」

ビキリと、硬直した瞬間、声を上げる直前。

自身の腹部に、激痛が迸る。

見ると、間を抜けてきた雑兵の剣が、彼の体を貫いていた。

「アヒッ、アヒアヒッ!」

その目に光はなく、まるでこちらを意識していなかった。ただ敵を殲滅するために動く、人形のようであった。

「クッ…ソがァ!!」

康文は、力任せに強打させて、死なないように戦闘不能にさせる。

氷牙を、助けに行きたい。

しかし、それをしては、今ギリギリに保っている前線が崩壊しかねない。

これ以上の犠牲は、出せなかった。

『クソッ…クソッ…』

今だけは、自身が責任職であることを、後悔した。

 

ピクリッ

城内。ウィリアムの《センサー》に感知が引っかかる。

「…潜入されましたか。」

その声は、付近の誰にも感知されず、彼の背後に居たサレスが、彼が立ち上がることでようやく気付く。

「…来たかしら?」

「ええ、それなりの数です。門兵との連絡もつきません。間違いないでしょう。」

そう言うと、彼は単身、玉座の間のドアを開けた。背後の部下たちは連れずに。

そして、彼は命令する。

「貴様らはここで女王様達を守れ。よいか、逆賊には指一本触れさせるな。」

「ハッ!!」

「ガーシー殿、よろしくお願いします」

「存分に暴れて来なされ。」

 

ウィリアムは待つ。

城の玉座に続く広場で。

城に入ってきたネズミと相対する、その時を。やがて、目の前の通路から、複数の足音が鳴り響き、そして、数十人の者たちが姿を現した。

「ほぉ、現フランス軍大将がお相手か。部下はどうした。」

「いや何、わざわざ大人数で相手するようなものでもないと思いましてな。単身迎え撃った次第です。」

そう言って、ウィリアムはホホホッと軽く笑う。そして、はてと首を傾げた。

「おや。あなた方は操られていないのですね。元帥気取りの部下は全員洗脳されていたとの事ですが…」

「へ、あたりめえだろ!俺達は、忠実な幹部とその部下だ!洗脳なんざされてんのは下っ端だけなのさ!」

その言葉に頷くもの達を見て、ウィリアムはなるほどと思う。

確かに彼らは筋力量もそこそこ、それなりの武具を揃えていた。明らかに今戦場で戦っている人々とは強さは段違いなのだろう。

「しかしまあ、それだけの人数で大丈夫ですか?今なら増援を呼ぶことも許可しますが?」

「いらない。お前は、俺達が殺す。そして、王妃も殺す。」

「おや、それなら相手をしない訳には行きませんねぇ。王妃を守るのが私の役目。先に行きたくば私を…」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ…」

先程まで喋っていた1人の男が、大きく跳躍し、ウィリアムに襲いかかった。

「うっせぇんだよ老いぼれがァ!!!!」

男は剣を高速で振り下ろした。

それをウィリアムはよけず、振り下ろす直前で手首を掴んだ。

「…ぅえ?」

そして、男を《ぶん投げ》て、男は広場の壁に激突して、ピクリとも動かなくなった。

静寂が広がる。

「人の話は最後まで聞けと、教わりませんでしたか?」

たじろぐ集団に、

「もう一度問いましょう。」

彼は和やかに笑いかけた。

「増援を呼んでもいいのですよ?」

「…行け、殺せ!」

命令を受けた雑兵が、ウィリアムに襲いかかった。

 

「…そろそろですねえ。」

そう呟くと、ジルは手のひらをもう一度地面に触れさせ、霊術陣を完成させる。

やがて、そのままの体勢で視線を上げて、兵士と霊使者が入り乱れる場所…のさらに奥。

《イージス》が張られた、兵士の奥地に移した。…やがて、ポウッとその場所に霊術陣が完成する。

「さあ、立ち上がりなさい。下僕共。」

そんな声と共に、霊術陣から無尽蔵に骸骨達が出現する。カタカタと口を鳴らしながら兵士達に襲いかかった。

「て、敵襲ー!」

「総員、迎撃しろ!霊術の維持も同時展開…!」

「いや、流石に…まずい、霊力が…!」

現場はパニックに陥る。

エキスパートである霊使者の助けもないことから、兵士たちの陣はすぐに瓦解した。そして、イージスが無くなったことで、霊使者と相見えていた霊達が弓矢を取りだし、兵士達への攻撃も始めた。

「ギャアッ!」

「まずい!イージス再起動、早くしろ!」

「無理です!霊力足りません!」

「クソッ!お前ら、兵士たちへの攻撃を阻止しろ!弓矢を持っているやつの殲滅が最優先だ!」

「「「「了解!!」」」」

兵士たちとは違い、霊使者たちの統率はしっかりとしているが、それもしかしベテランの間だけ。若手とも見れるもの達はオロオロとしている。

「いやー、いいですねえ。こうして聞く人々の悲鳴、恐怖の産声とは正しく甘美です。」

そう言うジルの顔は大きく歪んでいる。

恍惚とした表情のまま、下を向く。

「あなたも早く降参してください。楽にしてあげますから。」

「……」

ゆらりゆらりと立ち上がる氷牙。

左手はぶらさがったまま動いていない。おそらく、骨折しているのであろう。頭からの血液は目に入り、左目が閉じられていた。

「……!」

しかし、それでもなお、右手で技を繰り出し、ジルを攻撃。

ジルはため息をついてそれをいなし、氷牙を地面へ押し付けた。

「グオッ……!」

「そろそろしつこいですねえ。貴方に私は殺せません。いい加減気付いてください。」

そう告げるジルに、しかし氷牙は頷かない。体を震わせながら、手を付いた。

「…るっせェ…俺は、負けられねェんだよ…親父が、野郎共が…死ぬ気でやってんのに…途中じゃ投げだせねェ…」

睨み続ける氷牙に、ジルは分かりやすくため息を1つ。

「…もういいです。貴方からの殺意には飽きました。…この私に最後まで食らいついたことは覚えておいてあげましょう。」

そう言うと、右手に握る剣を高々と掲げる。刀身がギラリと光り、彼の目が蘭と開かれた。

…瞬間、ジルの剣の刀身で小爆発が起こり、氷牙だけでなく、ジルも驚きに顔を染めた。

「ハアアアァァァァ!!」

そこで、対人の前線から飛び出してきた少年に、氷牙は気付く。

『ありゃァ、開戦前に喧嘩おっぱじめてたガキ…か…?』

少年…陽太はジルに向かって手に持つ剣を踏み込んで、振り下ろしたが、障壁に阻まれ、衝撃波により10メートル程も吹き飛ばされる。

陽太はぎこちないが、しっかりと転倒から立ち直ると刀を構える。

「氷牙様!早くお逃げ下さい!」

「ば…か野郎!そりゃてめェだ!」

「俺は…大丈夫です!なので、早く回復を…!」

「そいつがてめェの手にあまり余ることぐらい()()()()()()()()()いいから早く…!」

「まあまあ良いじゃないですか。」

ジルはニヤリと笑い氷牙の言葉を遮る。

「少年自身が相手をすると言っているのです。貴方が卑下にすることではありますまい?」

「るっせェ!!おいガキ!命令だ!早く…」

「黙りなさい。」

ジルの一声と共に、キメラが氷牙の体をおさえつける。

「カッ…ハッ…!!」

凄まじい衝撃に、氷牙は悶絶する。

ジルは歩き始める。

「こんなにも幼気な少年が私を相手にすると意気込み、熱意ある視線をくれている…嗚呼、素晴らしい!」

その歩調は、まるでダンスをするようにステップを踏み、気楽に鼻歌さえも混じっていた。

「…(なぶ)りがいがありそうです。」

 

『な…んだ…これ…』

陽太はジルと顔を合わせた途端に襲われた硬直に理解出来ず、ただ立ち尽くす。

いや、というか動けないのだ。

刀を構える手も、大地を掴む足も、口や喉でさえ何かに押さえつけられているように動かすことが出来ない。せいぜいできるのは、眼球を動かすくらいのものだった。

「どうですか、私の術。」

「…!」

いつの間にか、陽太の目の前には鎧を着た長髪の巨漢が立っている。ジルは笑みを浮かべながら彼に問うた。

「この術、私のネクロマンサーとしての能力を応用したものなんです。貴方方は《金縛り》と言うのでしたかな?」

「…ッ…」

「おっと、そう言えば喋れないのでしたね。喉と口だけ動かせるようにしましょう。」

パチンとジルが指を軽く鳴らすと、それだけで喉と口の圧迫感が消える。

陽太はできるだけ睨みつけるが、それもジルは軽く受け流していた。

「…なんで、」

「おや、私は感想を所望なのですが、質問が返ってきますか。まあ、構いません。なんですか?」

「…なんで、最初から、洗脳した一般兵を投入しなかった。そうしたら、もっと楽に…なんの障害もなく、勝利を、収められたはずだ…」

「ああ、その事ですか。なんてことはありません。」

 

「ただ、そうした方が()()()()()()()()()()()()です。」

 

「人を絶望の淵に叩きこむ時に重要なのはその深さではありません。それまでの過程です。」

「普通の感情のまま絶望に落としたとしても、その振り幅は人それぞれ。いかに深く落としても()()()とは言えません。」

「なら、効率的にするにはどうするか。」

 

「1度歓喜に持ち上げ、そこから一気に()()()()()

 

「それこそが、人の感情の起伏を大きくする最善の策です。」

「そんな、ことをして…何の、意味が…」

「意味?意味なんてありません。」

 

「私の愉悦のためですよ。」

 

あくまで、自身の欲求を満たすためであると、ジルは断言した。その言葉に、陽太は歯を軋ませた。

「どうやら軍の連中はあの赤目のクソガキが来ることを信じ続けているようですが…大きな期待は自身の首を締めると、なぜ気付かないのでしょう。」

その言葉は自身の上司のことであると、瞬時に気付いた。

「ふざ、けるな…俺の、俺たちの、大将は…修也様は…絶対に、来る…!」

「いいえ、来ません。彼には厄介な相手をぶつけていますから。アレは、私でも抑えきれるか分からないほどに手強い。あのクソガキには余る相手です。」

その言葉に、陽太は、笑う。引き攣りながらも無理に口角を上げた。

「その、クソガキに…一杯食わされた、奴が…よく言う…」

「そうですね、不意打ちとはいえ、あれはやられました。…しかし、それと正面戦闘はまた別物。」

瞬間、陽太を蝕む締め付けが一層強まる。それに、鮮烈な痛みが走った。

「ぐっ…!」

「分かりましたか?あなたの言う大将がこの戦場に降り立つことは不可能なのです。」

陽太の体を、痛みが支配する。無意識に、涙が零れた。だが、その雫と共に、言葉を吐き出した。

 

「それでも…」

「俺は信じてる…」

「あの人は、そんなんに、負ける人じゃ…ない…!たとえ負けても…何度だって、立って…乗り越える…はずだ…!」

 

彼への、深い信頼。それは、長年彼の背中を…いや、彼の背中()()を追いかけて来た陽太だからこそ断言できたものだった。

そんな、絶望などないような顔を向ける陽太に、ジルは初めて煩わしそうな表情を向けた。しかし、直ぐにそれを笑みに変える。

「嫌ですねえ、その根拠の無い信頼。所詮強者に頼るだけの、なんてことない繋がり。反吐が出ますねえ…」

「でもまあ、その信頼ごと叩き折るのも面白そうです。」

ジルは、陽太に向かって手を伸ばす。おそらく、あの掌に触れれば、彼は意識を失うはずだ。だが、それでいい。わずかな時間であるが、当主の来るまでの時間を稼げたのだ。そこに、悔いなどあるはずもない。

陽太は、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「なら、俺が遊んでやるよ。」

 

 

 

 

その声に、ざわめきが重なる。

喧騒しか無かった戦場に、静寂が訪れた。

陽太は、目を開く。

その目が捉えたものは、たなびく赤と、純黒の髪。

彼の手はジルの手首を掴み、動かぬよう青筋が出るまで力を込めていた。

陽太は、自身でも分かるほどに、目を見開いた。

「しゅ…」

 

「撃てェッ!!」

 

陽太の言葉に、しかしジルの声が鋭く重なり、かき消される。

瞬間、今まで各々の方向を向いていた反乱軍が一方向を向き、持っていた遠隔武器を一斉照射。彼らの頭上に無数の矢や霊術が襲いかかる。

 

ボォオオォォゥッ!!

 

直後、それらを極大の炎が燃やし尽くした。

霊術は光となり、矢は炭となって舞い落ちる。

そして、彼らの周りに、複数の影が着地する。1人は茶色のポニーテールを揺らし、1人は金の長髪をたなびかせ、もう1人は黒い長髪を揺らしながらゆっくりと舞い降りた。

そして青年の頭に、1匹の狐がポスリと収まる。

「この嘘つきめ、警戒心ダダ漏れじゃねえか。相変わらず嘘だけは得意みたいだな。」

「念の為に用意していただけです。それに、こうして貴方に来てくれたことも、私にとっては好都合。」

ジルは、掴まれた手と逆の手で、剣を持ち直し、そのまま一閃。

青年は手を離し、陽太を持ち上げて難なく回避する。少し大きく間をとった。

ジルは、大きく唇を歪ませ、指を細かく操作。地表から生霊達が浮かび上がった。

 

 

「私直々に、手を降してあげましょう、Putain enfant(クソガキ)。」

 

「やってみろよ、三文役者。」




「フッ…」
仮面の人物は、ここで初めて言葉を発する。それは、まるで言葉とは言えないものだったけれど。しかし仮面の人物はゆっくりと立ち上がり、もう一度戦場の様子を確認してから…

ヒュッ…

静かに、その姿を消した。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。