刀を振り抜いた後、修也は迷わず追撃を開始する。彼の左手に6つの聖属性光弾が作り出され、それを間髪入れずに発射。体勢を立て直そうとしていた堕天使に襲いかかる。
それを見て避けようとはせず、むしろ迎え撃とうと左手をかざす。
だが、左手に触れる直前に光弾はその形を四散させ、より一層輝きを強めた。これにより堕天使の視界が遮られ、一瞬の隙が生まれる。
彼は、その一瞬を見逃さない。
刀の刀身に炎を纏わせ、一息に振り抜く。
「ガッ…アァ…ッ…!」
切り裂かれた堕天使の肉体から鮮血が飛び散る。修也はその後も追加連撃。確実に仕留めるとばかりに攻撃を続ける。
それは堕天使も同じ。
やられまいと彼の斬撃を数発、辛くも剣と瘴気で受け止める。
そして、6発目に気づく。これは、先程自身を唯一傷付けた8連撃と同種の斬撃であると。
『ならば…!』
堕天使はそのまま足を瘴気で固定し、多量の瘴気と剣で7発目、8発目と修也の斬撃を相殺する。その証拠に、彼の刀の輝きは少しだけ薄れていた。
これには堕天使も笑みを浮かべる。勝利の確信を手に、剣を振り上げる。
修也は8連撃目を振り抜いたまま停滞する。しかし、停滞すると言っても、その時間わずかコンマ1秒。その時間に、刀に纏わせた炎を、微かに
『…ようやく、人間らしい顔しやがって…』
勝ちを確信したような、最初の仏頂面の時は思いもしなかった笑みを浮かべる堕天使に、彼は不敵な笑みと刀の先程よりも鋭利な輝きで返す。その刀身は、吸い込まれるように堕天使の腹部に叩きつけられる。
そして、足を踏み込み一陣の風となって堕天使の横を駆け抜ける。
霊術を変換してからの、追加8連撃。
桐宮流剣術《火》の型仇番《灼龍・千牙陣》。
地面に着けていた膝を持ち上げ、刀に付いた血を振り落として、刀身を鞘に押し込んだ。
…瞬間、堕天使の体が鮮血と共に爆発を巻き起こした。
「ア…ッ…ガッ…ァ…」
黒煙を立ち上らせながら、両膝を着いて、尚も肉体を保つ堕天使は、しかしその体がもう限界であることを物語っていた。先程まですぐに回復していた肉体は外見だけ誤魔化すのがやっとであり、何より彼の体の輪郭もぼやけ始めていた。
主がいない霊や妖は霊力を使い切った時点で、《あちら側》へ強制帰還する。それは天使も同じである。だからこそ霊達は人を攫い殺すことで霊力を回復するのだ。
『バカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカな…』
天を仰ぎながら堕天使は動揺する。
ほんの10数分前まで圧倒していた、下等と見下していた存在が今や自身を圧倒しているのだ。無理も無いだろう。
『何故だ…何故この私が…このような、下等な人間に…』
修也は刀を収めた後に、堕天使へと近づき、彼の頭を右手で鷲掴みする。
「ア…ッ…」
そして、その手が熱を帯び出したのを感じる。聖属性で浄化するのではなく火の霊術で焼き切ろうとしているのだ。
それに気づいた堕天使は背筋が凍り、必死な抵抗で修也の手から逃れる。
『…かくなる上は…あの小娘を殺して霊力を取り込むしか…!』
堕天使は今も気にもたれ掛かる天乃を狙って、突進を開始する。手には確かな殺傷力を持つ短刀が1本。驚きに目を見開く天乃。堕天使はその顔目掛けて手を伸ばす…
…が、それも途中で止まる。そして、止まった瞬間に堕天使の体を襲う激痛と、体の一部が貫かれたかのような不快感。
見ると、彼の体をジャンヌの聖旗の先端が貫き、旗の中腹まで貫かれていた。
「…言ったはずですよ。」
ジャンヌはその青く、鋭い眼光で堕天使を射貫く。
「あなたは、私達2人で倒すと。」
その顔を堕天使は煩わしそうに睨み、歯ぎしりをするが、その口にはすぐに笑みが浮かぶ。
『このまま、小娘の旗から聖属性の霊力を吸収すれば…』
堕天使の特殊能力として、天使であった頃の名残なのかは分からないが、聖属性を緩和するだけでなく、聖属性の霊力を《取り込む》ことも可能である。と言ってもそれは一気に吸える訳ではなく、微量ずつではあるが、堕天使は心の中で存在を保てる程度の霊力だけがあればいいと考えていた。その後、脱出した後は今戦争が繰り広げられているであろう戦地に赴き、すぐさま殺戮の限りを尽くせばいいのだ。その回復の後にこの2人は殺せばいい。
『この私が撤退など恥でしかないが…この際仕方ない。なるべく残酷な方法で殺してやるとしよう。』
そんなことを考えながら堕天使は貫かれた箇所から霊力を吸い取ろうと力を込める。
…だがしかし、そんな事をしてもジャンヌの旗から流れ込む霊力は一切なく、堕天使の霊力はギリギリのままだ。むしろ、自身の存在が尚も消えかけていることに恐怖を覚えた。
その様子に、ジャンヌは呆れたようにため息をついた。
「…ひとつ、勘違いしているようですね。」
ジャンヌは貫かれた堕天使を青い瞳で見下しながら続ける。
「あなた方堕天使が吸収できる聖属性の霊力は自身よりもランクの低い、もしくは存在として下位の者からしか行えません。」
ジャンヌはチラリと修也の方を見て、その後視線を戻す。
「我が主の霊力を吸収できたのも、それはあなたと彼の存在としてのランクがあなたがひとつ優れていたから。…元々、霊力のランクだけで言うなら負けていたのです。」
ジャンヌはそのまま、さも当然という風に言い放つ。
「…私のこの力は、生まれ持った物ではありません。炎に焼かれ、英霊となったその時に、主から与えもうた《神の加護》。…そのような尊き力が、かの堕天使ルシファーのような大悪魔ならまだしも、名も持たない低級の悪魔に、吸収出来るわけがないでしょう。」
その言葉とともに、堕天使の体が一息に燃え上がる。その炎は猛々しい赤ではなく、何処か黄色がかったものであった。
「グアアアアァァァァァァァ!!や、やめろ大馬鹿者!貴様!この崇高なる天使の我にこんなことをして、タダで済むと…」
「馬鹿はあなたです。愚かな悪魔よ。我々は天使ならいざ知らず、堕天使などという異教徒を崇拝している覚えなど、欠片もありません。」
そして、ジャンヌはなお一層《聖火》を強める。それはもはや、太陽とも呼べる輝きであった。
「ギィィィィィィィヤァァァァァァァ!!」
「…消えなさい、愚か者。」
奇怪な、耳をつんざく叫びと共に、堕天使の姿を輪郭を保てなくなっていく。
…そして、その断末魔とは裏腹に、
パシュンッ
という囁かな音と共に、あの堕天使はその肉体を光へと変えたのだった。
「ふぅ…」
堕天使の体が消えたのを確認したあと、ジャンヌは軽くため息をついて、掲げていた聖旗を地面へと立てる。
そして、そこに修也が歩み寄った。
「お疲れ様。いい感じにカッコよかったな。」
「…やめてください。」
修也のいじるような口調にジャンヌが口を尖らせて文句を言うと、修也は笑う。
「アハハハハ…あれ…?」
「…っと…」
だが、さらに歩み寄ろうとしたところで、修也は不自然にバランスを崩し、すんでのところでジャンヌが片手で受け止めた。
そのまま、支えられながら体を起こすと、疲労の残る表情で苦笑いを浮かべた。
「…まいったな…」
「霊力の使いすぎ…でしょうか?」
ジャンヌに肩を貸されたまま修也は「多分な」と頷いた。
「そうじゃな、それと共に小娘との契約での意識同調の精神的負荷も相まっておる。」
そう言いながら森の暗がりから現れる琥珀に、修也は不満げな表情を見せた。
「琥珀…もうちょい早く来てくれてもよかったじゃねえか…」
その恨み言に琥珀は肩を竦めて答える。
「儂がいき、無駄に霊力を消費しても変わらんよ。それに、あのように堕天使は貴様ら2人で浄化できた。なんの問題もあるまい。…このエテ公も文句タラタラであったがな。」
「…よく言うぜ。」
「ナー!!」
どうやらアグンの方も、戦闘の参加を琥珀に止められていたようだ。フーフー、と威嚇を続けているが琥珀が気にする素振りは見せない。
ため息をつきながら、修也はジャンヌを見る。そして、ジャンヌは修也を見すえてこう告げる。
「修也君、ここから先は私一人で行く方がよろしいかと。もちろん、この霊力は貴方から頂いたもの。無駄には使いません。」
「駄目だ。」
ジャンヌの提案に、修也は断固拒否する。
修也の目線とジャンヌの不安げな視線がぶつかる。
「しかし…」
「さすがのお前でも、戦場だけじゃなく現王妃とかその子供にまで意識向けんのは無理だろ。行くなら俺も一緒に……ブヘッ!!」
そこまで言った修也に、スパーンという鮮やかなビンタが1発見舞われる。もちろん、その犯人は、立ち上がった天乃であった。
彼女はジトーとした目で修也に詰め寄る。
「こら、修也。あなた私の事忘れてたでしょ?なに、戦闘の疲労から記憶抜けちゃった?」
「うんにゃ、わざと外した。心折られてそうで役に立たなそうだし。」
「正直に言うんじゃないわよ!!」
スコーンと優しめの手刀が修也の頭に降って修也は「んが」と言いながら項垂れた。
天乃は修也の頬を挟み込んで、自分の視線と合わせてから、告げる。
「いい加減私を戦闘からなるべく関わらずに済ませようとするのはやめて。さっきのあなたの戦闘で霊力はそこそこ回復したし、精神的にも休めた。元々霊力は結構残ってたから問題ないわ。」
「良くねえよ。お前な、今から行くのは戦場だぞ?いつもの任務で行くようなそこそこ巨大な霊がいる生半可なところじゃないんだ。それでも…」
「それでも、行くわ。」
天乃の食い気味の言葉に、修也はすぐに口を閉じて言葉を止める。天乃は両手をそのまま修也の肩に移すと、力強く握る。
「私だって、生半可な覚悟でここにいるわけじゃない。城で任務内容を聞いた時から覚悟はしてた。そして…」
肩を掴む力を、天乃はさらに強める。
「何より、貴方だけを危険な場所に行かせるなんて、出来るわけない。…パートナーとしても、幼なじみとしても、それに…」
瞬間、天乃は少しくちごもるが、だが、頬を染めながら、その先を口にする。
「元婚約者としても。」
そう、強く強く、彼の目を見ながら、天乃は言い放つ。
そして、修也は聞いていながら少しだけ目を瞬かせていたが、やがて大きなため息を着くと、
「ったく…何年前の話してんだよ…忘れてもいい頃だろ…」
「…忘れないわ。私は、あの頃のことは1度も忘れたことなんてない。今までも、これからも、絶対に。」
そう言い放つ彼女の目は、今まで以上に強く、決意の色を秘めていた。その目とその言葉を聞いて、修也は「クソッ…」と頭を掻きながら毒づく。
「…覚悟が足りなかったのは、俺の方か…」
「え?」
天乃のキョトンとした顔は、しかし一気に持ち上げられた修也の顔を見て、すぐに引き締まった。
「分かった。それなら、一緒に来い。そこまで言えるなら、大丈夫だろ。ただし、2つ約束だ。」
修也はまず1本指を掲げる。
「1つ、自分に危機が迫ったら、人間だろうがなんだろうが、容赦なく切り捨てろ。甘い考えは捨てろ。」
次に、2本目を掲げた。
「2つ、絶対に死ぬな。」
《死ぬな》。その部分を誇張して、強く、強く言い放つ。
そして、天乃は整った顔に、満面の笑みを浮かべて、頷いた。
「…当然!!」
「それで、修也。あなたの霊力はどうするの?」
依然として肩を担がれた修也に、天乃は純粋な問いを投げかけた。
それに、修也は答えずに、バックパックから黒い2つの飴玉らしき球体を取り出し、口の中に放り込んだ。
これは霊使者の霊力回復促進用の丸薬《霊丸薬》。2つも飲めば、数分でそれなりの霊力が回復する。
そして、修也は琥珀とジャンヌ、そしてアグンを交互に見ると、
「お前ら、今個々で保有している霊力の2.5割くらい俺に分けてくれ。…ジャンヌは少ないから1割でいいや。…いけるか?」
修也の問に、琥珀はやれやれと首を振り、ジャンヌはため息をついた。アグンすらため息をついたように「なー」と呟く。
「え、なに?」
困惑するような修也に、琥珀は苦笑いして答える。
「主よ、いまや主従関係のわしらに問うようなことはするなと、何度言ったら分かる?」
「そうです。いまや私たちは修也君から存在を維持してもらっている身。貴方からの命令に指図などできるはずもありません。」
2人に同調するように、アグンも「ナー!」と叫んだ。
それには、修也も驚いたような表情をしていたが、やがて苦笑を浮かべると、「それもそうだな」と苦笑いを浮かべた。
そして、不敵な笑みを浮かべながら、3人に提案、ではなく《命令》を行った。
「命令する。お前らの霊力のあまりの2割ほど、俺に寄越せ。」
「「イエス、マスター」」
「ナー!」
2人と1匹の同調した声が、閑散とした林に響き渡った。
そして、1時間前……
「ガーシー、時間は?」
フランス軍側の代表であり王妃であるサレスは隣にいた参謀の髭を蓄えた老人に問う。
ガーシーと呼ばれた老人は、懐の銀時計を開いて確認し、
「残り30分程で開戦の時間となります。」
その言葉に、サレスは玉座で少しだけため息をつくと、「…早いわね」と呟く。
修也達が王城を出発してから、一日と数時間の時が経った。その後、修也からジャンヌ・ダルクの発見及び奪還に成功したことを言伝された軍上層部はほんの少しだけ空気が和らいだ。しかし、彼女の状態が芳しく無いことを知らされた瞬間に、それは消え失せた。
そして、すぐにウィリアムが指揮を取り始め凄まじい統率力と、参謀の指示の元、軍の準備が整っていった。
今は、軍が並ぶ前に霊視者の軍4000人が並ぶという陣取りになっている。
「…参謀、正直、勝つ見込みはあるかしら。」
サレスは参謀にそう問うも、その表情は少し暗い。そして、参謀すらも、その目に影を落とした。
「…申し訳ありませんが、どう足掻いても2桁を超えることはありません。」
ここでいう桁というのは、パーセンテージである。つまり勝利する見込みは今のところ1割にも満たないということ。
その絶望的な状況にも、サレスは笑う。
しかし、それには大きな呆れが確かに含まれていた。
「そうよねー…まあ、仕方ないか…私たちの陣形は
「それについては、先程雨久殿とも話を通してきました。」
サレスのため息の次に、ダンディなボイスがそれを繋ぐ。
「雨久殿もそれならばと、了承して頂きました。」
「そ、お疲れ様ウィリアム。…霊使者の方々には負担が大きくなってしまうわね。」
「その点も仕方ないと、彼は言っておられました。」
「修也君が…?」
ウィリアムの言葉に、雨久康文は驚きに目を染め、その隣に座る氷牙は分かりやすく舌打ちをした。
「んだよ、あの野郎結局来てんじゃねえか…」
「彼はおよそ1日前にここに到着し、そして、英霊ジャンヌ・ダルクを捜索するために出ていかれました。…あなたがたに話さなかったことは謝罪しましょう。ですが、我々の心情も少しばかり理解頂けたらと思います。」
「あァ?お前らの心情だァ?」
ウィリアムは目の前のカップティーで口を湿らしてから、少しだけ眼光を鋭くした。
「あなた方に情報公開をすれば、あなた方は彼らの邪魔をする可能性があった。…そちらの不都合だけで、我々は国を傾きかねなかったのです。」
「ほぉ、数年のブランクがある使えるかも分かんねぇ犯罪者を、現役の俺らよりも信用したのかァ?」
「言い方はあれですが…」
そう呟くとウィリアムはホホッと笑う。
「まあ、そういう事ですな。」
「ッ…!」
ウィリアムの挑発めいた呟きに苛立ちを覚えたのか、氷牙はソファから腰を浮かすが、「やめろ」と康文に止められて、渋々腰を下ろす。
「…あなた方の考えは分かりました。しかし、それによって修也君がジル・ド・レに返り討ちにあう…とは思わなかったんですか?」
「私もそれは危惧しましたがね、しかしどうも彼の作戦では、少数でないと彼らとはやりづらいと…」
「ほう、それまたどうして…」
「なんでも、《助けるのがめんどくさい》、そうですよ。」
修也が発した一言を聞いた瞬間、氷牙はまた大きな舌打ちをした。
「自分が《助ける》側前提っていうその上から目線がまたムカつく…」
そう毒づく氷牙に呆れたようにため息をつきながらも、康文は話を続ける。
「…とりあえず作戦を見直しましょう。」
彼は手元の資料をめくって、考えるように顎に手を添えた。
「…フランス軍の陣形は殲滅するためのものでは無い、と聞きましたが…なら問います。いったい、何を目的にあなた方は戦うのですか?」
康文の問に、ウィリアムはもう一度カップに口をつけてから、その口を開いた。
「…平たく言えば、時間稼ぎですな。」
その一言に、康文の眉がピクリと動き、氷牙は「あァ?」と低い声を出す。
「…我々は国を守る軍としてかなりの戦力を整え、叡智を宿してきました。それにより、世界最強クラスの力を持つと言われるほどには力を付けられました。…しかし、その力もひとつの強大な力の前では無力にすらなり得る。」
「……」
「現状、我々軍の力では彼…ジル・ド・レを倒すことは不可能です。どころか、それに付き従う霊や反乱軍ですら殲滅するのは難しい。」
「オッサン、俺らがいること忘れちゃいねェか?」
「なら問いますが、あなた方だけで1つの軍とそれと同格の力を持った相手を倒しきれますかな?」
その問いに、氷牙は答えられない。何せ、今まで相手したことないレベルの敵だ。思わず口ごもってしまう。
「…あなた方は今日まであらゆる場面で我々軍のことを助けてくださいました。その中で、あなた方の実力は承知しているつもりです。…しかし、それを踏まえても桐宮修也の実力はあなた方の誰よりも上だと断言出来ます。」
ウィリアムの頭によぎるのは、彼と再会した、街中での光景。彼の周りを包む大きくはないが、練り上げられた鋭い霊力の塊であった。
その言葉に、氷牙はギシリと歯ぎしりをするが、康文は「なるほど」と言いながら、そのまま席を立った。
「あなた方の言い分は理解しました。とりあえず霊使者2000に合わせてフランス軍1000を攻撃に加わらせてください。あとの4000はお好きな様に。」
「…ではそれで…ご理解感謝致します、雨久殿。」
「私もそちらの方が建設的であると判断した迄です。今は軍の負傷者も増えてきているので大変なのは周知です。それに、霊相手に危険をおかすのは我々の仕事なので仕方ありません。…氷牙、行くぞ。」
康文に促され、氷牙は不満げに鼻を鳴らしてから立ち上がり、部屋を後にする。そして、その後に続いて康文は扉の前まで行くが、立ち止まり、ウィリアムへと問いかけた。
「…ウィリアムさん…別に、修也君が来る前に倒しても、構いませんよね?」
「…ええ、それはもちろん。」
…時は開戦前へ戻る。
フランス軍と反乱軍。
両陣営が相対する場所で、氷牙は落ち着かないように腕を組んでいた。後ろにいた康文が肩を叩く。
「そろそろ開戦だ。心は落ち着かせておけ。」
「…んなこたァ分かってる。ただ、この戦い自体あの野郎の手柄のための茶番かと思うとモチベが上がんねェ。」
「…気持ちは分かるが、人の命をかけたものを茶番などと呼ぶな。私達だけでなく、フランス軍の方々も命を投げ出すような気持ちは同じだ。」
「…そうは言うが…」
氷牙は後ろにいる2000の霊使者の急造軍を見て苦笑いをする。
「後ろの野郎共の雰囲気は芳しくねェぞ?」
「…」
その言葉に、康文は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「…取り消せよ!」
霊使者達の待機所に若さを残した怒号が響く。五大家系各400人の者達から作り上げられる2000の軍。そんな彼らの真ん中で、相対する1人の少年と3人の青年。
「ああ?なんの事だ、ガキ?俺らはなんか間違ったことでも言ったかよ?」
「ふざけんなよ…!修也様がタダの負け犬だなんて、寝言も大概にしろ!」
「おいおい、あんなおかしな家系に生まれちまったからな頭すらおかしくなったのか?今の今まで家に引きこもって、普通の高校生のフリして生きてた奴が負け犬だなんて、なんも間違っちゃいねえだろ?」
「なぁ?!」と周りに同調を求めるように3人の真ん中にいる青年が叫ぶと、周りからは口々に「そうだ」といった賛同の声が多く上がる。
というのも、3人の周りには雨颯家や土御門家といった修也のアンチが多い家系の者たちが集まっている。それとは逆に、少年の後ろの者達には桐宮家の他に、深い関わりのある天樹家や実力トップの雷城家などがスタンバイしてはいるものの、天樹家は否定などすれば面倒事になることは必至なので口出しはせず、雷城家に至っては戦闘準備に集中するために話を聞いてすらいなかった。
そこで桐宮家の集団から1人の中年男が飛び出し、少年の横で説得するように話しかけた。
「陽太!こんな時に他の家系の方々といざこざを起こすんじゃない!ほら、早く謝れ…!」
「嫌だ!!」
少年は拳を握り締めて断固として頭を下げない。どころか、目の前の3人を鋭い眼光で睨む。
「俺は、修也様が負け犬だってことを訂正するまで、絶対謝らない!」
「陽太…」
陽太の目元には涙が浮かぶ。
「あの人は、戦力外になってからも引きこもって、普通の高校生を演じてただけじゃない!これからの自分に悩んで、今の自分に真剣に悩んでた!」
陽太は、今から7年前、9歳の時に桐宮流剣術道場の門下生となった。元々、桐宮家直属の下位家系に生まれたので入門はする予定であった。彼にとって、いつも大人達を圧倒する修也は明確な目標であった。生き生きと剣術を使い、格上を倒し続けるその様に、純粋に憧れたのだ。
その後、あの事件の後、少しの間の後、門下生としてでは無く師範代として姿を現した修也は、終始笑顔を浮かべていたものの、微かな陰りがその瞳にかかっていた事を陽太はハッキリと覚えている。周りの大人も、当主にはならないだろうと噂していた。
そして、ある日、忘れ物を取りに桐宮家に帰った陽太の耳に縁側から声が聞こえた。それは、才蔵と修也の声。耳を澄ますと、修也が以来の参加を断っているようだった。陽太はそこの会話はあやふやだが、しかし修也がその後に発した言葉は一言一句覚えていた。
才蔵が離れた後、修也はそのまま縁側に座り込むと、柱に頭を預けて呟くように言う。
「…なあ、父さん母さん…海斗。どうしたらいい?あいつを守りたくても、俺にはその力がない。今は任務にすら参加出来ねえ。平和すぎて、周りにも馴染めやしねえ…。俺の居場所、どこなんだろうな………なんて、答えてくりゃしねえか…」
「寝よ寝よ」と言いながら彼は自室に戻るが、陽太にはその言葉が強くインプットされた。そして、確信する。彼は、桐宮修也は戻ってくると、
確信というかは、願いに近いかもしれない。
彼は、桐宮修也が、自分の目標が戻ってきてくれることを強く願った。そのためには、今この家系を修也が戻ってくるまで自分達が守らねばと、そう感じた。
その後、彼は2年の道場通い、3年の猛特訓から正式な霊使者へと大きく出世したのだった。
陽太からすれば、何も知らないものが、修也の苦悩を知っているかのような口振りで話すのが許せなかったのであろう。
両者はそのまま睨み合いを続け、温度ばかり下がっていたが、やがて間に1人の人物が割り込んだ。
「お前ら、こんな時にくだらないことで揉めるな。」
康文であった。騒ぎを聞き付け、仲裁を行おうとしていた。
「康文さん、このガキが…」
「事態は把握してる。」
そう言うと康文は陽太を見下ろして、言い放つ。
「そのような軽口すら聞き流すことが出来ないのは未熟な証拠だ。今この場にいることが不思議なくらいにな。」
その言葉に、陽太は言い返せない。唇をかみ、とにかく耐える。
それをシメシメと見る3人組ではあったが、康文は3人の方にも向き直った。
「お前らもお前らだ。この忙しい時にそんなことで盛り上がるんじゃない。さっさと準備しろ。」
「そ、そうは言っても康文さん!あんたは耐えきれんのか?うちの家系のエース殺した奴が平然とした顔で報酬かっさらってくんだぜ?」
3人の真ん中にいる青年はそう訴えるが、康文の回答は、酷く冷たかった。
「どうでもいい。今は同じ目標を持つ1人の仕事仲間だ。割り切ってそう接する。…それに、ジル・ド・レ討伐の戦果をやるつもりは毛頭ない。」
そう言うと、辺り一帯は彼の氷点下の視線に凍りつき、しばらくそのままの格好で動けなかったとか。
「親父があそこまで介入すんのは、ちと珍しいな。」
「…この任務は生半可な気持ちで遂行できるものじゃない。それは、承知の上だろ。」
「勿論。」
そんなことをす話していると、康文の無線に声が通る。
「康文殿、そろそろ時間です。」
「了解です、ウィリアムさん。」
康文は無線を切ると、鎧や武器の様子を確かめてから、氷牙を見る。
氷牙は横目に康文を見ると、「時間か?」と問う。それに、彼はこくりと頷き、周りの部下達に戦闘準備の号令を出した。
「こんなでけェ任務は久しぶりだなァ…」
氷牙は獰猛に笑って、自身の獲物である《鉤爪》装備した。それに、康文は静かにかぶりを振った。
「…大将首を取った方が勝ちの、単純な任務だよ。」
康文陣営はジル・ド・レの、反乱軍は王女の。
ふたつの首が取り合われる、巨大なシーソーゲーム。
やがて2つの陣営が一瞬だけ止まり、空気が張りつめた…瞬間。
秒針が、12に重なった。
それと同時に、赤い大きな膜が戦場全体を覆い隠したのだ。
次回も戦争視点です。