恋姫†無双——陽鏡の姫秀——   作:火消の砂

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酔いつぶれと管輅

 

 

 

「棟梁、本当に信用できるんですか」

「またか、何度目だ」

 望と百舌、その後ろには百を超える屈強な戦士達が続いている。森の中を歩く賊共、だがその表情には不満や不安が見え隠れしていた。

 それは他でもなく姫秀の所へ行くことを望が決めたからである。

 無論反対する者は多い、だが望の決めたことに付き従う。絶対とは言わないが殆どのことならば不満があっても従う。いつか限界を超え散り散りになる可能性もあるが望はその危険性を犯しても并州へ道を進んでいた。

「まだ完全に受けたわけじゃねえよ、とりあえずあいつの所に行くだけだ」

 無理やり「あいつ」と言ってみたが望には「邑秀」という聖人像がどうしても崩れなかった。

「それにあの人はこんな単純な人じゃねえ」

「っていうと?」

「あの人はもっと複雑な言葉で人を引き付けるのさ」

 并州まではあと少し。

 姫秀達が荊州を出る少し後の小話であった。

♢  ♢  ♢

 今現在姫秀の下には盧植、徐庶の二人が付き従っている。望に来いと言うだけで賊が御せるとは勿論思ってはいない。仮に従わせることは出来てもそれは兵ではなく傭兵に過ぎないであろう。

 そんな思考に耽っていると姫秀は徐庶から息抜きに予言の話を聞いた。

「管輅が?」

「はい、なんでも「白き天の御使いが流れ星と共に現れる」と、正確な文言ではありませんが……」

「……管輅ちゃんねえ」

「評判は良くないのですか?」

 盧植が首を傾げると徐庶はすかさずそれについて言及した。預言者管輅——とは名ばかり、実際は当てたことは一度もない。徐庶はすぐに「すみません」と卑屈になるが、二人は姫秀の顔を見て驚きを隠せなかった。

「まさか信じてるの?」

「……管輅は本物だよ。寧ろ偽物と言っていいほどに——くそ、水鏡の奴はこの情報掴んでいたはずだ、俺に教えないとは!」

「陽鏡様は管輅殿とお会いになったことが?」

「……ああ、預言じゃないが色々当ててきた」

 グッと姫秀の握りこぶしが収縮した。夜空の下篝火の前で照らされる彼の顔はこの旅が始まって以来の険しい顔である。

「どう動くか……水鏡は何故俺に教えない……なんだ……」

「——それは陽鏡様とは関係がないのではないでしょうか?」

 ポツリと口にしたのは徐庶。すぐに口を塞いだが、姫秀の表情はまるで豆鉄砲を食らっていた。

「どういうこと?」

「ですから、先生は陽鏡様に関係のないことだから言わなくていいと思ったんじゃないですか?会う必要がない、気にする必要がない……から——あう、ごめんなさい陽鏡様、頓珍漢な事を言いました」

 抱えていた本で顔を隠し俯いた徐庶の肩を叩くと姫秀は徐庶を抱きしめた。

「いや、その通りだ。何を不安になっていたのだろうか。ありがとう幸普、流石俺が認めた才神だ!」

 目をばっちり開いた徐庶はそのまま頬を、そして全身を赤くしてそのままで寝た。

 

 徐庶を盧植がゆっくり寝かすと土を払って盧植は篝火の前に再び座った。

「じゃあ天の御使いは無視して并州で良いのね?」

「いや、俺は寿春に向かう。風鈴は先に并州へ向かってくれ」

「……虎かしら?」

「そうだ」

 盧植は小さく頷いて立ち上がると徐庶の隣に横たわり、程なく眠りについた。

 一方姫秀と言えば、顔の前で手を組んで思考に耽っていた。

 主な思考は三つ。

一つは天の御使い。流れ星と共に来る御使い、この予言の正確な文言を知りたいと考え、更にはどこまでが比喩なのか、どこからがそうでないのか。仮に比喩であれば山から下りてくる、突然現れるなどの意味を持つが、文言のままを取れば「空から降って地上に下りる」ということになる。仮のそうであれば間違いのない天の御使い。だが、この国には皇帝という「天子」つまり天帝が遣わした天の使いが既に存在している、これを朝廷がどう考えるのか、天の御使いに関する当面の問題。

 二つ目は水鏡の立場。傍観を気取る人間が少しばかり表に出てくるしかなくなった、姫秀もその一人であるが水鏡も門外ではない。滅びゆく朝廷に何かを成せるというのは引導しかないと意見の一致した二人はそれまでに色々な物を蓄えてきたわけであるが、水鏡は姫秀に全てを任せたと言ってもよい。

だからこそ旅に付いてこないわけであるが、だからこそ何故情報を与えなかったのかが不思議なのである。勿論徐庶の言うことは九割九分九里合っている、だがあと一里の誤差を見極めることこそ思想、哲学の原理である。

 三つ目は他ならぬ管輅についてだ。

 決して語られない姫秀と管輅の間にあった会話に彼の疑問、そして恐怖がある。

 

「ねえ、この世界がこの世界で無かったらどうする」

 

 管路は姫秀の問にこう答えたのだ。

 一方姫秀の質問は。

 

「誰が国を建てるだろうか」

 

 この一見頓珍漢な返答を姫秀は最大限の恐怖をもっては質問を返す。

 

「貴女は

 

「貴女はどこを見ていらっしゃる?天か、道か?」

 

「貴方が見ていないところを見ています」

 

 姫秀はそれが全を表していることに気が付いた。

 一見占い師の戯言にも聞こえるが、姫秀は管輅を認めている。そんな管輅が妖術師紛いのこと言うということはまさしく真実味を帯びているのであろう。姫秀は冷や汗と共に苦い表情で管輅を凝視した。

 

「では貴女は何故表舞台に出てこない」

 

「私の天命ではありませんので」

 

 絞り出した問いもすぐに返されてしまう。まるで――いやまさに全てを見透かしていると言わんばかり。姫秀は観念の内に認めざるを得なかった。

 

「ですが」

 

 と、管輅は苦渋を噛みしめている姫秀に最後の言葉をかけた。

 

「私が分かるのは流星までです」

 

 

 姫秀の思考は今完成を迎えた。

 あの時に管輅の言っていた言葉「流星」それが白き天の御使いを指した言葉なのであれば姫秀は漸く分からないことに関する思考を一つ取り除くことが出来る。

 後は姫秀の独壇場、問いの答を求め続け、そしてそこにたどり着くことを可能にする能力、自ら全てを行っていく正に「陽」に相応しい思考、思想。彼の陽鏡足る所以は自ら照らしていくだけではない。

 

「……朝か」

 

 朝日昇る暁の空。篝火は消え、風で飛んでゆく炭だけが姫秀の頬を掠めていく。

 

 朝、陽が登るまで考え続ける男、それが姫伯道、陽鏡である。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 姫秀は黄巾の乱から逆算して一年前、寿春の酒場でこの店の酒を約三日間で半分ほど飲み干していた。あれ以来全く皆と合流していない彼、何故ここで酔いつぶれているのかと言えば他ならぬ虎、孫堅を待ち続けている。

 なるべく内密に、かつ自分が姫秀と気付かれないように酒場でただ酔いつぶれていた。酒豪と呼ばれる人間が孫家には沢山いるが、長女や老兵は袁術に仕えているためこの寿春の外れには誰もいない。孫堅すらいないが、酒豪が居ると分かれば身の軽い彼女は確実に来る。

 と、考えはしたものの彼女は中々姫秀の前には現れなかった。

 すでに盧植と別れてから半年が経過している。彼は彼女たちと合流し、望たちを説得して黄巾に備えなければならない役目があるが、頑なに孫堅を待ち続けていた。

 

 流石に半年も待てば誰かの耳に入る。

 

 

「全く、誰かと思えばお前か」

 

「俺だぁ、遅いぃ」

 

「大丈夫か、私が誰だかわかるか?」

 

「んー、呂望!」

 

「……」

 

 客が居なくなるほどに酔いつぶれた姫秀、机や椅子は壊れて食器類も割れている。

 

「そ、孫堅様……」

 

「あーよい、私が連れていく、修理代は後日な」

 

 孫堅は片手で軽々と姫秀の肩を持ちあげ、背負った。体格差はそこまでないのにも関わらず姫秀を持ち上げた筋力はその細腕からは考えられなかった。

 

「全く、何故こんな回りくどい誘い方をするものか」

 

 深夜、酒場はまだ賑やかであるが、そこから少し離れれば昼間は喧騒に塗れている街も月夜に照らされて静かである。

 孫堅の耳に入るのは自分の足音、虫の声、そして姫秀の寝息である。

 

「数年ぶりにあった男を何故背負って家に連れて帰らねばならぬ」

 

 それほど豪勢でもない屋敷に戻り、自分の寝床に彼を寝かせると孫堅は一息をついた。

 実は急いで自分の街へ戻ってきたのだ。

 娘に家督を譲ってから迷惑をかけないように隠居していた身であるため、偶々荊州の近くにまで足を延ばしていた。そこで自分を探している者の話を聞きつけ、酒場に来てみると数年前ふらりと酒盛りをして孫家の行末を語り合った友が酔いつぶれていた。

 

「三日三晩呑んで酔わなかったお前が酔うとは。一体如何ほどの酒を平らげたのだ?」

 

「桃水じゃあああ~」

 

「阿呆めが。馬鹿らしい」

 

 孫堅は布を無理やり被せると数秒の内に姫秀もおとなしく規則の正しい寝息を立てた。

 

「あれだけの酒を飲んで鼾もかかないのか、なんという男だ……しかし」

 

 その先を孫堅は飲んだ。

 この男が自分に会いに来た理由を考えたためである。

 

「近頃は大した情勢もわからんし……孫家の助太刀にでも来たか?」

 

 孫堅は姫秀の寝顔を見て回顧した。

 数年前に酒場で喧嘩を売ってきた彼と酒盛り勝負をして引き分けた。それからというもの事あるごとに勝負をして、そして何時しか彼と孫家の行末を論じていた。今思えば相手が姫秀と知らなかったころに孫家の行末を話すのは相当良くないことだ、ただの民に言っていい愚痴ではない。別れ際に彼の正体を知ったのであるが、それから孫家の在り方が変わっていったともいえる。

 孫堅が隠居を始めたのは他でもない命の為、誰でもない自分の命を守る為。影響力の強い孫堅は暗殺の危険性があった、それを指摘され彼女は娘に家督を譲ったのだ。

 その指摘を一度は払った。だが、姫秀は「外界に対する影響力はなくなってもいい。しかし君の言う孫家には君という人物が不可欠だろう」と。死を賭すのではなく、生を求めろと姫秀は武人である彼女に説いた。

 

「今ではその通りでしかないな」

 

「炎蓮……か?」

 

 視線を落としてみる、するとどうやら意識を取り戻した姫秀が目を瞑っていた。

 

「おはよう」

 

「頭痛え」

 

「飲みすぎだ——というより、弱くなったか?」

 

「かもしれん」

 

 ゆっくりと体を起こす姫秀の顔色は最悪だ。吐き気を催すようには見えないが眉間に皺が寄り合っている。頭痛の証拠だ。

 すかさず置いてあった水を孫堅が渡した。

 

「すまん」

 

「ふん……で、何の用だ」

 

「……」

 

 水を胃に流し込み、一息ついてゆっくりと目を開いた。

 

「頼みがある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 時は進み、そこは中原の陳留。その城に座しているのは他ならぬ姫秀が勝手に認めた奸雄こと曹孟徳である。

 報告会を兼ねた軍議、半年前とは比べ物にならない程人材も増え、有能武将、文官のみならず、下っ端に至るまで数はおろか質までも向上していた。それと同時に経済も停滞することなく確実に拡大、陳珪、陳登親子、そして内政面では姫秀の弟子である荀彧、荀攸が腕を振るっていた。

 それだけではない。玉座の間に並ぶは夏侯惇、夏侯淵姉妹に曹一族の曹仁、曹純、曹洪。許緒、典韋、徐晃、楽進、李典、于禁など。層々たる武将が戦に備えている。

 

「桂花、物資はどうなっているの」

 

「はっ、華琳様。兵糧の準備、武具の配備など一切の抜け目はありません」

 

「そう。秋蘭、編成はどうなっているのかしら?」

 

「はっ。問題は一つとしてなく、万全の状態であります」

 

「そう」

 

 ただそこに座るだけ。それだけで大きくも朝廷に比べれば小さい玉座がまるで覇王の座る王座に見える。しばしの静粛に息を呑む音が連鎖を起こす。

 曹操が見ているのはどこでもない先、この黄巾の乱ではなく、更に先。いつか——いや、今も見ている平和という夢——いや、これは夢などではない。自らの力で作る現実。

 阻むものは踏みつぶす——奸雄は奸計を施すことなく、ただ真っ直ぐ覇道を歩く。

 

「華琳様……」

 

「どうしたの桂花?なにか言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」

 

「いえ……」

 

「なんだ桂花、華琳様に隠し事でもあるのか?」

 

その夏侯惇の言葉に荀彧は鋭くきつい視線を送った。案の定曹操から「隠し事があるの?」

と意地悪な言葉を貰う羽目になる。すぐさま否定はするが、彼女は言いたいことが胸にあることを見透かされてしまった。

 

「け、懸念なのですが」

 

「あら、先ほどは一切の抜け目がないと言われたけど?」

 

「い、いえ!物資の問題ではなく……」

 

「いい加減にしなさい。怒らないからはっきりと言いなさい」

 

「は、はい。その——」

 

 荀彧は一度大きく息を吸い、そして大きく息を吐いた。

 そして意を決した。

 

「陽鏡の姫秀についてです」

 

 曹操の眉毛が痙攣したように家臣一同は見えた。

 そして次の瞬間、曹操は笑みを浮かべて言う。

 

「引き籠りの双鏡、その片割れである天才姫秀。または名士の筆頭、聖人——その陽鏡がどうしたのかしら?」

 

 まるで獲物を狙う猛獣の眼光、姫秀の名前を出す彼女はそう見えた。

 

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 

 

森、その森に犇めくのは雑踏である。似つかわしくない光景、そこに一人の傾奇者が現れた。すると元の姿を取り戻したかのように森は枝擦れの音を奏でた。

 

「よう、待たせたな」

 

 一人として返事はない。

 だが姫秀は、笑って言葉をつづけた。

 

「お前ら——覚悟くらいは持ってきたよな?」

 

 一人として返事はない。

 

「上等。仕上がったお前らの怒り、俺が説き伏せてやる」

 

 

 




サボっていたとは言わないでもらおう。

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