恋姫†無双——陽鏡の姫秀——   作:火消の砂

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賊登用

 河内を出て姫秀は洛陽、許昌、襄陽、そして漢中へ向かう途中の上庸で疲れを癒していた。彼が蜀の地を訪れようとしているのは他でもない目的があるからで、洛陽から一度南下しわざわざ長安を避けて遠回りしたことにも理由があった。それは他でもない司馬懿を避けるためである。自らが見つけられるようにするまで見つからない自負はもちろんあるのだが、弟子を信じてやまない彼は他でもなく司馬懿が自分を見つけてしまう可能性を消すためにわざわざ遠回りをして漢中に、そして用事が済み次第荊州を目指すことに決めていた。

 荊州といえば老臣劉表がそこを長年治めている平和の土地。川が多く穀物の豊作が多い。また北上すればそこは帝の住む朝廷があり、南方を守る役目としても機能している。流石に歳を重ねすぎたようであるが、一見そこには野心の見え隠れはない。

 そして荊州といえばもう一人。姫秀にとってはこれ以上に他でもない水鏡がいる土地、そして水鏡学院のある場所でもある。魑魅魍魎であり、可憐である水鏡が開いた最も高名な塾の一つ、本物の才神か名家しか入ることはできない。一見腐敗してそうであるが殆どが才神で構成されている。その水鏡学院の中でも現在群を抜いている生徒が二人、それが臥龍こと諸葛亮と鳳雛こと龐統である。この二人は幼いながらも天才、奇才を纏う才女であるが、姫秀は彼女たちに目もくれず一人の少女を一人の天才として評価していた。それこそ彼が徐福と呼ぶ二人の間に隠れたが、彼がしっかりと拾い出した徐庶である。

 そんな徐庶を諸葛亮と龐統のせいで陰に追いやった世間を非常に非難し、また諸葛亮と龐統にも多少の怨念じみた感情を持っている。彼自身諸葛亮と龐統が素晴らしい才を持っていることは認めているが、徐庶には勝てぬと考えているのであった。

 もちろん彼もこの三人が全てとは考えていない。水鏡の下には他の才神がいるはずだ。だが如何せん彼は引きこもりであり、見に行ったり聞いたりしなければその者の才覚、というか実際に見なければ彼は判断しないので殆どの才神を司隷辺りでしか知らない。少し遠出をすれば長安や冀州の辺りまで行くが、あとは同世代からの手紙である。彼に才神を紹介するのは司馬防、水鏡、涼州の韓遂、そして幽州の盧植である。

 

「風鈴か?良くここが分かったな」

 

「邑文……もう、めちゃくちゃな動きして。桜那ちゃんが凄く憔悴していたわよ」

 

 風鈴、眼鏡をかけたお淑やかで聡明そうな女性。風鈴というのは真名で本名は姓を盧、名を植、字を子幹という漢に仕えていた役人。現在は幽州で塾を開き、水鏡とは違う形で才神の育成に励んでいる。

 塾が幽州にあるということは彼女もまた幽州に居るはずであるが、その彼女が上庸の宿にいる姫秀を訪ねてきている。訪ねられて困ることもないがなぜ急に彼女が自分を訪ねたのか、姫秀はそれが気になった。

 

「幽州で隠居するのではないのか?それとも漢中の宗教に嵌ったか?」

 

「違います、邑文ちゃんが旅をしているらしいと聞いて飛んできました」

 

「なんと、馬鹿かお前は」

 

「せっかく来たのにその言いようはないでしょう!」

 

「冗談だ。それより俺の居場所を特定するとは流石と言いたい。桜那にも見習わせたい」

 

「自分を必ず見つけると信じているくせにね」

 

「うむ、当たり前だ」

 

 風鈴は息を呆れ混じりに吐いた。そして寝床の上で横になり、一息をついたところで真剣な眼差しを再び姫秀に向けた。

 

「朝廷から仕官の誘いが来たわ」

 

「やめておけ、それならば俺と来い。人を集めている」

 

「……そう言おうと思ったんだけど、なんだか嬉しい」

 

「今のところ確定は俺と桜那、徐福だけだ。これからざっと五百人を集める予定だが————」

 

「五百!?」

 

「将ではないぞ、兵だ」

 

 驚いた後、風鈴は顎に手を当てて頷いた。

 

「漢中近くの賊————かしら?」

 

「ご名答だ。その後南下して荊州に入り、また并州に戻る」

 

「水鏡は?」

 

「あいつとは手を組まん。傍観を気取っておけばよい」

 

「そう……やはり乱を予感して行動を始めたのね。僭越ながら私も協力させてもらいます」

 

「ああ、頼もしい。風鈴がいれば指揮は任せられる」

 

「……もう」

 

 顔を少し赤らめる、その先には苦しいくらいあどけない微笑みの姫秀が足を組んで座っていた。

 

「それでなんだけど」

 

「なんだ?」

 

「私のところに劉玄徳って娘がいるんだけど、彼女はどうかしら?彼女といつもいる二人も戦力になるわよ」

 

「……劉なのか?」

 

「一応証拠はあるけれども、本当かどうかは分からないわ」

 

「……会わねばわからん。その話はまた今度だ」

 

「そう」

 

 顰めたというわけでもないが姫秀の顔は険しくなった。

 劉という姓にどれぐらいの意味があるのかは彼も重々承知している。だが分家の分家の分家という線もあり、必ずしも選民であるわけではない。実際劉備は貧しい家系であり、だからこそ盧植の塾にいたと考えられる。

 だがそれ以上に姫秀はその「劉」を「備える」そして「奥深い徳」を意味する名前に直感を鋭くさせていた。

 

————奥深い徳を備える劉—————

 

 その言葉を思考の片隅に置き、姫秀は立ち上がった。

 

「よし、再開を祝して飲みに行こう」

 

「ええ!?今から!?」

 

「ああ、しこたま飲むぞ」

 

「あ、待って」

 

 昼から朝方まで飲んだ二人、次の日の夕方に起きると姫秀の横には裸の盧植が寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 漢中を南下してすぐのことであった。

 

「よう、兄ちゃん。身包みとその女を置いていきな」

 

 天下の漢中を目下に置くこの街道、姫秀と盧植は所謂賊と呼ばれる者達、十人ほどの賊に囲まれていた。姫秀はもちろん平然としているが、盧植の肝も中々に据わっていた。彼女も戦場に立ち指揮を執ることもできるが、彼女自身に武力はない。肝が据わっているだけで姫秀の後ろに隠れて精神を保っているに過ぎない。

 

「やれやれ、どうしてこうも君たちは愚鈍の真似事をするのか」

 

「……あ?」

 

「いや、馬鹿にしているわけではないよ。ただ相手の実力も見極められないという勘違いを自らに課して生きる、これは単衣に国が悪いのだろう———君たちがそのように愚かな行いをするのは」

 

「俺たちを馬鹿にしているのか?」

 

 その十人の中の一人、赤い隈取をしている者、恐らく主格と思われる者が姫秀の前に現れた。

 

「そんなことはない」

 

「お前、名前はなんだ?」

 

「姫秀、名士だ」

 

 すると薄ら笑いが広がった。これだけ啖呵を切ったのがたかが名士であったと罵っているのであろう。南蛮刀を持った十人と腰に刀を一つ持った名士、そして文官の女。賊からすれば至極全うな思考である。

 

「名士風情が調子にのるなよおおおお!!」

 

 姫秀の横、そこにいた男は感情を昂らして真上から姫秀に刀を振り下ろした。完全に舐めた行動で姫秀がただの文官だと思い大振りで振りかかっているのであろう。だが間違えてはならない、姫秀は文官ではなくあくまでも名士だ。

 襲い掛かった賊は宙に舞って地面に打ち付けられて意識を失う前に姫秀がほほ笑んでいたのを見た。

 

「俺は姫秀、お前たちと話をしに来た」

 

「……できると思ってんのか」

 

「安心しろ、会話するのはお前らの親玉とだ。今は言語は言語でも肉体言語で話すからよ」

 

「——っは、やってみろ」

 

 砂利が擦れる音が一斉に鳴る、点々とした音は間隔狭めていく。それは姫秀の下に近づいているに他ならず、姫秀も遅めの抜刀を始めた。

 

「離れるなよ、盧植」

 

 はい——という間もなく姫秀は盧植を強引に抱きしめた。これにより片腕が塞がる。だが正々堂々でも真剣勝負でもないこの喧騒はそんなことを考慮することもなく進んでいく。

——姫秀の圧倒によって。

 族の頭である男。百舌と呼ばれる男はここら一帯の賊の一つを纏める若頭で、五百を纏める棟梁の側近であった。従軍経験はないが、虐げられそして危険の中に生きてきたため腕はそこらの人間よりもたつ。姫秀を目の前にしても、それが良い所の人間だとしても関係はない、身包み剥いで殺し、胸も大きく顔も美しいか弱い女は自分の物にしてしまおうと考えていた。

 だが、その男は片腕を塞ぎ、女を守りながら八人の攻撃を大して大きくもない刀で弾き、時には足を使って転ばし、そして一人も殺さずに掠り傷を負うこともなく、何事もなかったように男たちを平伏してそこに立っていた。

 

「盧植、怪我はないか?」

 

「……うん」

 

「——何者だ、お前」

 

 盧植は頬を赤くし、姫秀は微笑みを絶やさない。

 だが百舌は信じられないとも何とも言えない驚愕の無表情で彼を睨んでいた。

 

「只者じゃねえようだが、姫秀——陽鏡って奴か。なんでそんな奴がこんなに強え?」

 

「勘違いしているようだが俺は文官じゃない。武官でもないがそこらの有象無象に負けるような鍛え方をしてもいない」

 

「ふざけんな、将軍並の強さだぞ」

 

「ふふ、生憎朝廷に仕えたことはないよ」

 

 余裕綽々の姫秀と警戒心を多量に含んだ睨み浴びせる百舌。

 百舌は明らかに一人だけ南蛮刀とは違う直刀を抜いた。細くなく、南蛮刀にも劣らない大きさ、姫秀よりも頭一つ大きい彼と相まって威圧感が増していく。倒れながらも意識のある下っ端共は額に脂汗を掻いている、恐らく恐ろしいのであろう。彼が恐ろしいとは姫秀も感じていることなので間違いはない。

 だが、姫秀は全くそれを顔には出さないし、一番か弱い盧植ですら姫秀の後ろながら表情筋一つとして動かしてなどいない。

 それはまさしく胆力の証。ただの根性ではなく戦や死を、そして危険を巡ってきた将の証。故に恐ろしくとも恐ろしいとは感じない、考えない。

 そしてそれは百舌も同じであった。

 ——棟梁に比べりゃあ——

 

「俺に勝てば棟梁の所に連れて行ってやる」

 

「了解した。俺が負ければ身包みを剥いで名乗れ「我は名将姫秀を打ち取った義賊である」と」

 

「私のことも好きにしなさい。貴方の女にするのもいい、そこの男共で凌辱するのもいい、娼婦にして稼ぐのもいいでしょう。もとよりその覚悟はあります」

 

「……いい覚悟だな」

 

「君こそ。やはり賊には惜しい」

 

 百舌の直刀が姫秀に向き、姫秀は盧植を離して自身の柳葉刀を百舌に向けた。

 

 風切り音がブンっと鳴るころには百舌は右手で直刀を振り下ろしていた。無論姫秀もその頃には既に一歩下がり右足で百舌の顎を蹴り飛ばした。

 

「舐めやがる」

 

「俺なりの礼儀だ」

 

 スン——スン——という音が鳴るたびに姫秀は体を大きく動かした。百舌の猛攻はまさしくそこらの有象無象では太刀打ちのできない見事なものであった。乱雑に見えて太刀筋にはブレがない。それどころか大きな直刀を寸分違わず片手で振り回せているのは間違いなく彼の技量によるところであろう。

 

(すさまじい連撃だな、息をつく暇がない)

 

 と思いながらもそう全く顔に見せないのが彼の最悪足る所以である。

 文武において彼は間違いなく天才。

 

(決める)

 

 突然、姫秀は足元を取られた。中石が転がっていたのだ。おっと——そんな声を出して姫秀は思った、これは嵌められたのだと。初めに対峙した時よりも大きく場所が変わっている。彼の連撃と見せかけた誘導によって必然的に中石が姫秀の足元をすくったのだ。

 そして突然の振り下ろし。大振りではなく両手による渾身の一撃、確実に避けることは出来ない。

 

「すばらしい」

 

 不安定ながら足場を作った姫秀は百舌の振り下ろしに振り上げを合わせた。それはまごうことなき自暴自棄ではなく、姫秀がただ一つ狙っていた、そして初めて姫秀と百舌の刀が触れ合った瞬間であった。

 

「……」

 

「俺の、刀が」

 

 鍔の少し上、百舌の刀はきれいに真っ二つになっていた。

 

「太刀筋が奇麗故、斬らせてもらえた。俺の勝ちだ」

 

 すると金属音があちらこちらから聞こえ出した。倒れていた賊たちが再び刀を持ち始めたのだ。「ふざけんな!」「ぶっ殺してやる!」という怒声が飛び回る。姫秀はもう一度盧植を引き寄せて目を細くした。

 

「黙れお前ら!」

 

 そしてそれを掻き消したのは百舌であった。折れた直刀を拾い上げ、鞘に納めるとただ静かに顎で「付いてこい」と姫秀に向けた。

 

「頭!」

 

「うるせえ!俺は負けた、こいつらも危険性は背負っていた、なりゃ約束は守る。俺たちはクソみたいな賊とは違え!」

 

 一喝。

 その言葉で賊たちは一切の文句を言わなくなった。

 

 姫秀は思った。

 戦場で良く通りそうな威のある声であると。

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

「守るに安く、攻めるに難い。素晴らしい森だな」

 

「攫うに適してもいる、が?」

 

 はっはっは——と姫秀は百舌の言葉を流した。

 漢中から成都へ少し向かう途中の逸れ道、そこの獣道から歩くと道を知らねば迷い、息絶えることは間違いのない樹海。姫秀と盧植は隠れ家へ案内されていた。

 

「盧植平気か?」

 

「ええ、大丈夫よ」

 

「そうか」

 

 姫秀は盧植の肌が傷つかないように自身の羽織っていた物を盧植に着せた。彼は全く気にもしていないが盧植の頬は一瞬赤みを帯びた。

 

「……お二人は夫婦か?」

 

「違う、爛れた関係だ」

 

「な!?」

 

「ひゅー、羨ましいね。そんな美しい女性は中々居ないぞ」

 

「婚期を逃しただけであろう」

 

「なな!?」

 

 百舌と姫秀はクククと笑みを隠し切れず、口の端から溢れるように腹を抱えた。一方盧植は羞恥心で顔を真っ赤に染め上げ、近くにいた賊の下っ端が「き、気にしなくてええと思うぞ」と気遣われ、八つ当たり同然でそいつの背中に真っ赤な手形を刻んだ。

 

 と、姫秀と百舌にも手形は付けられた——頬にである——がそうこうしている間に百舌の足、姫秀の足が止まった。

 

「ここだ」

 

「——ほう。立派だな」

 

 恐らく木が大量にあったであろう場所、そこは一切を切り開かれ、代わりに吹き抜けから照らされる木造の隠れ家が構えていた。下手をすれば都の豪邸と同じほどの大きさ、薄暗いが陽の明かりで昼間は過ごせるだろう。外観に灯台があるので夜には光がつくと考えても違いはない。一介の賊には到底あり得ない隠れ家である。

 

「随分羽振りが良いようだな」

 

「家は俺らで作った。仲間には大工もいる、あとは振りまいた残りで賄っている」

 

「名前だけの義賊ではないわけだな。さすが廃れたとは言え都で狼藉を働く者達だ」

 

「……随分俺たちをかっているようだな」

 

「私は有能に目がなくてな」

 

「——ついてこい」

 

 百舌は一瞬言葉を失い。そして隠れ家の奥に入っていく。何人かの賊が百舌に頭を下げると同時に姫秀を見て睨みつけた。

 姫秀はそんな視線に気を取られることもなくただ、賊の人数を数えていた。

 

(少ないな……ここは本拠地というだけでいくつかの集団で分かれているのか)

 

「着いたぞ——棟梁」

 

「どうした」

 

「棟梁に会いたいという者を連れてまいりました」

 

「……通せ」

 

 一つだけ大きな引き違い戸。百舌が片膝をついて声をかけるとゴツゴツとした声ではなく渋く低い声が短く聞こえた。

 

「入ります」

 

 百舌が扉を開くとそこにはいい着物を着た額に一本線の傷がある、姫秀よりも若い人物が胡座をかいて座っていた。一見して賊の大将である。

 だが、姫秀は第一声、百舌の度肝を抜く言葉を笑顔で発したのだ。

 

「やあ、大きくなったなあ——姫望!」

 

「——邑秀……様」

 

 

 




賊はオリジナルです。次でどんな者なのか明かします。

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