恋姫†無双——陽鏡の姫秀——   作:火消の砂

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三色一白

 才覚を現してきた曹孟徳も名家の袁本初も、司馬家の次女である司馬仲達も江東猛虎の次女である孫仲謀も齢十五である。曹操や袁紹は既に家督を継いでいることを考えればこの世が低年齢化していることも分かる。

 勿論、朝廷や各諸侯には老兵や古くからの忠臣がいるであろうが、その中に国を治める英雄はいない。

 

 姫秀は齢三十三。異質である。後世に伝わる黄巾の乱、それを諸侯が鎮圧するという動きがあるのは更に三年後である。その時姫秀は三十六、天下に名が轟いているとはいえ未だ出仕もしておらず戦でその実力を発揮したこともない。一部の人間からは大したことの無い法螺吹き歳重ねと罵倒されている。当たり前といえば当たり前だ、全く働いていない男が自分達より名を轟かせているなんて許しがたい行為である。

 だが、姫秀にとってもそれは迷惑千万である。自分は関係ない、水鏡が勝手に自分の名を轟かせたのだ。どこからか暗殺者を送られる程緊迫した時期もあったくらいだ。ある程度時が経つそういうこともなくなったが、未だに舐めてかかる名士風情が家に尋ねてくることがあった。尤も、先日まで住んでいた家は豪快に全焼したので誰か来たところで面倒な思いをすることもない。

 因みに今まで姫秀の名が轟き続けているのは他でもない司馬家と司隷の名士達が姫秀派の人間である為で、当の本人はそれを知らない。

 

 さて、姫秀が司馬懿を騙して并州から旅立ってから二ヵ月が経とうとしていた。司馬懿が自分を探し出したら一人前として認めるというのは本当であるが、姫秀はいじらしい人間である。自分が失踪してから一か月後に司馬懿が家を出たというのを耳にして、彼はあろうことか司馬邸へ足を運んでいたのだ

 だが別にお茶をしに来たわけではない。旧友に会いに来たのだ。

 

「あら、邑文じゃない」

 

「やあ。久しぶりだね、火奈」

 

 火奈。聞けば分かるが真名である。その持ち主は司馬防であった。

 彼の親友と言えば水鏡、司馬朗であるが司馬防ともまた旧友である。そもそも二十歳の彼女より四十近い司馬防の方が付き合いが長い。才能のあった司馬朗と自分を引き合わせたのは司馬防であるし、司馬懿を自分の下に預けたのも司馬防である。精神的な繋がり深い水鏡と違って実質の繋がり深い。

 そんな彼女は今病に伏しているわけだ。長い無理が祟り、家督を司馬朗に渡してからどんどん体調を崩している。自分がようやく重い腰を上げるというのに今まで自分を認め続け待ち続けた人間に挨拶するのは普通である。

 

「加減はどうか?」

 

「良くないわ。偽りや誇張なしに長くはない、貴方の勇姿は見られそうにないわ」

 

「そうか」

 

 司馬防は武勇に優れた人間というわけではなかった。だが異民族との戦いで戦場へ赴くこともあった、政略に巻き込まれることもあった。その時は智勇によって修羅場を潜り抜けてきた。その修羅場で旦那を亡くしたわけであるが、少なくとも弱気を畳みかけるように吐く人間ではなかった。長い付き合いで酒を多く交わした、体が交わることはなかったが、司馬防の脆弱な所も強大な所も乙女な所も見てきた。彼女の夫とも深い交流はあったし明誠な男と言うのも珍しかったので語ると楽であった。見事姫秀の魅力以上を司馬防に見せて彼女を射た男だが、やはり二人の仲が深いということを理解していた。自分が死んだ時、姫秀に司馬防と家族を任せるということも言っていたし、実際死んでしまった。

 司馬防を貰うことは男に対して不義であるとして姫秀と男の秘密となったが、家族を支援することを彼なりにやっていた。

 

 そんな緻密な関係だからこそ、司馬防の姿を見て姫秀は涙を流してしまったのだ。

 

「ふふ、泣いているのかしら?あの人が驚くでしょうね」

 

「うるさい。君とは深くかかわり過ぎたのだ」

 

「ふふふ」

 

 病人らしくか細い上品な笑みがこぼれていた。

 

「そういえば桜那が憤慨していましたよ」

 

「機は見て敏である」

 

 今度は二人で笑みを溢した。

 目尻に溜まった水滴を袖で拭うと、姫秀は椅子に着く前に茶器を取り出した。一人で住んでいると誰も注ぐ人がいないので自然と身に付いた動作。一通り彼に茶を教えたのは他でもない司馬防であるのだが。

 しかし早い動きで茶を淹れると司馬防の目つきが細くなる。淑女が落ち着いた動作で繊細に淹れる茶と一線を画した独創的かつ、男らしい手付き。急須に茶葉を入れてお湯を注ぐだけである。

 

「それで?一体どこに行くのかしら、それとも独立?」

 

「決めてない――が」

 

 ふと、姫秀はそこにあった青と赤と緑の珠を三角状に並べた。

 

「青――晴天の霹靂に見出された傑物、袁本初とは違う格を持ち、その評からは名君として、その評からは奸雄として、我が評からは英雄として曹孟徳。

 赤――虎を名乗り、老を従え、家を省みる。地盤に優れて祖に優れ、しかし苦境にその姿を置く孫伯符。

 緑――は未だ現れずもどこか予感を覚えなくもない」

 

「曹孟徳に孫伯符……前者はともかく後者は意外ね。緑は探すつもりかしら?」

 

「ああ、水鏡の見立てでは近々大きい戦が起こる。そこで見つけるつもりだ」

 

「そう……孫家を上げたのは何故?まさか呉の末裔だからかしら?」

 

「違う。江東の猛虎に前に会ってな、その時に見た。次女の孫仲謀も聡明だ」

 

「なるほどね。孫伯符もかなりの聡明ということかしら」

 

「いや」

 

 知者の会話、司馬防は目を細めて姫秀に疑問を投げかけた。それを一度否定した姫秀は湯呑みを傾けた。

 

「彼女は器で言えば覇王。だが曹孟徳とは逆、虎を受け継いでいる」

 

「炎蓮の子がねえ……嬉しい事ね」

 

「ん?知り合いか?」

 

「一緒に朝廷でね。炎蓮も一時期危ない時期があったけれども、引退という形でどうにか命を繋いでいる様ね」

 

「……ああ。それはよかったな」

 

 一瞬の口籠りがあったが、司馬防は特に突っ込むこともなく茶を優雅に啜っている――が。

 

「ごほっ……ごほっ」

 

「大丈夫か?」

 

 制止するように右手を出し、左手は口元を隠している。赤い物は見えないが、少しの水分で咽てしまうのは食道が狭くなり、気道に入りやすくなっている証拠だろう。姫秀はそんなかつての皮肉屋からは想像もできない弱弱しい姿を見て息を吐いてしまう。全盛期を知る者からすれば当たり前の反応なのだろうか、知らぬ人間が溜息などをつけば司馬防もいい気はしないだろう。

 

「ねえ、あの人がいなければ私と貴方は夫婦になっていたかしら?」

 

「……」

 

 突然の弱音に姫秀は言葉を出せなかった。自らの病状を話しながらも今まで弱みは見せなかった。そんな彼女の過去を投影する言葉、そして青天の霹靂を見せる空に視線を移す死線を感じさせる表情。

 水鏡、司馬防、姫秀、未来を語りあった妙才の一人がこの世を去ることを感じさせた。

 

「ねえ」

 

「なんだ?」

 

「抱いて」

 

 姫秀は一言も呟くこと無く、ただ司馬防の下へ寄り添うのだった。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 あの密談が昨日の様にも思える。姫秀は恐らくもう会えないのではないかと考えながら豫洲の潁川へ足を運んでいた。道中の街や村にも長く滞在し各々の治安状況や暮らしの変容を確かめるので、司隷を出てから既に二週間が経過していた。訪問の目的は他でもない、河内の司馬家に次ぐ学問の名家「荀家」への訪問だ。ここに学問塾は水鏡とも関わりが深く、素晴らしい人材が溢れていると聞く。

 その中でも荀家、長女と次女、そして親類の一人がそれぞれ才を持つとされ、姫秀は長女と次女と既に面識がある。

 長女の荀諶は寡黙で姫秀の講義を受けていた時も発言を一切せず、筆を持つこともせずただ己の知識に取り込むような人間。一定の敬意はあったようで、姫秀の下へ来るときは必ず菓子折りを持ってきていた。そんな彼女は家を離れ袁紹の下に仕官したと聞く。姫秀は袁紹をただの豪族上りとは考えてないのでなんら心配はしていない、荀諶であれば忠義を尽くし主君の良き右腕になることを確信していた。

 親類の一人である荀攸という人間も風の噂では傑物と聞いているので特に触れることもないが、その次女である荀彧については姫秀もただ挨拶で済ませるわけがなかった。

 他でもない荀彧は姫秀の弟子である。

 

「やあ、桂花はいるかね」

 

「こ、これは陽鏡様!荀彧様でございますか……申し訳ございません、今荀彧様は出ておりまして……」

 

「そうか、突然押し掛けたのはこちらだ、畏まる必要はない。まあ茶でも貰おうか、帰ってくるまで、待つ」

 

「しかし荀彧様は何時お戻りになられるか――」

 

「構わんよ、愛しい弟子に会いに来たのだ、いつまでも待ってやろう」

 

 

「そ、そうでございますか」

 

 と、姫秀が笑い飛ばした部屋の隣には聞き耳を立てている猫耳の少女がいた。

 

 遡ること一時間前。

 

「はああああ?!陽鏡が来てる!?なんで!?」

 

「分かりませぬが街の近くまでもう来ているそうです」

 

「……最悪」

 

 机に積んであった書物をぶちまける程の衝撃を受けた荀彧、彼女は弟子であると同時に姫秀に心を折られた人間の一人。彼の凄まじさを知るが故に出来るだけ会いたくないのだ。そんな事情も全て理解している姫秀は彼女の性根を直すために拷問に近い学問を学ばせたわけで、そこにあるのは劣等感ではなくほとんどが恐怖心でしかなかった。それに姫秀は気が付いていない。

 

「私出かけることにしておいて」

 

「しかし荀彧様」

 

「この家からは一歩もでないから安心して、どこかに出かければ絶対にあいつと会うことになるから。任せたわよ!」

 

 小さな体をドシンドシンと揺らしながら荀彧は急いで仮の拠点を応接間の隣に作ることにした。

 

 

(なんであいつ帰らないのよ!絶対会いたくない!)

 

(おおよそ俺に会いたくないのだろう。それで居留守など使っているわけだ――残念だが一度屋敷に忍び込んで在宅を確認しているから意味はない)

 

 ふう、と一度溜息をついて姫秀は考えを改めて席をたった。

 

「やはり帰る。桂花に伝えておいてくれ――偽愚者か青勾玉か、将又始まりか――さて卒業おめでとう、とね。では桂花、頬に壁の跡が付かないよう、可愛いお顔が台無しになるよ」

 

 ガタガタン――その音が数刹那の沈黙と使用人の苦笑いを産み、姫秀は屋敷を後にした。

 

 街の万事屋で旅の買い足しをして宿屋に戻ろうとする時、姫秀は気が付かなかったがあちらの二人は白基調の美形に気が付いた。

 

「おや、先生」

 

「先生、桂花の所にですか?」

 

「おや、おやおや、風と稟じゃないか。君たちこそ桂花の所か?俺は居留守を使われて傷心している所だよ」

 

「桂花ちゃんは恥ずかしがり屋ですからねー、先生に会うと赤くなってしまうのですよ

 

「け、桂花は――」

 

「服が赤くなる、鼻血を止めろ」

 

 凛という真名を持つ者は他でもない郭嘉。興奮すると鼻血を出す性癖がある彼女であるが、隣にいる幼い少女の風と呼ばれる程立と同様、姫秀に認められた才人の一人である。だが荀彧とは違い二人は姫秀が認めた弟子ではない。彼が認めた弟子は世に数人、司馬懿と荀彧、司馬朗、呂布、そして向こうは姫秀に気が付いてはいないが彼名高い美周郎こと周公瑾、現白地将軍と呼ばれる夏侯妙才、二千年後に語られるこの時代を作る者達の支えとなった策士、その師である彼はそうやって名を広めていくのであった。

 

「そうだ、二人にも一つ至言を献上しよう」

 

「至言……ですか?」

 

「ああ――これ、寝るな風」

 

「……おおっ!申し訳ありません」

 

「はあ……それが君の良いところだな」

 

 パンっと一度掌を叩き姫秀は襟を直し、一つ袖から勾玉を三つ出して見せた。二人はそれを見て懐疑を覚えた。

 

「勾玉でしょうか?」

 

「青と緑と赤と……おや、もう一つありますか――白と」

 

「崇高なる格好の良い青の愚者か、緑園に桃を咲かせる緑の愚者か、虎を喰らう兎を喰らう赤の愚者――そして愚者を愚者とし愚者になる白の愚者。さて、また何れ会おう。近いうちに会うだろう」

 

「あ、先生」

 

 久しぶりに会ったのだからお茶でも、と言いかけた稟を置き去るように姫秀は意外にも多い人ごみの中へ、まるで森に木を隠すように消えて行った。

 

「……四つの勾玉。間違いなく仕えるべき主君の勧めでしょう」

 

「うーん。愚者という選択肢が如何にも先生らしい、どの愚者を選べばよいか――頭が下がりませんねえ」

 

「それをいうなら上がりませんでしょう」

 

「おおう!そうでした……青は恐らく曹孟徳の事でしょうけれど後の緑と赤は誰でしょうか」

 

「……緑は見当もつかないけれど赤は孫家の旗に使われているわ。それよりも白の方が分からない」

 

「多分先生しかわからないのでしょう」

 

 二人の視線の先には人々の笑顔だけ。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「思わぬ人物に言葉をやってしまったな」

 

 姫秀は宿屋で地図に何かを書き込みながら独り言を呟いていた。隣には既に冷えた茶と窓からは月明かりが差し込む、既に荷物は纏めてあり明朝にこの町を去るつもりだ。

 

「まあ、あの二人は孟徳の所へ行くだろう、それが合っている」

 

 皮肉か、それともただ評価を下しているだけなのか。姫秀の興味は目の前にある地図にのみ向けられていた。

 元々は白紙に書き込まれた詳細が載った謀略家が持つ地図。だがそこには更なる膨大な情報量が書きこまれていた。

 人物の所在地から各地の名産品や軍事開発、道に至っては宿屋と所要時間の計算、親しい人物であるならばその者が良く使う道など、恐らく姫秀専用の地図。そしてその地図のある箇所に姫秀は筆を入れ――黒く塗りつぶした――それは他でもないこの場所、河内である。

 

「そろそろ南下するか。上にも飽きたし、都を掠めて蜀に降りてみよう――ああ、そうだそうしよう、名案だ。そして「集めたら」荊州に入って桜那と合流して……いや、荊州は駄目だ。水鏡の息がかかり過ぎている、仮に臥龍や鳳雛に会ったら感情を抑えられない……ああ、駄目だ!徐福が居る!彼奴は他と違って優秀だからな、あちらから来てくれるに違いない!

 ならば仕方ないが更に右へ向かおう。張勲が面倒だが孫にも会って――いや、やはり荊州にしよう。臥龍と鳳雛には合わないように―――私の部隊を作らねば」

 

 極めて純粋な心で「そこ」に丸を付けた。

 

 

 

 




評価つけてくれるとうれしい

そういえば姫秀と邑文という名で主人公がどういう人物か見当つく人もいるかもですね。

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