いつも通りの時間に投稿しようと思いましたが、間に合いませんでした!
1時間遅れで申し訳ないです。
遠い、遠い昔、摩耗しきった記憶。
何があったのか、何をしたのかも定かではない。ただ漠然とした風景が延々と流れる。
唯々走り続けた。傲慢にも休むことなく走り続けた。
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
願われればそれを良しとした。言われるがままに淡々とこなした。言われるがままに解りましたと答え、何もかも請負、何もかも背負い込んだ。
それしか選べなかったから。
もしも大事なものを天秤に乗せることになった時、人は、生物はどうするのだろうか?
小を切り捨て大を取る?それとも大を捨て大切な小を取る?その選択肢すら投げ捨て一人で逃げる?
あの時、どの選択をしたのか、今はそれすらも思い出せない。
大事な物、忘れてはいけないモノだった。それだけは思い出せる。だが、思い出せるのはそれが大事なモノだったことだけ、その大事なモノが何だったのかは思い出せない。
思い出そうとするたび、ノイズが掛かったかのように邪魔をする。
それでも必死に記憶の糸を辿っていく。
その甲斐もあってか少しづつ、霧が晴れていく。
靄のかかった記憶に少しずつ怪しい光が差し込んでくる。心が安らぐような優しい光とは違った怪しい光、しかしその光から目を離すこともできず、どこか吸い込まれるようにその光の差す場所に誘われる。
見えるのは壊れた世界、自分が知らなかった穢れた世界。
闇のように暗く、底なし沼のように深い世界。
理性と言う感情をどこか置き去りにしたかのような世界。
強者が喰らい、弱者は喰らわれる残酷な世界。
出口があるのかも定かではない真っ暗闇の中、一人の男性が懸命に走り続けていた。
一度も後ろを振り向くことなく、ただただ前を向いて闇雲に走り続けていた。
長い時間走り続けた男性の足がゆっくりと止まる。
今まで忙しく動かし続けていた脚が止まる。
男性はゆっくりとした動きで後ろを振り返る。
思い出せるのはそこまで、そこから再び靄が掛かる。
頭が軋む、思い出さないといけない、忘れてはいけない、そう言った感情が湧き上がると同時に反する感情も這い寄る。『無理をしなくてもいい?』『苦しいんだろ?』『痛いんだろ?』『辛いんだろ?』、ブラックホールみたいに深く、怖くも魅力的で甘美な囁きが頭に入り込む。
そうだ、苦しい事をわざわざしなくてもいいじゃないか。辛いなら逃げてもいいんじゃないのか?
そう言った感情が己の心に浸透していく。
甘く甘美な言葉に心を委ねようとする。
少し、少しだけ、休んでもいいはずだ。
だってあれだけ走り続けたのだから。
あれだけ頑張ったのだから誰も咎めはしない。
全てを投げ出し、微睡に浸ろうとする。
微睡に堕ちる最後に聞こえた言葉、あれは誰かの叫び声にも聞こえた。
□■□■
「貴方には冥界へ行ってもらいます」
会談が無事に終わり、天使たちは熾天使の指示のもと忙しい毎日を送る中、突然下った指令。
「今回の和平がきっかけとなり、私達天使も合法に冥界へ行くことが可能となりました。そこで禍の団の対策を練るため、我らも冥界へ行くこととなりました。ですが私達熾天使が皆冥界へ行くことはできません。そこで今回はガブリエルが冥界へ行くこととなりました。しかし、ガブリエルだけを冥界へ向かわせるの些か不用心、ということで最近は討伐任務も少なく時間の空いている有馬にガブリエルの護衛を頼もうという事になりました」
どうやら最近の有馬は討伐任務よりも奪還任務や護衛任務を任せられることが多いらしい。
確かに和平が結ばれたことによって、今まで多くあった討伐任務が激減し、悪魔払いの多くは暇を持て余している状況になっている。そんな状況を利用しておいしい物巡りをしている天然馬鹿もおり、そいつを捜索するためにグリゼルダが派遣されている始末だ。
教会屈指の実力者達が揃いも揃って働いていない異様な事態。平穏になったことを喜ぶべきか、それともまともな人格の人間がいないことを嘆くべきなのか。
「貴方だけでも護衛は十分だと思いますが、念のために貴方を含め複数人で護衛をお願います。3,4名ほどで構いません。人選は貴方に任せますので頼みましたよ」
告げることだけ告げその場から去るミカエル。
『人選は貴方に任せます』、その言葉に有馬は内心冷や汗を大量に噴きだす。
有馬貴将として生きて早33年、他者との関わりをできる限り避けてきたこの男、そんな男に『一緒に任務行こうぜ!』と誘うことのできる間柄の同僚が果たしているのか?
まず最初に浮かびあかったの人物、先日の会談でも大いに役立ってくれた男ジークフリート。この男なら有馬の言葉に頷き淡々と任務をこなしてくれるはずだ。
次に浮かび上がった人物がとある女性、それなりの交流もあり決して中は悪くない。悪くないが、相手からは随分と好意的に話しかけられるため若干苦手としていた。だが、その実力は非凡なもので若年ながらも熟練の者に引けを取らない程の腕を持っている。
もう一人は戦闘能力も高く、サポート面でも優秀な人物だ。正直、周りの人間が戦闘能力に極振りしている奴ばかりで、そう言ったサポート能力を持った彼女は有馬にとってありがたいものだ。護衛任務という事を考えれば彼女を連れていかない理由はないだろう。最も、着いて来てくれるかは別だが。
有馬は短く溜息を吐き、宛のある人物たちの元へ向かう。久方ぶりのツーマンセルではない任務。これは何かの前触れなのか、それともただの考えすぎなのか。少なくとも、今までの人生経験の中でこういったことで何もなかったことはまずない。
「まずはジークだ」
初っ端から断られる可能性のある人物の元へ行くことを避け、自分の誘いに乗ってもらえると半ば勝手に思い込んでいるジークの元へ最初に向かう。やはりこの男、どれだけ人間離れしていたとしても臆病なところは変わらないようだ。
□■□■
「護衛任務、ですか」
「その補佐を頼みたい」
ジークは突然来訪に驚きながらも、その内容を聞き内心興奮していた。
あの有馬貴将が自分を必要とし、自ら足を運んでくれた。
その事が嬉しくないわけがない。
ジークにとって有馬とは完成された一つの伝説、英雄と言ってもいい。
歳若くして龍王を討伐し、二天龍すらも単独で屠る実力。それでいてその結果に驕ることも慢心することも無く、期待以上の結果を出し続ける。まさしく現代の英雄だった。
そんな人物が教会にごまんといる戦士の中で自分を選んでくれた。正直、有馬一人で十分な気もしないことも無いが、それでも嬉しかった。
「分かりました」
「装備は念の為に予備を用意しておいて」
その言葉に少し眉がつり上がる。
ジークの主武装は魔帝剣グラム。普段はこの一本のみを使用している。だが、ジークの武装は他にもあり、本来は5本の武器を使った多種多様な戦闘スタイルで戦っていた。
しかし今まで有馬の指示により、残る4本を使用することを禁じられていた。それは実力不足という事もあるが、ジークの基礎能力を底上げするためでもあった。武器に頼り切った戦い方ではすぐに限界が訪れる。それを見越してグラム以外を使用することを禁じていた。
その為、普段はグラム以外亜空間に収納することなく、教会に預けているような状態になっていた。それが今回の任務では持ってこいと言ったのだ。つまり、今のジークなら残る四本を使いこなすことができると有馬が判断したのでは、と期待に胸を膨らませる。
「それは……」
「ああ、前回の会談では随分と動きに無駄があった。が、それでも前回に比べれば動きの繋ぎ、ラグは短縮されていた。二刀までなら許可する。それ以上はまだ早い」
駄目出しもあったが、ほんの少し認めてもらえた。ジークにとってはかなり上達したつもりなのだが、有馬にとっては些細な差だろう。
それでも自分が次の段階に進むことができたことが喜ばしい。
今でこそ、有馬から多大な信頼を得ているジークだが、肝心の有馬との出会いはそれは酷いものだった。
ジークの少年期、彼は教会の学者たちから最高だ、最強の悪魔払いの誕生だと言われ浮かれていた。彼はそんな状況に自惚れ何とあの有馬に闘いを挑んだのだ。
結果は、多くの者が予想した通りだ。
名だたる魔剣の数々を使って挑んだにもかかわらず、有馬に傷一つ付けることはできず、挙句の果てに万年筆で魔剣による攻撃を捌かれたのだ。これには流石のジークも愕然とし、心に大きな傷を残すことになった。伝説に名高い魔剣が何処にでもあるような万年筆相手に負けた。魔剣こそ最強と信じて疑わなかったジークにとってこれ人生の根幹を揺るがすような事件だった。
それからと言うものジークは有馬と共に何度も任務に赴き、その理不尽な実力を目の当たりにし、それに憧れるようになった。
あの力に少しでも近づけるのならたとえどんな無茶な指示でも答えて見せる。どんな理不尽な相手にも立ち向かって見せる。それであの後ろ姿に近づけるのなら安いものだ。
「分かりました。今日中に取りに行きます」
「数日中に日程を伝える」
有馬は踵を返し、部屋から退出しようとする。
できるなら組手でもしてほしかったのだが、有馬は多忙の身、我儘を言って困らせるのは本意ではない。そう思い、ジークも預けてある魔剣を受け取りに教会の保管庫に向かおうとするが
「あ、有馬さん!」
有馬とジークが部屋から出ようとした矢先に入室したのは三つ編み、金髪、美人、この三拍子が揃った少女ジャンヌ・ダルク。彼女は彼のオルレアンの乙女として有名なジャンヌ・ダルクの魂を受け継ぐ少女だ。
彼女は元々教会でシスターをしていたのだが、ある出来事を境にシスターから戦士としてジョブチェンジを果たすことになった。それからと言うもの彼女の才能はすさまじく、若くして教会屈指の実力者に加えられる程の実力を身に付けた。特に剣捌きは我流だが天性のものがあり、それこそジークよりも扱いに長けていた。
ジャンヌは部屋の中に有馬が居たことに華を咲かしたような笑顔で喜ぶ。
「お久しぶりです!有馬さんの噂は聞きましたよ!なんでもコカビエルを秒殺、白龍皇を赤子の様にあしらったとか!」
興奮した様子で語るジャンヌ。その内容は先日起きたコカビエル事件と会談の話だ。
若干、噂が誇張されている気がするが、よくよく思い返してみたらそこまで事実と大差がない気もする。確かにコカビエルは三分以内に戦闘不能にしたし、白龍皇との戦いも一方的な展開だった。
「それにしてもどの勢力も大変ですね~。裏切り者に反逆者、問題のオンパレードですよ」
完全に他人事の様に言っているが有馬らにとっては実際問題他人事に近い。例えるならテレビのニュースで『中国が日本にミサイル発射した』と報じられたとしても、実際に日本に住んでいなければ『へぇ~。物騒なことだな』程度に思うだけだろう。これは余程根が善人な者か、政治家でない者なら当たり前の感想だ。所詮は対岸の火事、自分たちに関係ないのならさほど興味はわかないだろう。
「まあ、前に立ちふさがるなら悪魔でも堕天使でも倒しちゃえば何の問題もありませんし」
残念なことにこの少女、戦闘面にステータスを極振りし過ぎた為、やや脳筋の傾向がある。邪魔するなら倒す、後の事はその時になってから考える。そう言うタイプだ。
「仮にも同盟を結んだんだ。不用意に悪魔や堕天使を結んだ相手を殺すなよ?」
「覚えてたらで」
ジークの忠言に興味なさげな返事を返す。
基本的に好戦的なジャンヌだが戦闘以外では柔和な雰囲気でマイペースな性格だ。それだけに本人は自覚していないが周りに合わせるという事が苦手だ。
「ジャンヌ、話がある」
そしてこの男もある意味マイペースだ。いや、天然と言ったほうがいいだろう。
「数日後に護衛任務がある。それに参加してほしい」
「いいですよ」
軽い、余りにも軽すぎる。
話の内容を聞かずして返答をする辺りその軽さが窺える。
余りにもスムーズに話が進むことにジークは大丈夫なのか不安を覚えるが、有馬が選んだのなら大丈夫だろうという結論で納得する。
「久しぶりに有馬さんと一緒の任務、フフフ……」
いや、やっぱりだめかもしれない。
ジャンヌのあの嬉しそうな表情。まるで新しい玩具をもらった子供のような喜びよう、有馬と共に任務に行けるのがそれほどうれしいのか、それとも別の理由なのか、そんな事はどうでもいいが碌でもないことが起きる。任務はまだ始まってないにもかかわらず、早くもそんな予感がしてならない。
「そうだ、久しぶりに稽古してくれませんか?あれから大分腕を上げましたよ、私」
そう言いながら徐に腰から西洋剣を抜くジャンヌ。それに便乗するように無言で亜空間からグラムを取り出すジーク。
どうやら拒否権はないらしい。
有馬は仕方なしに懐から万年筆を取り出す。
西洋剣と伝説の魔剣を持つ相手に万年筆で挑む。普通なら考えつかない。いや、考えついたとしても実行する者は居ないだろう、一部を除くが。ある時ジークは有馬に何故万年筆を使うのか聞いた。『ペンは字を書ける便利な道具だが、使い方次第で容易く心臓を貫くことができる』、その言葉を聞いた時、『容易く心臓を?』と思わず疑問が生じたが、有馬の言うことだから本当なのだろうとその場は納得した。
「じゃあ、行きますね」
ジャンヌは両手に唾を吐きかけ、剣が滑らぬように握りなおす。曲芸の様に西洋剣を左右上下に振り回し、感触を確かめる。ジークも左足を前に出し、切っ先を相手に向け、右の頬の横で雄牛の角のごとくグラムを構える。有馬の教えに基づいた構えオクス、西洋剣術の一種だ。
対する有馬は特に身構えることなく、自然体で二人の攻撃を待ち構える。だが、その自然体は唯の自然体ではない。立つことに必要な最低限の筋肉のみ使用した完全なる脱力状態。
脱力はどの武術においても精通する極意一つ。身体の力みは次の動作を露わにし、その力を軽減させる。逆に脱力状態が高ければ高い程、筋の最大出力幅が広がりその力は高まり、速度は神速に近づく。有馬の脱力状態から急激に発せられる力みはあらゆる角度からの攻撃に対応し、自由自在の攻撃を生み出す。その刹那の如き速さにコカビエルもヴァーリもやられた。両者ともなまじ元々の素養が高いだけに、大抵の相手には魔力や光の強さによって如何こうできてしまう。だからこそあの蹂躙劇は当然の結果だった。有馬?あれは別だ。
相変わらずの威圧感、それに気圧され緊張状態に入った瞬間、僅かに力みが生じる。
「身体を強張らせるな」
そんな数コンマの隙に距離を潰す有馬。その右手に握られた万年筆がジークの顔に向けて突き出される。一瞬で距離が潰された事に驚愕しながらも後方に体重を移動させ、上体を逸らし鋭い突きを躱す。続けて追撃の蹴りが放たれると思われたが、意外にも有馬は半歩後ろに後退する。
その理由はすぐに証明される。半歩下がると同時に先程有馬が居たであろう場所に西洋剣が振り下ろされる。ジャンヌだ。
有馬とジークの間に割って入ったジャンヌは続けてヒュンヒュンと音のなる速度で剣を振るい有馬に襲い掛かる。有馬はその攻撃を避けながらも突きや蹴りを合間合間に挟んでいく。
予備動作を感じることもできない速度の攻撃。ジャンヌは持ち前の反射神経を駆使して紙一重で避け続ける。
「反撃を受けた時の剣幕が薄い」
有馬が合間に放つ突きや蹴りはジャンヌの剣幕が薄くなった時に決まって放たれる。先程のジークの時と言い、闘いながらも的確なアドバイスをするとは随分と余裕がありそうだ。最も、この程度で参るようでは最強は名乗れない……名乗っている訳ではないが。
その後、7分ほど稽古が続くが結末は呆気なく迎えた。
「あっ」
「ッ!」
ジャンヌの西洋剣は鍔元からポッキリ折れ、ジークには額に突き刺さる寸前で万年筆が寸止めされてる。
勝負ありだ。
「2人共最初は柔らかい動きだったけど、最後は動きが硬すぎ。それじゃあ躱せるものも躱せない。それと攻撃は眼で追うんじゃなくて、全体を見て追わないと」
「はーい」
「……はい」
ジャンヌは陽気に返事をするが、ジークはそれができれば苦労しないというような表情をしている。
こうして、彼らの稽古は終わりを迎えた。
その後、有馬はクールダウンする二人を残し、残りの一人に任務の同行を頼みに行った。
任務の概要を伝え、頼んだところ同行してもらえることが決定、有馬の不安は杞憂に終わった。
有馬とその仲間三名、合計四名がガブリエルの護衛に付くことになった。
有馬だけでも十分すぎると断定せざるを得ない布陣にさらに三名の増員。
何気にミカエルも悪魔と堕天使を警戒しているのではないかと感潜ったが、要らぬ詮索だと論じその思考を破棄する。
こうして彼らの冥界行きが決まった。
果たした無事に任務を終了させることができるのだろうか。
ジャンヌってこんなキャラだっけ……?