でも、合間合間に書き進める喜びもまたあるのだ。
「――、――――――♪ 」
閉じたオケアノスの海に天上の美声が響き渡る。
一度耳にすれば誰もが聞き惚れ、荷駄を運ぶ手も忘れてうっとりと目を細めた。
フランシス・ドレイク率いる船乗りたちが、普段の粗暴も忘れて子供のように穏やかな顔で陶酔する。
「おやぁ、この歌声はアンタかいお嬢ちゃん。随分サマになってるじゃないのさ。いいねいいね、歌の上手いヤツは大好きだよアタシは」
「当然ね、なにせ私ですもの。これでも神の端くれよ? 人間如きと比べ物にはならなくてよ」
「ハッ、女神を船に乗せられるなんて海賊冥利に尽きるってもんじゃないか! ほらほら野郎ども、のんびりしてないで手を動かしな!」
マスケットの弾丸を足元に放って、聞き惚れていた手下たちに喝を入れる。
慌てて飛び起きた手下たちは、次は額に風穴を開けられては堪らないと、どたどた甲板を蹴って早足で駆けていった。
銃声に遮られ気を削がれたエウリュアレは、つんと澄ました表情で傍らを見やる。
夏の白雲のように豊かな頭髪。彼女の倍以上もある巨体を横たえ眠るアステリオス。
追手から逃れる際に負った傷は深く、苦しげに休息に入った彼の傍から離れることをなんとなく厭うて、エウリュアレは手慰みに歌を紡いでいた。
「坊やもすっかり寝入っちまってるねぇ。なんせ女神の子守唄だ、荒ぶる戦士も素直におねんねかね」
「別に、そういうつもりじゃないわ。単に暇だっただけよ。変な勘繰りはやめてちょうだい」
憮然としてエウリュアレが唇を尖らせる。
誇り高く気丈な高嶺の花はまるで素直じゃないが、その実誰よりもわかりやすい。
そんな二人の様子を見ていた人類最後のマスター藤丸立香が、ふとアステリオスの寝顔を見て呟いた。
「こうして見るとすごく幼いっていうか、可愛い寝顔してるよねーアステリオスくん。私もゲームとかでミノタウロスの名前は知ってるけど全然イメージ違うし。まるで大きな子供みたい」
「あの、マスター……さすがにそれはアステリオスさんに対して失礼なのでは?」
眠るアステリオスの頬をぷにぷにとつつく立香。
出会った島の大迷宮で散々追い回された恐怖もどこへやら、今ではすっかり頼れる仲間と化したアステリオスに、立香はなんとなくお姉ちゃん振ることが多かった。
尤も、当のアステリオスはそんな立香との距離感を掴みかねて、右往左往することが多かったが。
「マシュもほら、触ってみなって。髪とかすっごいもこもこだしさわり心地いいよ。フォウくんにも引けを取らないねこれは!」
「そ、それほどまで……ですか……!」
「ちょっと! 私の下僕に気安く触らないでくれるかしら!」
いつしかアステリオスを巡って少女三人が姦しくしていたが、さておき。
彼女らのバックアップに努めていたロマニが通信を開き、ドレイクへ進捗を問うた。
『どうだい、状況は。船の補修は順調かな?』
「ああ、星見屋かい。そうだねぇ……この調子なら明日の昼には船を出せそうだ。ワイバーンの鱗ってのは便利だね、ウチの鍛冶師や船大工が仰天してたよ。あんなナリで鉄より丈夫たぁねぇ」
『本来であれば十六世紀には存在しないはずの幻想種の鱗だからね。ともあれいい報告でなによりだよ。船さえ万全に直れば、今の戦力なら黒髭一味を打倒するのも十分可能なはずだ』
「アタシとしてもあんなヤツに負けっぱなしじゃあ海賊の名が廃るからねぇ……今度こそギッタンギッタンのズタボロにしてやんなきゃ、アタシの名が泣くってモンさ!」
「そんなにババア呼ばわりが腹に据えかねてたんすねぇ船長……」
「おだまりボンベ」
躊躇ない弾丸に逃げていく副官を呆れながら見送ると、ドレイクは声を張り上げて喝破する。
「さぁ野郎ども、張り切って働きなよ!! 修繕が終われば肉も酒もたんまり待ってるからね! そんで夜が明けりゃああの黒髭どもにリベンジだ! 散々コケにされた分はお返ししなくっちゃねぇ?」
「アイ、サー! キャプテン!」
「い~い返事だ野郎ども!! 客人に情けない姿見せんじゃないよ!!」
船長の号令一下で我先にと作業に移る手下たち。
見事に統率してみせたドレイクに、マシュは感嘆の念を漏らす。
「さすがはかのフランシス・ドレイク、見事なリーダーシップです。これなら今後の戦いも今まで以上に期待できますね、マスター!」
「いよっ、海の姐御!」
「おだてるんじゃないよ。それよりアンタたちもとっとと休んじまいな、明日になって寝ぼけて海に落っこちても知らないよ?」
「そうですね。マスター、私達も休息に入りましょう。アステリオスさんは……ええと、どうしましょう。彼の図体では部屋に収まりません……よね」
甲板に寝転ぶ彼と、内室への扉を見比べて困った様子のマシュ。
なにせ身長だけで三メートルに迫る巨体である。おまけに寝入っているのでは、運び入れるのも容易ではない。
そこへ立香が妙案を思いついたとばかりに喜色満面で提案した。
「ならこっちに寝床を持ってくればいいじゃん! アステリオスくんを挟んでさ、皆で寝ようよ!」
「いや、流石に作業員の皆さんの邪魔になるのでは――」
「あン? ああ、隅っこに居てくれりゃ別に構わないよ」
「だってさ! ほらほら、片方はエウリュアレに譲ってあげる!」
「仮にも女神である私を野晒しで寝かせようなんていい度胸ね貴女……」
黒髭との決戦前、夜は姦しく更けていく。
『近隣にサーヴァントの反応あり。この反応は……間違いない、黒髭だ! もうすぐ接敵するよ、皆気をつけて!』
「おっけーロマン! それじゃあキャプテン、号令よろしく!」
「あいよ! さぁて野郎ども、奴さんのお出ましだよ!! 面舵いっぱい! 横っ腹に風穴空けてやりなァ!!」
「アイ、サー! キャプテン!!」
明くる朝、予定通り出港したカルデア一行は、日が中天に差し掛かる頃目標と遭遇した。
世界に名高い大海賊、黒髭ことエドワード・ティーチ率いる"女王アンの復讐号"。四十門の大砲が火を吹き、絶え間なく砲弾を"黄金の鹿号"へと浴びせかける。
対する黄金の鹿号は、持ち前の素早さを最大限に発揮し、黒髭側の猛攻をすいすいと掻き分け翻弄する。さながら水鳥の如く滑らかに水面を躍る様は、しかし駆け巡る小竜巻の激しさだ。
カルデア一行に与するサーヴァントたちの攻撃もまたそれに拍車を掛ける。
特に顕著なのはエウリュアレの放つ
亡霊に過ぎない彼らが歯向かったところで何の戦力にもなりはしないが、その対応に少なからず手間を強いられる隙を突いてアルテミスの神矢も降り注いだ。
とはいえ黄金の鹿号が機動力に優れるならば、対する復讐号は単純な堅牢さを誇る難敵である。黒髭本人を含めれば実に四人もの英霊を乗せた船体は、さながら海を泳ぐ城塞ですらあった。
木っ端の手下たちは屠られれども、その主幹たるサーヴァントたちはおよそ無傷。船体もまた同様に損なう様子を見せず、結果として戦況は膠着に至る。
「やはり砲撃戦では埒が明かないようです。彼我ともに損害は軽微、しかし性質上時間をかければ有利になるのはあちらです!」
「わかってるさね! ちょうどいい風も吹いた、派手に行くからしっかり掴まってなァ!!」
ドレイクが吼えれば、大風を味方した黄金の鹿号が帆を膨らませ、急加速して船首を敵に向けて突貫する。
修繕のため島で狩り集めたワイバーンの鱗。軽量にして鉄よりも丈夫なそれでコーティングされた衝角が女王アンの復讐号の側面へと突き刺さり、互いに船体を大きく揺らす。
「行って、マシュ、アステリオスくん!」
「はい、マスター! マシュ・キリエライト、白兵戦へ移行します!!」
「ぅ、ぉおおおおおおおおおああああああああああああああああああ!!!!」
強引に繋いだ船首を駆け抜け二人が迫る。
迎え撃つ銃撃や剣戟をマシュが大盾で阻み、アステリオスが敵船に乗り込むと、そこから先はまさしく蹂躙劇であった。
常人の二倍ほどもある巨体。それを構成する人外の筋肉量が生む膂力。それが超重量のラブリュスを介して暴れ回れば、後に残るのは千々に砕かれた血肉のみ。
絶対堅牢を誇るマシュと怪力無双を宿すアステリオスのコンビは、船上の乱戦に於いてこの上ない戦果を発揮していた。
「うわーこえーなにあれこえー! マジで無双じゃんオケアノス無双? 筋力だけならヘラクレス並じゃね? 片親牛なアイツがあれで、片親ポセイドンなオレが海面歩けるだけって……だけって……」
「そんなことないわ! ダーリンには私という乙女を射止める超イケメンがあるもの!!」
「こんなぬいぐるみモードで言われても嬉しくないんですけどねぇ……しかもそれ顔だけじゃねーか! ホストか!?」
同じく空から乗り込んだアルテミスとオリオンが、有象無象の攻撃を掻い潜り確実に敵を射殺していく。
対する敵サーヴァントはアン・ボニーとメアリー・リード。比翼連理の連携を魅せる女海賊の二人組は、しかし散々に暴れ回るアルテミスを攻めあぐねている。
「くっ、ふざけた弓してるクセに……!」
「同じ射手として断じて認められませんわね!」
「ごめんねー? これでも私、狩りの女神だからー♪ 人間風情と同じに見てもらっちゃ、困るかなって☆」
「ちょおおおおあぶないあぶないあぶない! 今踏んづけられたらしぬぅ! 綿が出ちゃう~~!?」
足元をちょこまかと走り回っていたオリオンが叫ぶも、ややもしてアルテミスの肩へと戻る。
アルテミスは察し、後方へ飛び退いて距離を取る。仕掛けは整った――!
「なに――うわっ!?」
「衝撃、来ます!!」
メアリーが訝しむ間もなく、船体を突撃時以上の震動が襲う。
外部からではない、内部からの大炸裂に頑強性に優れる復讐号も無傷ではいられず、著しい損傷を負った。
「野郎――火薬庫に火ィ点けやがったなぁ!?」
「すっげぇ怖かったしビビりまくったけどやってやったぜぇオラァン! ぬいぐるみ相手にとんでもねー真似させやがって!!」
「素敵よダーリン! 私、もうあなたを永遠に離さないわ!!」
「ね、労いの言葉はもっとマイルドにお願いします、ハイ……」
衝撃に怯んだ隙を突いて、アルテミスの神矢がメアリーを射抜く。それを咄嗟に案じたアンもまた、同様に。
オリオンはいつも通り恋愛脳を振り撒きながらも冷徹に敵二人を射殺したアルテミスに、ガタガタと震えていた。
戦況はカルデア側有利に決した。
黒髭側の有利は、女王アンの復讐号の堅牢性と、それを支えるサーヴァントの部下あってのこと。立て続けに二騎を失い、船体を大きく損傷し、尚且つ手下たちをもアステリオスらに屠られては、保有する戦力の殆どを失ったに等しい。
諦めの悪い黒髭のこと、だからと言って大人しく観念するはずもなかったが――大勢の決した今、単独で勝敗を覆すだけの力は、最早無かった。
「こりゃラッキーだ、ここにきてこんな都合の良い状況が揃うなんてねェ……散々梃子摺らせてくれたが、最期は呆気ないもんだったね、船長さんよ」
「テメェ……ヘクトール、やっぱり裏切りやがったか――」
「ま、気づいてたよねぇそりゃ。でもま、最後は笑ったもん勝ちってことで」
ドレイクと黒髭、その勝敗が決した瞬間、背後から黒髭を貫く一振りの槍。
確実に霊核を穿った致命の一撃に振り返れば、そこには浮ついた笑みを貼り付けるヘクトール。
今の今まで黒髭の部下として振る舞いながら、その実虎視眈々と聖杯を付け狙っていたのだ。
否、狙いは聖杯だけではない。もう一方の腕で捕らえているのは――
「えうりゅあれ!!」
「うるさいねぇデカブツ、そんな叫ばなくても聞こえてるって」
「ぉ、お、まえ――――えうりゅあれ、を、かえせっ!!」
「おおこわ。でも怒りで曇った単細胞の攻撃なんざ、眠ってても避けられるんだよねぇ」
激昂するアステリオス。片腕にエウリュアレを抱くヘクトールへラブリュスを一閃するも、軽々と避けられる。
せせら笑うヘクトールの挑発にアステリオスはますます憤るが、人質が敵の手にある以上、ましてやそれを盾にされる可能性がある以上、それ以上の手出しはできなかった。
「それじゃあオジサンはこれにて御免ってね。まぁなんだ、アンタの部下やってるのも悪くはなかったけど――アンタらの流儀に合わせちゃ、財宝は早い者勝ちってことで!」
「ぉまえっ! ぐ、がぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「アステリオス――!!」
そう捨て台詞を吐いて、既に用意していたらしい小舟へと飛び移るヘクトール。
エウリュアレが伸ばした手を取ることすらできず、失意と憤怒にアステリオスは咆哮する。
既に遠方へ逃れたヘクトールの背を見送り、彼はぐったりと足を投げ出し項垂れた。
「へっ、情けねぇ結末だぜ。飼い犬に手を噛まれるなんてよォ……利用するつもりが、最期は利用されちまった、か――」
「……ま、悪党の最期なんざそんなもんだろ。不利を招いた船長が背後から部下に刺されて鮫の餌――なんて、ありきたりすぎて笑いの種にもなりゃしない」
「――へっ、へへへ、そうだ、そんなもんだ。そんなもんだったな! なぁに、生前の最期に比べりゃ首がついてる分まだマシってこったなぁ!!」
裏切りによって死に瀕するも、しかし笑い飛ばす黒髭。
看取るドレイクもよくわかるといった風に、そんな末路を辿る黒髭を笑って見送る。
「そいじゃあアンタともおさらばだねぇ。散々コケにしてくれた借りはあるが……ま、ほっといても消えちまう相手に返すのも無駄だしね。ほらほら、とっとと消えちまいな。今度は誰もアンタの首なんて獲らないさ」
「そりゃあ、いい――死んでまでバタフライする手間も省けるってもんだ」
燐光を発して薄れ行く黒髭。
その顔には誰よりも憧れた女に看取られて逝く歓喜と満足を浮かべながら、最期の瞬間まで大笑を止められずにいる。
一頻り声を上げたあと、ニカッと笑って首を傾け、視線をドレイクに合わせて。
「なぁBBA、オレは――」
「敵影確認! 全速前進突撃よーっ!!!」
「あばーっ!!!?」
キメ顔で最期の言葉を言い遺そうとしたその瞬間、唐突な横槍に盛大に吹っ飛ばされた。
「な、ななな何事ォーっ!?」
「新たな敵戦力を確認。マスター、ご注意を!」
「ね、ねぇねぇちょっとまって!? 今拙者、すげぇ良いこと言うつもりだったの! すっごい主役張ろうとしてたとこなの!! 最後の最期でこんなのってありですかァ~~~!!?」
復讐号を挟んで黄金の鹿号の対面に現れたのは、これまで幾度となく相手にしてきたデッドコピーの海賊船。
衝角を復讐号の無事だった側面に突き立て接舷する船首の先には、真っ白なワンピースを翻し、キャプテン帽を被って腕組みした、見知らぬ少女の姿が。
その背後には獣の相を持つ新緑の女が、呆れたように頭を振って少女に呟いた。
「おい、事はもう決しているようだぞ。吾々は完全に部外者のようだが」
「――あれぇ?」
アタランテとエウロペ率いる第三勢力、ここに参上。
しかしその邂逅は、全くもって場違いにすぎる、大いに顰蹙を買う登場であった。
ちなみに黒髭は衝撃で海に転がり落ちてそのまま消えた。
こんな扱いですけど黒髭は大好きです!!!(強弁)
GO編は省けるとこは省いていきますね。
そして細かい展開の食い違いもご容赦ください。
とはいえ決して手抜きにならないよう注意するのが大人の醍醐味(