Fate/EXTRA 奉納殿百二十八層   作:ハチミツ

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02.この螺旋を越えて

 血のように赤い空が、自分を見下ろしている。

 以前の空がどんな色をしていたのか、既に思い出せなくなっていた。

 

 ああ―――今回も、痛覚が、残留している。

 

「―――――」

 

 この状況に相応しい言葉がなんだったのか、分からない。そもそも眠気なんて頭痛のせいで消し飛んでいる。

 

「■■■―――■■■■■■■■■」

 

 最早何を言っているのかも分からない。そもそも、彼女が誰なのかすら認識できない。

 ともかく、今はさっさと進むべきだ。幸いにもこのイベントは無視しても何の問題もない。路上に乱立する肉塊じみた何かの横を通り抜けて、どこかへと向かう。

 目に映るモノや聞こえるモノ、その全てを正しく認識できていないが、道順や手に入れるべきものは体が覚えている。頭痛と既視感に目が回るが、そんな些事で足を止めるべきではない。

 どこかモニターの画面越しに風景を見るような、奇妙な視界。それでもないよりはいいと思う。少なくとも、闇雲に手探りで進むよりはマシだ。

 校舎の一階の端――不気味なほどに無音な廊下を歩き、辿り着く。そこには予想通り、用具室の(・・・・)扉があった(・・・・・)。半ばもたれかかるように無機質な戸を押し開けて、中へと入り込む。

 薄暗い倉庫の景観に注意は向けず、ただドールの従者を連れて奥へと歩を進めるのみだ。

 

 ―――ようこそ、新たなマスター候補さん。

 

 どこからともなく響く声を無視して、ただ奥へと進む。足を動かすのは使命感でも運命めいた直感でもなんでもなく――ただ、この残留する痛みを取り除きたいという願いだけだ。

 

 この先に、頭痛の原因がある。

 この先に、違和感の正体がある。

 この先に―――自分の願いを叶える為の、奇蹟がある。

 

 なぜか、そう確信している。そしてその確信だけが、俺を支える唯一の原動力だった。

 本来なら、とうの昔に発狂しているだろう。目が覚めた瞬間に、首を括っていたに違いない。それほどまでに、此処に“在る”というのは、苦痛でしかなかった。

 だがそれをしないのは、目の前に希望をチラつかされているからだ。まるで届かない人参を食おうと必死に走るロバのよう。きっと、俺を見ている“何者か”は今の俺の滑稽な様子を楽しんでいるに違いない。もっとも、そんな性悪がいればの話だが。

 

 ありえない空想を思いつつ、永い廊下を歩く。透明なガラスを繋げたような外観だが、しかし見える景色はただ一色のみである。凪いだ海を思わせる鮮やかな青――その先にある到達すべき地点を目指し、緩やかに下る(・・・・・・)廊下を駆け抜ける。

 

 きっと、今度こそ―――でなければ、一体、あと何度―――――

 

 * * *

 

 辿り着いた場所は、やはり荘厳な広間だった。

 並び立つステンドグラスのような構造体(オブジェクト)。それに包まれるようにして眠る、朔良園学院の制服を着た生徒達。そして―――断たれた糸を繋げ上げ、立ち上がる無貌のドール。

 

『―――――』

 

 こちらを目にするや否や、ドールがこちらへと肉薄する。当然、俺はそれに応じた。自らのドールを前線へと突貫させ、敵対する(エネミー)ドールと死闘を演じさせる。

 

 お前を倒せば、この螺旋も、きっと―――!

 

 かつてないほどの激情を込めて、襲い掛かるドールを睨み付ける。だが、それでは駄目だ。この(・・)ままでは駄目なのだ(・・・・・・・・・)。何も考えずに突っ込むだけでは、いかに相手が単調な思考(ルーチン)しか持たない人形であろうとも、決して敵いはしないのだから。

 頭痛に耐え、ドールに指示を飛ばそうと躍起になる。しかし、既に遅かった。形勢は相手が有利なまま覆りそうにないし、覆すためには明らかに数手足りない……!

 

 敵性ドールの放った蹴りが、俺のドールを貫いた。鋭利な爪先に腹部を貫かれ、床に崩れ落ち動かなくなる。それこそ糸を断たれた人形のようだった。

 ドールが討たれたと同時に、こちらの肉体もがくり、と膝から崩れ落ちる。どうやら、俺とあのドールは命か何かを共有していたらしい。ならば、ここで俺が倒れるのは当然だろう。

 

 また、目覚めるのだろうか。

 また、繰り返すのだろうか。

 また、頭痛は増しているのだろうか。

 また、視界は潰れているのだろうか。

 また、―――――

 

 

 ―――――また、俺は死ぬのだろうか?

 

 

「…………ッ」

 

 

 凍った心臓が、強く脈打つ。痺れる手足に冷たい血が通った。

 しかし所詮それは死んだ肉、死んだ魂。何があろうと、自分が敗北し死亡したという事実は変わらない。如何に心臓が猛り血液を廻そうとも、如何に脳が筋肉に動くよう命令を下したとしても。この身が滅び潰えた現実は、決して変わり得ないのだ。

 

 ―――ならば、何を足掻く必要がある?

 

 どんなに繰り返したところで、どうせここから先には進めまい。当然だ。幾度も繰り返した結果がこれなのだ。今更やり直したところで、何かが変わる筈がない。

 もう、疲れた。これ以上は、頭痛にも眩暈にも耐えられない。ここから先は、一歩も進めない。何があろうと、何も変わらない。―――結果は出た。俺には、何もできない。

 

 ―――――……いや。

 だから(・・・)なんだ(・・・)……!

 

「…………ッ!」

 

 痺れる指に血が通う。凍った心臓は、既に熱さを取り戻していた。収縮した脳が血で膨らみ、まともに考える余地が生まれる。噛み締めた奥歯が砕けたような気がするが、そんなことは心底どうでもいい。

 最早執念――あるいは、怨念しか頭にない。ここで“また”死ぬというのなら、この頭痛に耐えたのはなんのためだったのか。ここで朽ちる彼らは、一体何のためにここまで来たというのだ。

 ―――立て。でなければ、せめて考えろ。恐くても、痛くても、それくらいはまだできる。

 立ち止まるな、立ち止まるな、立ち止まるな! ここで諦めることの意味と訪れる結末を、よく考えろ! でなければ、それこそ俺にも彼らにも、救いがないじゃないか……!

 

 こんなところで、挫けられるか。

 こんなところで、死んでいられるか。

 こんなところで、誰が朽ちてやるものか。

 

 こんなことで死ぬなんて、あまりにもバカバカしい!

 だってこの手は、まだ一度も、自分の意志で戦ってすらいないのだ。だと言うのに―――誰が、諦められるものか……ッ!

 

 

 

 ―――――あなたの願い、しかと聞き届けました。

 異色ではあるけれど、ここに縁を結びましょう。私があなたの剣となります。だから、そんなところで眠っているのは損よ、無名の君。さあ、顔を上げて、耳を澄まして―――――

 

 

 

 不意に、虚空から高らかな声が響く。

 空虚でいて柔らかな声。頭に直接響くそれは、なぜか―――ひどく、心地よかった。

 

『まったく。「SE.RA.PH」の裏側まで来て、やっと諸悪の根源を見つけたと思ったらこれだ。まさか、こんな面倒ごとに巻き込まれるなんて思ってもみなかった。ただ死ぬだけの死体なら放っておくところだけど……ダメだな、そんな眼で誘われちゃ断れない』

 

 気怠げな囁きが、より近い位置で耳を打つ。男のような荒っぽい口調だが、それは鈴を転がすような少女の声音だった。

 

『いいぜ、丁度掃除にも飽きてたとこだ。

 この夢が終わるまでのひと時、おまえに付き合ってやる―――!』

 

 瞬間、全身に強い熱が走る。

 それが糧となり、俺は――巫条(ふじょう)祈荒(きあら)は、完全に目を覚ました。

 

 同時に、周囲を囲むステンドグラスが砕け散る。切り開かれる甲高い音と共に、天から光が降りた。スポットライトのような眩い光源の中心に、何かがぼうっと浮かび上がりつつある。ソレこそが、俺の――俺が目覚めることを望んだ、“誰か”だった。

 

「――――――」

 

 俺の呆然とした視線にも構わず、彼女はただ凛と佇んでいた。

 外見はほとんど人間と変わらない。だが、明らかに違っている。今まで自分が見てきたヒトガタのモノなんて、比べものにもならない。あるいは、彼女こそが“本物の”人間なのかもしれない。

 雪か桜の花びらのように、光の欠片が舞い散っているその中央。一人の少女が具現している。

 天光に塗れる黒絹の髪に、いっそ空虚に近い気怠げな瞳。浅葱色の着物の上に赤い革製の上着(ジャンパー)を羽織るという和洋折衷の衣装に身を包んだその威容に目を見張る。

 けれどもっと、心惹かれるものがある。

 無感動でありながら決して無機でないもの。まるで伽藍堂のように完成された静謐さ。矛盾したようなその二律背反の在り方は―――間違いなく。自分が知るものの中で、何よりも美しかった。

 

「サーヴァント、アサシン。オレを喚んだ物好き(マスター)はおまえか?」

 

 こちらに歩み寄り、少女は簡潔に問うてくる。

 刃物で刺されるように直視され、頭が熱でぐらつく。どうやら生き返ったばかりの肉体では、今の状況自体が相当な負担となっているらしい。すぐに答えることができないなんて、あまりにも無様だ。だが当の昔に喉が錆びついていることを考慮するならば、まだ応えられるだけマシだろう。

 少女の言葉に、俺は静かに頷いた。

 

「そう、なら契約は成立だ。……にしても、ヘンな挨拶だ。なんでこんな決まりがあるんだか」

 

 呆れたように小首を傾げながら、少女がこちらに手を差し伸べる。

 俺はその手を取り、立ち上がった。すると握られた手が発熱する。……鈍い痛み。けれどこんなもの、あの頭痛に比べれば虫刺され程も気にならなかった。

 問題なのは、そこに奇妙な模様が刻印されているということ。

 毛羽だった渦巻のような三画の紅い紋章が、刺青のように、左手の甲の皮膚に染み込んでいた。

 呆気にとられ、目の前の人物と左手を交互に見比べる。この僅かな時間の間に一体何が起こっているのか、てんで予想がつかなかった。

 けれど混乱したままではいられない。背後でカタリと音が鳴り、振り返ってみれば、先程戦ったあの人形が身構えていた。

 惨敗を思い出し、思わずたじろぐ。

 しかし傍らに立つ少女は違った。まるで俺を護るように、彼女は素知らぬ顔で前へ出る。

 

「殺し合いを直視するのはオレの領分だ。お前は下がって、戦いを俯瞰してろ」

 

 少女がぶっきらぼうに言い放つ。その手には一振りのナイフが握られていた。

 刃渡りはおよそ六寸程度。反りを持つ片刃のそれは、刀というよりは刃そのものだった。

 

『―――――』

 

 爪先で床を蹴立て、ドールが少女へと肉薄する。

 あの人形の総身は須らく凶器だ。手先爪先は槍となって肉を穿ち、振るわれる四肢は鞭となって骨を砕き内臓を破壊する。そしてその動作速度(モーション)は風のように速く、とても人間に見切れるものではない。

 だから俺は、今まで何度もこいつに敗北を喫してきた。

 当然だ。見えない技を迎撃することなんて、俺にはできない。頭痛で思考力が麻痺しているのも、それにより拍車をかけていた。―――何があろうと、俺ではあの敵を倒せない。どのような奇蹟を想定しても、この事実だけは最早絶対に覆せはしないだろう。

 

 ああ、けれど―――目の前に立つ、彼女ならば。

 

「動く人形か……そこに転がってる奴らと同じだな。ああ―――本当にいらいらする」

 

 無感情に視えた少女が、明確に嫌悪を剥き出しにして吐き捨てる。心底うんざりする、と。

 物思わぬ人形はその様をどう捉えたか。猛るように加速して、突撃槍(ランス)にも似た貫手を少女の胸目掛けて突き出す。如何なる構造体(オブジェクト)をも貫く突撃が放たれた。

 しかし、人形が穿ったのは虚空のみ。

 少女は人形の動きを完璧に見切り、あえて先手を譲ることで、後の先にて迎撃を実行する。

 

「死の塊が、オレの前に立つな―――――!」

 

 それは非の打ち所のない、鮮烈な一撃だった。

 少女の持つ刃が、人形の胸を貫く。針のように、剣のように、雷のように鋭い閃光が、肉と肉の隙間――ドールの電脳体を構成する霊子と霊子の合間を縫い、まるで当たり前のように貫通してみせたのだ。

 傷口から溢れる死の奔流。それに飲み込まれ、ドールの体が崩れ落ちる。少女はその遺体を無造作に放り捨てた。

 虫に食まれるようにして、ドールの総身が白いノイズに覆い尽くされる。バラバラに欠片を飛ばして散らばる様は、通常の消滅(デリート)とは明らかに趣が異なっていた。儚げに崩れ、散華するその姿は、肉の腐り落ちた骨か、あるいは百合の花のようにも見える。

 

「痛っ―――やっぱり、この体じゃ眼を使うのにも一苦労だな」

 

 苦痛に目を細めて額を押さえ、少女が苦悶を滲ませる声でひとりごちる。けれどその声は、言葉として俺の脳に届かなかった。

 頭痛は炸裂する針のようにより一層鋭さと範囲を増し、左手に宿る印が灼熱でもって肉を炙っている。その焼き鏝を押し当てられたかのようなに激痛に、意識が白く焼き焦がされた。

 限界を迎えて意識が遠のくと同時に、下半身が制御を失う。

 俺は膝を突き、床に崩れ落ちた。周囲に散乱している死体と同じように黙って虚空を見つめる。しかし彼らとは違って、俺はまだ生きていた。

 痛みは即ち生の証。生きている実感が、全身を苛んでいる。

 

 ―――痛い、イタイ、いたい

 

「苦しいか」

 

 ぽつりと零された声に反応し、茹る意識が少しだけ活力を取り戻した。

 俯せの身体をどうにか仰向けにして、頭上に目を向ける。するとこちらを見下ろす少女と視線がかち合った。

 蒼い光を灯した黒瞳が、じっと俺を直視している。

 

「痛かったら痛いって言えばよかったんだ、おまえは」

 

 その言葉は神託のように、巫条祈荒の体の内へと響き渡った。

 思えば、俺はこの症状を誰にも話したことがなかった。体内に際限なく増していく頭痛も、螺旋のように積み重ねられる無数の死も。全てに耐えて、耐えて、耐えて、その果てに自壊しようとしていた。それこそが自分の最期なのだと、心の奥底で信じて疑わなかった。いや、きっと今でもそれは変わらないのだと思う。

 自分は必ず死ぬ。幾重にも積み上げられたこの結論は、最早変えられない。けれど……もしも、もっと早くにこの痛みを誰かに訴えることができていたなら。そして、それを聞き届けてくれるヒトがいてくれたのなら―――きっと、それだけでおれたちは救われるのだと、そう願う(おもう)

 

 そして、彼女はそこにいる。

 

 今までで唯一、巫条祈荒の訴えに耳を傾けてくれた、ただ一人の少女が。

 こんなにも遅くなってしまったが―――

 

 そうだったのか。ああ―――なら、安心だ。

 

 呟きは、しかし声にはならなかった。

 痛みは微塵も治まらない。むしろ強くなる一方だ。

 しかしそれに反して、意識は潮のようにゆっくりと穏やかに引いていく。

 今にも死んでしまいそうな心地。その安寧にどっぷりと浸りながら――次に目覚めたときには、この螺旋を抜け出せていることを願って。俺はそっと、自らの意識を手放した。




 cv田中理恵とcv田中理恵が合わさり最強に見える。

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