Fate/EXTRA 奉納殿百二十八層   作:ハチミツ

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予選:痛覚残留
01.oblivious


 海のように青い空が、自分を見下ろしている。

 見詰め続けていれば泡沫のように消えてしまいそうな、そんな曖昧な天気(ソラ)だった。

 

 ―――眠い。

 

 精巧な色彩に覆われた景色を一望しながら、欠伸交じりに口の中で呟く。

 周囲には自分と同じように、眠たげに欠伸を噛み殺している姿が散見された。しかし直接文句を口に出す者は一人もおらず、胡乱げな瞳からは日々の強要された習慣に対する諦めが垣間見える。

 我らが学び舎、朔良園(さくらぞの)学院の朝は早い。ミッション系スクールである当校では、毎朝――正確には特定の曜日にのみ――行われる礼拝儀式への参加が義務付けられているからだ。

 

「あら、今朝は眠そうですのね」

 

 不意に、正面からそんな声がかけられる。お気に入りの生徒をたしなめるような口調のそのセリフに、自分は聞き覚えがあった。

 自分と同じく修道服に似た制服を着ている少女――黄路美沙夜。切れ長の怜悧な目を瞬かせ、彼女はこちらを注視している。袖には生徒会役員であることを表す赤い腕章がつけられていた。

 

 ふと気になり、周囲を見回してみる。校門周辺には、美沙夜と同じく腕章をつけた生徒が登校中の生徒を呼び止めて何やらチェックしているようだった。

 

 今日ってなにかあったっけ?

 

 小首を傾げて尋ねる。すると、美沙夜はあからさまに呆れた、と肩をすくめた。

 

「あったもなにも、先週の朝礼で今日から学内風紀強化月間だと発表されたでしょう?」

 

 ふむ。そう言われれば、そんなイベントがあったかもしれない。

 まあ何はともあれ、この生徒会長殿はきちんとチェック項目を合格(クリア)しない限りここを通してはくれないのだろう。

 

「それは当然のことよ。美しい規律は正しい服装から始まるものです。何より私は生徒会の代表として指揮を執っているのですから、いくら長年の友人とは言っても甘やかしたりしませんよ?」

 

 意地悪く微笑み、美沙夜はでは早速、と風紀検査を始めた。

 襟や裾、ソックスなどの服装を手早く確認し、次いで間断なく鞄の中身を覗きこむ。当然、違反物の類は見つからない。頭髪や爪の長さも問題ナシだ。

 

「非の打ち所がないわ。徹頭徹尾文句なく、貴方は朔良園学院生徒の模範そのものの姿よ。誇っていいわ」

 

 満足げに、それでいて誇らしげに微笑み、美沙夜は太鼓判を押す。

 しかし一転して彼女は苛立たしげに眉をしかめると、周りで行われている風紀検査を一瞥して重く溜息を吐いた。

 

「それに引き換え、まったく……。検査に引っ掛かった生徒は勿論そうなのだけれど、検査する側の役員まで気が抜けているようで如何ともし難いわ。どうやら雑に検査しているみたいだし」

 

 まあ、チェック項目が多いみたいだからね。大変そうだ。

 

 苦笑を交えて、労いを兼ねて声をかけてみる。すると彼女は、どこか恨めしそうな視線をこちらに投げかけてきた。

 

「正直、貴方のような生徒が私達運営側に加わってくれれば心強いのだけれど、ね。……あら、ごめんなさい。生徒会なんて、無理強いしてまで入って貰うものではなかったわ」

 

 どこか取り繕うように誤魔化しながら、美沙夜は前言を撤回する。その普段とは違う挙動に少し違和感を覚えたが、まあ、特に気にするほどのことではないだろう。

 

 分かった、それじゃあお勤め頑張ってくださいね、とうそぶき、美沙夜の横を通り抜ける。

 簡素な感謝の言葉を背に、下駄箱のある昇降口へと向かう。その途中で聞こえた情けない悲鳴から判断するに、まじめな生徒会長に誰かが捕まってしまったのだろう。ご愁傷様、と心の中で“誰か”に対し冥福を祈りつつ、自分は校舎の中へと足を踏み入れた。

 日光を取り込み明るく照らされた廊下を歩き、目的の教室へと向かう。

 

 流れるように自分の席へ座ってから、数拍の間を置いて、教室の戸が開かれる。

 姿を現したのは、黒いスーツを着用し、黒縁のメガネをかけた穏やかな男性だった。

 

「おはようございます、皆さん。今日も時間通りに全員揃っているようですね、結構」

 

 男性――玄霧先生は教室全体を見渡し、柔らかく表情を綻ばせる。

 玄霧先生は二年D組の担任だ。以前は葉山という名の教師が赴任していたのだが、彼は最近唐突に行方不明になってしまったらしい。理由は不明だ。何かの事件に巻き込まれたのではないかとの噂も囁かれてはいるが……真偽の程は判別しがたい。

 しかし、そんな欠落に世界が揺らぐことはないようで。今日も今日とて、まるで何事もなかったかのように朝の礼拝儀式が始まるようだ。

 

 いつもと変わらない日常。些細な変化を繰り返す日々。

 ありきたりな『いつも通り』の積み重ねが、今日もまた性懲りもなく始まっていく。

 

 * * *

 

 何もかもが、狂っている。

 だって、こんなの絶対におかしいだろう―――?

 

「……まったく。何体いるんだ、こいつらは。いくら殺してもキリがない―――――!」

 

 そんなのは知らない。どうでもいい。そもそも自分が望んでこんなことをしている訳じゃない。こんな地獄で、一体あと何度死に続ければいいんだ。

 

 

 失敗シタ 失敗シタ 失敗シタ―――!

 

 

 他人の失敗を喜ぶ下卑た嘲笑と共に、体が歪んで溶けていく。熱された飴のように肉が蕩け、バリバリと骨が変形した。

 

 

ソウダ ソウダ マタ 今度モ失敗シタ―――――!

 

 

 無限に死に続けることで繰り返(リトライ)される。この死を突破するまで、無限に殺される。螺旋のように開始(ゴール)を見失った終わらない聖杯戦争。その何度目かの今回が、こうして、無様に―――

 

 

 終ワレ! 終ワレ! 真実を見ロ、違和感ニ目ヲ凝ラセ、決シテ逸ラスナ、アノいけ好かないヤツの言うとおりにシロ! ヤメロヤメロ! 試せるコトはスベテ試せ! 試した上でオレを殺しに来い、ヤメテヤメテ、殺さないデクレ! 来るな、来ナイデヨゥ、殺シニキタラ殺シテヤル!

 

 

 ―――次の走者に呪詛(じょげん)だけを残し、すべてを失って消え去った。

 

 * * *

 

 ―――――投げ出された人形のように、いつも通り目覚めは唐突だった。

 まるで何事もなかったかのように/事実何も起こっていない/日常は続いている。

 

「……眠い」

 

 呆然と呟く。だが、今のこの感覚はその一言で表せるようなものではなかった。とにかく、今すぐにどこか落ち着けるような場所に向かいたい。

 日増しに大きくなる頭痛は、既に許容できる範囲を大きく超えていた。今では絶叫しながら床を転げ回りたいほどに悪化している。まるで、何かの呪いのようだ。

 

 ―――痛い、イタイ、いたい

 

「あら、今朝は眠そうですのね」

 

 聞きなれた/何度聞いたか分からない/お気に入りの生徒をたしなめる様な声。その一切を無視して、学校の敷地へと足を踏み入れる。

 

「あったもなにも、先週の朝礼で今日から学内風紀強化月間だと発表されたでしょう?」

 

 対象を失っても勝手に続く小言を気味悪く思いながら、そそくさと奥へ進む。

 どこに向かいたいのか、どこに向かっているのか。自分でも分からないが、きっとこの道で合っているはずだ。通い慣れた路を、今更間違える道理はない。

 

 豪奢な噴水や絢爛な花壇には目もくれず、中庭を横断する。

 その途中で、目の前に立つ誰かに呼び止められた。

 

「おはよう、いい朝だね」

 

 やあ、と片手を掲げ、こちらに爽やかな笑みを向けてくる。

 自分と同じ学院の制服を着た、大人しそうな顔をした人だ。彼は自分よりも一つ上の学年に在籍する上級生で、確か、名前は白純理緒……だっただろうか。

 

「おはようございます、白純先輩」

 

 普段なら/この螺旋においても/まず会うことのない人物。その出会いにどこか釈然としないものを感じながらも、自分は挨拶を返した。

 

「あは、辛そうだね。体調が悪いなら保健室に行った方がいい。こんな世界だ、自己の健康管理(メンテナンス)は欠かせないからね」

 

 労わるような柔らかな笑みを浮かべて、白純先輩は優し気に言う。

 体調が悪いのなら保健室へ――なるほど、確かにもっともな意見だ。しかし今はそんなことをし(・・・・・・・)ている場合ではない(・・・・・・・・・)。向かわなければならない場所があるのだと、頭痛と共に湧き上がる混沌とした衝動があった。

 

「そうか……行きたい場所が、あるんだね? それなら用具室に向かうといい。きっと君の望むものがそこにある。―――それじゃあ、僕はこれで。最後に君と話してみたかったんだけど、それも叶ったから。そろそろ行くことにするよ」

 

 擦れ違い様に肩を叩き、白純先輩は校門の方へ向かっていく。

 彼の言うことはまったく理解できなかった(・・・・・・・・・・・・)が、とにかく用具室へ向かえばいいということは分かった。なので、重い体を引きずって用具室へと向かうことにする。

 その前に一度だけ振り返るが、既に白純先輩の姿はそこにはなかった。

 

 用具室は校舎の一階、その最奥にあった。――のだが、どういう訳か今は扉そのものがなくなっている。まるで、ここには最初から何もなかったかのようだ。

 いや、もしかしたら本当にここには何も無かったのかもしれない。―――そう思いはしたが、ここで立ち止まることに対して肉体がすさまじい拒絶反応を示したので、渋々ながら壁を調べることにする。

 恐る恐る、真新しい校舎の壁面に指を這わせる。すると、指が飲み込まれた(・・・・・・・・)。腕の突き刺さった部分を中心にして壁にはノイズのようなエフェクトが走り、ずぶずぶと俺の腕を引き込んでいく。

 だが、この程度で驚いている暇はない。何せ、これはこれで何度見たか分からない光景だ(・・・・・・・・・・・・・)。問題はここから先、自分が生き残れるかどうかである。

 

 隠された扉を通過(スルー)して、用具室への侵入に成功した。

 薄暗い倉庫の中を見渡すと、―――やはりあった。デッサン人形のような外観の、華のない無価値なドール。従者のように追従してくるソレを鬱陶しく思うが、しかしコレがなければ生き残れない。少なくとも、自分はそう直感している(・・・・・・)

 

 ―――真実とか、日常とか、そんなことはどうでもいい。

 重要なのは、残留するこの頭痛を消すこと。その為には、前へ進まなければならない。

 

 * * *

 

 長ったらしい前置き(チュートリアル)を無視して、一気に最奥へと突き進む。

 辿り着いた終着は、やはり荘厳な空間だった。精霊が宿る、息苦しいまでに神々しい広間。そこには予想通り、幾多の朔良園学院の生徒達が倒れている。

 最早見慣れた光景。ならば死骸の傍に崩れているドールが立ち上がり、こちらへ襲い掛かって来るのもまた必定だった。

 

『―――――』

 

 こちらへ接近するドールに合わせ、自分のドールも前へ出る。どうやら、こちらを守る気でいるらしい。だが、頭痛と既視感がどうしようもなく如実に訴えている。曰く、期待はするな、と。

 

 斯くして――半ば予想通りに、自分のドールはいとも簡単に敗れ去った。

 

 無意味な戦闘と無価値な敗北。些かいつもと状況が異なってはいるが、しかし結果が変わらないなら特に気にする必要もないだろう。

 どうせ、ここで終わる。死を積み重ねる螺旋は不偏だ。この物語は、永遠に始まらない。

 

 そう結論付けて。―――――自分は、ここで諦めることにした。


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