今日から新学期が始まる。
地獄のようだった夏休み後半も終わり、なんとか無事にこの日を迎えられた。
だが地獄の日々ばかりだったかというとそうでも無く、城巡先輩という名の心のオアシスが居てくれた。
彼女との喫茶店での時間は俺の心をほっこりとさせてくれ、この時間が永遠に続いてほしいとも感じさせてくれた。
それなのに魔王は突如として現れる。
〈カラン、カラーン〉と鳴るドアベルをきっかけに店内に流れていたクラシック音楽が無音になる感覚に陥った。
店内に入ってきた人物を見た俺の頭の中には、シューベルトの[魔王]が流れてくる。
彼女が席に着き、俺に話しかけてくるたびに福岡に居る父親に向け「お父さん、お父さん!」と叫びたい衝動にかられてしまい、心のオアシスから変な目で見られてしまった。
勤務中に散々と精神を削られバイトを終えると、次は女王様からの呼び出しである。
「〇〇に居るから迎えに来て」と言う命令を受け、馳せ参じれば「ロク、遅いし」とお叱りを受ける。
この女王様フルコースは、ほぼ毎日頂戴する事になった。
それと、名前呼びを許した覚えは無い!
ただ彼女のアメとムチのバランスは絶妙で、俺が疲れた顔をしていると褒美と称し、女の子に流行っているというスイーツのお店などに連れていってくれる。
「ロク、ほっぺについてる」と言ってティッシュでクリームを取ってくれる所作は、勘違いしてドキッとしてしまう時もあった。
こうやって彼女が世話を焼いてくれるという事は、俺も彼女の近しい人物になれたんだと思い嬉しくなる。
「友達と花火大会に行くからロクも来て」と彼女に地獄へと誘われる事になるまでは、
~花火大会当日~
バイトを少し早めに上がらせてもらい、彼女との待ち合わせ場所へと向かう。
時間より早く着いたのだが待ち合わせた場所には彼女が立っていた。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
「遅いし」
まあ、待ち合わせ時間には間に合ってるんですけどね。
「えっと、他のメンバーは?」
「きゅ、急用とかで、今日はロクと2人だけ・・・なんだけど」
彼女は顔を赤くして、目を合わせない。
友達に約束を反故にされ怒っているのだと思い、下手にでる事にした。
「じゃあ、2人で楽しもう!」
「・・・・・うん♪」
「ていうか、浴衣似合ってるね。いつも綺麗なんだけど、浴衣だとまた違った感じで魅力的だよ」
「い、いつも綺麗・・・・、魅力的・・・・」
「うん、三浦さんと2人で花火を見れるなんて、俺は幸せ者だよ」
彼女に機嫌を良くしてもらおうと畳み掛けた。
「う、うっさいし。もう、行くよ」
彼女はスタスタと歩いて行く。
下駄を履き慣れていないのか、歩き方がぎこちない。
「はぁー、失敗」
俺は彼女の機嫌を上げれなかった事に肩を落としながら、彼女に追いつこうと歩き出す。
すると、履き慣れていない下駄のせいで彼女がバランスを崩してしまう。
「キャッ!」
(ガシッ)
素早く彼女の所まで駆け、抱き締めるように支える。
「大丈夫?」
「・・・・・」
「どこか捻ったりした?」
「・・・・・大丈夫」
「よかった」
そう言って、抱き締めていた彼女を離す。
「ありがと」
彼女は下を向きながら感謝の言葉を伝えてくる。
「手を繋ごう」
左手を差し出す。
「ふぇっ!?」
「下駄を履き慣れていないようだから、俺が支えるよ」
いつもの彼女らしく無い反応に可笑しく思いながら理由を伝える。
「・・・・・うん」
彼女が左手を握ってくれたので、花火大会の会場に向かって歩き出す。
彼女の温もりが左手を伝い、頭の中まで流れて込んでくる。
子供の頃もこうやって登校したよな。
彼女は今どうしているんだろう?
夏が終われば受験勉強で忙しくなっちゃうのかな。
早く会いたいな・・・・・。
「ロク!!」
三浦さんの呼び声で現実に返ってくる。
「なんて顔してんの、あーしと手を繋げて嬉しいのはわかるけど」
「・・・・・面目無いです」
「キモいし」
手を繋いでいる女の子の事じゃなくて、違う女の子の事を考えていた俺は、最低な男なのだろうか?
うん、最低な男だろう。
そうやって俺達は、花火大会の会場までやって来た。
「足は大丈夫、痛くない?」
「そんな気遣わなくても、大丈夫だし」
「痛くなったら、言ってくれていいからね」
「・・・・・うん、わかった」
「お姫様抱っこでも、おんぶでもリクエストにお応えしますから♪」
「キモいし」
そうやって、出店が続く道を進んで行く。
「優美子?」
三浦さんを呼ぶ声が聞こえて振り向く。
「隼人」
「やあ」
振り向いた先には葉山君が居た。
なるほど、1年生の頃から2人は面識があったのか。
「黒田も久しぶり」
「そうだね。久しぶり」
喫茶店で魔王にボコボコにされた時に会って以来だ。
「隼人とロクは知り合いだったんだ」
「この前、ちょっとね」
そう、俺の血祭りショーの観覧者さんです。
「ふーん。あ、そうだ!この前、大変だったんだから。隼人達と別れた後に変な奴らに襲われそうになって・・・」
「大丈夫だったのかい?」
「うん、ロクが助けてくたから」
「へぇー、君は誰だって助けてくれるんだね。ありがとう、優美子を救ってくれて」
「偶然だよ」
そう、あそこで彼女を見かけなかったら助ける事はできなかった。
「ところで・・・・」
葉山君は目線を下げる。
「2人はそういう関係なのかい?」
彼の目線を追うと、三浦さんと繋いだ手があった。
「ち、違うよ!これは、理由があって!!」
俺は三浦さんのために必死に離そうとするが、離してくれ無い。
いや、むしろ握る力が強くなってきている。痛い!
「危ないし、支えてくれるんでしょ」
「はい、すいませんでした」
彼女が顔を赤くして怒るため、素直に謝罪する。
「ははは、2人はお似合いだね」
違うから、彼女は葉山君一筋だからね。
「三浦さんが下駄に慣れてないようだから支えているだけなんだよ」
痛い!
「そうなんだ。でも、2人はお似合いだよ」
「三浦さんとお似合いだなんて光栄だよ」
あっ、握る力が緩んだ。
「それじゃあ、俺は行くよ。早く戻らないと陽乃さんに怒られてしまうから」
「えっ!?」
俺は彼の言葉を聞いて固まってしまった。