梅雨の晴れ間のムシムシとした風が、顔を撫でていく。
俺は、ジャージ姿でグラウンドに立っていた。
「あっちぃーわー、やる気ナッシングだわー」
「梅雨だから湿度が高いしね」
これから体育の授業が行われるのだが、この場にいる者の士気は低い。
「あっ!」
「なになに、UFO見ちゃった系?」
「いや、何もないよ」
体育の授業に参加している比企谷君を見つけた。
退院してからはずっと見学をしていたのだが、怪我が完治したようだ。
そこへ体育の教師がやってきた。
「おまえら、キャッチボールやるからペアになれ」
教師の声を聞いて、生徒達がペアを組んでいく。
「戸部君、ゴメン!今日は、他の人とペア組んで」
「ちょー、クロダ君!?」
本当にスマン!戸部君。
俺は、比企谷君のもとに駆ける。
んっ、なんか海老名さんが喜びそうなシチュエーションになってない?
女子が体育している方から、視線も感じるような。
そそくさと移動し、壁に向かってボールを投げている比企谷君に声を掛ける。
「ペア、組まない?」
「・・・・・」
聞こえていないのか、無視しているのか解らないが、彼は変わらずに壁とのキャッチボールを続けている。
こんな事でヘコたれるはずも無く、もう一度声を掛けた。
「ヒッキー、組もう!」
「ヒッキー、言うな!・・・・は?」
“ヒッキー”に反応してしまったみたいだが、面識が無い人物だったため困惑している。
小学5年生で一度だけ会っているんだけど、流石に覚えては無いみたいだ。
「C組の黒田だけど、ペアどうかな?」
「・・・・・」
比企谷君は何も言わずに、こちらの意図を探っているようだった。
「そんな警戒しなくても大丈夫だよ、比企谷君にもメリットあるから」
「メリット?」
比企谷君が少し興味を持ってくれたようだ。
「そうなんでございます。私と組んで頂けましたら、比企谷様の人生で味わった事がない様な、素晴らしい体験ができるんでございます。」
「怪しすぎるだろ、ヤバイ宗教の勧誘かよ!」
「違うますよー。ゴホン!ところで、ペア組んでくれる?」
「メリットってなんだよ」
ここで俺は切り札を出す。
「なんと、俺と組むと・・・・・、球速130キロ台の豪速球のキャッチボールが出来るんです」
そうなのだ。剣道に打ち込んだ副産物かは解らないが、俺は130キロ台のボールを投げる事が出来る。
中学校の頃は野球部のエースより、速い球を投げる事が出来たのだ!
「はっ?」
「どう、最高じゃない♪」
「おまえ、バカなの?俺にデメリットしかねーよ」
な、なんだと・・・・、戸部君は最高に喜んでくれたのに。
流石は比企谷君だ、予想以上に手強い。
「フフフ、理由を聞かせて貰えるかな?」
「はぁー、素人がそんな速い球を捕れるわけねぇだろ。こえーわ、それに捕れたとしても手が痛いから。何?足が完治したら、次は手を折られちゃうの?そりゃー、人生で体験したこと無いわ」
「・・・・・」
なんも言えねー。冷静になってみればそうなんだけど。
比企谷君との絡みで、テンションが変な方向に上がってしまっていたようだ。
もうここは、強引に進めてしまおう。
「よし、じゃあやろうか」
「なんでだよ」
「その壁よりは、生きたボールを返せるよ」
「俺が欲しいのは生きたボールじゃなくて、1人だけの空間なんだよ」
「・・・・・」
彼は、やっぱり捻れている。
「そっか、わかったよ」
「じゃあな」
〈ドンッ〉〈パシッ〉
〈ドンッ〉〈パシッ〉
〈ドンッ〉〈パシッ〉
「・・・・・」
〈ドンッ〉〈パシッ〉
「・・・・・」
〈ドンッ〉〈パシッ〉
「おい!」
「へっ、なに?」
「なんで、お前も壁に投げてんだよ」
「ペアが組めなくてね、誰か組んでくれる人はいないかなー」
(チラリ)
「ウゼェー」
ふっふーん、俺はタダでは転ばない。
俺達はそのまま二人並んで壁にボールを投げていた。
「なかなか出来る事じゃないよ」
壁を叩くボールの音と他の生徒達の声しか聞こえていなかった空間を俺の声が切り裂いた。
「はっ?」
「誰かを助けるために自分を犠牲にするって事」
「・・・・・」
彼はこれからも自分を犠牲にする。
自分だけで解決しようとしてしまう。
「なんか困った事があったら協力するから」
この言葉は物語の続きを見るためにとか打算的な事じゃなく、自然に出てきたような気がした。
「困った事があっても、おまえに協力してもらう筋合いはねぇーよ。同情すんな、気分悪くなる」
「同情じゃないよ、憧れているんだ」
「はっ?」
物語の中の彼は、間違え続けても前に進んで行く。
自分を傷つけながら進んで行く。
本物を掴むために。
「憧れているんだ」
「おまえ、大丈夫か?
ボッチに憧れるとか、気持ち悪いぞ」
「この前も言われたばかりだよ」
「はぁー、何なのおまえ」
そこで、体育教師から声がかかる。
「集合!」
俺は、壁当てを止め
「今日はありがとう」
「何もしてねーよ」
「それじゃあ、また」
「・・・・・おう」
俺は、集合場所に向かって駆けながら思う。
やっぱり彼は捻れているんだと。
海老名さんの視線を遠くに感じながら駆けていく。