「交通事故です。負傷者がいますので、救急車をお願いします。場所は・・・」
用意していた言葉で、救急車を呼ぶ。
「彼をそちらの方に移動させます。頭を動かさないようにお願いしますね」
用意していた救急セットで、できるだけの応急処置を始めた。
俺は今、交通事故現場にいる。ただの事故現場では無い。
3人の始まりの場所だ。
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中学校の卒業式が終わって1週間後、母親と一緒に千葉に戻ってきた。
住むところは小学生の頃に住んでいた場所とは違い、総武高校の近くのこじんまりとしたアパートで、2人で住む分には問題なく、充分すぎるくらいの所だ。
こっちに戻って来て、いろはちゃんに再会するという事は、まだしていない。
今すぐに会いに行きたい気持ちもあるのだが、彼女との約束が俺の足を踏み止めた。
「いろはちゃんを総武高校で待ってるから」
俺の方から彼女に会いに行くのは、ルール違反な気がする。
俺のやることは、彼女と再会した時にガッカリさせないよう、迷わずに自分の"道"を進んで行くということだ。
そして俺は・・・、千葉に来て早々に“道”に迷っていた。
心理的な事では無く、地理的な事だ。
こっちに来た次の日の朝、日課となったジョギングをしていたのだが、久しぶりの千葉に気持ちが高ぶっていたのか、少し遠くまで来すぎてしまったようだ。
どの辺りに自分が居るのかを確認するために、標識を探していると、
「おはようございまーす♪」
挨拶の声に目を向けると、明るい茶髪の女の子が飼い犬のミニチュアダックスフンドを連れて通りすぎて行った。
俺は女の子の後ろ姿に向かって、
「おはようございます!」
挨拶を返すと、女の子はこちらに顔を向け笑顔で会釈をする。
俺は彼女に近寄りながら、
「このミニチュアダックスフンド、可愛いですね。名前は何ていうんですか?」
俺の質問に、
「サブレっていいます♪」
俺は運命に感謝する。
「名前も可愛らしいですね。
あー、実は道に迷っちゃって、総武高校ってどっちの方向ですか?」
「あっ、その高校だったら向こうの方向ですよ。私、4月からその高校に通うんで」
彼女との出会いに感謝する。
「・・・偶然だね。俺も総武高校に通うんだよ。」
「じゃあ、同い年なんだー。よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」
~5分後~
「それじゃあ、行くね」
「それじゃあ、道を教えてくれてありがとう。」
彼女はサブレに引かれ歩きだした。
俺は、感謝する。
千葉に戻って来て、最初にしなければいけなかった目的が、叶った事に感謝する。
俺は、彼女の後ろ姿に向かって歩き出した。
それから1週間、俺の朝の日課は増えた。
ジョギングを変わらずこなし、その後は1人の女の子を尾行している。
帽子、眼鏡、マスクにコートと完全装備だ。
彼女の警戒心が少しでも高かったら、俺は警察に通報されてもおかしくないだろう。
しかし彼女の警戒心はゼロに等しい、容姿が良いのだから変態さんに目をつけられないか心配になってしまう。
なぜ彼女を尾行しているのかというと、ストーカーとして目覚めてしまったからという理由では無い。
入学式当日に起こる交通事故の場所を特定するためだ。
物語の中で、入学式の日も犬の散歩をするくらいだから、毎朝の散歩は彼女がしている可能性が高いとは思っていた。
入学式までの休みを使い探し出すつもりでいたのだが、千葉に来た次の日に見つけれたのは運が良かったと思う。
この1週間、彼女の散歩コースには規則性は無くバラバラで、散歩コースを決めているのは飼い犬のサブレのようだ。
この分だと、入学式当日も彼女を尾行する事に・・・・・、
いや、サブレを尾行する事になるだろう。
俺は、別に交通事故の場所を特定して、比企谷君を助けようと思ってる訳では無い。
彼を助けてしまうと、この物語のきっかけが無くなってしまう。
あの事故で3人の関係はスタートするのだ。
ただ、同じ様な状況に遭遇して死んでしまった身としては、彼の事が心配でならない。
出来る事なら、少ないダメージで乗り気ってほしいと思う。
だから俺は、彼のケアに最善を尽くすため動くのだ。
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やはり、比企谷君の意識は無いようだ。俺は、怪我の箇所を確認していく。
いつもの尾行ルックのため、ここが交通事故の現場では無かったら、酔っぱらって寝ている人の財布を盗もうとしている、スリ犯に間違われてもおかしくないだろう。
チラリと左側を見ると、彼をはねてしまった運転手が顔面蒼白になりながらも応急処置を手伝ってくれている。
その運転手の向かい側には、事故の原因となったサブレを抱いた由比ヶ浜さんが佇んでいる。
両方の目には涙を溜めて、比企谷君の事を心配そうに見つめていた。
〈カラーン〉
俺は消毒液を落としてしまったことで、自分の手が震えている事に気付いた。
比企谷君が撥ね飛ばされたシーンを見た後から、心臓の鼓動が早くなっている気がする。
これがトラウマというものなのかもしれない。
「君、大丈夫かい?」
顔面蒼白な運転手が俺の心配をしてくれたことで、なんだか可笑しく思え、気持ちが少し楽になった。
「大丈夫です」
それから出来る限りの応急処置を施し終えた俺は立ち上がり、事故を起こした車の後部座席に目を向けた。
こちらからは、そこに居るであろう女の子の様子は窺うことは出来ないが、俺の頭の中では彼の事を心配そうに見つめている物語の中の彼女がそこには居る。
これから1年後に交わる彼等の運命を、俺はどれだけ近くで見れるのだろうか。
遠くから聞こえてきた救急車のサイレンを耳にして、集まって来た野次馬の中に消えて行く俺は、これから始まる入学式へと歩みを進める。