「そうだ、リンネさんはデーモンに召喚されたのに、どうしてリンネさんだけ正気なのかを聞こうとした時に、ナタクが来たんだっけ」
思い出した、と立花がぽんと手を打つ。
リンネもまた敵であるデモン・サーヴァントの一人、と聞いてさっと緊張感の走る会議室の中で、一人だけ場違いなほどの気軽さだ。
「──リンネは俺達の味方だ。落ち着いてくれ」
いや、もう二人……王子とアンナだけは落ち着いている。
むしろ、王子が落ち着いた様子で口を開いたことにこそ、その場の全員が目を見開くほどに驚いていた。
普段は口を開かない王子だからこそ、その直言には重みがある。動揺こそあるものの、リンネを疑うような空気は霧散した。
日頃王子の代弁をしているアンナでは、こうはいかなかっただろう。
「……して、リンネ殿は如何にして魔神の支配を逃れることに成功したのですかな?」
「ふむ…… 其れを語るには、吾が……刻詠というものが、如何なる存在であるか、を……語らねば、ならぬ。
……この特異点でなければ、決して何者にも明かさぬと決めた、刻の秘密じゃ」
会議室を、新たな緊張感が支配する。
先程とは違う、リンネの静かな声が導く、物語の世界へと沈んでいくような空気。神秘のヴェールが明かされるような緊張感。
「刻詠とは、単に未来を占うだけのものではない。
否……未来など、占う迄も無い。吾には全てが既知の内……何故ならば、刻詠とは……過去も、現在も、未来も……枝分かれし別れ行く無数の平行世界さえも……
「……全て?」
「そう、全てじゃ。全ての過去を、全ての未来を、吾はこの目で見、そしてこの耳で聞いておる…… 今、この時も」
『……君は、時の観測者だっていうのかい?』
「然り」
ダヴィンチちゃんの問いも、どこか畏れと震えを含んだものだった。
ごくり、と誰かの唾を飲む音が聞こえたが、この中でダヴィンチちゃんとリンネ自身以外の誰が、その言葉の意味を正しく理解しているだろう。
人は誰もが時間の流れの中で生きている。
ところが、それを観測する者……すなわちリンネは、その時間の流れの外側にいる、というのだ。そして過去から未来へと連綿と続く時の流れと広がりを、全て、そして同時に観測している。
それは、平行世界の地球で月に偽装していた極大のフォトジェニック結晶……地球の全ての歴史を永遠に記録し続ける装置、ムーンセル・オートマトンに酷似した存在だ。
すなわち、記録装置として徹するためにムーンセルが封印し続けた機能……
それこそ、リンネの宝具の正体。
リンネの場合、観測範囲が自分自身の周囲に限定されてはいるが、それでもその存在の規格外なことに変わりはない。
その境地は根源にさえ手が届く。魔術ならぬ魔法の領域。
時の観測者。
生きた聖杯。
永遠にして不滅の個。
異世界の『魔法』使い。
それが、刻詠。
「サーヴァントとは、死して英霊の座にその名を刻まれた者……魔力によって仮初めの肉体を得て、現界せし者。
……じゃが、吾は時の流れから独立した存在…… 死は存在せず……英霊の座に名が刻まれることもない」
「それはおかしいのでは……ありませんかな?
現にリンネ殿はサーヴァントとして召喚された筈では?」
「そこは……誤作動、とでも、言うべきか。
英霊の座とは、過去も、未来も、現在も等しく存在し、かついずれにも属さぬもの……図らずも、刻詠と同じ場所に、在る。故に、召喚式は吾もまた英霊として召喚したのじゃ」
リンネはそこで、深く息を吐いた。
普段は無口なリンネのこと、話し疲れてしまったのか、けほん、と小さく咳をする。
「英霊として喚ばれ、魔力の肉体を得る……その折に、魔神の骨片を取り込んでしまい、汚染されてしまうのじゃ……
が、吾は刻詠。召喚されし吾も、此処に在る吾も、隔てなき同一の存在……既に肉体が在る故に、サーヴァントとしての能力のみが、此処に在る吾に宿った。……それが、吾が魔神の力に汚染されておらぬ所以じゃ」
『ちなみに、彼女が本当に汚染されていないことは我々カルデアが保証しよう。こちらの解析では、リンネちゃんはナタクのような瘴気に冒されている徴候は無い』
「なるほど…… 喚ばれたのがリンネ殿であったのは、僥倖でしたな。でなければ、強力な魔法使いが敵に一人増え、こちらは心強い味方を失うところでした」
ふむふむ、と些か興奮気味にロイがうなずく。
刻詠の秘密。異世界の魔術、英霊召喚の奥義。魔法使いである彼には実に興味深く貴重な話なのだろう。
だがしかし。
「ところで……リンネ殿も、よもや産まれたときから刻詠であったわけではありますまい。如何にしてその境地へ至ったのか、という話は……」
「……理解して、いよう。其れは如何なる理由があろうとも、他者に教えることはできぬ……如何に、事が済めばこの特異点の記憶が失われるとしても……のう」
「ふむ、まあ仕方ありませ……なんですと?」
流石にそこまで語ってもらえると思ってはいないロイだったが、共に語られたのは想定外のことだ。
「記憶が失われる……というのは、どういう意味ですか?」
「聞いたままの意味、で…… けほんっ。
……すまぬ、後の説明はダヴィンチちゃんに、任せよう…… アンナよ、茶を所望する……」
少し疲れた様子で、けほけほと口元を押さえるリンネの背中を王子がさすり、アンナがコップにお茶を入れて差し出した。
かわりに、ダヴィンチちゃんのホログラフが小さな電子音と共に浮かび上がる。
『ご指名とあらば仕方ない。説明しよう。
特異点というのは、聖杯でねじ曲げられた本来ありえない歴史だ。だから、聖杯を回収し原因を取り除けば、そこで起きたことは『無かったこと』にされるのさ』
「ふう…… 吾が、刻詠の秘密を語ったのも、それ故じゃ……
普段ならば、決して語らぬ。それを伝え聞き、良からぬことを考える輩も、無いとは言えぬし…… そうでなくとも、吾を見る目が変わった者も……居る、じゃろう?」
少しずつお茶を飲んで喉と唇を湿らせつつリンネが一同を見渡すと、ロイを含め何人かは気まずそうに視線をさまよわせた。
「さておき…… 吾の事はもう、良かろう。
現状は知れた……なれば次は如何とするか、それを話し合うが先決じゃ」
話はこれまで、とばかりに拒絶の空気を滲ませながら、リンネは静かにお茶をすする。
「では、これからの行動についてですが……」
どこかぎこちない雰囲気を残しながらも、アンナが話を進め、会議は次の議題に移っていった。
会議が終わったのは、夕陽の沈む頃だった。
五騎のサーヴァントが待つと思われる氷の山へは行かず、ナタクのようにやってきたものを迎え撃つという案もあったが、王城や国民に被害が及ぶのを嫌って、すぐ翌日に進軍することに決まった。
当然、立花もサーヴァント達と共に同行する。明日は早くからその準備にかかる予定なのだが、異世界ぼけなのかなかなか寝付けず、城内を散策していた。
現代の感覚では宵の口だが、魔法こそあれ中世に近い文明度のこの国では既に多くの人が寝静まっている。城内は静かなものだ。
『先輩、敵サーヴァントの狙撃があるかもしれません。テラスなどの見晴らしの良い場所は避けてください』
「わかった。ありがとう、マシュ」
マシュのナビゲートを受けながら、立花は歩いていく。
すると、ロビーに備えられたソファのところに、王子が一人で座っていた。
「こんばんは。……王子も、寝付けないの?」
「……………………」
物怖じせず話しかける立花に王子は曖昧に微笑み、向かいのソファを勧めた。
立花が腰を下ろすと、テーブルの上のティーセットを使って、王子が手ずから紅茶を淹れる。
「ありがとう。……ミルクを多めに入れると美味しい? じゃあ、そうしてみる」
勧められるままにとろりとミルクを垂らしてスプーンでくるくるかき混ぜ、カップを口につける。
甘くて柔らかな口当たり。暖かい紅茶がするりと胃の腑に染みてきて、じんわりと広がる熱に立花はほっと息を吐いた。
近くの窓からは、月が見える。
王子はぼんやりとその光を見上げながら、時折紅茶を口に含む。立花も同じように、月の光に身を委ねた。
月見酒ならぬ月見茶会。しばし、静かな時が流れる。
「……王子は、リンネさんのこと、知ってたの?」
「……………………」
静かに問いかける立花に、王子はゆっくりと首を横に振った。
「私には、時の観測者っていうのがどういうものか、よくわからないけれど…… ずっと生き続ける、ってことだよね」
「……………………」
「ナタクのように…… 貴方がいなくなっても、ずっと」
「……………………」
「……私達は、残される人達に何ができるんだろうね」
「………………愛を」
ぽつり、と静かに王子はつぶやく。
「ただ…… 精一杯に、愛するしかない」
「……そっか。……そうだね」
立花がその時思い起こしたのは、人理修復の果てにカルデアの皆を残して消えていった、一人のひと。
彼も……精一杯に、皆を愛して、去っていったのだろうか。
きっとそうなのだろう、と立花は思った。
「……でも王子、結局あなたが愛しているのは、ナタク? リンネさん? それとも、アンナさん?」
「……………………」
立花の問いに、王子はにやりと笑う。
あろうことか、きょとんとした顔でそれを見た立花もまた、やがてにやりと笑った。
何を理解し、通じあったのか、余人にはわからない。
だが立花はそれ以上何も言わず、にこにこと微笑みながら、王子と共に月を見ながら紅茶を楽しむ。
やがて紅茶を飲み干すと、ごちそうさま、とその場を後にして部屋に戻り、眠りについたのだった。
TIPS
【聖杯としての刻詠】
リンネがその聖杯としての機能を自ら用いることは無い。
何故なら、全ての過去と未来と平行世界に同時に存在しているリンネは、聖杯を用いるまでもなく『願いが叶っている平行世界』に既に存在しているからである。
また、存在そのものが特異点である王子はリンネにとっても未知であり、それを既知に変えてしまう意味はリンネには存在しない。
例えその結果が、如何に悲劇であったとしても。
【異世界の英霊の座】
実のところ、アイギス世界には阿頼耶もガイアも無く、英霊の座も存在しない。
背負う業も呪いもシステムも、地球の人類とは異なるのである。
そのため、デーモンはそれらを仮定する術式から創造した。
簡単に言えば、仮想OSを走らせるようなものである。
そのため、この特異点においては「現時点より未来から喚ばれたサーヴァントしかいない」「カウンター召喚された、いわゆるはぐれサーヴァントが存在しない」という特徴がある。
また、この術式は聖杯を利用することが前提なので、聖杯を回収すれば無意味なものとなる。
【アンナのレアリティ】
王子と共に女神アイギスの加護を受けたアンナは、ブラックのレアリティを持つ。
しかしこれはアイギスの加護による特異なものであり、また本人の傾向も頭脳労働あるいは他者のサポートに特化していて、戦闘や魔法の才能は無い。
特に、戦闘に関しての評価はアイアン並、あるいはそれ以下である。
そのため、特異点への転移にも抵抗することができず、今回の事件に巻き込まれてしまっている。
決して作者が忘れていたわけではない……嘘です忘れてました許してください何でもしますから!
k n o w l e d g e i s p o w e r .