m(__)m
誠に申し訳ありません(;´д`)
カズヤの労いの声に伊吹が自然と頬を弛ませ、自分の苦労が報われたと心の内で喜んでいた時だった。
『姉様、しっかりして下さい。ここまで来て何を躊躇うのですか』
『いや、しかし……ご主人様にこの醜い顔をお見せすることは……それに任務を遂行出来なかった役立たずの私がどんな顔をしてご主人様の前に立てば……』
病室の外から千歳と千代田の言い争うような声が聞こえてくる。
すると、それに反応して伊吹は顔を引き締めてしまう。
伊吹の笑顔が消えてしまったことを残念に思いながらも、カズヤは病室の外にいる2人に入室を促す。
「開いてるぞ、入れ」
『ッ!!』
『ほら、マスターも入れと仰られていますし、行きますよ。姉様』
『ま、待て、千代田!!まだ心の準備が!!』
『時間切れです、姉様』
無情な言葉と共にガラッと引き戸の扉を開けて千代田が部屋に入り、次いで3秒程間隔を開けてから千歳が恐る恐る部屋に入ってきた。
「……」
目を伏せ戸惑い気味に広い病室をゆっくりと歩いて近付いて来る千歳の姿をカズヤはじっと見詰める。
千歳の右目には武骨な黒い眼帯が付けられ、右頬には生々しい傷痕を隠すガーゼが貼られ、カズヤが好んだ長い黒髪は以前の半分程度の長さになっていた。
「……っ……ぁ……」
ベッドの脇に辿り着き、カズヤの眼前に立った千歳は何かを言おうとしながらも、言うべき言葉を迷い口ごもる。
「ま、誠に申し訳ございません!!マリー・メイデンを討ち漏らし取り逃がしたばかりか、ご主人様のご命令を遂行することも叶いませんでした!!」
そして、ようやく口を開いたかと思いきや額を床に擦り付けながらの土下座を敢行した。
「……千歳?」
「ハッ!!」
「とりあえず立ってくれ、顔が見えん」
「……ハイ」
「あと、こっちに」
「ハイ」
土下座したが為に視界から消えてしまった千歳を立たせるとカズヤは千歳にチョイチョイと手招きをする。
「っ――……えっ?」
「千歳が無事ならそれでいい」
手招きの後に千歳の体を弱々しい力で強引に抱き寄せ、ベッドに引き摺り込んだカズヤはそう言いながら千歳を抱き締めた。
「……ご主人……様……ぁ、ああああああああああっ!!」
突然の出来事にされるがままになっていた千歳はカズヤの温かな体温と脈動する鼓動の音を間近で確かめると同時に今まで押し殺していた感情が爆発し涙腺が決壊。
カズヤが目を覚ました喜びや、カズヤの期待に添えなかった情けなさがごちゃまぜに入り交じった感情が大粒の涙となって溢れ出す。
そして、幼子のように泣きじゃくる千歳をカズヤはただただ優しく抱き締め、あやし続けた。
「グスッ……もう、大丈夫です。落ち着きました。……申し訳ありません。とんだ醜態をお見せしてしまい」
きっかり5分経ってから泣き止んだ千歳はゆっくりとカズヤの抱擁から抜け出すと、頬を赤らめ恥ずかしげに謝罪の言葉を口にする。
「いや、こう言ってはなんだが……俺としてはいつもと違う千歳の姿が見れて眼福だったぞ?」
「そ、そんなお戯れを……」
カズヤのからかうような言葉に千歳はより顔を赤くして小さく身を縮こませる。
「ハハッ、悪い悪い。さてと千歳。目や顔の傷を治すからもう一回こっちに来てくれ」
「……申し訳ありません、ご主人様。そのお気持ちは嬉しいのですが、この顔と右目は己に対する戒めとしてこのままにしておきたいのです。奴を……奴をこの手で斬り殺すまでは」
完全治癒能力で失われた右目や顔の傷を元通りにしようとするカズヤの言葉に千歳は申し訳無さげに、しかし断固たる意思を秘め答える。
未だに鈍い痛みを発するその右目と顔の傷は千歳にとって自戒であり、復讐と雪辱を誓う象徴であり、また怨嗟の黒い炎を絶え間なく燃え滾らすための燃料となっていた。
「……そうか」
千歳の心情を理解し、その気持ちを尊重したカズヤは相槌をうち小さく頷くのだった。
「では、また後で参ります」
「あぁ、分かった。すまないが、今しばらくは国や軍のことを頼む」
「ハッ!!」
病室に来た時とは別人なのかと疑うほど、憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔付きで千歳はカズヤの元を去って行く。
その背景には命令を達成出来なかった事でカズヤに失望されなかったこと、顔の傷や右目を失ったことで嫌悪感を抱かれずに普通に接してもらったこと、そして自分の我が儘を貫けば――怪我を治さなければ最早機会はないと諦めていた閨にまた呼ばれたからであった。
「閣下、少しよろしいでしょうか?」
「ん?なんだ?」
千歳が去ったのと一緒に千代田が病室を後にし、またカズヤの頼みで今現在の戦況や最近の報告書を取りに伊吹が病室を離れると、カズヤの主治医が側にやって来る。
「左腕の今後についてと、お体の事について幾つかご説明をと思いまして」
「……あぁ、分かった。頼む」
主治医の口から発せられた言葉にカズヤは自然と顔を引き締め答える。
「では、まず左腕の今後についてなのですが、これは幾つか選択肢がございます。千代田総統補佐官が確立した生体端末の技術を流用した生体パーツを義手として移植する案。次にこの世界に存在している固有の素材や魔法などの技術を使って作る義手の案。そして前者2つの案を混ぜて両者の利点を両立させる折中案等。とは言え、今すぐ左腕を付ける訳ではございませんし、付けないという選択肢もございます。また閣下のご希望もあるでしょうから、ごゆっくり考えて頂ければ結構です」
「…………分かった。考えておく」
既に無くなっているという事を脳が認識しておらず、未だにそこに左腕がある感覚を感じながらカズヤは複雑な顔で頷く。
「次にお体のことですが、こちらは時間が解決してくれるでしょう。あと1ヶ月もすれば日常生活程度なら問題なく送れます」
「そうか。それは良かった」
1つ頷いてから窓の外に視線を向けたカズヤは、窓の外に広がる青空を見上げながら主治医の話に相槌を打つ。
「はい。本当に。これだけの怪我がこのような短期間で治るとは、まるで閣下には幸運の女神がついているようです」
ニコニコと満面の笑みを浮かべてカズヤの回復を喜び世辞を口にする主治医だったが、次の瞬間、カズヤの発した言葉に凍り付く。
「それで……俺の体はいつまでもつ?」
側にいる主治医にしか聞こえぬような声量でカズヤは囁いた。
「――ッ!?な、何をおっしゃって……」
「……」
「……」
「……」
「――……皆、席を外してくれ」
長い沈黙の後、主治医は病室にいた看護師全員に退出を命じ、更に壁際に並んで控えていたメイド衆――ダークエルフのルミナスを除いた4人さえも病室から廊下に追いやる。
カズヤの言葉が聞こえていなかった看護師達やメイド衆の4人は、いきなり追い出される事やルミナスだけが病室に残るのを許された事に疑念を抱きながらも異を唱えることはせず静かに主治医の指示に従う。
そして、3人しか居なくなった広い病室の中で極めて重要な話が始まる。
「……まず先に言っておきますが、この件を知っているのは魔法医学を学び閣下の専属医療士として治療にあたっていたルミナス君と閣下の主治医である私だけでございます。他の方々には閣下のお体に問題は無いとお伝えしてあります」
「そうだろうな、それが正しい選択だ。こんな話を千歳達にしたらどうなるか分からないからな」
カズヤが怖い怖いと笑いながら声を漏らす一方で主治医は極めて真面目な顔で話を続ける。
「……して、いつからお気付きに?」
「目覚めた瞬間に大体分かった。というより自分の体だぞ?これだけ違和感があったらどんなバカでも気付く。……それで俺の体がどんな状態になっているのか、そしてあとどれだけもつのかを教えてくれ」
「かしこまりました」
全てを悟っているカズヤに誤魔化しは効かないと理解したのか、主治医はルミナスに目配せを送る。
主治医の目配せに気が付いたルミナスは少し迷う素振りを見せた後、沈痛な面持ちでゆっくりと口を開く。
「……単刀直入に申し上げます。ご主人様はもう……人間ではありません。いえ、人間ではないナニかと言った方が正確でしょうか」
「……」
人間じゃない……か。予想はしていたが……やっぱり重い話になるか。
しかし、人間ではないナニか。というのはどういう事だ?
てっきり俺は吸血鬼になってしまったものと思っていたのだが……。
ルミナスの開口一番の言葉に驚き、疑問を抱きながらもカズヤは平静を装って沈黙を貫く。
「まず、ご主人様もお分かりになっているとは思いますが、ご主人様のお体はマリー・メイデンの吸血行為により吸血鬼化しています。しかしながらご主人様のお体に存在した謎の呪(まじな)いが、完全なる吸血鬼化を阻んだ様なのです。そして、最終的にはその呪いがご主人様のお体を吸血鬼化から守るために主人様のお体を人間から別のモノへと変質させたため、人間ではないナニかと申し上げたのですが……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。な、謎の呪い?」
ルミナスの口から出た看過できない言葉にカズヤが食い付く。
「はい。私が調べた限り、呪いは害を働くようなモノではありません。いえ、それどころか逆にご主人様を守る方向に働く呪い、それも術者が対象――ご主人様の事を想えば想うほど効果が高まる術式のモノがご主人様のお体に存在しております。何か心当たりはございますか?」
「いや、全く……」
「そうですか……。現在、この呪いが何なのか、何者が何の意図でご主人様にかけたのかを私の配下の者に探らせておりますので、そう遠くないうちに呪いや下手人の正体は判明するかと思われますが、ご主人様にも覚えがないとなりますと、少し不可解な話になります」
「そ、そうだな」
なんとも厄介な展開だな。
自分の体に正体不明の呪いがかけられていると言われて一瞬、肝が冷えたカズヤだが、その呪いが結果的に吸血鬼化を防いだと聞かされ、どんな顔をすればいいのか判断が付かず困ったような笑みを浮かべていた。
「まぁ、分からないのであれば呪いの件はまた今度でいい。で、結局俺は人間でもなく吸血鬼でもないナニかになっているんだな?」
「はい、少なくとも3種類の種族――人間、吸血鬼、そして亜人系の遺伝的特徴が確認されていますので、失礼ながら人間ではないナニかと言う他ありません」
「そうか。まぁ分からないならこの話はお仕舞いでいい。話を本題に戻そう。俺の体はいつまでもつんだ?あれだけイリスの負の魔力を浴びた以上、あまり時間がないのは理解しているが」
そう言いながら、カズヤは諦めの色を滲ませる。
あの呪(のろ)いのような魔力が俺の体にこびりついているのは、はっきりと知覚出来る。この分だとあまり時間は無さそうだが……さてはて。
「……もって10年。長くても15年かと」
「そう……か」
最短で10年だとしたら……年少組の子供達が大人になった姿は拝めんな。
主治医の口から飛び出したタイムリミットにカズヤは目を瞑り、頭の中で主治医の言葉を反芻する。
「現在、閣下のお体はイリス様の負の魔力――分かりやすい例を出せば悪性のガン細胞というべきモノに侵されています。そのため今は支障がなくとも時間が経つにつれて確実に様々な支障が出てくると思われます。しかし、皮肉な事に人間ではなくなったが故に閣下の寿命は少しばかり伸びております。純粋な意味での人間のままであれば5年が限界だったはずです」
メイデンに血を吸われたから寿命が伸びた、か。なんとも皮肉――いや、事の原因はアイツだから結局はアイツが悪いな。
それにしても、じわじわと苦しみを味わいながら死んでいくのか……それはキツそうだ。
“ただちに”影響はなくとも時を経れば確実に影響が出てくると聞かされたカズヤは自嘲にも似た笑みを浮かべる。
「ルミナス君と私の見立てでは、7〜8年後を目処に徐々に体の五感や機能が失われていき最終的には10〜15年以内に……」
「死に到る……か。はぁ……」
最悪の結果を脳裏に絵描き、重いため息をカズヤが吐き出した時だった。
ドアの方からドサッと何かが床に落ちる音が響く。
「……伊吹?――やめろ伊吹ッ!!」
「モガッ!?」
必要な書類を持って戻って来て伊吹は密談の内容を耳にしてしまったのか、ドアに片手を掛けたままの状態で目を見開きワナワナと震えていたが、その姿がぶれたかと思うと次の瞬間には伊吹が主治医を押し倒してその口にフルオート機能が付加されたモデルであるグロック18の銃口を押し込んでいた。
しかも、凶行に出た伊吹を咄嗟に押さえ込もうと足を踏み出したルミナスには予備である22口径の拳銃――ワルサーP99を75パーセント縮小したモデルであるワルサーP22の銃口を向けるという隙の無さを見せ付ける。
「閣下が死ぬ?……閣下の寿命が後10年だと?」
「伊吹!!銃を離せ!!」
「貴様は何を言っている?」
フゥー、フゥーと獣のような荒い息を吐きながらドス黒く澱んだ瞳で伊吹はガタガタと震える主治医の目を睨み、引き金にかけている人差し指の引く力を強めていく。
「伊吹!!」
「そんな戯言を吐く貴様は――」
「落ち着けッ!!」
カズヤは鉛のように重たい体を気合いで無理やり動かしベッドから身を乗り出す。
そして、ガシッと伊吹の肩を掴んだ。
「ッ!!」
「ゆっくりだ、ゆっくりと銃を離せ」
「……申し訳ありません。取り乱しました」
カズヤに肩を掴まれ正気に戻ったのか、伊吹はゆっくりとグロック18とワルサーP22をホルスターに収め立ち上がる。
「ですが……今すぐに詳しく説明を要求します」
黙秘は許さないとばかりに、顔を鬼のように歪め主治医を睨む伊吹。
「は、はい。直ちに」
腰が抜けた為にルミナスに手を貸され、ようやく起き上がった主治医は伊吹が放つ恐ろしいオーラに押され、ズボンが温かな黄色い液体で濡れている事も忘れて早口でこれまでの顛末を語り始めた。
「そんな……閣下が……カズヤ様が…余命…死んで……いや、これは夢……しかし……。閣下、このことは、副総統に……」
「言える訳がないだろう。この話は4人だけの秘密だ。くれぐれも漏らすなよ?特に千歳と千代田、それにイリスにはな」
重大な秘密を知り、顔を青くして唖然としている伊吹にカズヤは釘を刺す。
「っ、ですが!!ですが、それはあまりにも……ッ」
堪えきれなくなったのか、ボロボロと涙を流しながら食い下がる伊吹にカズヤは首を横に振る。
「ダメだ。何があっても教えるな。それにまだ余命通りに死ぬと決まった訳じゃない。何かしらの延命方法が見つかって余命より生きる可能性はあるんだ。だから、そう悲観しないでくれ」
あり得ないと理解していながらも、カズヤは伊吹を安心させるため笑いながら楽観的な話を口にする。
「うぅ……」
しかし、伊吹は自分を安心させようとしているカズヤの思惑に気が付いてしまったせいで、余計に悲しくなり俯いたまま嗚咽を上げ涙を流し続ける。
「――あぁ、もう!!この話は終わりだ!!伊吹、とりあえず報告書をくれ!!全体の戦況が知りたい」
まるで通夜のように沈んだ空気に満ちてしまった病室の中で、カズヤがこの話は終わりだ。とばかりに声を上げた。
「は……い。グスッ、こちらになります」
涙を拭き取りながら、伊吹がおずおずと差し出した報告書。
表面に第33機甲師団――旧外人部隊戦闘経過報告書と書かれたそれを受け取ったカズヤはページをペラペラと捲りながら無心になって読み始めたのだった。
ザ、急展開