「……ぅ、うーん。ッツ!?イタタタ……私とした事が飲み過ぎたみたいね」
やけ酒に溺れ、知らぬ間に眠っていたカレンはズキズキと痛む頭痛で目を醒ました。
いつの間に寝たのかしら。
記憶が全くないわ。
はぁ……部屋は悲惨な有り様だし頭はズキズキするし喉はイガイガするし……ふん、それもこれも全部カズヤが悪いんだから。
あちらこちらに酒瓶が転がっている自室の様子を一瞥し内心でため息を漏らす。
昨日の記憶を吹き飛ばした原因であるやけ酒の元凶たるカズヤの事を脳裏に浮かべながらカレンはもやもやとした思いを抱いていた。
「マリア、悪いけど水を取って――……マリア?どこに行ったのかしら、あの子は」
呼べばすぐ飛んで来るはずの忠臣の姿が見えない事にカレンは首を捻る。
「しょうがないわね。うっ……ずいぶんと酷い格好ね……」
居ないのであれば致し方ないと自分で水を取るべく立ち上がったカレンは鏡に映った自分の格好を見て呻く。
縦ロール――ツインドリルの髪型はぐちゃぐちゃに乱れ、口元には涎の垂れた跡。
着ている黒いキャミソールも寝相でついたシワでしわくちゃ。
しかも、よくよく見てみればやけ酒の影響か、全身がむくんでいた。
「カズヤにはとても見せられない姿ね……昨日の夜も悲惨だったろうし、マリアに誰も入れないように言っておいて正解だったわ」
酒癖はあまり良くないし。と続け自身の姿を省みてカレンは1人胸を撫で下ろす。
こんな酷い姿は愛する者に見せられないという乙女心があったからだ。
「――俺がどうかしたか?」
ところが、カレンの乙女心は一番見られたく無かった人物の声によって引き裂かれる。
「……」
ギギギッと首をゆっくりと回したカレンは背後の扉から現れたカズヤを見て固まった。
青から白、そして最後には真っ赤になるカレンの顔。
「ど、どうしたカレン!?気分が悪いのか!?」
コロコロと変わるカレンの顔色に、吐き気でも催したのかと思い慌てたカズヤは咄嗟にゴミ箱を掴んでカレンに駆け寄る。
「み、見るなああぁあぁぁーーー!!」
「あべしッ!!」
しかしながら、カレンの身を案じたその行動が余計にカレンの羞恥心を刺激してしまった事で、カズヤはカレンの元に駆け寄った直後、平手で思いっきり頬を張り倒されたのだった。
「カズヤ、ちょいと頼みがあるんだけどいいかい?」
「ん?アミラがそんな事を言うなんて珍しいな。で、どんな頼みなんだ?」
カレンと“仲直り”をした後、自身の執務室にいたカズヤは千歳とリーネを引き連れやって来たアミラの言葉に首を傾げた。
「ちょっと妖精の里に行って病人を助けてやって欲しいんだよ」
「妖精の里?」
「そう。妖精の里。何でも妖精王の娘が変な病気にかかってしまったらしくてね。最初は妖精王も自分達で病気を治そうと手を尽くしたらしいんだけど、治るどころか悪化する一方で手に負えないそうなんだ。それでどんな怪我だろうと、どんな万病だろうと癒す力を持つカズヤに治してもらえるように頼んで欲しいと妖精王が私に連絡を寄越して来たのさ」
カズヤの頬にうっすらと残る手のひらの痕や、わざとらしく首筋に残されたキスマークを見て大体の事情を察したアミラは真面目な表情とは裏腹に内心で苦笑していた。
「治すのは構わないが、妖精はかつての妖魔連合国――妖魔達の連合にも加入せずに独立独歩の体制を貫いて他種族との関わりを断っているんじゃ無かったのか?」
「ご主人様、それは少し違います。妖精は――」
「妖精は他種族との関わりを断っているんじゃなくて、大切に守っている世界樹を悪い奴らから少しでも遠ざけるために関わりを断つしか無かったの。それに妖精は独立独歩じゃなくてアマゾネスの一族と共存関係にあるんだよ。妖精がアマゾネスに精霊の加護を与えて、アマゾネスが外敵から妖精と世界樹を守る。彼女達はそんな共存関係を築いているんだから」
千歳の言葉を遮り横から割り込んだリーネはカズヤの元にトテトテと駆け寄ってカズヤの腕の中に体を沈ませる。
セリフを奪われたばかりか、実に羨ましい事をしているリーネに千歳は嫉妬に満ちた眼差しを送っていた。
「そうだったのか。まぁ話は分かった。それで出立はいつに?」
「あー急で悪いんだけど、今日の夜にでも出てくれないかね」
腕の中で微睡むリーネを撫でているカズヤにアミラは頬を掻きながら告げた。
「それはまた……急だな」
「なにぶん妖精の里が遠いんでね」
「妖精の里はヘリで行けないのか?」
「里は外敵に見つからないように結界が張られているから最後はどうしても陸路で行かないといけないんだよ。空路でパッと行ってパッと帰ってくる事が出来ないのさ」
アミラの頼みを快諾したカズヤだったが、急な事に困惑の表情を浮かべた。
まぁ、病人を治すためだし時間は惜しいか……。
だが、一刻を争う病人のためならば致し方ないかと納得した。
「それでご主人様、今回の件に同行する人員についてなのですが。厚かましい事にご主人様以外の人間は来ないで欲しいと先方が言ってきたため、千代田と親衛隊は妖精の里の手前で待機させ妖魔と獣人からなるメイド衆とその直属の武装メイド隊を護衛として同行させて頂きます」
全く、我々を何だと思っているのか。と憤りの声を漏らしつつ千歳が憤慨する。
「俺以外の人間は来ないで欲しい?また何でそんな事を」
下手をすれば、話そのものをぶち壊しかねない妖精の注文。
わざわざそんな注文を付ける理由があるのかと疑問を抱いたカズヤはアミラと千歳の顔を交互に見つつ問いを投げ掛けた。
「それはだね、大昔にあった人間の国が世界樹を欲して妖精の里を襲ったからさ。そんな一件があって今じゃ妖精は大の人間嫌い。その影響で妖精の里に人間は入れないんだよ」
「んにゃあぁ……酷い話だよね〜かつては何本もあった世界樹を欲望のままに切り倒したのは人間達なのに、妖精が大事に守っていた最後の1本まで寄越せって言われて奪われかけたんだから。妖精は世界樹が無いと生きていけないのに。カズヤ、もっと撫でて〜」
「けどそんな妖精が人間のカズヤを里に招いて物を頼むんだ。それだけ状況が逼迫してるんだろうね」
アミラの話を聞きつつリーネの要望に応える形でカズヤは彼女の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
その一方でカズヤは今回の話に引っ掛かるモノを感じていた。
妖精と人間の種族間の諍い……根が深い問題だな。
にしても、いつもならこの手の話は千歳が反対に回るんだが……今回は何故か反対しないな。
それに一緒に来るとも言わないし、まさか相手方が俺以外の人間に来て欲しくないと言っているから大人しく留守番を……うん、それは無いな。千歳だし。
ま、実際は帝都攻略戦の準備や帝都攻略戦直前に控えた総合火力演習の準備に忙しいんだろう。
というか今気が付いたが……千歳、不機嫌じゃないか?
いや、これは……拗ねてる?
いつもと違う千歳の対応に疑念を深めるカズヤだったが、この後の一連のやり取りで全てを納得する事になる。
「あぁ、そうそう。一番大事な事を言い忘れていたよ。本当なら私がカズヤに同行するつもりだったんだけど、残念ながら行けなくなっちまってね」
「そこで!!リーネがカズヤに付いていくつもりだったんだけど……リーネも行けなくなっちゃった。アハハッ……ハァ、せっかくカズヤと一緒にお出かけ出来るチャンスだったのに」
いやー困った。とカラカラと笑うアミラや残念そうにしょげるリーネ。
そんな風に失意に沈む2人だったが、何故か言葉や態度に反して口の端が抑えきれぬ喜びでほころんでいた。
「行けなくなったって……2人とも何かあったのか?」
「あったというか……ね」
カズヤの問い掛けによくぞ聞いてくれましたという顔で、けれどもしおらしく答えながら、意味深な視線をリーネに向け同意を求めるアミラ。
「“できた”というか……ね」
頭を撫でているカズヤの手を取り、自然な動きで自身の腹部に誘導しつつ、リーネはアミラに求められた同意にコクリと頷く。
そして、衝撃の事実を口にした。
「えっと、リーネとお母さん……カズヤの赤ちゃんが出来ちゃった」
「……本当に?」
嬉しそうに笑いながら、こちらを見上げるリーネにカズヤは一瞬の間を置いて答えた。
「冗談でこんな事言わないよ。2人とも同じ日に出来たみたいで妊娠2ヶ月目だって。ほら、ここにちゃんと居るんだからね?リーネとカズヤの赤ちゃん」
そう言ってリーネはカズヤに改めて自身のお腹を触らせる。
「そうか……赤ちゃんが出来たか!!」
リーネが着ているチャイナ服風の衣服がお腹の辺りを大胆に露出するタイプであったため、カズヤはリーネの肌に直に触れながら自身の新たな子が出来た喜びに沸いていた。
ほっそりとしたお腹からは命が芽吹いているという事がまだ分からなかったが、リーネのお腹を撫でるカズヤの手には熱が籠っていた。
「全く、やることはやっていたけど……まさか本当にこんな年増が孕まされるとはね」
「いいじゃないか、アミラはまだまだ若いんだし」
呆れたような言葉の節々に喜びを滲ませるアミラに対し、カズヤがツッコミを入れる。
「フン、オーガ族の常識で言えば私なんかもうおばさんなんだよ。それが娘と孫を同時に作ったなんて、いい笑い話さ」
「笑いたい奴には笑わせておけばいい。まぁ、俺とアミラの子を笑った奴はぶっ飛ばすが」
我が子が出来た喜びで若干変なテンションのカズヤは、そう言って笑った。
あ、そうか。
アミラとリーネが妊娠したから、千歳は拗ねてたのか。
ようやく千歳の複雑な心境を僅かながらに理解したカズヤは千歳にチラリと視線を送る。
「……」
カズヤの視線に気が付いた千歳は幼子のように、プイッとそっぽを向く。
……ん?待てよ、アミラとリーネだけ?
いじらしい千歳の態度に苦笑しつつ、吉報に浮かれていたカズヤだったが、ようやくある事に気が付く。
そして、ある事実を思い出す。
アミラとリーネが妊娠したと思われる日には、フィーネも共に夜を過ごしていたはずだという事を。
「まぁ、そんな訳だから今回はフィーネがカズヤに同行するからね」
「なぁ、アミラ……フィーネは妊娠していないのか?2人が妊娠した日って確かフィーネも居たろ」
「えーと、ね。その……お姉ちゃんは出来なかったみたい」
「……そうか」
って、それは不味いんじゃ……。
自分の母親と妹が同時に妊娠し、しかも妊娠したとおぼしき日には自身も居たのに妊娠出来ず。
そんな風に1人置いていかれたフィーネの事を考えたカズヤの額からは一筋の汗が流れた。
「はぁ……本来であればこのような話は断るのですが。ああも不穏な空気を撒き散らす者が居ては堪りません。まぁ、女として同情する面もありますし、今回の件はちょうどいいです。それに……ご主人様も3人――いえ、1人は引き込もっていますから実質2人ですが、嫉妬で狂った2人の相手はお厳しいでしょう?下手をすればこの機に便乗する愚か者(セリシア・アデル)が出てくるやもしれませんし」
状況を把握し冷や汗を流しているカズヤの考えを読み取った千歳が、今回の話の裏側を暴露する。
「あーそういう事だったか……」
事の全貌を理解したカズヤは今回の件が波乱に満ちた物になると今確信した。
つまりだ。今回の話の真の目的は妊娠しなかったフィーネのご機嫌取りをするため。
しかも、千歳の話を聞くにフィーネはかなり荒れてる模様。
あと出遅れた事を知ってやって来るであろうカレンやカレンに便乗しようとするセリシア達から俺を逃がすための措置でもある訳なのね。
「……生きて帰って来れるかな?いや、帰ってきた後、生きていられるかな?」
近い未来を悲観したカズヤの口からは思わず悲壮感に満ちた呟きが漏れるのであった。